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 <ヨルム―共謀者たち>


 毎日は、まるで流れるように過ぎていった。

 ギュンターの助手としての仕事、例の「秘密のプロジェクト」の手伝い。危険な地下書庫へ赴かなくとも、大学図書館には読みきれないほど膨大な書物が積みあがっていた。それに、深夜の訪問者たち。
 アールヴと名乗った黒い小人たちは、あれから三日に一度はヨルムの部屋を訪れるようになった。それも、決まって夜遅く。今のところ口を縫い付けられる心配はなかったが、ちょっとしたことですぐ機械的なキイキィ声で喚きたてるので、誰かに気づかれはしないかと心配になるのだった。古典語の練習になるのは良いことだった。しかし小人たちの発音はお世辞にも巧いとはいえない。
 調べることは、どんどん増えていった。彼らは一体どうやって、この大学寮に住み着いたのか? 彼らに聞いても、明瞭な返答は返って来なかった。そうでなくとも、彼らと話しを通じ合わせるのは難しかった。思考も感性も、判断基準も価値観も、何もかもが人間とは違う。ただ一つ分かったことは、ここはもともと「彼らの土地」で、あとから来た人間が住み着いたのだということ。とすれば、小人たちは町が出来る以前からの住人なのだ。
 伝説の小人族、日の光を嫌い、闇に住まうアールヴたち。彼らの日光嫌いは徹底していた。必ず日が暮れてから姿を見せ、地平線の白み始める頃にはもうどこにもいない。光に当たると石になる、という伝説は真実であると、小人たち自身は固く信じているようだった。それが古来の掟でもあると。
 何度か話しをするうちに、ヨルムは、彼らの中でリーダー格の小人を見分けられるようになった。長い灰色の髭を持ち、赤い頭巾を被っている。その小人は、古典語をそれなりに喋ることのできる「通訳」らしかった。小人たち本来の言葉は難解で、物を擦り合わせるときのようなキイキイカリカリいう音で出来ていて、人間の耳には聞き取りにくい。名前も長く、覚えられずにヨルムは勝手に短くしてリィムと呼ぶことにした。


 一日は、朝も遅い時間にギュンターの研究室へ行くところから始まる。朝のうちに地下室へ行き、その日割り当てられた仕事をこなす。大抵は解読の仕事だったが、それ以外にも、用途不明な出自品の鑑定を頼まれることもあった。多くの学生たちは、一日の大半を地下室での作業に費やしているらしかった。皆、汗水を垂らしながら黙々と作業をしている中、ヨルム一人は冷めた様子だった。
 ギュンターは足しげく様子を見に来た。この地下室の出土品の調査は、ほとんどギュンター一人で取り仕切っているようだった。ヨルムは、調査報告書を上げるよう求められていた。いずれ、この発見物を世間に公表する時に使うためで、それが君のためにもなるのだから、と。丸ごと横取りされるのは分かっていたが、ヨルムは二つ返事で快く引き受けた。そんなもので満足してくれるなら、お安い御用。この遺跡に興味は無い。ただ、気になっていたのは―― 地下室に積まれた石材や家具、生活用品などは、どう見ても家一件分はあり、現地から「丸ごと」輸送されたように見えることだった。それほど大規模な発掘が行われた噂を、ヨルムは耳にしたことがない。そうでなくとも、北部未開地域は危険が多く、天候も変わりやすいため、フィールドワークは困難だ。それゆえ今まで組織だって、遺跡の調査が行われたことがない。大規模な発掘ともなれば世間に隠しおおせるものではなく、またそれだけの資金と人員を捻出する必要にも迫られる。そもそも、遺跡そのものを現地から持ち出すような無茶な発掘は、破壊行動に等しい。正規の発掘活動であるとも思えない。魔法のように降ってわいたわけでもなく、この遺物の山は一体どこからやって来たのか?


 ハリスは、普段は研究棟にもほとんど近づかず、構内でぶらぶら気ままに過ごしていた。時々、中庭で女の子たちと、いちゃいちゃしているのを見かけたことがある。容姿はいいのだから、もてても当然だ。そうしていると、ハリスは確かに気楽な名家の道楽息子だった。だが、彼の隠された一面を知るヨルムにとって、大っぴらに見せ付けられるその馬鹿っぽさは、本性を隠す演技のようにも思えた。
 地下書庫からこっそり借り出した本は、既に元の場所に返してあった。その上、ヨルムはハリスにある書物のリストを手渡していた。「全部でなくてもいい。一部でも見つかったら教えてほしい」そう言って渡した時のハリスの表情は形容しがたいものだった。
 「君はまるで、知恵を食らい尽くそうとする貪欲な大蛇のようだな。」
そう言って苦笑していた。だが、不可能だとは言わなかった。それだけのツテやコネを持っているということなのだろう。


 その日、ヨルムは久しぶりに大学の敷地を出た。
 特にあてがあったわけではない。構内にいるとギュンターに捕まって長話を聞かされる。ここのところ、ギュンターは目に見えて焦り始めていた。地下室に運び入れた遺物の調査が進むにつれ、当初の目論見が外れたかもしれないと、遅まきながら気づき始めているようだった。提出するべき報告書の概要は、既に仕上げてあったが、ヨルムはまだギュンターに渡すつもりは無かった。あまりに早く結論を見せ過ぎると、かえって疑われる。見せるならぎりぎりまで延ばして、他の研究者たちの見解が固まり始めてからのほうがいい。
 町の雑踏は情報量が多い。行き交う馬車の窓の中、すれ違う人々の顔立ちや衣服、読んでいる本のタイトルに至るまで、見る気もなしにヨルムの意識の中で処理されている。そう、これが彼のちょっとした特技なのだった。「その場にある雑多な情報を、ほとんどすべて同時に処理する」。ただし注意を引かなかった殆どの情報は、記憶に書き込まれることなく即座に捨てられてしまうのだが。
 軍のトラックは相変わらず街中を走っていた。何処へ行くのか、どこから帰ってきたのか。これが首都の日常なのかどうかはヨルムには判断がつきかねた。新聞を読んでも、今は平時のはずだった。軍隊が出動するような案件は無い。
 町はようやく本格的に春模様になり始めていた。厚手のコートは薄いものに取り替えられ、マフラーはスカーフに、日差しも強くなりはじめ、通りにはお洒落なオープンカフェも出始めている。時間はちょうど昼食時だったが、それらの華やいだ店に入る気はしなかった。ヨルムはいつもどおり、地味なベストに学生証だけをつけた、いかにも真面目で勤勉な大学生の格好で、春の装いをした都会の人々に混じるには不釣合いだった。
 足は自然に、いつだったかハリスに連れられて行った路地に向いていた。古書店の向かいの、あの店だ。
 だが、路地に入ろうとするところで足が止まった。ちょうど、店を出てくるところのハリスを見つけたからだ。女性と一緒だ。ヨルムはとっさに、売店で新聞を買おうとしているふりをした。一瞬のことだったが、はっきりと見えた。黒いサングラスに、ぴったりとした薄手の黒いコート。それに、上品な化粧をしていた。いかにも上流階級に属する女性らしく、しかも年上。ハリスのような学生が人目を避けて真昼間から会うには、あまりに危険な香りがする。もっとも、そんなものは個人の勝手で、知らないほうがよいこともあるのだが。
 ろくに種類も見ずに急いで朝刊を買い、引き返そうとしたところで、既に一人になったハリスとばったり会った。
 「お、なんだ。ヨルムじゃないか」
 「…やあ」
ハリスは、それまで一緒にいた人物を見られたとは気づいていないようだった。
 「今から昼食かい? 丁度いい。天気もいいし、公園で食べようと思っていたところなんだが。一緒に行こう」
それは好都合だった。顔見知りが、たった今まで逢引をしていた店に入る気はしなかった。
 ハリスは相変わらず、ぱりっとした高級なシャツに洒落た上着を羽織り、それとなく都会の金持ちを思わせる身なりをしていた。黄色い長い髪は後ろで一つに束ねている。ヨルムは、うっかり首筋にキス・マークなど見つけないよう、目を逸らしていた。
 「以前頼まれた本だが。何冊かは目処がつきそうだ。今週中で間に合うかな」
 「十分すぎる。まさか手に入るとは思っていなかった」
 「あるところには在るものさ、意外なものがね」
中央通りの大きな歩道橋を越え、右手にミッドガルド中央駅に続く線路を見ながら角を曲がれば、町の中心部にある中央公園だ。そこには僅かながら森があり、緑の芝生と池が、都会にほんの僅かながら清涼感と安らぎを与えている。この季節には芳香の強い白いスイセンやスミレも咲いていて、晴れた日には住民たちの憩いの場だった。
 「ところで、ギュンターの例のガラクタ山の調査は、どんな調子なんだい」
ヨルムは、驚いて視線を上げた。
 「知っていたのか?」
 「知らないわけがない。実は学内でもウワサになってる。何でも、遺跡ひとつ丸ごと運び込んだらしいじゃないか。目立つに決まってる。」
ハリスは肩をすくめた。「それに、何十人も作業を手伝っていれば、一人くらい口の軽いのがいてもおかしくない」
 「そういう奴にこそ、”口つぐみの仕立て屋”は必要なんだろうな。」
 「ははは、そうとも言う」
公園の中ほどまでやって来た。この辺りは人もまばらで、背後には鬱蒼とした森がある。それでも何件かの屋台が出ていて、サンドイッチや飲み物を売っていた。二人は、適当に食べ物を見繕って木陰のベンチに腰を下ろした。遠くに霞む背の高い建物と、そこから突き出すやたらと尖った塔が邪魔なのを除けば、ここからの眺めは最高だ。
 ヨルムは、サンドイッチをひとつ口に放り込み、さっき買った新聞を広げる。ざっと見る限り、大きなニュースは無さそうだ。相変わらず、この冬の豪雪の影響は一面の端に。復旧中の鉄道や通行止め中の道路についての情報。それから、今年の冬の寒さは南の海にも影響して、海水温度が下がったことで、魚たちの多くが産卵のために移動できずに死んだ話しなど。
 「彼は、<アスガルド>に住んでいた人々の暮らしや、放棄の原因を知りたがっている。長年の研究だからね。どうだい? 結果は出そうかい」
 「芳しくないな。…ところでハリス、あんたは、あの遺跡がどうやってここまで運び込まれたのかを知っているか? あれは個人のが持ち出せる量じゃない。<アスガルド>の何処から持ち出したにせよ、今まで大量の遺物が持ち出されたことは無かった」
ハリスは、首を振ってサンドイッチを手に取った。
 「持ち出さなかったのは、”持ち出せなかった”というのが正しい。あの土地を持ち出した途端に朽ちてしまったり、何か持ち出そうとした途端、責任者が突然死したり、何かとタブー扱いされてきた。――しかし、その状況も急速に変わりつつある。長らく未開のままだったあの土地に、国はいよいよ手を入れる気になったかもしれない」
 「手を入れるといっても、軍隊を送り込んでもどうにもならない地域だから今まで放って置かれたんだろう。北部未開地域は、未開なんじゃない。太古に開かれ、いにしえの法が未だに支配する別世界だ」
 「ならば、その法を書き換えればいい」
 「どうやって?」
 「法ならば法規範があるはずだ。それを壊して作り直せばいい。――いや、私がそう思っているわけじゃないよ。そう考える連中もいるだろうということさ」
ヨルムは、ちらとハリスのほうを見た。普段は飄々としているハリスだったが、声の調子を落とした時だけは真面目な表情になる。食えない男だ、とヨルムは思った。遊び人のふりをしているのは、周囲に余計な警戒を抱かせないためか。もっとも、食えないのはお互い様だったが。
 「破壊と再生―ー<アスガルド>にまつわる伝説に、確かそんなものがあったな」
呟いて、ヨルムはベンチを立った。「先に戻っている。午後はアーデルハイド博士に呼び出されているんだ」
歩き出そうとしたとき、ハリスは不意に言った。
 「ヨルム・ブランフォード、私は君の味方だ。これは信じていてほしい」
 「今のところは、だろう?」
肩越しに手を振って、木陰を出る。ハリスはまだ何か言いたげだったが、聞かないのがお互いの身のためという気がした。親しくなりすぎると、人は本来の立場を見失うものだ。出会って間もなかったが、彼らはお互いに、近づきすぎてはならない存在であることを察し始めている。


 大学前の交差点まで戻ってきた時、ヨルムはふいに気がついた。公園での纏まりのない会話が、一つの答えを伴って蘇ってきたのだ。
 軍の関与がある、ハリスはそう言いたかったのに違いない。国が未開地域の開拓に乗り出そうとしている。<アスガルド>への軍の侵攻、持ち出された大量の遺物―― すべては結びつく。
 またも大型のトラックが目の前を横切った。考え事をしながら渡りかけていたヨルムは、慌てて一歩下がる。軍のマーク入りのトラックは荷台に何かを積んで、確かに大学の敷地のほうへ向かっている。そういうことか。
 往来の途絶えるのを待つのももどかしく、ヨルムは走り出した。トラックの向かった時は生物学棟のほうだ。実験と観察用に沢山の動物が飼育されていて、それらの餌を運び込むための運搬用の道が、飼育棟まで伸びている。危険な大型の動物などもいて、一般の生徒は立ち入りが禁止されている区画だ。
 トラックが向かった先は、まさにそこだった。ヨルムは、物陰に身を潜めて様子をうかがった。中から降りてくる軍人たち、迎える学者らしき人物。声はここからでは聞こえないが、何がしかのやりとりのあと、幌が外され、中から大きな包みがが運び下ろされた。生臭い、むっとする死臭。滴り落ちる血もなく、中の生き物が、死んでから何日か経っていることを思わせる。だらりと垂れ下がった翼が見え、その大きさから、ヨルムには包みの中身が何であるかの察しがついた。
 (…ドラゴン? あれは… まさか、ニーズヘッグ…)
最も大きな荷物を下ろしたあと、続いて小さな籠や包み、木箱などが無雑作に下ろされた。中には、まだ生きているものもいるようだった。<アスガルド>の異形の生き物たちが、この大都会の真ん中に運び込まれているのだ。ヨルムは何故かぞっとした。異世界の生き物は、不用意にこちら側に持ち込むべきではない。たとえそれが、自ら境界線を越えてきたものだとしても。
 荷台からは、銃を手にした兵士たちが降りてきて周囲を抜け目無く見張っている。これは、知られてはいけない事実に違いない。誰かに見つかったら面倒なことになりそうだった。ヨルムは、そっとその場を離れた。


 普段自分が居るべき場所、歴史研究棟のある区画に戻った彼は、まだ少し動揺していた。考えもなしに行動してしまったが、誰かに見られでもしていたら。これは思いのほかに大きな企てなのかもしれなかった。だが、<アスガルド>を開拓するなんて。そんなことが出来るとは思えなかった。磁石も効かず、天候も読めず、動植物もいまだに謎だらけ。ドラゴンをはじめ伝説にしか登場しないような、大昔の生き物が本当に住んでいる広大な土地。そこではありとあらゆる不思議が起こる。たとえば人に翼が生えることだって、30年前に1例があるくらいだから、起こり得ないことではない。
 研究棟に入ると、天井の割れ目の奥で何かが動いた。こんな昼間だというのに、小人たちが徘徊している。珍しい。だが今は、まだ昼間だ。日差し嫌いの小人に捕まって、話しをさせられることはない。
 ギュンターは研究室ではなく、廊下で待っていた。窓を開けて、不機嫌そうにぷかぷかと煙草をふかしている。が、ヨルムが来たのを見ると、ぱっと表情を明るくした。
 「おお、我が研究室の期待の星、ブランフォード君。待っていたぞ。さあ、さあ」
驚くほどフレンドリーに言って肩を抱き、無理やり研究室に引っ張り込む。部屋に一歩入ると、酒の匂いが鼻についた。机の下に目立たぬよう差は瓶が積まれている。こんな昼間だというのに。
 「どうしたんです、先生。何かあったんですか」
 「何かも何も。軍の連中め、この私を無能呼ばわりするのだよ。あの遺跡―― あの極秘プロジェクトの遺跡には、何の手がかりもない、外れだと。あれだけ苦労をかけて運び込んだものが無価値なのはどういうことだ、と責め立てるのだよ。なんということ! この私が選定し、目論見をたてたあの遺跡が無価値だなどと―― 」
心臓が高鳴った。この男は、自分がいま何を言っているのか分かっているのだろうか。
 「とにかく結果を出せと言われておるのだ。どうなのだ、ブランフォード君。君なら出来るだろう。あの古文書から何が分かる。至急解読してくれたまえ。何が書かれている? あの土地を飼いならすにはどうしたらよい?」
 「仰ることが良く分かりません、先生。一体なんのことです? 」
 「惚けないでくれ。あそこには書かれていたはずだ。古えの―― <アスガルド>の住人の暮らしが――。 彼らはどうやってあの土地を支配していたのだ? ドラゴンや獣どもを鎮める方法は?兵器か、魔術の類なのか。可能性でよい、言ってくれ給え」
ヨルムは、唇を舐めた。慎重に言葉を選び、従順を装いながらギュンターの表情を伺う。
 「分かりません、先生。そのようなものについて、あの文書にはどこにも書かれていませんでした。今までに見てきたものはどれも、<アスガルド>に住み着いた旅人が、歩き回って見聞きした見聞を書き記した日記のようなものです。その中に<律法の石>という言葉は出てきませんでした」
 「そんなはずはない!」
小太りな男の腕が振り回され、棚に当たって高価な腕時計が悲鳴を上げた。だが、彼はお構いなしだ。「もう一度よく探すんだ。石はどこにある? 記録があるはずだ! 探すんだ!」
 「…分かりました。努力してみます。ですが、先生――」
ヨルムは、ひとつ息を吸った。そして、出来る限り押し殺した声でこう問うた。「そんな特別なものは、何もなかったかもしれませんよ」
 「そんなはずはない!」
吼えるような声に追されて、ヨルムは廊下に飛び出した。これ以上、話しを聞いてもムダだ。とにかく、ギュンターが探しているものが<律法の石>なるものだということは分かった。軍が探しているものも、おそらくそれだ。
 (開拓、古えの法の破壊、あの土地を飼いならす方法、か――。だんだん見えてきた、が… この先にあるものは、一体何だ?)
素直に地下室に行く気にはなれなかった。どうせ、探すだけ無駄だ。<アスガルド>に住むのに特別な道具や資格が必要だとは思えなかった。<アスガルド>を攻略したいと思う人にとって重要と思われるような場所や物体にも心当たりは無かった。北部未開地域で唯一よく知られている場所は、たった一軒の宿<黄金のチェス亭>。観光ガイドもあり、ツアーも組まれる<大樹>周辺だけが、外の世界と繋がっている唯一の部分だった。
 と、ヨルムは、はっとした。そうだ。彼らに聞いてみよう。


 人目と陽光を避けて、今は使われていない物置部屋の奥に入り込む。研究室から出たガラクタや古書が山積みにされている部屋で、ここなら誰かが通りかかることも、ドアを開けて入ってくることも滅多に無い。
 薄暗い部屋の中に目を凝らすと、闇の中に金色の目が幾つも光っていた。
 『久しき我が友人たちよ』
これが小人たちとの挨拶だった。
 『災いが運び込まれた、我らの地に。闇より浮かび上がりし翼ある蛇、ニーズヘッグ』
 「ああ、見たよ」
ヨルムは頷いた。ここのところ、リィムとだけは、現代語まじりでも意思の疎通は出来るようになっていた。言葉は違えど、相手の表情や口調で分かる部分もある。
 『汝ら知るや、<アスガルド>に住まうに必要なるもの? かの者らはそを求めり。我はいずくにぞあるや知らぬ』
キイキイ声が一斉に上がるのを、リィムが手で制した。彼はもさもさとした髭の間から、丸っこい、金色の目でヨルムを見上げている。
 『かの地は古えの法が支配せり。法に従う者その地に受け入れられし者となる。法は九柱なる黄金の王たちが守る。――されど王たちは去り、丘は割れ、失われたり』
四方から嘆きの声が上がった。小人たちの何人かは泣いている。
 『法は失われたり。王たちは去れり。なれど我らは知る、かの地の法はいまだ無効にはあらず…』
 「無効ではない…まだ生きている? ふむ。それを知るにはどうすればいい」
 『法を知る者、宣誓の丘を守りし者。王再び戻れば、契約は解かれる』
気がつくと、リィムたちの姿は既にそこには無かった。声だけが、闇の中空から響いてきた。
 『黄金の盃と、契約の腕輪。我らは時を待てり。王たちの戻りし時を…』
カサカサ、サワサワと布や木靴がガラクタの上を摺れる音がして、かき消すように小人たちの気配は消えていた。彼らは気ままに現れては、謎めいた言葉を残して去っていく。しかし今日ほど話しが通じたことは無かった。何しろ、ヨルムにとってはこの上なく有意義な、他からは得られない情報をくれたのだから。


 日が暮れて寮に戻ると、ちょうど入り口で受付係の女性とすれ違った。
 「ブランフォードさん、さっき手紙が来ていましたよ。女の人から」含み笑いをしている。「お部屋のポストに入れて置きましたから」さも、ラブレターか何かだろうといわんばかりだ。ヨルムは軽く頭を下げ、無言で部屋に向かった。
 予想はしていたが、手紙の差出人はユーフェミアだった。先日、ここのここの住所を電報で送っておいたのだった。
 まだ一ヶ月にもならないというのに、故郷の香りは懐かしく、見慣れた姉の字を見るだけでも心が落ち着くようだった。クレイントンの森も、今は春真っ盛りだろう。館を包み込む古樹の森も、この季節ばかりは陰鬱を少し控えめにして、枝の先のほうにちょいちょいと若芽を茂らせる。ようやく外に出られたガルムは、少しは犬らしくしているだろうか。
 部屋に入り、コートを脱いでポケットからしわくちゃになった新聞を取り出してベッドの上に放り投げる。封を切るのももどかしく、彼はベッドの端に腰を下ろした。折りたたまれた便箋を取り出し、膝の上に広げる。
 一枚目は、よくある遠方で暮らす家族への手紙。あまりに紋切り型で、ヨルムはふと疑問に思った。マリアーナならともかく、ユーフェミアがこんなつまらない手紙を書くだろうか。
 だが二枚目は、もっと謎だらけだった。真ん中にたった二行だけ。


   朝刊 四面右下

   恐れるな、汝の友は真の友なり



僅かな沈黙―― 視界の端、手元に新聞。
ヨルムははっとした。理解した瞬間、背筋がぞっとした。朝刊! 普段、自分で新聞を買わないヨルムが、今日に限って町で新聞を買って持ち帰ったのだ。しかも、ろくに読みもせず。

四面の右下。
そこにあったのは、「アスガルドで野生動物の暴動、周辺住民に避難勧告」という記事。写真には、逃げ惑う住人たちと、誘導しようと躍起になっている軍の兵士たちが映っている。しかし重要なのはそこではなかった。写真の端、人ごみの奥にヨルムは、信じがたいものを見つけていた。

 「――フェンリス?!」

紛れも無く、森の館に姉と居るはずの弟の姿だった。映りは悪いが見間違えるはずがない。誰かと一緒に、人ごみの中を人の流れとは逆方向に失踪している。一体何が? ユーフェミアがこのことを知らないはずはない。封筒の消印を確かめる。間違いなく故郷の町から発信されている。だとすれば、少なくとも数日前にはユーフェミアは館にいて、この手紙を町の郵便局から出したのだ。
 何かが起こっている。そしてユーフェミアは、そのことを彼に告げようとしている。

 時計の針がカチリとかすかな音を立てた。―― 窓の外を眩い光が走ったのは、まさにその瞬間のことだった。



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