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 <魔女の記憶>


 政府の役人だという人々が森を訪れ、ドアをノックしたのは、午後に入ってからのことだった。
 ユーフェミアは丁度、二階の出窓を開けて本棚の整理をしていたところだった。玄関のほうが騒がしく、何か犬の声のようなものがする、と思って下を覗いて、そして気がついた。
 ガルムがいつになく激しく吼えたてている。まるで犬、いや、今までも犬だったのだが、こんな番犬らしい働きをしている彼を見るのは初めてだ。声に気づいたフェンリスが、すでに裏庭から玄関に回ろうとしている。
 ガルムに追い払われて玄関に近づけないでいた訪問者たちは、やってくる人の姿を見てほっとしように大声を上げた。「おい、君! このバカでかい犬を退けてくれないか。我々は泥棒じゃないぞ」
 「すいません。」
フェンリスはガルムに駆け寄って首輪に手をかける。ガルムはまだ納得していないようで、らんらんと光る眼を訪問者たちに向けたまま、毛を逆立てて唸っている。フェンリスは苦笑して、面白そうに言った。「大人しいこいつが、こんなに警戒するなんて。おじさんたち、よっぽど悪人の臭いでもするんじゃないの」
 「面白がっていないで、そこを通しなさい! お父さんか、お母さんは。」
 「何か御用ですか?」
ようやく玄関に到着したユーフェミアが、扉を開ける。一瞥で、訪問者がこの辺りの住人でないことは知れた。お揃いのカーキ色のジャケットに、古めかしい帽子。後ろの二人は、目立たないものの武装もしている。胸のあたりと帽子のマークは、見慣れたこの国の国章だ。
 「この家は私と弟が住んでいるだけですが。何の御用でしょう?」
 「ほう。では、君がこの館の持ち主、と…?」
武装していない一人が、咳払いをして一歩進み出た。ガルムが飛び掛ろうとするのを、フェンリスが小声で叱咤しながら座らせる。ユーフェミアは、ちらとそちらに目をやって、後ろ手にドアを閉めた。
 「何かお話が? 長くなりそうかしら」
 「ええ、まあ――」
 「手短にお願いします。こちらも忙しいので」
先頭の男は一瞬ひるんだが、眼鏡を調えなおすとすぐに攻勢に転じた。
 「では申し上げましょう。我々は国の土地管理を行う機関に所属する者です。この地方の土地管理団体の依頼を受けて調査をしていたのですが、調査の結果、この辺りの土地は一度も登記されておらず、納税もされていないことが判りました。よってこの森と館は、国有地となります。残念ですが、お嬢さん。あなた方は正当な持ち主として認められていません」
肩から斜にかけたカバンから、分厚い書類の束を取り出し、ユーフェミアに向かって差し出す。
 「こちらが、土地差し押さえの」
ユーフェミアは首を振り、手を差し出そうともしなかった。
 「私はこの森と館を祖父から相続しました。あなた方が何をもって、誰に認められないと言うのかは知りませんが、私は私の権利を主張するまでです」
 「しかし――」
 「初代、フリッカ・クレイントン・ウィードの名において」と、彼女はきっぱりと言った。「クレイントンの森の所有者は、その子孫である私たち一族のものです。お引取り下さい。」
男たちは顔を見合わせた。その時、フェンリスは、ユーフェミアの腕にあの腕輪が光っていることに気がついた。彼が、この腕輪が実際に使われているのを見るのはこれが初めてだった。
 「…分かりました。今回はこれで失礼しましょう。ですが書類は受け取っていただかねば困ります。ここへ置いてゆきましょう。強制執行は1ヵ月後です」
去ってゆくカーキ色の制服たちを、ユーフェミアは、彼らが視界から消えるまでじっと凝視していた。ほんの一瞬のことだった。
 「姉さん… これって、一体…」
 「気にすることはないわ。その書類は捨てちゃって。」
 「でも、あいつら、一ヵ月後って」
 「ここは私たちが受け継いだ館よ。出て行かせようとなんて出来ない。フェンリス、ガルムから手を離してあげて」
言われて、フェンリスは、まだ自分がガルムの首輪に手をかけたままだったことに気がついた。手を離したとたん、ガルムはぱっと地面に置かれた書類に飛び掛り、封筒ごと咥えると、裏庭のほうへ走って行った。フェンリスは、肩をすくめた。ガルムは気が向いたときだけ主人の言うことに従う。それでも最近は、ユーフェミアの言うことには大体従うようになってきたような気がするのだが。
 「知ってたの? あいつらが今日、ここへ来るって」
 「どうして?」
 「だって、…慌てたそぶりもなかったし、その腕輪」
ユーフェミアの腕輪は、彼女が「館の主人」として客を出迎えたことを意味している。
 「いつか来るとは思ってた」
彼女は、素直に認めた。「明日か、何十年か先かは分からなかったし、こんな形でとは思わなかったけれど。」
 「じゃあ、あいつらの言ったことは本当なの? どうして? いつから知ってたのさ」
 「私だって、冬の間ただ家の中を駆けずり回って掃除ばかりしてたわけじゃないわよ。」
そう言って、彼女は手招きでフェンリスを館に招き入れた。入ってすぐの広間から奥へゆくとキッチンがあり、風呂があって裏庭に続く。その手前の狭い階段を昇っていくと中二階、ほとんど物置として使われているスペース。その奥の、裏庭に向かって張り出す出窓の脇に目立たない扉があり、開くと人ひとりがやっと通れるばかりの狭い渡り廊下が別館へ続く。上に張り出したひさしは石造りで、渡り廊下全体は狭くてもがっちりとした造りになっている。廊下の下は居間だ。
 別館へ渡ったところで、道は四つに分かれる。一つは別館の屋根の上に作られた小さなテラスへ出る階段。一つは、裏庭へ降りる階段。残り二つは、再び本館へ入るものと、別館の二階へ続くものだ。ユーフェミアの部屋は、この道から本館に入ってすぐのところ。ヨルムは別館の二階を占拠している。フェンリスの部屋は本館の一階で、居間のすぐ横にあった。そこが一番台所に近いし、いつでも広間に行って広々とした空間を楽しめるし、それに、彼が世話をしているガルムにの近くにもいられるからだ。
 ユーフェミアは、別館への道を選んだ。別館は三階建てで、北側に塔のようなものがくっついているが、塔は老朽化が進んでいて、一階の入り口は崩れていた。
 「どこへ行くの? 姉さん」
迷い無く歩き続ける姉の後ろにくっついて、フェンリスは不安になってきた。館の北の区画へは、まだほとんど行ったことがない。そこには、使っていない家具やガラクタ類しかないはずだ。
 「見つけたのよ」
 「見つけたって…」
別館の二階に入り、ヨルムが使っていたあたりを過ぎる。窓の外には森の北端とその向こうに続く荘園、そして煤けた塔の姿が見えた。
 「私はあの時、ここを通った」
そう言って、彼女は、廊下の突き当たりに手を押し当てると、壁を一気に横にスライドさせた。―― 
 壁の裏側には、床があった。光が上から差し込んでいる。天窓だ。建物の壁をぐるりと取り巻くように、外からでは分からない、壁の中の通路がそこにあった。
 「どうして、こんな分かりにくいもの…」
 「隠し通路ね。来て」
別館から続くその廊下は、途中で階段を下り、折れ曲がって塔の真ん中に繋がっていた。通路を出ると、そこは、丸い筒状の壁を持つ、塔の中だった。


 嗅いだ事も無い不思議なハーブの香りが、かすかに漂っている。北側で日が当たらないせいかカーテンの色はまだ鮮やかで、ほこりは積もっていたが、調度品は整えられたまま。そこはまだ、人が使わなくなってからほんの半年ほどの場所のように思えた。
 「ここが、マーサの部屋?」
 「ええ、そしてこれが」
ユーフェミアは、ベッドわきの額縁を指した。「この館の、私の前の女主人――」
 金の額縁の中には、透明な微笑みを浮かべた若い女性が一人、静かにこちらを見つめていた。フェンリスは、思わず息を飲んだ。
 マーサ・クレイントンは20歳後半くらいの年に見えた。長い赤毛をゆるい三つ編みにして両肩に垂らし、黒っぽいドレスを着ている。不思議な光をたたえた瞳の色や表情、雰囲気は、ユーフェミアと見間違うほどだ。絵師の腕が良かったのか、それとも被写体の魅力なのか。まるで生きているようで、見ていると今にも話しかけて来そうに思える。
 「いつ見つけたの? ここ」
 「ヨルムが出発する一週間くらい前かしら」
 「どうして言わなかったの? ヨルムも気にしてたのに」
 「知ったら、この部屋のことを調べたい、って言い出したと思う。そうしたら旅立ちを延ばしてたかもしれないもの。ここには、あの子の興味を引くものが沢山ある。」
 「でもヨルムがいたら、今日みたいな連中が来たときも心強かったはず…」
 「あの子、頭はいいけど、法律が専門じゃないわよ。」
ユーフェミアは腕輪を外すと、ポケットにしまった。窓辺に歩み寄り、外に視線を転ずる。
 「――昔、この部屋に来たときね。どうやってたどり着いたのかはもう覚えてないけど、そこの衣裳ダンスのドレスを引っ張り出して遊んでたことほ思い出したわ。夕方になってもずっと夢中になって… 迎えに来たお祖父さんから、このままこの館に住まないか? って聞かれたの。そうすれば、ここにあるものはなんでも、ドレスでも、宝石でも、大きなベッドや自分の部屋も自由にしてよくなるからって」
フェンリスの側には、天蓋つきの大きなベッドと衣裳ダンスがあった。時代がかったものだ。今時、こんな調度品は本物のお姫様でも使わないだろう。
 「それで、姉さん何て言ったの」
 「お父さんやお母さん、それにあんたたちも皆一緒ならいい、って答えた。そしたらお祖父さんは笑ってた…。」
振り返って、ユーフェミアはフェンリスを見た。
 「ヨルムには言わなかったけれど、あの子ならきっと察してる。この土地は、古い約束によって… 不可侵協定によって守られてきた場所なのよ。<アスガルド>も同じ。でも、それも終わるときが来る。人が、不可侵の理由を忘れるに十分な時間が流れたときに。」
 「どういう…こと?」
 「ヨルムも言ってたでしょう。私たちは、かつてこの大陸に住んだ四つの種族のうち”ヴァニール”の子孫。ご先祖様は、かつて<アスガルド>の辺りに国を作っていたんだと。この国が出来るより以前からヴァニールの住み続けた土地だから、だからあそこも、この森も、不可侵の場所なのよ。登記も納税もしていないのは当たり前。もともと国に所属していないんだから。」
 「もう一つの”未開地帯”ってこと?」
 「そう。そしてここは、もう一つの<黄金のチェス亭>なんだわ。」
壁から肖像画がじっと見つめている。ここにいるのは、彼ら姉弟の二人だけ。隠された、塔への入り口を知る者は、この時代には二人だけ。
 「今なら確信を持って言える。ご先祖様たちは、何か大きな”出来事”があって、それで<アスガルド>を捨ててこの土地へ来たの。その何かが、土地とともに眠りに就くことを望んでいた。でも時が流れるうちに、隠そうとしていたものが”何”だったのか、何故、<不可侵>の土地が生まれたのかを、私たち自身が忘れてしまった。当たり前よね。はっきり文書にして残してしまったら、それを隠す意味がなくなってしまうのだもの。禁忌は口にされないがゆえに禁忌だけれど、だからこそ忘れ去られてしまう。…お祖父さんは、その忘れられた事実を掘り起こすつもりだった」
 「でも、わからなかったんだよね」
 「必要なものが欠けていたから」
 「必要なもの?」
ユーフェミアは、オーバーオールのポケットに突っ込んであった重たい腕輪を無雑作に取り出した。「これよ」
 「腕輪… 何か必要なものなの?」
 「ううん、これ自体っていうより…腕輪を持つ資格、かな。ヴァニールは昔から、確定した未来を感じ取る力を持っていた。マーサも、今の私もそう。でもね。それって、女性だけが持つ力だったんだと思うの。」
 「あ! だから、この館の主人はずっと女の人…」
 「そう。多分、だけど… この力は、ただ未来を感じ取るっていうだけのものじゃなく…。」
すらすらと喋っていたユーフェミアの舌が、そこで絡まった。それ以上はどうしても、言いたい言葉が見つからない。「…ごめんなさい。今はまだ、よく分かっていないの。でもその、思い出すべき<何か>は、代々、未来をつむぐことの出来る女性だけに伝えられていたんだと思う。未来は、過去に繋がっている。だから…」
舌が重い。これ以上語ることを、マーサは望んでいない。今はまだ、彼女の支配する「現在」の中にある。自分はそれに従わねばならない。
 ユーフェミアは、自ら衣裳ダンスを開き、その奥にしまわれていた細長い布包みを取り出した。新品同然に見える羅紗に包まれ、金の糸で縛られている。
 「フェンリス。今日あなたをここへ呼んだのは、これを渡したかったからなの」
羅紗布の中に包まれていたのは、質素だが重量感のある、きらめく獣の牙のようなナイフだった。フェンリスは、歓喜の声を上げてそれを眺め、そっと鞘から抜いて刃を確かめ、ユーフェミアのほうを見た。
 「これ、くれるの?」
 「ええ、それで身を守るといいわ。人に牙は無く、されど武器を持つ腕はある。<アスガルド>へ行きなさい」
フェンリスは、きょとんとしてる。「…アスガルド…」
 「行きたいって、思ってたわよね。今年、もし私が旅に出るなら、ついてくるつもりだったんでしょ?」
少年は顔を赤くした。隠れて子犬を飼っていたときも、こっそりおねしょを処理しようとしたときも、隠し事がばれたときは、決まってこんな表情をする。
 「…えっと。」
 「あんたの考えることくらい、お見通しよ。ヨルムを送りに行った時だって、こっそりアスガルドに行く列車を確認してたでしょ」
 「あはは。姉さんには敵わないよ」
少年は、素直に認めた。「でも、どうして急に? それに、僕がいなくなったら、今日来た連中は…。」
 「いいのよ。ヨルムは過去を探す、私は現在(いま)を戦う。フェンリスは未来へ。あなたの進むべき道はそれでいい。私に出来ないことをしてほしいの。<アスガルド>へ行って、<黄金のチェス亭>の人たちに伝えて。時は来てしまった。<不可侵>の約束は破られる」
 「ひとりで?」
 「そう。ひとりで。私はここから離れられない、彼方にしか頼めない」
フェンリスの表情は強張っていた。受け取ったばかりの短剣が急に重くなったようで、少年は拳を握り締めたまま俯いていた。
 長い沈黙。
 「――分かった」
頷いて、顔を上げる。「<アスガルド>へ行ってくる。でもすぐに戻ってくるよ、じゃないと姉さ…」
言い終わらないうちに、少年は、姉の胸に抱きすくめられていた。幼い時以来のことだった。その感覚は、マリアーナや、遠い記憶の中の母の抱擁のどちらとも違っていた。
 「忘れないで。私たちは三人でひとつの家族、いつでも心は一緒にいる」
 「…うん」
その時、フェンリスは悟った。ユーフェミアは、ヨルムが旅立つより以前から、三人がばらばらになることを察していたのだと。そして、この冒険は、すぐには終わらないだろうということも。


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