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第三部 紅に染まる大地

<森の三姉弟>


 その冬は例年に増して雪が多く、厳しい寒さに山も野原も何もかもが凍てついていた。ひっきりなしに降り積もる雪は、既に家々覆い隠すほど降り積もり、たれこめた真冬の厚い雲の下、真昼でさえ町の明かりは陰鬱な世界に滲んで見える。
 だがそれは、外の世界の話だ。分厚い煉瓦づくりの館の中、暖炉は勢いよく赤々と燃え、側には老犬ガルムが丸くなって眠りを貪っている。居間は少し肌寒いほどの温度に暖められ、年月を重ねた重厚な家具類はどっしりとして、窓はすき間もなくぴったりと閉ざされている。雪の閉ざす世界の沈黙と窓の外の暗鬱な色から逃れるように、広い館にたった三人だけの住人は、必然とそこに集まってきていた。

 三人の姉弟が住む場所は、クレイントンの森と呼ばれていた。
 都市郊外にあり、訪れる人もごく僅かなその森は、知る人ぞ知る場所である。薄く草の化粧する溶岩台地に、突如現れる黒い森。樹齢何百年を数える木々が枝をからめ、朝日に染まれば巌のように、夕闇に浮かべば巨人のように、あたかもそれ全体が一個の生命のように近寄りがたい気迫を纏ってそこに在り続ける。麦畑の広がる村々に囲まれ、青空の下の長閑な昼下がりでさえ、その森だけは一種異様な雰囲気を放って人も獣も寄せ付けない。今も木々は、灰色の曇天を丸天井とし、それを支える大理石の柱のように、館の両脇に聳え立っている。
 森は代々、ある一族が受け継いできた。現在の森のあるじ、”お館様”は、まだ年若い、三人きょうだいの長女。両親はとうに亡く、広い館には、ユーフェミアと弟たちのほか、番犬のガルムしか住んでいない。近所に住む親戚のおば、マリアーナが時々様子を見に来る以外は、特に来客もない。近くの村までほんの五分の距離だというのに、館は森がすっぽりと包みこみ、切り離された静寂の中にある。木々の合間から見える村の教会の鐘の音さえ、この館には届かなかった。

 いつもの年なら、そろそろ冬至祭りの季節だった。街の大通りの木々は色とりどりに飾り付けられ、古い土地神を祭る大きなお祭りが開かれて、人々は表で酒を飲み、夜通し踊って騒ぐのに、今年は祭りの準備すらままならない。それどころか買い物に行くことも出来ず、手紙も、荷物も、この大雪では町に届くことがない。人々は食料と燃料を家に溜め込み、寒さと陰気さに耐えて暮らしているはずだ。
 だが館の暖炉の上には、小さな冬至祭の飾りが置いてあった。雪の重みに耐えかねて館の前に落ちてきた一本の枝を整えて、ささやかな飾りつけをしたものだ。冬至の日にはオレンジピールとナッツで飾りつけをしたケーキを焼いて、ハッカの効いたお茶を飲む。準備はもう出来ていた。あと二ヶ月もすれば、雪は溶けていくだろう。何も心配することはない。

 ユーフェミアは、書斎の出窓の前にしつらえた唐草模様のお気に入りのソファの上で、<アスガルド>から持ち帰ったがらくたを整理していた。手元のクッキーの箱の中には、<アスガルド>から持ち帰ったこまごまとしたものが収められている。ルベットにもらった押し花で作ったしおり、イザベルに教えてもらったクッキーの作り方のレシピ、遺跡で拾った古びたくしや、学者肌の弟ヨルムに見せるつもりで持ち帰った錆びたコインなど。コインは、200年ほど前の冒険者が持ち込んだものだとヨルムは言った。今はもう使われていない古いものだと。中でもヨルムが気に入ったのは、白い尖った小石だった。今はもう輝きを失い、なんの変哲もないただの白い石に過ぎないが、<アスガルド>に聳え立つ、太古に枯れ果てた巨木の根の下に広がる迷宮の奥深く、隠された輝く鍾乳洞から拾ってきたものだ。
 石は、一定の湿度と温度が保たれた環境で、長い年月をかけて作られる結晶なのだった。その環境から持ち出され、乾いてしまうと結晶が壊れて輝きを失う。だが、持ち帰った頃はまだ僅かな輝きが残っていた。いつか実際にその場所を見てみたい、と遠い目をしてヨルムは言った。彼は今、将来の進路を決めようとしているところだった。地元の学校を飛び級で卒業するような、頭のいい弟のことだ。既にいくつかの大学から、入学許可を貰っている。将来はどこかの大学院で、大好きな研究をして暮らすことになるのだろう。――祖父と同じように。

 実を言えば、祖父と話した記憶はほとんど無かった。
 温和そうな好々爺の面差しで、口を利けば、ぽつり、ぽつりと話した。覚えている祖父の姿といったら、書き物机に向かう背中か、館を囲む森の片隅で、ぼんやり考えごとをしている横顔くらいだった。なぜ大学での研究をやめ、この片田舎の館に戻ってきたのかも知らなかった。町にあまり出ず、人付き合いも少なかったようで、両親の写真は沢山あるのに、祖父の写真はほとんどない。そういえば両親からも、祖父の昔話を聞いた覚えが無いのだった。
 祖父は、なぜ<アスガルド>などという、危険な未開の地へ行くことになったのか。
 ユーフェミアは、今さらのように、そのことを考えはじめていた。自分を<アスガルド>へ導いたのは祖父の遺志、それは間違いない。手帳に書き残された謎の詩は、跡を継ぐ彼女に、心残りを引き継がせるためだ。
 はじめは、それはハロルドへの地図の返却と伝言だけだと思っていた。だが、それだけではなかったのかもしれないと最近は思い始めている。
 ユーフェミアには幼い頃から、ある不思議な力があった。未来を予言する力―― 起きるべきことが、言葉の力を借りて脳裏に浮かんでくるのだ。彼女の力のことを知っているのは、亡き両親を除けば弟たちと、<黄金のチェス亭>の仲間たちだけ。東の大陸で暮らしていたころは不気味がられた力だったが、不思議に<アスガルド>の人々は不思議がることもなく、そういうものだとあっさり受け入れた。彼女の祖先が持っていた力なのだから、子孫が受け継ぐのは当然だ、と。
 <アスガルド>を訪れるようになってから、その力は目に見えて強まっている。だが、ユーフェミアはことさらに未来を知りたいとは思わなかったし、その力も<アスガルド>の外では巧く使うことが出来ないようだった。ただ時折り、思い出したように、これから起きることが脳裏に浮かんでくる。


 ――ユーフェミアは、ふと窓の外に目をやった。
 雪は止んでいる。今から二階に上がる階段の踊り場に立つと、外の屋根の上で雪下ろしをしていた、もう一人の弟フェンリスと目が合った。フェンリスは、分厚いコートに身を包み、手には毛皮の手袋をはめ、白い息を弾ませている。
 「どうしたの? 姉さん」
ユーフェミアは、黙って木々の向こうに目をやった。黒々とした枝の奥に、まばらに家の並ぶ村外れが見える。今は雪に完全に覆われているが、村からこの森へ続く道のあった場所だ。その見えない道の上を、黒っぽい何かが、飛ぶようにこちらへ向かって来る。
 目のいいフェンリスはすぐに気がついたようだ。
 「あれ、マリアーナおばさん?」
 「うん」
 「良くわかったね、姉さん。おばさんが今日来るなんて」
ユーフェミアは、何も答えずただ軽く頷いただけだった。スキーを履いたマリアーナは、まるで疾風のように、足跡ひとつないなめらかな雪原を向かってくる。雪は止んでいた。珍しく、雲が薄れている。


 きっかり15分後、今の柱の大時計がポーンと音を立てるのと同時に、マリアーナは館の前に到着していた。
 「こんにちは、あんたたち! 元気にしてたかしら」
言うなり、その大柄な女性は、手袋を外すのももどかしく、仰々しく両手を広げて三人を抱きしめた。固く三つ編みにした、この地方特有の燃えるような赤毛がほぐれて首筋にかかっている。もう50近いというのに瞳は活き活きとして娘の頃の魅力を残している。「この大雪でずっと様子を見に来られなくて、心配していたのよ! まあまあ。風邪はひいてない?」
 「いらっしゃい、おばさん。みんな元気です。ガルムも」
 「それは良かった。さあ、ちょっとコートを脱がせて頂戴。それにしても、ここはいいわね。森のお陰で、雪が少ない」
マリアーナは、スキー板を入り口の壁に立てかけた。この地方では冬にスキー板で出歩くのは普通のことだが、東の大陸育ちのユーフェミアたちはスキーに慣れが無く、未だに巧く使いこなせずにいた。
 「町のほうはどうですか。雪で家が埋もれているみたいですけど」
 「おお、そうなの。うちも二階の窓から出入りしているわ。ようやく落ち着いてきたはいいけれど、雪の重みで潰れた家もあったりして大変よ。馬やニワトリたちを暖めるために、納屋に暖炉をつけなくちゃならなかったし。」
今年は冬至のお祭りは無理そうねえ。と、マリアーナは暖炉の上の飾りを見て残念そうに呟いた。冬のお祭りはこの地方で一番大きく賑やかなもので、みんな何ヶ月も前から楽しみにしているものなのだ。お祭りのない年越しは、さぞかし味気ないものになるだう。
 「それで、今日はどうしたんですか?」
 「ああ、そうそう。これを渡しに来たのよ。」
マリアーナはコートの下から、大切そうにくるんだ包みを取り出した。中から出てきたのは、寄木細工の箱だった。
 「私に、ですか?」
 「ええ、あなたによユーフェミア。もうじきお誕生日でしょう。また雪が振りそうだし、今日しかないと思ったの」
 「開けてみても?」
受け取った箱は、ずっしりと重い。おそるおそる開くと、緋色のビロウド貼りのクッションの上に、緑色の透明な石が瞳のようにはめこまれた、輝く金の腕輪が一つ載っていた。腕輪は絡み合う蛇の装飾にびっしりと文字のようなものが書かれ、緑の石の土台は四人の小人が支えている。磨かれて輝いてはいるが、デザインや色合いからしていかにも古く、価値あるものに見える。
 「これ…、こんな高そうなもの」
 「あなたが持っているべきものなのよ、ユーフェミア。それは代々、この館の主人が持っていたもの」
と、マリアーナはさも当然のようにさらりと言った。「成人したら渡そうと思っていたの。これでようやく、わたしのお役目も終わるんだわ。あなたたちのお祖父さんが亡くなってから、今まで預かってきたわたしの役目がね。」
マリアーナは暖炉の側を通りぬけ、慣れた足取りで台所へ向かう。「さて、お茶でもいれようかしら。二時間くらいで戻ると夫に言ってあるから、すぐに戻らなきゃいけないけどね。またすぐ雪が降り出しそうだし」
 「手伝いますよ」
ヨルムが立ち上がり、台所へと向かった。フェンリスは、まだ茫然としている姉の手元を覗き込み、きらきら輝く重たい金の装身具をしげしげと眺めた。
 「姉さん、これつけるの?」
 「つけられないわよ、こんなの!」
ユーフェミアは、慌てて箱を閉じた。一瞬、目を奪われたのは事実だが。
 「お祖父さんの形見、なのかな? でも、それ女物みたいだよね。」
 「…そうよね」
それに、何故だか懐かしい気がした。記憶にある祖父は装身具の類は何もつけていなかったが、それ以外にどこかで。以前、これと同じものを見たことがあるがする――。


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