TOPBACK第三部へ

後日談 懐かしき古樹の森


 秋が深まる前に、ユーフェミアは懐かしの我が家へ戻ってきた。普段は時が制止したようなクレイントンの森でも、よくよく見れば、ある木は紅葉し、またある木は実をつけ、森の住人たちはせっせと冬篭りの準備に走り回っている。
 祖父が飼っていた年寄りの番犬は、相変わらず家の入り口で惰眠をむさぼっている。ユーフェミアが近づいて影を落としても、ぴくりと耳を動かすだけ。
 「ちょっとガルム。お帰りなさいは?」
返事は無い。
 「まったく…。地獄の番犬の名が泣いて呆れるわよ」
 「あれ、姉さん?」
裏庭のほうから、弟のフェンリスが顔を出した。「帰ってきたんだ。おかえり」手には、裏庭でもいだ秋の果実。
 「ただいま。ヨルムは?」
 「珍しく出かけてるよ。ここのところ、研究仲間が出来たとかで忙しそうだ。姉さんがしていることにも、ちょっと興味があるみたいだったよ。」
 「私がしてること?」
 「お祖父さんと同じこと。<アスガルド>の探検。」
 「私は探検なんてしてないわよ。ただ、宿を手伝ってるだけで――」
フェンリスはガルムの耳の裏を軽く撫でてやると、ちょっと肩をすくめた。「中で話す? マリアーナおばさんに見つかると面倒だしさ」そう言って、先に立って家に入っていく。
 数ヶ月ぶりの我が家は、嗅ぎなれた匂い。何も変わっていない。ただ、住人の一人が留守にして、いつもよりちょっと広く感じるくらい。
 「今回はどうだった? また、大冒険だった?」
 「そうでもないの。半分以上は<アスガルド>の外にいたし。ラウネース地方って知ってる? 東の海のほう。」
 「大学があるとこだっけ。ヨルムがそこに何か論文を送って学位貰ってたよね。遠くなかった?」
 「大変だった。ドラゴンや熊は出てこなかったけど、狼と幽霊に会ったわ。」
 「幽霊? 本物の?」
 「うん。二人会った。一人は危険なやつだったけど…もう一人は、私の友達の親友だった人。名前も分かったの。呼んだら、色んなことを教えてくれたわ」
少年は、真剣な表情で姉の話を聞いている。どんな突拍子も無いことも、ちっとも疑っていない様子だった。昔から、兄弟の間に隠し事は無い。ユーフェミアの予言も、周囲が不気味がっていた子供の頃から、弟たちにだけは内緒にせず何でも話してきた。
 「それから――」
話を続けようとした時、ふいに、フェンリスが立ち上がった。
 「ごめん。今、聞くべきじゃなかったよね。ヨルムが戻ってきたら怒られちゃう。姉さんも、二回話すの、面倒だろ。」
 「あ。そっか」
 「たぶん、夜までには戻ってくるよ。お茶淹れてくる」
勢いよくソファから立ち上がる。少年の、あまり手入れしていない赤い髪が揺れた。
 その時、ふいにユーフェミアの脳裏に、言葉が浮かび上がって来た。その言葉を最初に思い浮かべた情景とともに。月夜の廃墟、取り囲む灰色狼の群れ、狼たちの王―― 族長スコル。

 荒野を訪れる、狼たちの主
 彼の手に戒めを解く鍵がある


 「…っ」
ユーフェミアは、両手で頭を抱えた。

 時は来たれり

顔を上げ、振り向くと軽快な足取りで台所のほうへ歩いていくフェンリスの後姿が見えた。まさか。――あの予言が指していたものは…。
 玄関のほうで音がした。大人びた雰囲気を持つ黒髪の少年、もう一人の弟ヨルムが戻ってきたのだ。
 「ただいま… あれ、姉さん、帰ってたのか」
 「お、帰ってきた帰ってきた。ついさっきだよ、今、ちょっとだけ姉さんに話聞いてたんだけど、今年の夏も大冒険だったって」
フェンリスは陽気に笑ってティーポットとカップを用意する。「いいよなあー、姉さんばっかり。僕も旅に出てみたいなあ」
 「旅って…。あんた、まさか<アスガルド>へ行くつもり?」

 三夏の内に
 赤い髪の若者が


 「いやだな、そんな顔して。姉さんだって行き来してるじゃないか。僕だってもう子供じゃないしさ。」
 「でも本当は、あそこは危険なのよ。私は―― 私は、なんとなく、危険なのが分かるからいいけど…」
 「それなんだけどさ、姉さん。」
ヨルムが割って入った。小脇に抱えていた本の束を机の端に降ろしている。「ここのところ、調べていたんだよ。姉さんの、その力について。」
 「え?」
 「”ヴァニールの子孫”。お世話になっている宿の女主人は、姉さんにそう言ったんだろ? お祖父さんは知ってたよ。書斎の書き物を探したんだ。これを見つけた」
少年が取り出したのは一冊の古い本だった。本、といっても、それはありふれた品ではなかった。表紙は木で出来ており、剥げた金箔の痕が見て取れる。そして紙は、つやつやとした光沢を帯びていた。
 「羊皮紙の本だね。活字じゃなくて手書きなんだ。古い本だよ、少なくとも千年は経ってそうかな」
 「そんなもの持ち歩いて平気なの? ていうか、これ読めないんだけど…」
フェンリスはお手上げといったポーズでソファの上にひっくり返った。フェンリスでなくとも、文字は、読むには適さなかった。ところどころ掠れ、インクは滲み、おまけに独特の筆記体だ。
 「それで、ヨルムはこの本を解読しようと頑張ってたってわけね。」
 「まあね。所々、独特の文法があって分かりにくかったが、ある程度のことは分かった。この本は”殖民の書”だ」
 「殖民?」
 「そう。今この国は、北方王国連合の四つの国の一つだよね。だけど、これらの国は、かつては別の四つに分かれていて、この大陸に最初に住んだ種族の四つの呼び名で呼ばれていたんだ。エーシル、ヴァニール、アールヴ、ヨートゥン。ざっくり言うと、エーシルは知識と魔法、都市の建造が得意で、ヴァニールは農作や自然を生かす仕事が巧い。アールヴは小柄で鍛治と工芸が得意、ヨートゥンは荒くれの戦士だ。分かる? 昔からこのあたりに住んでる人たちは皆、どれかの種族の子孫なんだ。今はもう、国を越えた交流が何百年も続いてほかの種族とも交じり合ってるけど。こんなこと、学校でも教えてくれない」
ヨルムは珍しく興奮気味な口調だった。
 「ヴァニールは最初、今の<アスガルド>のあたりに国を作って住んでいた。姉さんがヴァニールの子孫だっていうなら、おれたち三人ともそうさ。お祖父さんはきっと、おれたちの遠いご先祖様の何かを探っていたんだと思う」
 「何かって。何だろ… あっ、隠し財宝?!」
 「ばか、フェンリス。そんなもんあるか」
 「じゃ何かって何だよ」
 「それを今から調べるんじゃないか。」
 「なんだよ、分からないんだったら、財宝かもしれないじゃんかー」
 「待って…」
ユーフェミアが、弟たちの賑やかな声を遮った。
 「それじゃあ、<アスガルド>にある遺跡は、私たちのご先祖様が作ったものかもしれない、ってことなの?」
 「その仮説に基づいて調査しているんだよ。ただ、<アスガルド>の遺跡群を詳細に調査したまとまった記録が、どうやっても見つからない。いくら未開地域とはいえ、素人が撮ったような写真や感想文しかないなんて、おかしいだろう?」
ロードゥルの遺跡も、祖先と関係があるかもしれないということなのか。あの遺跡に住んでいた亡霊も? まさか。
 祖父シゲイルは、何を知り、何を探していたのか。ユーフェミアを自らの後継者に指名したのは、単に一番年上の孫だからではなく、相続人に託したのは、ハロルドの心残りだけでは無かったというのだろうか。
 胸の中で、疑問が大きく疼きだす。
 自分たちはもしかしたら、何か得体の知れない、大きな運命に足を踏み入れつつあるのかもしれない。そんな予感がした。



 ――その頃、<黄金のチェス亭>の窓には霜が下り、暖炉には火が焚かれていた。

 季節の早い<アスガルド>は、すでに秋を過ぎ、もう冬の入り口へと移り変わっている。間もなく、旅人を拒む深い霧が<アスガルド>を閉ざす。日は短くなり、冒険者たちも旅行者も、ほとんどが町へと帰った。後に残ったのはいつもの顔ぶれ、ここに住み着いている常連客と、冬越しに挑戦する命知らずばかり。
 「やれやれ…めっきり寒くなってきたね。」
久しぶりに地下から出てきたハロルドを前に、イザベルは、自慢の蜜酒を振舞っていた。ホールにいるのは、今は二人だけ。皆、外に出ているか、自室に籠もっているかのどちらかだ。
 「今年は寒くなりそうだ。雪が積もると、むしろ地下のほうが暖かい」
 「そうだね。」
イザベルは、ふと遠い目をして窓の外を見やった。朝から分厚い灰色の雲がたれこめて、ホールの中は昼間でも薄暗い。
 「どうした。今日は珍しく暗いな。…今年の夏は忙しかったか」
 「そういうわけじゃないんだが。…あんたも知ってる、ユーフェミアのことを考えてたんだよ」
琥珀色の蜜酒が注がれたグラスを、カウンターの上に滑らせる。それは真っ直ぐハロルドの前まで来て、節くれだってごつごつした手の中にすっぽりと収まった。
 「あの子… ここへ来てから、ずいぶん成長した。最初の頃より、自分を肯定するようになった。自分の力にも抵抗を感じなくなったし…。」
 「今年の夏は、死者の記憶を読み取ったとか。」
 「そう。荒野の狼や、ローグの守護霊とも話をしたとか。」
ハロルドは、巨体をクマのように折り曲げて酒を啜り体を暖める。延び放題の固い髭をもそもそと動かし、酒を味わい、そしてぽつりと一言。

 「…時が来たのか」

頷いて、宿の女主人は落ち着かなさげに歩を進め、ゆっくりと首のトルクに手を伸ばす。
 「シゲイルの孫だって知った時から、なんとなくそんな予感はしてたんだ。ここへ来てから、力は強まりつつある。いや…本来の姿を取り戻しつつある、というべきか。」
 「どうするんだね? ヘリアンの娘よ。いっそ全て話してしまうかね。――それとも?」
イザベルは、それには答えずに何処か遠くを見てる。すべては、運命の定めるままに。始まってしまった物語は、途中で無理やり終わらせることは出来ない。なるようにしかならないことを、彼女は知っているのだ。
 入り口のドアベルが陽気な音を立てて静寂を打ち破った。振り返れば、だぶたぶのコートを着込んだルベットが白い息を弾ませながらホールに滑り込んでくるところだ。コートの肩の辺りには、白いものがまだ溶けずについている。
 「冷えると思ったら、雪だ。初雪だ。今年は早いぞ」
窓の外にちらちらと雪が舞っている。夏から秋へ、そして長い冬の始まり。人も、獣も、あらゆるものが動きを止め、遺跡は眠りにつく。これからまた、冬篭りが始まるのだ。

 沈黙が白く草原を埋め尽くし、一夏の物語は終わりを告げた。――新たな予感を秘めて。




―第二部 完


TOPBACK第三部へ