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<追放者の帰郷>


 列車の切符は、人目につきにくい朝一番早い時間で取ってあった。サウフトン発、ミッドガルド地方経由、ラウネース行き。乗る人はまばらで、身なりのよい幾つかのグループが、談笑しながら駅のホームに座っている。二等室は個室になっていて、ユーフェミアたちは早々と指定した客室に陣取った。
 勝手の違うせいか、ローグは珍しく大人しかった。駅のキオスクで買ったコーヒーを飲みながら新聞を広げるルベットの横でじっとしている。
 「どうしたの? 何かまだ、気になることが?」
 「…いや。」
ローグは首を振った。
 「逃亡生活を始めてから十年になる…、いつか生きてあそこに帰ることになるとは、思ってもみなかった。」
 「そうね。初めて会ったときのあなたは死にたがっていたものね。」
発車のベルが鳴り響く。行き先と発車時刻を告げるベルが鳴り響き、車窓から見える景色はゆっくりと動き出す。一瞬、ローグの顔がひきつったように見えたが、流れてゆく陰影の中、その表情はすぐに見えなくなった。
 「私、ラウネースって行くの初めてなのよ。家とは逆方向だし… 海のほうなんでしょ? 何があるの」
 「…ただの田舎だ。何もない」
 「そんなことはないぞ」
新聞から顔を上げ、ルベットが言う。「ラウネースの中心都市オッディには、この国でも指折りの、有名な大学がある。若い頃に二、三度行ったことがあるが、海風の気持ちよい、ずいぶんと栄えた町だった」
 「俺が住んでいた町は、ラウネースでも果てのソルガースだ。オッディからは馬車で二日かかる。」
 「ほう、ソルガースか。…この国の果てだな。海を渡れば、東の大陸だ。」
コツコツと客室のドアをノックする音がした。ローグは身をすくめ、口を閉ざす。
 「はい?」ユーフェミアは立ち上がってドアをわずかに開けた。立っていたのは車掌。
 「切符を確認に伺いました。」
 「ああ、はい。」
 「食事は食堂車です。お部屋でもお召し上がりになっていただいて結構ですが。寝台の下ろし方は――」
 「知ってます。ありがとう」
三人ぶんの切符にはさみを入れ、ちょっと帽子を上げて車掌はすぐに去って行った。何かを疑っている素振りは無い。
 「大丈夫そうね。どう? 次の駅を過ぎたら、ちょっと外を歩いてみる?」
 「遠慮する」
 「五日も此処に閉じこもってるつもりなの? それはそれで怪しいと思うけど。」
ローグは、ちらと窓の外に目をやった。
 「…そんな気分じゃない。」
 「しょうがないなあ、もう…。じゃ、私はちょっと行って来る。すぐ戻るわ」
ユーフェミアが出て行ってしまうと、ローグはひとつため息をついて、座席に深く腰を下ろした。
 「旅はまだ始まったばかりだというのに、随分な様子だね」
 「密航でよかったんだよ、俺はな。そのほうがいっそ気楽だった。高い列車賃払って、こんな立派な客室に押し込められるとムズムズする」
 「まあ、そう言うな。わしも列車に乗るのは半世紀ぶりなんだ。」
 「それ」
ローグは、さっきルベットが畳んだばかりの新聞をあごでしゃくった。「…俺の賞金額、いま幾らだ?」
 「きっかり八百だ、家が買えるな。まあ、あと十年も逃げ切れば、それに別荘と馬車もつく」
黒髪の青年は、むすっとした顔で上着を脱ぎ、ぽいと向かいの席に投げ捨てた。
 「俺は寝る。あんたは好きにするといい」
言うなり、それ以上の会話はお断りとでも言うように目を閉じてしまった。ルベットは、やれやれとため息をついて窓の外に目をやる。さっきローグが見ていたもの―― 車窓から見える空の彼方に、灰色に霞む太い柱のようなもの。<アスガルド>の中心部に聳え立つ大樹の残骸だ。列車はそこから遠ざかりつつある。
 「そういや、お前さん… 昔、話してくれたな。幼い頃に、跡継ぎのいない田舎の伯父さんの家に養子に出されたとか。」
 「――ああ」
目を閉じたまま、ローグはそっけない。
 「家は今、一番下の兄貴が継いでる。伯父は死んだ。俺が出奔する前だ。それ以外のことは知らん」
 「…なあ、ローグ。お前に罪を着せた相手が誰なのか、本当の仇に心当たりはあるのか? もしも何も手がかりが無かったら、どうする。せめて、お前の無実を証明することだけでも出来たら…」
 「爺さん」
ローグが半分目を開いた。「余計なことは考えなくていい。俺は今、自由だ。今更元の暮らしに戻りたいとも思わない。あの飾りつきの短剣の持ち主を探し出せなかったら、その時はその時だ。」
列車が揺れる。ローグは今、ロードゥルの遺跡で泉に映った、彼にしか見えなかった光景を思い起こしているところだった。何処かで見覚えがある… そう、確かに自分は、その飾りつきの短剣を見た覚えがある。だが年月を経て記憶には靄がかかり、それが何処でだったのか、誰のものだったのかが思い出せない。



 その頃ユーフェミアは食堂車の先頭にいて、遠ざかりゆく<大樹>の影を眺めていた。
 客はまばらだったが、それも今だけだろう。次の駅はミッドガルド中央駅、というアナウンスが流れている。ミッドガルドで停車すれば、この国の中心部、首都の玄関口だ。夏を地方で過ごそうという都会っ子たちが山ほど乗り込んでくるはずだ。終着駅のラウネースまで行く人も少なくはないだろう。そうなれば、ルベットやローグが出入りしても、それほど目立つまい。五日も部屋に籠もりきりで、じっとしているのは体に良くない。
 人気のない食堂車の端に座って、彼女は手帳を取り出した。思いつくままに幾つかの詩を書き散らしてはみたが、そのどれもが、これから向かう先とローグの運命には結びつきそうもない。大きく伸びをして、さっき買ったオレンジジュースのボトルに手を伸ばす。
 ――そういえば、リリー・サーガは今頃どうしているのだろう。リリーのオフィスは、この国で活躍するほかの歌手や芸能人たちと同じようにミッドガルドにあるはずだ。だが、同じ列車に乗っている気配は無かった。ミッドガルド行きは長距離列車でなくとも沢山出ているし、或いは、別の列車で目指す相手の居る方向へ向かったのかもしれない。
 そうこうしているうちに、窓の外の景色から緑が消え、畑や草原の変わりに舗装された道路と赤レンガや灰色石のビルが天高く聳える大都会の光景が見え始めた。
 『まもなくミッドガルド中央駅、ミッドガルド中央駅――…』
アナウンスが流れる。ホームには大きな荷物を抱えた旅行者たちが並んでいる。地方で育ってきたユーフェミアにとっても、あまり見慣れた光景だはない。どちらを向いても人、人。フランシェーロなどと比べ物にならない雑踏に、見ているだけでくらくらした。
 人が流れ込んでくる。ユーフェミアは、駅舎の向こうに聳え立つ灰色の、ひときわ高い塔に気がついた。首都の中心部に建つその建物は、<大樹>よりも細く、高さも低い。だが、人の作りし世界において、それはあまりに異様だった。
 『当列車はラウネース行き寝台列車、間もなく発車いたします―ー…』
 客室に戻ると、ルベットが口に人差し指を当て、しぃっという仕種をしてみせた。見ればローグが熟睡している。鼻眼鏡をかけたまま、胸の前で腕を組み、まるで教会で祈りを捧げているような格好だ。
丸められた上着をどけて、ユーフェミアは窓際の元の席に腰を下ろす。
 「なんだか不思議ね。こうしてると、別人みたい。普通に見える」
 「昨日は一晩中、目を覚ましとったようだから。ようやく吹っ切れたんだろう。これでも、随分迷った末の帰郷だろうよ」
ルベットはそう言って、顔をくしゃっとさせて笑うと、ふと、まじめな顔になった。
 「正直、こやつが、わしだけでなくお前さんを頼ってくるとは思わなかった。よほど切羽詰まっていたにせよ…」
 「予言の力があるから?」
 「それだけじゃあないだろうな。<アスガルド>に長くおるが、こやつが腹を割って話をするのは、イザヴェルとわしくらいのもんだった。それも、何年もかけてようやく慣れた。あんたは特別だ。何故かは知らんが」
多分、彼の連れている黒い影が見えたからだ。ユーフェミアはそう思った。それが何なのかを、ローグは前に話してくれた。自分の生い立ちについても。あれが信頼の証だったのか。
 列車は走り出す。遥かな地へと、それぞれの思いを乗せて。
 追われる者は、その始まりの地へと。列車は、黒煙を上げながら走り続ける。



 長距離列車の終着駅は、ラウネース地方の主要都市オッディ。ローグの故郷ソルガースへは、そこからさらに海沿いに行かねばならない。氷河に削られた白い切り立った断崖が時折り白い浜辺に変わり、青い海は穏やかに夏の光を反射させる。何もかもが順調な旅だった。夏のバカンスに出かけると思しき、身なりのよい老人と男女二人の若者のという三人連れの旅行者に疑いの目を向ける者はいない。だが、ラウネースを出た頃から、ローグは目に見えて緊張し、いつにも増して無口になっていた。
 定期馬車に揺られてソルガースの町へ到着したのは、日の暮れた後のこと。だがローグは町に入ろうとはせず、町の入り口で二人を止めた。
 「ここで待ってる。様子を見てきてくれないか」
 「様子って。…」
 「お尋ね者が堂々と町をウロつくわけにもいかんだろう。十年経ってるとはいえ、小さな町だ。こんな変装、役に立つものか」
ローグは、ユーフェミアに紙とペンを貸すよう頼んだ。言われたとおりにすると、薄暗がりの中、彼はさらさらと二枚の紙に地図とメモを書きつけた。ローグの字は初めて見る。意外に綺麗な、繊細で几帳面な字だ。
 「この地図の通りに行けば、兄貴の家だ。引っ越してなければな。もし住所が変わってるなら、兄貴の名前を聞けば分かる。だが、あまり目立ったことはしてくれるな。もう一枚は、…俺からの言伝だ。もし兄貴がもうこの世に居ないか、俺のことは忘れたいと言ったなら、それまでだ。力を借りるのは諦める」
 「わしは、ここで一緒に待っとるよ。」
ルベットは持って来たトランクを下ろした。
 「ローグ一人じゃあ厄介ごとが起きた時に誤魔化しきれんだろう。それに少し疲れた。夜道を歩き回るのは若いのに任せよう」
 「うん、それじゃお願いね。行ってくる」
ユーフェミアは、町の中心部に向かって歩き出した。雰囲気は、彼女の故郷の小さな町と大して変わらない。違うのは、新鮮な魚介を売る店が多いこと、通りに掲げた酒場のメニューのほとんどが魚料理なこと。ローグと同じように黒髪で、肌の浅黒い人が多く、男も女も皆、がっちりした体つきをしている。
 メモには、「クラウス・フロベール」という名が記されている。フロベール…、殺されたローグの親友の家名と同じだ。家は大通りから一本入った広場の近く、教会のすぐ裏のはずだった。
 果たして、それらしい家があった。洒落た門構えの真新しい館、入り口は小ぢんまりとしているが中は広そうだ。玄関先にドアベルがある。押そうかどうか迷っていると、いきなりドアが開いて、中から目を泣き腫らした若い女性が飛び出してきた。
 「あ」
出会い頭に、ユーフェミアとぶつかりそうになる。
 「ご、ごめんなさい。…うちに、何か?」
この家の住人らしい。
 「あの、クラウス・フロベールさんの家はこちらですか?」
 「ええ」
 「クラウスさんに会いたいんですが…」
女性は、怪訝そうな顔になる。「主人は、病で臥せっております。どんなご用件でしょう?」
 「あの、」
ユーフェミアは口ごもった。一人暮らしではない場合のことを、考えておくべきだった。ローグの言伝を、ローグがこの町に来ていることを他の誰にも知られずに、クラウスだけに知らせるには…さあ、どうすればいい。彼女は慎重に、言葉を選んだ。
 「弟さんの件で、その人に言伝があるんです。もし、ご本人が望めば、ですが…」
 「入って頂戴」
いきなり腕をとられた。
 若い女性は家の中にユーフェミアを招きいれ、扉を固く閉め、周囲に他に誰もいないことを念入りに確かめてから口を開いた。
 「詳しく聞かせて。ローグは? あの人は生きているの。無事なの? それとも、もう何処かで捕まってしまったの?
思いがけない反応だった。泣きはらした女性の目は飢えた小鳥のように輝き、身を乗り出してくる。
 「あの…」
勢いに押され、ユーフェミアは咄嗟に、もう片方の手に隠していた言伝の紙を掲げた。女性は紙を奪い取り、明かりの下で広げて食い入るように眺めた。
 「この字、…あの人のだわ。間違いない」
言うなり、女性はその場で泣き崩れた。ユーフェミアは凍りついたようにその場で立ち尽くした。ローグは実の兄の話しかしていなかった。その兄の妻だというこの女性は、一体。
 「それ、クラウスさんに渡さないといけないんです…」
 「あ、ああ。ごめんなさい、つい。私ったら」
涙を拭きながら、女性は、無理やりに笑顔を作った。「ごめんなさいね。すぐに案内するわ。あまりに嬉しくて」
 「あなたは、ローグを知ってるんですか?」
 「ええ、―ー」
ホールから二階へ続く階段を、スカートをたくしあげて歩きながら、女性は言った。「彼は十年前、私の婚約者でした。」



 部屋に入ると、病床独特の匂いと、不思議なハーブの香りが鼻を突いた。窓はカーテンで閉ざされ、町の風景は見えないが、窓の前には、ベッドに横たわる痩せた黒髪の男。ロードゥルの遺跡で見た、あの光景そのままに。
 この人だ。間違いない。
 「クラウス」
枕元に立った女性が優しく呼びかけると、男はうっすらと目を開いた。
 「ルシアか…どうした」
 「お客様よ。ローグのお友達」
 「はじめまして、ユーフェミアと言います」
名乗って、ユーフェミアはお辞儀した。ローグによく似た眼差し。だが、彼のそれよりは遥かに青白い。
 「これを持ってきてくれたの」
ルシアが差し出した紙切れを、病床の男は震える手で受け取る。焦点の定まらぬ目で紙を凝視し、やがて内容を理解すると、大きく息をついて枕に頭を沈めた。
 「……そうか。あいつはまだ生きていたのか。戻ってきたと…。」
 「クラウス、力を貸してあげて。あなたの弟でしょう? 今更だけど、無実の証明をしたいというなら、私たちにとっても悪いことではないわ」
 「だが、無実なら何故、あの時に申し開きをしなかったのだろう。今となってはもう遅い。無事だったのは嬉しいが、この町で長居は難しい」
目を閉じ、ややあってクラウスは、ユーフェミアのほうに首を向けた。
 「ユーフェミアさん… だったな。彼に伝えて欲しい。我が家は血縁者を拒みはしない。だが、危険なことをするつもりなら、兄として私は忠告する。そう伝えて欲しい。」
それが答えだった。間もなくクラウスはとろとろと眠りに落ち、ユーフェミアはルシアに促されて部屋を出た。
 「差し出がましいようなんですが、ご主人は一体何の病気なんですか?」
ルシアは力なく首を振る。
 「分からないのです。去年の秋に落馬して、それ以降、傷は癒えても体は弱っていく一方で。どんなお医者様に診せても、理由が分からないというんです。」
それは、昔なら呪いや魔法の類で処理される症状だ。だが、今はもはやそんな時代ではない。
 「ローグから聞いたんですが。クラウスさんは、ローグが引き取られていた伯父さんの家の財産を継いだんですよね?」
 「ええ。…」
 「その伯父さんも、殺された方と同じ家名を?」
階段を下りる途中で、ルシアは足を止めた。「…カイル・フロベールが亡くなったことで、町長の家には跡継ぎがいなくなってしまったのです。それで、クラウスが町長家の養子になることで代わりを務めたのです。カイルは、ゴッドフリー…ローグが養子に出されていた家の主です、彼の家で、ローグと一緒に兄弟同然に養われていましたから。」
夜の中に送り出されても、ユーフェミアはまだぼうっとしていた。短時間に、あまりに色々な情報に出会いすぎた。まず、ローグのかつての婚約者だったルシアは、今はローグの兄クラウスの妻になっていること。クラウスは、ローグが殺したことになっているカイルの代わりに、町長家の養子になっていること。クラウスは今、謎の病に侵されて床についていること…。
 だが、クラウスがローグを受け入れるつもりだと分かったのは、大きな収穫だった。それだけでも十分だ。
 町の入り口に戻ると、ユーフェミアはすぐさま、隠れていた二人を呼び寄せた。
 「大丈夫みたい。お兄さんは、ローグが来ても問題ないって。あと… ルシアさんて人もいたわ」
 「ああ、兄貴の嫁か。言うの忘れてたな。その人も味方だ、心配ない」
元婚約者だったというわりに、意外に淡白な反応だ。ルシアのほうは泣き崩れるくらい彼の無事を喜んでいたというのに。ユーフェミアには、それが不思議だった。
 「さて、それでは早々に町に腰を落ち着けるとしよう。我々までお邪魔するわけにもいかんから、ローグを送っていったら、別に宿をとるとしようか。」
 「そうね。明日の朝、これからのことを相談しにいきましょ」
話は決まった。ローグを連れ、一行はなるべく目立たないようにと暗がりの多い道を選び、大通りを避けて町を歩いた。ユーフェミア一人の時は気がつかなかったが、よく見ると、町のいたるところに「賞金首」の張り紙がべたべたと貼り付けられている。この町出身の賞金首は何人かいたが、その中でもローグにかけられた賞金額はひときわ高く、最近になって貼りかえられた跡もあった。ローグ自身は、そんなポスターから意図的に目を逸らしていた。



 二度目のクラウスの家、ユーフェミアがドアを叩くと、すぐにルシアが顔を出した。
 「入って。早く」
三人が中に滑り込むと、ドアに錠が下ろされる。ルシアはしばらく表の様子を伺っていた。
 「大丈夫ね。つけられてはいないみたい」
振り返って、彼女は三人目の男に視線を止めた。
 「ローグ、…」
驚きと安堵の入り混じった表情で十年ぶりとなる旧知の相手を頭からつま先まで眺めたルシアは、涙を浮かべて微笑んだ。
 「驚いた。全然代わっていないのね、あなた」
ローグは、ぷいとそっぽを向いて伊達めがねを外した。「兄貴は? もう寝てるのか」
 「ええ…。でも朝には目を覚ますと思うの。お茶の準備をするわ、こっちへ」
ルシアは、ホールの奥へと歩き出す。ユーフェミアは、ちょっとローグのほうに目配せしてみせた。
 「ね? マシな格好してきて良かったでしょ?」
 「…まあ、な。」
ローグも、複雑な表情をしている。
 「どうしたの?」
 「…痩せたな、と思って」
ルシアのことか。
 「婚約者だったんでしょ? もっと、何か」
 「養父(おやじ)が勝手に決めたことだ。それに…」ローグの表情が翳る。「向こうは、俺を望んでいたわけじゃない。最初から」
ルシアは台所で湯を沸かしていた。お茶の葉の良い香りが漂う。ハーブティーだ。
 「ほほう、これはこれは」
鼻をひくつかせ、ルベットが言う。「ローズマリー・ティーか。午後摘みの栄養満点、よく乾いた新鮮な葉だな」
 「あら、お分かりになるんですか? これ。私たちの義父が届けてくれたんですよ」
 「申し遅れたが、わしはトランデル。まあルベットとも呼ばれるが…この子らの後見人代わりについて来た。」
 「そうなんですか。ローグがお世話に」
こざっぱりとして良く整えられた台所には、他にも様々な種類のハーブがあった。乾燥させてつるしてあるもの、刻んで料理に使う用に、小枝を瓶に挿してあるもの。ローグが真っ先に椅子に腰を下ろした。続いてユーフェミアも。
 「父は昔から庭仕事が好きで…。うちの裏庭にも少しあるんですけど、わたしはそれほどでも」
 「いやいや、植物の力を使うには何事も経験だ。少しずつ、それぞれの特性を覚えていけばいい。…おっと。わしらは、こんな話をしにきたのではなかったな」
ルベットは、ちらとローグのほうを見た。ローグは、おもむろに口を開く。
 「兄貴への手紙にも書いたとおりだ。単刀直入に言う。俺は、カイルを殺した奴を探しに戻ってきた。ずっと確信が持てなかった… あれは本当に自分がやったことなのか、それとも別の誰かがやったことなのか」
ルシアは眉を寄せる。だが、すぐには何も言わず、三人と、自分の席にティーカップを置く。
 席に腰を落ち着けると、彼女は真剣な表情でローグを見つめた。
 「わたしだって、直ぐに信じられたわけじゃないわ。確かにあの頃、あなたはいつも不機嫌で、カイルともゴッドフリーとも喧嘩ばかりしていた。だけど―― 兄弟同然に育った貴方たちが、互いを傷つけあうなんて。」
 「わしらは、状況をよく知らんのだ。良ければ話してもらえんかな? ローグじゃなく、第三者の、あんたの視点で」
頷いて、ルシアは、記憶を呼び覚ますように軽く胸の前で指を組み合わせ、目を閉じた。
 「――ゴッドフリーのお葬式の夜のことです。ゴッドフリーはもう高齢でしたから…。彼に子供はいませんでした。ローグが養子になっていたんです」
 「その話は本人から聞いた。それから?」
 「はい。ゴッドフリーが亡くなる少し前からローグは荒れていて、亡くなる直前も周りが止めに入るほどの大喧嘩をしていたんです。それで家を飛び出して。お葬式にも遅れてやって来ました。ゴッドフリーが亡くなったことを知って、ひどくショックを受けているようでした――。お酒を沢山飲んで、ひどい有様でした。
 夜になり、いつまで経ってもローグが戻ってこないので、わたしは心配になって、カイルに探してきてくれるよう頼んだんです。酔って海のほうへ行ったりしたら危険ですし… カイルとローグは長い付き合いでしたから、そんな時、行きそうな場所に心当たりがあると思ったからです。
 やがて何時間かして、教会のほうで騒ぎが起きました。カイルが殺された、と…。恐ろしいことに、その傍らには、酔って前後不覚のローグが、血まみれの剣を持って立っていたというんです。カイルの父親…今のわたしたちの義父で、町長をつとめるラズリー・フロベールが見つけて大声を上げ、人々が駆けつけました。町の大人たちは前後不覚に陥っているローグを捕えようとしたそうですが、彼は大暴れして、剣を持ったまま町から逃亡したそうです。賞金がかけられたのは、その直後のことです。…」
 「ありがとう。ではローグ、その時のことは覚えているのかね?」
 「ほとんど覚えていない。殺した瞬間のことを言うなら」
むすっとした表情で、ローグはカップに手を伸ばした。
 「大方はルシアの説明通りだ。酒を飲んで教会へ行った、ゴッドフリーには世話になったし…一人で弔いをしてやるつもりで。色々考えてるうちに眠りこんじまったらしくて、気がついたら冷たい石の床に寝てた。カイルが来たかどうかなんて覚えてやしない。ただ、最悪の目覚めだったのは確かだ。俺は手に自分の剣を握り、目の前には血まみれのカイルが死んでた。冗談か、悪い夢かと目を疑った…」
 「でも、何故今になって? 十年も経ってから、無実を証明したいだなんて」
 「あの時は混乱してた。誰もが俺が犯人だと決め付けて、…怖かったんだ。それに、もしかしたら本当に俺がやっちまったんじゃないかとも思ってた。けど違う。俺はやってない… 見たんだ、本当の犯人を」
ルシアはため息をついて、椅子の背もたれに体を預けた。
 「…分かった。信じるわ。でも、一つだけ教えて。あなたはどうして、ゴッドフリーと喧嘩をしていたの? カイルとも。あなたたち、あんなに仲が良かったじゃない。どうして急に、避けるようになったの?」
 「……。」
 「わたしのことも避けるようになった。違っていたらごめんなさい。あれって…ゴッドフリーが、自分の遺産相続について話した時から…よね? あなたは、わたしと結婚して、ゴッドフリーの財産を受け継ぐはずだった」
 「……。」
 「わたしと結婚するのが、そんなに…嫌だったの?」
 「……。」
 「カイルと喧嘩をしたのは、彼がわたしの従兄弟だから? わたしのせいなの?」
 「違う! そんなんじゃない。」
ローグは髪に指を突っ込んで、ぐしゃぐしゃとかき回した。「俺はゴッドフリーに死んで欲しくなかっただけだ! 渋くて口うるさいおっさんだったが、自分が死んだ後のことなんざ嬉々として語られてみろ。楽しいもんか。おまけに俺が思い通りになると思い込んでやがった。やってられるか!」
 「ちょっと、ローグ。声、大きいわよ」
 「落ち着かんか。」
左右からユーフェミアとルベットがローグを押さえにかかる。
 「…ごめんなさい。わたしが、こんな話を振ってしまって…」
ルシアは泣き出しそうな顔になっている。
 「とにかく、だいたいの状況は分かった。今夜はもう遅い。わしらは宿に行くよ」
 「あんまり急がないで。明日また、ゆっくり話しましょ。ルシアさん、お茶、美味しかったです。ありがとう」
ローグの恨みがましい視線が追いかけてきたが、構わず二人は、重苦しい沈黙の場から逃げるようにして外に出た。
 外に出ると、何故かほっとした。部外者は居ないほうが、ゆっくり話も出来るはずだ。ユーフェミアやルベットに聞かれたくないこともあるだろう。十年ぶりの再会、二人はどんな話をするのだろうか。
 「なんだか、色々な事情がありそうですね…」
 「うむ」
宿のありそうな大通りに向けて歩き出す。
 「だが、一番驚いたのは、ローグが”変わっとらん”と言った、あの娘さんの言葉だな」
 「え?」
ルベットは、にやりと笑った。「今のローグはわしらの知っとる<アスガルド>でのローグとは全然違うが、実はそれが、この町で暮らしたローグだったということだよ」
通りに出る直前の広場で、ユーフェミアは足を止めた。暗がりに建つ古い教会は、今は重く鉄の扉を閉ざしている。
 「あそこが、悲劇の舞台ね」
入り口の階段の上には、侵入者を見張るガーゴイルの代わりに、奇妙な形をした十字架が掲げられている。天井はとんがって高く、うろこのような板が張り合わされた屋根の上には三層の塔が建てられていた。教会をぐるりと回ると、裏は墓地。墓地の入り口は閉ざされておらず、いつでも人が入れるようになっている。
 ルベットが、ぽつりと言った。
 「この事件には、ローグの気性も大いに関係していると思う。あの短気と悲観的な性格さえなければ、運命の糸はこうも捩れずに済んだと思うのだ」
 「でも、誰もがローグを犯人だと思った。カイルと喧嘩していたという前提、酔っ払っていたこと、空白時間… ローグはきっと、お兄さんにも、私たちにもまだ何かを隠してる。まずは、それを問いたださないとね。」
大通りに出ると、夜だというのに家々には明かりがともり、酒場には喧騒が満ち、往来にはまだ馬車が行き交っていた。ルベットは目を丸くして足を止め、それから、しばらくして笑った。
 「そうだったな。ここは<アスガルド>じゃない。…」
ルベットの肘にユーフェミアが腕をからめ、祖父をエスコートする孫のように装う。「大丈夫、私がフォローするから。何処から見ても立派な地方の紳士だし、ルベットなら疑われないわよ」
 「だといいんだがね。」
狼の声も、風の音も、すべては町の城壁の外だ。人の気配に満ちた奇妙な夜の中、二人は、人ごみに紛れて大通りを渡っていった。



 翌朝、ユーフェミアが目を覚ました時、ルベットはもう居なくなっていた。宿の食堂でなにやら談義をかましている。
 「おお、ユーフェミア起きたか。紹介しよう」
ご機嫌なルベットは、丸テーブルを囲む若い学生たちを指した。「オッディの大学で植物学を専攻しとる学生諸君らしい。いやはや、彼らの話はとても興味深い」
学生たちは、ローグと同じくらいの年に見えた。早起きして何をしているかと思えば。ユーフェミアは呆れてしまった。
 「ちょっと…ルベット、目立っちゃ駄目じゃなかったの」
耳元で囁く。
 「あ、ああ… だが、久しぶりに同好の志に遭えたんだよ。」
<アスガルド>にもちょくちょく学者は来るが、ルベットと同じ植物学者はほとんど居ないし、居ても夏の間だけ滞在して、滅多に長居はしない。こうした専門家や好事家の類は、自分の好きなことを喋りだしたら止まらないのをユーフェミアは良く知っていた。
 「…話、長そうね。いいわ、ゆっくりしてて。私、町に出てくる」
宿を出ようとしたとき、何処からとも無くハーブの薫りがした。ルシアの台所で嗅いだのとよく似た甘い匂い。振り返ると、身なりのよい、背の高い男が通りを過ぎて行くところだった。何か気になる。―― だが、はっきりとは分からない。
 足早に大通りを横切り、クラウスの家のドアを叩くと、ルシアが顔を出した。
 「こんにちは、お邪魔します」
 「どうぞ。今、クラウスと話をしてるわ」
名前は出さなかったが、ローグのことだ。
 二階の病室で、ローグはベッドの向かいの椅子に腰を下ろしていた。クラウスは枕を重ね、そこに背をもたせかけている。今朝は少し顔色がいい。
 ユーフェミアを見ると、ローグは軽く頷いて、朝の挨拶らしきものをしてみせた。「ルベットは?」
 「植物学の学生さんを見つけたみたい。専門談義に花を咲かせてる」
 「まあ。この辺はオッディの大学に通う学生さんも多いから…。」
と、ルシア。「クラウスはそこの卒業生なの。ローグも将来は行くはずだったんだけど」
 「勉強なんざまっぴらだね。俺は性に合わない。」
 「でも、ローグ。跡取りは大学に行くものよ」
 「だから、そんなものはカイルに任せておけと言ったんだ。お勉強好きのカイルに」
声が大きくなっていたことに気づいて、ローグは口を閉ざした。クラウスは黙って、弟の表情を眺めている。
 「…あいつは何でも良く出来た。おやじもカイルのほうが気に入ってた」
 「カイルを憎いと思ったことは?」
と、クラウス。
 「あるさ、勿論な。――けど、そんなもの些細な話だ。あの時、俺は家出するつもりだったんだから」
 「家出?」
ルシアが驚きの声を上げる。クラウスは頷いた。「このことは誰も知らないはずだ。ゴッドフリーの容態が悪くなる前、こいつは私に相談してきた。大学へは行きたくない、跡継ぎの指名を外すかゴッドフリーが諦めてくれるまで、二・三年どこかへ旅に出たい、ってな」
その希望は、ゆがんだ方法で叶えられた。家出のための準備は人殺しの嫌疑をかけられての逃走経路となり、準備資金は逃亡生活に使われた。そして彼は未開の地<アスガルド>へと流れ着き、そこで九年の歳月を過ごすことになる。
 「ずっと考えていた。俺はカイルを”殺したいほど”憎んでいたのか? もしそうだったとしたら、その理由を知りたいと。だが、そんなものは無い。 ――第一、あいつは剣術の訓練でも俺より上だった。悔しいが、いくら丸腰でも、酔っ払った俺が怪我もせずにあいつを一撃で刺し殺せるとは思えない。」
ルシアは大きく目を見開いてクラウスのほうを見た。クラウスは、何か考え込んでいる。
 「…お前が剣を握っている自分に気がついたとき、体のどこにも怪我は無かったのか?」
 「ああ。服は血まみれだったが手は無傷だった。よく見たからな。逃げる時にどこかぶつけたかもしれないが、少なくとも大きな傷は無かった」
 「カイルは剣の一撃で殺されていたのか?」
 「……。」
ローグは顎に手を当てた。
 「正確に言うと、よく確かめたわけじゃない。そうだな、冷静に考えると、刺し口と武器の照合くらいはするべきだったよ。けど、何でそんなことを聞くんだ?」
クラウスは黙り込んでいる。代わりにルシアが、おずおずと口を開いた。
 「カイルは二箇所刺されていたからよ、ローグ。前から一突き。倒れ込んだところをろから背中に一撃。それが致命傷になったと…。カイルの体には、抵抗した跡があったそうよ。一撃目を食らったあと、相手に傷を負わせたはず。すぐに逃げ出してしまったあなたは、知らなかったのかもしれないけれど」
 「何だって?」
ローグは椅子から腰を浮かせた。
 「後ろから刺した? 酔っ払ってたのに、どうやって。それじゃ勢い余ってじゃなく、本気でカイルを殺すつもりだったことになる。あり得ない。」
 「そうだろうな。手紙のやり取りをする中で、私がもっとよくお前の話を聞いていれば良かったのかもしれない。お前は自分がやっていないかもしれないとは言わなかったし、恥ずかしい話だが、私もお前が無実だと考えてもみなかった。結局、二人とも信じ込んでいただけなのか――」
少しずつ、話が展開し始めた。今ようやく、疑惑が確信に変わろうとしている。ユーフェミアは、三人の話に割って入った。
 「他にカイルさんに恨みを抱く人はいなかったの?」
 「思いつかない。あいつは誰にでも好かれたし、何でも良く出来た。フロベールの家の跡取りだったが、殺して財産を横取りできる人間はいなかった。だから兄貴が養子に入ったんだし」
ローグが言うと、クラウスも続ける。
 「そうだな。だから誰もがローグを疑ってかかった。ろくな検証もなく、次の日には犯人が確定していたよ」
 「他の町の人や、遠い親戚も? ゴッドフリーさんのお葬式の後だったんでしょう。招待された人が大勢いたんじゃ」
 「カイルがローグを探しに出たことや、二人だけで居ることを知っていた人間なら、ごくごく身内に限られる。明確な殺意を持っていて、しかも意図的にローグに罪を着せたとなると、行きずりの犯行でもないだろう。」
 「…つまり、ローグじゃないとしても、犯人はよく知ってる人、ってこと…?」
それは、この家族にとってあまり愉快な結論とは思えなかった。一人が無罪放免になったとしても、別の一人が一族の不名誉として洗い出されるだけなのだ。
 だが、人はいつかは、真実と向き合わねばならない。


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