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<二つの道>


 ようやく地平線に近づいた太陽が、最初の光を東の空低く漂う雲に投げかける。朝露は消えかけてい た。村のほうから、鳥たちの声が聞こえてくる。
 だが、その夜明けの平和は、かりそめのものでしかなかった。


 朝、日が昇るのと同時に駆け込んできたマリアーナの大声で、館じゅうが叩き起こされた。
 「大変よ、あんたたち! 新聞を、新聞を見て」
ソファで転寝をしていたガルムは転がり落ち、フェンリスはくしゃくしゃ髪のまま。ハリスとヨルムは 二階から顔を出し、ローグはどこからともなく現れた。室内でも武器は忘れていない。食卓の準備をし ていたユーフェミアはぽかんとしている。
 「どうしたの、叔母さん」
 「どうしたのじゃないわよユーフェミア。これ!」
テーブルの上に広げられた新聞を覗き込んだユーフェミアは、一面に踊る文字を読んだ。

 「首都炎上。ミッドガルド放棄」
 「首相ほか首脳は第二首都ギムレイに避難」
 「専門家たちは警告…北部未開地域の異変」

紙面からは広告すら消え、ほとんど戦時下のように紙面をここ数日の出来事に割いていた。最初に被害 を受けたのは<アスガルド>に近いフランシェーロの町とその周辺だったのに、何故かその後、首都が 突如現れた未知な動植物によって侵略された。死者は既に200名を越え、400名近くが行方不明になっている…。
 「大事件よ、これは。どうして何も言わなかったの、あんたたち」
マリアーナは、その場にいないヨルムの代わりにハリスを睨み付ける。「逃げてきたんなら、ちゃんと 言いなさい! 友達と一緒に帰ってくるっていうから、あたしはてっきり休暇か何かかと思ってたわよ」
 「……。」
ハリスと、そしてルベットはユーフェミアのほうを見た。ユーフェミアは知らん顔をしている。
 (何も説明しなかったんだな…)
とはいえ、まともに説明すれば面倒なことになる。この際、小人だろうが狼だろうが気にしないマリア ーナの大雑把さは有難い。
 「それに、ほらココ! 見て頂戴」
指差したところには、「政府は新型兵器を投入する可能性」と書かれている。謎の生物が湧き出してい ると見られる、<アスガルド>中心に近い、最近あらわれた大地の穴に向かって、強力なミサイルを打 ち込むというのだ。予想はしていたことだが、その穴を政府の軍自身が空けたということは何処にも書 かれていない。
 「自然を焼き払うつもりよ。なんて恐ろしいこと。きっと今に罰が当たる」
 「しかし、他に手はありませんよ」
と、ハリス。「まるで御伽噺に出てくるような生き物たち、ドラゴンやワームがわんさといるんです。 おまけに、夜、灯りをつけているだけで突撃してくる八本足の馬のようなものなんかも」
 「そんなもの、ちっとも怖くないじゃない。彼らだって家に帰りたいはずよ。脅かして興奮させて、 攻撃されたのなんだの騒ぐのは無知な証拠よ」
マリアーナは机を叩いた。「とにかく、こんなことしちゃダメよ。もっと酷いことになるわ。ギムレイ だけじゃない、この国全体が」
 「おや、ここを見ろ」
紙面を捲っていたルベットが何かに気づいた。「ここだ。専門家たちが政府に直訴… 見ろ! <黄金の チェス亭>の連中だ!」
 「え?」
ユーフェミアとフェンリス、それにローグが覗き込む。写真には確かに、覚えのある顔が写っていた。 紙面では、それぞれの名前と肩書きを紹介している。有名大学の教授、伝説的な探検家、高名な学者、 研究家、作家…。
 「ルベットと同じね。」
ユーフェミアは感嘆のため息を漏らした。「みんな、その道ではよく知られた人ばかり。あそこにはそ ういう人たちが集まってたんだわ」
 「お互いの身分なんか聞かなかったからな、あそこじゃ」と、ローグ。「…毎日<大樹>の地下や周 辺で探索をしてた連中なら、あそこのことはよく知ってるだろう。問題は、その言葉を重く見るか軽ん じるかだ」
 「もちろん、聞くべきことは聞くでしょう。」と、ハリス。「敵のことを知るに越したことはない。 しかし、攻められれば抵抗するのは当然だ。」
 「力で対抗するのか」
 「それ以外に方法はないでしょう。頼めば、彼らが帰ってくれるとでも?」
ローグは、肩をすくめた。
 「少なくとも<アスガルド>では、お互いが死に絶えるまで争う必要は無かった。一定の譲歩とお互 いの尊重があったからな。獣の世界はそうだ。――けど、ここは<アスガルド>じゃないからな。」
 「人間同士の間の争いが、この世で最も醜く悲惨なのは認めましょう。しかし、これは人間と獣の戦 いです。」
 「あのう――」
その時、マリアーナの側からおずおずと声を発した者がいた。その時はじめて、一同は、マリアーナの 側に見たことのない女性が立っているのに気がついた。ヨルムにとっては、以前も見たことのある美人 だ。
 「メリッサ!」
ハリスが声を上げた。
 「ああ、やっぱり知り合いなのね。森の入り口でうろうろしてたから連れて来たのよ。何か用がある みたいよ」
 「紹介しよう。彼女は父の秘書。私との繋ぎ役でもある」
美女は軽く礼をした。なるほど、そういうことか。こんな片田舎には不釣合いの、品のいい上等な黒い コートを来て、黒ブチの眼鏡をかけた女性は、確かに秘書と言われればそう見える。
 「何故ここが分かったんだ?」
 「彼女には、車を取りに行く時に行き先を教えておいたんだ。何かあったら連絡を取れるようにとね 。それで? 何があった」
 「はい…」
メリッサと呼ばれた女性は、ハリスに近づいて何か耳打ちした。ハリスの表情が強張る。
 「…良くない知らせだな。首都だけではなく、周辺都市も未知の動物に攻撃を受けている。このまま 劣勢が続けば、近い日に、首相は、最終手段の使用を許可することになる。」
 「最終手段…?」
 「さっきの話の通りさ。強力なミサイルで、<アスガルド>全体を焼き払うんだ」
メリッサは、頷いた。
 「パニックを恐れてまだ公にはされておりませんが、もう間もなくでしょう…。既に軍部は準備に入 っています」
 「それは駄目」
ふいに、厳しい声が飛んだ。皆が振り返る。そこには、いつにない表情をしたユーフェミアが居た。
 「その先にあるのは完全な破壊、再生の可能性を摘み取ること。止めなくちゃ」
 「首相の決定なのです。覆すことは」
 「私が説得しよう」
ハリスの言葉に、ローグがぴくりと眉を跳ね上げた。
 「意外だな。<アスガルド>を徹底的に破壊したいんじゃなかったのか?」
 「私は最も効率的な方法を選択するだけさ。この辺りの町で、電話が使える場所は?」
 「村役場にあるけど…」
 「僕、案内するよ!」
フェンリスが手を上げた。
 「朝食までに戻ってくるのよ!」マリアーナは渋い顔だ。


 フェンリスが、ハリス、メリッサとともに行ってしまうと、一同の間に重たい沈黙が落ちた。
 「あいつに任せて大丈夫なのか」
ぽつりと、ローグが言った。ルベットは新聞を捲りながら答える。
 「他に頼れる手立てはない。わしら専門家の意見に耳を貸さないならな。…しかし彼は、なぜ意見を 変えたのだ?」
 「…俺の仮説のせいだろう。<アスガルド>に流れる時間が破壊されたとき、何かが起こる。姉さん 」
 「何?」
ヨルムに呼ばれて、考えに沈んでいたユーフェミアは顔を上げた。
 「姉さんには、その先が判る?」 
 「……。」
彼女はテーブルの上に視線を落とした。
 「既に終わってしまった過去をやり直すことは、出来るかしら。変えられるはずもない未来、絶望的な終焉の、その瞬間の直前までを何度も繰り返し、繰り返し夢 に見る大地。時の針が進めば無に戻ってしまう。私は怖いの… 未来を知ることがとても怖い。それ は過去を決定するのと同じことだから…」
マリアーナは台所のほうにいる。朝食まではまだ時間がありそうだ。
 「見せたいものがあるの」
彼女は席を立ち、館の奥へと消える。やがて戻ってきた時には、一冊の本を手にしていた。
 彼女はそれを、ヨルムに手渡した。表紙は皮で作られ、タイトルもない。開くと、古い羊皮紙特有のにおいがした。中身は走り書きの日記のようなもので、優美な線が踊っているような文字で書かれている。日付が書かれ、隅には所々にメモがある。誰かの日記のようだ。
 ヨルムは、一行を読み上げ驚いた。
 「”――はるか昔、<大樹>が病に冒され枯れ始めた時、大きな闘いがあった”…これは!」
 「続けて。」
 「…”エーシルとヴァニール、二つの一族は争いあい、大地を朱に染め上げた。ヴァニールは破れ、 種子とともにかの地を去った。東の荒野に種子を植え、新たな館を築き上げた。それから長い年月の過 ぎたのち、かの地は炎に包まれた。予言の通り…”」
言葉を切る。
 「ここからはインクが薄れていて、よく読めない。… ”ヨートゥンの災い… 地が割れ、空を焦が す… 彼らは滅びた”… 姉さん、これはどこで?」
 「マーサの部屋で見つけたの。彼女の日記よ。でもそれは、彼女の見た夢の内容なの。」
ユーフェミアは、腕に光る装飾品を掲げた。
 「私も同じ光景を見たわ。この腕輪を通して…。それを書いたとき、マーサはその夢が過去に本当に起きたことだとは知らなかったのだと思う。その過去は初代、フリッカ・クレイントン・ウィードの見た光景。彼女は燃え尽きた<アスガルド>に足を踏み入れた。過去はそこから始まっている。」
 「……。」
ルベットは眉を寄せた。
 「これを見て。――」
ユーフェミアは、一枚の写真を取り出してヨルムの開いているページの上に置いた。「そこに写ってい るのが誰か判る?」
そこには三人の人物が写っていた。一人は濃い髭を生やし、むっつりとした表情の大男。けむくじゃら の腕は逞しく太く、着るものや見た目には頓着していないようだ。もう一人は、爽やかな笑顔を向ける 長身の青年。手にした地図を指差して、写真のこちら側にむかって笑いかけている。そしてもう一人は ―― 頭に布を巻き、首に重たいトルクをはめ、口にシナモンの棒をくわえた女性。
 「イザベルじゃないか!」
ルベットは小さく叫んだ。「間違いない。なあ、ユーフェミア。そうだろう」
 「そこに写っているのは若い頃の私の祖父と、たぶん、ハロルドさんよ」
沈黙があった。
 「この写真は、祖父が残したものなの。裏に撮影した年が記されているわ。今から約50年前の写真。」
そばで聞いていたローグは、眉をしかめた。
 「どういうことだ? 手人の空似か、親戚じゃないのか。本人のはずはない」
 「いいえ、本人なのよ。彼女は永い永い時を、ずっと繰り返してきた。クレイントンの一族が、代替わりを重ねて記憶を受け継いできたのとは違い、彼女は最初から一人だけ。<アスガルド>が、今の<アスガルド>となった始まりの時から居るのよ…」
 「それは、」とヨルムが口を挟んだ。「俺が考えていた仮説と同じだ。あの土地で時が繰り返される理由を知っている人物がいるとすれば、<黄金のチェス亭>の女主人しかいないと」
 「時を繰り返す? どういうことだ? ――イザベルは、年を取らないとでもいうのか」
 「イザベルだけではない。土地そのものが、だな」と、ルベット。「…わしは長年、あの土地でだけ、動植物が進化しない理由を研究しておった。そしてある時、結論に達した。あの土地は進化しないのではない。”できない”のだと…」
 「つまり… それが、あの土地が”太古の姿”のまま残っている理由だと? あそこで生きているものは皆、そうなのか。ドラゴンや、木々や、遺跡も?」
ルベットは、曇りかけた眼鏡を指先で押し上げた。「イザベルははっきりとは言わなかったが… おそらくそうだろうな」
 「私たちには二つの選択肢があるの」
ユーフェミアは静かに言った。「外からの干渉によって、<アスガルド>の循環する時の輪は壊れつつある。その輪を完全に壊してしまうか、元通りに修復するか。」
 「その”時の循環”が、リィムやスコーネルたちの言う”王たちの守る法”と同じものか、法を保たせている何かだとすれば、壊すも修復するも、『九人の王』とやらが必要になるが」
ヨルムは、姉のほうに視線をやった。
 「<黄金のチェス亭>へ行けば、揃うわ。」
ユーフェミアは言った。「ずっと昔から決まっていたこと。私たちは選ばなくてはならない。どちらか一方を」


 太陽が完全に昇りきる頃、朝食の準備は整っていた。
 「みんな、手は洗ったわね?!」
マリアーナの明るい声がホールに響き渡る。「ほらほら、食べるときくらい笑顔見せなさいよ。困ったことが起きているのは判るけど、暗い顔してても始まらないでしょ!」
食卓には焼いたパンケーキ、ベーコン、卵、トマト、オートミールにヨーグルト、それに果実とミルク、淹れたての紅茶も良い香りを漂わせている。
 戻って来たハリスの表情を見れば、結果は明らかだった。
 「説得は無理だったのか」
 「ああ」
ヨルムの問いかけに、ハリスは力なく頷く。
 「父とは直接話が出来なかったが。思っていた以上に中央の混乱が激しい。軍部の強硬派と学識派の間で衝突が起きてる。軍は暴走状態で、首相が強攻策を取らないとクーデータを起こすとまで言っているらしい。最新兵器の使用スイッチは、首相権限でしか押せないからね。…さて、どうしたものか」
そういえば、あのスレンダーな秘書、メリッサの姿は無い。
 「彼女は?」
 「メリッサなら、もう少し詳細な情報を集めに行ってもらった。どうやら私も、急いでギムレイに戻らなくてはならないようだ。折角真実が見えてきたというのに、残念だ…」
 「私も行くわ」
すぐさま声を上げたのは、ユーフェミアだった。「連れて行って。このクレイントンの森の主人として、かつて<アスガルド>に住んだヴァニールの子孫として、私は彼らに言うことがある」
 「わしも行くぞ」と、ルベット。「ギムレイにおる、<黄金のチェス亭>の仲間たちに会って話すことがあるんだ。少しは手助けが出来るかもしれんし」
 「俺は<アスガルド>へ行く」ヨルムだ。「――そっちは、あんたに任せる。俺には確かめることがある」
 「僕も」と、フェンリス。「僕はもう一度<アスガルド>に行く。危険が迫ってること、スコーネルとスコーティの仲間に教えてあげなくちゃ。」
 「だが、どうやって<アスガルド>へ行く。首都があれじゃ、鉄道は使えないぞ」不機嫌そうなローグが言った。<アスガルド>では食事中も剣を手放さない彼だったが、この館では武器は手元においていない。マリアーナに散々文句を言われた結果だ。
 「私の車を貸しましょう」
ハリスが答えた。「メリッサに近くまで送らせましょう。私たちのほうは、政府専用車両を手配します」
 「それなら好都合だな。馬よりは早い」
 「問題は、<アスガルド>がどの程度… 荒れているか、だが」
季節は既に夏に差し掛かろうとしている。例年なら最も安全な季節で、観光客が向かいだす時期だ。
 「いざという時は、俺が守る。よほどのことが無い限り、なんとかなるだろう」
 「……。」
ユーフェミアは、ちらとローグを見たが、何も言わなかった。

 "運命と呼ぶほど大げさなものではなく、ただ最初からそれを持って生まれてくるもの。"
 "それからは逃げられない"

話は決まった。
 集合地点は<黄金のチェス亭>と決まった。ユーフェミアたちも、結果の如何に関わらず、後からそこへ向かうことになった。イザベルはそこに居るのだろう。
 それぞれに異なる思いがあった。この先、何が待ち受けているのか、知る者は誰もいない。



 朝食が済むと、彼らはめいめいに準備に取り掛かった。日差しを避けて天井裏に隠れていた小人たちは、<黄金のチェス亭>へ向かうと聞いて喜び勇み、森へ来たときと同じ箱の中に隠れた。狼たちはガルムに別れの挨拶をし、フェンリスは、いまだ使い方のよく判らない小さなナイフをひと撫でして、そっとカバンに入れる。ヨルムは貴重な書物は全て置いて、写した<アスガルド>の地図だけを持っていくつもりだ。 
 「おい、あんた」
ローグは、重たい剣を手にハリスを睨んだ。「…そっちは任せる。俺の仲間に何かあったら、ただじゃ済まないからな」
 「ええ、判っています。」
青年はいつになく真面目な顔で頷いた。
 「ああ、サンプルを持って行くべきか、行かざるべきか…」
 「ここで採れる植物なら、またいつでも来て構わないわ。荷物は少ないほうがいいわよ」
 「そ、そうか…」
ルベットは、森の木々を名残惜しそうに撫でている。ユーフェミアはいつもの、<アスガルド>へ行く時の上着と鞄だけ。
 「さあ、準備は整った? 行きましょうか」
森の外には、メリッサが待っていた。ハリスは車のキーをメリッサに手渡し、友人たちを<アスガルド>の近くまで送るようにと指示している。
 「私たちは町まで出ましょう。そこからギムレイへ」
 「気をつけて行って来るのよ。あんたたち」
マリアーナが心配そうに見送る中、一行は二手に別れて森を後にした。


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