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<求めし者、その泉に映せば>


 休みを取りながら歩き続けて、次の日の昼前には<大樹>のふもとへたどり着いた。宿が見えるあたりで、ローグは姿を消した。たった数日というのに疲れは極限に達していて、ユーフェミアはすぐにも柔らかいベッドで眠りたい気分だったが、イザベルに状況を説明しないことには、そうもいかなさそうだった。
 イザベルは一行の帰りを待っていてくれた。何事もなかったわけではないにしろ、ひどい怪我もなく戻ってこれたことを喜び、後片付けは引き受けるから、と、ユーフェミアを自室へ追いやった。
 そして夕方まで眠り続けて、目が覚めた頃には、リリー・サーガとその息子は宿を引き払ってしまった後だった。
 「もう行ってしまったんですか? 休みもせず?」
夕食のとき、その話をホールで客たちに聞かされて、ユーフェミアは思わず声を上げた。「聞きたいことが沢山あったのに…。」
 「そうさ、おれたちも止めたんだがね。何か目的を果たせたらしく、一刻も早く戻りたいって。そりゃあ大した浮かれようだったもんさ」
 「息子がいるから平気だって馬借りてさ。今からじゃあ、どんなに急いだって町につくのは明日の午後だ。まあ、もう夏だし、それほど危なくもないんだろうがね。ああいった人たちの考えることは分からんよ」
宿泊客たちは、サインを貰い損ねた、などと暢気に話し合って、道中のことは心配していないらしい。宿の女あるじイザベルに聞くと、彼女も同じような返事だった。
 「うちに住み着いてる冒険者が数人で送っていったから、心配はいらないだろうよ。町までの往復代は出すと言っていたし」
 「止めなかったんですか?」
 「止める? どうして。本人が望むことだし、よっぽど馬鹿げた危険なことじゃなけりゃ、あたしはお客の行動にどうこう文句つけたりはしないよ」
 「でも…。」
ユーフェミアは俯いた。「あの人は、ご主人に復讐するために出て行ったんですよ。息子さんに殺させるつもりなんです。だから私…」
 「まあ、そんなことだろうと思ったよ。」
拭いていた食器を重ねながら、イザベルはこともなげに言った。「二十年前、って言ってたからね。二人で新婚旅行に来た時のことだと思ってた。」
 「イザベルさん…、…知っていたんですか?!」
イザベルは、ちょっと肩をすくめ、仕事をしている素振りで自然にユーフェミアから視線を逸らした。
 「隠していたわけじゃあないよ。ただ、確信が無かったんだ。若い二人が新婚旅行で此処へ来て、珍しい風景においたが過ぎて危険な遺跡に迷い込んだ。新郎は行方知れず、新婦は傷だらけで息も絶え絶えなのを通りかかった冒険者に見つけられ、ここへ運び込まれて…。そのくらいかね。覚えているのは。記憶なんて曖昧なもんさ… あの時の彼女は売れている真っ最中のお忍び旅行、本名だって名乗らなかった」
 「でも、一言言ってくれれば良かったのに。分かっていたのなら」
 「言ったところで、何も変わりはしなかったさ。彼女は自分の意思を貫き通す。あんたがついていようといまいとも。そして途中でローグに出会い、ローグが雇われて付いていくことになった… そうだろう?」
イザベルは、まるで見てきたように言う。確かにそうなのだ。リリーは誰にも止められなかった。何かを知っていたとしても、ユーフェミアはリリーを放っておけなかっただろう。結局のところ、彼女が変えられた運命は、何もない。ユーフェミアは口を尖らせ、カウンターの裏へ回った。
 そんな彼女の様子を見て、イザヴェルは小さく笑った。
 「礼を言っていたよ。誰かに知っておいてもらいたかったんだそうだ。自分の身に起きた悲劇のこと、これから自分が成し遂げようとしていることを。一部始終を見届けることは誰にも出来ないが、ありがとう、感謝している、と伝えて欲しいと言われた。」
 「私は何も…」
言いかけて、ユーフェミアはふいにあることを思い出した。


 ――愚か者は裏切り者の心臓食らいて
 地の果てに立つ



 「私は… 復讐が完遂されることを予言した」
ユーフェミアは己の言葉にぞっとした。リリーは知っていたのだ。居場所さえ分かれば、追い詰めることに失敗はないと。復讐者は今も、喜びに勇んで裏切り者の心臓めざし、世界の何処かを目指している。



 からんからん、とドアベルが連続して音を立てた。意気揚々として入ってきたのはルベット。それに、後ろからローグが続く。
 「あらルベット。それにローグ… 一体どうしたんだい」
 「よう、表で薬草を干しとったら珍しい顔を見つけたんでな。何やらもじもじしとったんで、連れてきたぞい」
ローグは、いつにも増してむっつりとした表情で俯いている。二人は並んでカウンターの席についた。ルベットからは、摘み立ての薬草の、ツンとした良い香りが漂ってくる。
 「わしはいつもの。ローグ、たまには飯でも食っていくか?」
 「俺は…いい」
 「遠慮せずに。たまには奢るぞ」
彼は答えず、何かをためらっている。ユーフェミアは、ローグが何か言いたげなのに気がついた。
 「リリーさんは、もう帰ったわ」
 「知ってる。昼間、町のほうへ向かうのを見た」
 「なんじゃい、昼から隠れとったんか。賞金稼ぎに追われとるのか?」
 「そうじゃない、……」
しばしの沈黙。
 「寝台に寝てた、あの人のこと?」
弾かれたように、ローグが顔を上げた。その目はいつになくギラギラとして、怖いほどだ。だが、正解だったようだ。彼は何かを”知って”しまったのだ。
 「一瞬だけ見えたわ、遺跡の泉で。あれは、あなたじゃなかった。――何を見たの? あそこで」
 「遺跡? 泉?」
ルベットは怪訝そうな顔をしている。ユーフェミアが答えた。
 「ロードゥルの遺跡には隠された庭があって、そこに濁った泉があったんです。泉っていうか、ただの水溜りみたいな…。満月の晩、そこを覗き込むと知りたいことが見えると、リリーさんは言っていました。リリーさんが立っている時は、旦那さんらしき人が映っていた。だけど、ローグさんが立つと…」
 「やめろ!」
ばん、とカウンターを叩く音でホールにいた人々が振り返る。だが、それも大した問題でないことが分かると、すぐにまた、自分たちの会話に戻っていった。
 「そんな泉があったとは。あの遺跡に限らんが、<アスガルド>にある人の暮らした痕跡については、まだほとんど調査が進んでおらんからな。…ローグ、ここへ来たのは、その話なのか?」
ローグはかすかに震えていた。ここでは無理だ。ユーフェミアは、そう判断した。
 「<協議の間>へ行きましょ。イザベルさん、ちょっと席を外します」
 「ああ、いいよ。行っといで。こっちは、あたしがやっとくから」
言いながら、イザベルはルベットについっと「いつもの」ホワイトラムのお湯割りを差し出した。ルベットはにかっと笑ってグラスを受け取り、陽気な足取りでホールの奥へ歩き出す。ローグは、いつにも増して陰鬱に見えた。近くにいるはずの黒い影の姿もなく、どこかに何かを置き忘れてきたかのようだった。



 波の音がこだまする。
 潮風の吹く絶壁に突き出した小さなテラス、<協議の間>は、小さな出入り口が一つあるだけで、そこを閉ざしてしまえば何処からも見ることは出来ず、聞き耳を立てても声が聞こえることはない。翼を持たぬいかなる動物も、外からそこへ侵入することは困難だ。
 宿の名前の由来となっている黄金のチェスの並ぶテーブルを前に、三人は思い思いの場所に陣取った。
 ルベットは、グラスを揺らしながら海を眺めている。ローグが話し出すのを待っているのだ。
 ユーフェミアは、ローグがためらいがちに口を開くのを見ていた。だが第一声は、ぞっとするほど冷酷に、彼は彼自身に宣告した。
 「――俺は親友を殺した」
声が風の音と交じり合い、木造りの天井に反響する。
 「それが始まりだ。町長の息子、兄弟同然に同じ家で育てられたあいつを、俺は殺した。カイル・フロベール… 賞金首の罪状には、そう書かれている。あの頃の俺は確かにどうかしていた。酒をしこたま飲んでいたのも確かだし、腹が立っていたのも事実だ。些細なことでカッとなりやすいたちだった。今でもそれは変わっちゃいない。だが…」
ぎこちなく、彼は自分の手を見る。
 「…この手であいつを殺した瞬間のことが、今でも思い出せない。ずっと考えていた。殺したいほど憎んだのか? そんなはずはない。俺なんかと違って出来のいいあいつになら、譲っても構わないとずっと思っていたはずだ。跡継ぎの地位も… 財産も… それから…」
 「待て待て、ローグ。話がわからん。お前が見たのは何なんだ。それとこれとが、どう関係する」
 「見たんだよ、俺がカイルを殺すところを。いや、」彼は首を振った。「――俺以外の誰かが、カイルを殺すところを、だ。」
ユーフェミアは絶句した。ローグは、親友の死と親友殺しの罪を背負って逃げ続けてきた。罪の瞬間を思い出せないまま、その瞬間を思い出したいと願いながら。…だから泉は映したのだ。思いがけずその瞬間を、彼の無実の証明とともに。
 「確かめたいんだ」
もはやローグの表情に迷いは無かった。
 「柄に飾り細工のある短剣。そいつは、その剣でカイルを刺した。俺が握ってた安物の剣じゃなく。どこかで見た覚えがあるんだ、微かに。見ればきっと思い出す。―― 俺と、俺の一族の不名誉を晴らしたい。それが出来なくても、せめて、あいつの仇をとってやりたい。」
 「それが本当なら、お前さんは無実だな、ローグ。賞金も取り下げられよう。だが酷い話だ、酔っ払って記憶もない者に罪をかぶせるなど。だが、どうする。まさか故郷に戻るとでも言うのか?」
ユーフェミアは、カーラの言葉を思い出した。 

 (この先、起きるべくして起こることを前に――わたしの力では、あの人を守れない)

そういうことか。
 この<アスガルド>の外では、誰もが「法律」という名の掟に縛られる。そこには霊も、ならずものも、竜もいない。あるのはただ、人間の作りし秩序だけ。
 「頼みがある。ルベット、ユーフェミア… あんたたちの力を借りたい。他に頼れる相手もいないしな。俺は捕えられるかもしれないが、その前にきっと、本当の下手人を探し出す。俺の代わりに、そいつを告発してくれ」
 「無茶だ、ローグ。確固たる証拠がなけりゃ、お前さんは無罪放免にはならんぞ。もう何年も経っとるんだし、証拠が見つかるとは限らん。それに… その賞金額じゃ、捕まれば直ぐに処刑される。」
ローグはからからと笑った。
 「死など、今更怖いものか! 俺は何度もここで死んできた。草っぱらで死ぬよりは、処刑台のほうが楽でいいだろうよ!」
ユーフェミアは首を振った。最初に諦めて、すべてを投げ打ってでも体当たりしようとする。それがローグの性格だ。
 「そんな頼みは聞けません。亡くなった方だって、敵討ちをしてもらっても、あなたが死んでしまっては喜ばないと思う」
 「そうだ、ユーフェミアの言うとおり。何か方法を考えよう。そうだ、わしらと一緒に行くというのはどうかな。じじいと孫二人、三人旅なら誰も怪しまんだろう。お前さんの故郷までは、無事、辿り付けるはずだぞ」
 「どのみち故郷では顔が割れてる。あんたたちも捕まっちまうぞ」
 「じゃ、あなたはどうやって捕まらずに犯人を探し出すつもりだったの」
ローグは言葉を詰まらせた。「…あの町には、兄貴がいるんだ。俺の無罪を信じてた。町を逃げ出してから数年は、手紙のやりとりもしていたし…。そこへ匿ってもらうつもりだった」
 「お兄さん?」
ユーフェミアの脳裏に、ローグに良く似た黒髪の、やせ細った若い男。
 「あの、病気で寝込んでいた人ね?」
 「……。」
 「もしかして、故郷へ帰りたいのは、それもあるの? お兄さんが死にそうだから?」
 「……。」
男は、視線を落とした。肯定も否定もしないが、その横顔は彼の心情を雄弁に物語っている。
 小柄な老人が近づいて、優しく彼の肩に手を置いた。
 「ローグ、お前さんをみすみす死なせたりはせん。出来る限り協力しよう。」
 「私もいくわ。はっきりと定められた未来なら、きっと見えるはず。それが―― 死であれ、生であれ」
”それに、カーラに頼まれたから。”言いかけて、ユーフェミアは言葉を隠した。ローグはまだ、自分に憑いた一族の守護女神のことを嫌っているかもしれない。それにこれから行く場所には、<アスガルド>で彼を守ってきたその力はあまり力を発揮しないのだ。今は言わないでおこう。
 かくて三人は未開地域をあとにして、人の定めし秩序ある世界へ、―― <アスガルド>の外へと、旅立つことになったのである。



 それはユーフェミアにとって骨の折れる仕事だった。何しろ五十年も<黄金のチェス亭>に住み着いて調査と研究ばかりしていた学者先生と、賞金をかけられて未開地域に九年も潜伏していた荒くれ者を、こちら側の事情に慣れた唯一の”常識人”として、目立たないよう導かなくてはならないからである。
 <アスガルド>から最も近いフランシェーロの町には、果ての海<エンド・ブルー>へ出る遊覧観光船の予約受付けをする宿があったり、未開地域の珍しい植物や鉱物を売りさばく未許可の露店、<アスガルド>半日観光ツアー護衛つき、なんて看板まで出されていて、人がごった返していた。その人ごみに紛れ、ユーフェミアは二人を先導していた。ルベットは何十年前のものだか分からない、擦り切れた一張羅を着込み、ローグはイザベルが貸してくれた古いローブを頭からすっぽり被っている。とはいえ早めに着替えなくてはならない。夏には、観光客だけではなく賞金稼ぎの類も、この町に集まってきているはずなのだ。
 「ここにしましょ。去年、泊まったことがある宿なの」
ユーフェミアが選んだのは、裏路地に面した古びた宿だった。夏の観光客にごったがえす中でも空いていて、ちょっとした穴場になっている。
 一行は、祖父と孫二人の夏休み旅行という名目で一部屋を借りた。通りに面した悪くはない部屋だった。ただし、ベッドは硬い板に毛布を敷いただけのもの。<黄金のチェス亭>のベッドほうが、はるかに寝心地は良いだろう。
 荷物を置くとすぐ、ユーフェミアは行動にかかった。ぐずぐずしていると賞金稼ぎに嗅ぎ付けられるかもしれない。なるべく早く、この町を離れたほうがいい。
 「私、長距離列車の切符と着替えを買ってくるね。二人はその間にシャワー浴びてて」
 「…シャワー?」
 「あ、変な意味じゃないのよ。二人とも、汚いんだもの! せっかく綺麗な格好するんだから、人並みに洗わなきゃ。それと!」
ユーフェミアは、ローグに指を突きつけた。
 「その髪。切ったほうがいいわよ」
 「……。」
ばたん、とドアが勢いよく閉まり、ユーフェミアが駆けていく軽快な足音が遠ざかる。
 「あいつ、楽しそうだな。」
 「ふむ。まあ、そのほうが道中、明るくていいじゃないか。」
言って、ルベットは部屋の洗面台に設置された鏡で自分の顔をしげしげと眺めた。「…ふむ。老いたものだなあ。最後に自分の顔を見たのは、何十年前か」
 「ルベット、あんた本当は偉い学者なんだろう? ユーフェミアが言っていた。トランデル博士…とか。」
 「ああ、そうとも。ランデル・ベルナール・エル・トランデル、これがわしのこっち側での名前だ。お前さんはユーフェミアと一緒にわしの孫のふりをして列車に乗るんだから、ちゃんと覚えといておくれよ。」
 「へいへい」
ローグは、ベッドに横たわり、天井を見上げた。靴は履いたまま、剣もすぐ側に立てかけてある。いつ襲撃されても平気なように。これが、彼が逃亡の中で身に着けた習慣だった。
 洗面所のほうからごぽごぽと音がする。ルベットが顔を洗い、髭を整えているのだ。
 「なあ、――あんた、何で<アスガルド>に住み着いたんだ? 研究のためか?」
 「無論、そうだとも。日々新しい発見のある、刺激的な研究フィールドで暮らすなんぞ、学者の夢じゃないか。狭い大学で講義なんぞやって、公演に出て、雑用で日々の半分を奪われるのは我慢のならん話だ。ことに、わしのようなタチの学者にはな」
 「そんなもんなのかね。」
だが、<アスガルド>には、人によって合うとか合わないがあるのは確かだった。その土地と合うものは何度でも引き寄せられ、合わない者は二度と訪れることはない。<アスガルド>に、というより、<黄金のチェス亭>に、と言うべきか。そこに溜まっている連中にはみな、どこか似たような魂を感じる。初めて訪れた者は、訪れた瞬間に長居をするか直ぐに居なくなってしまうかが嗅ぎ取れる。
 あの土地には、人を引き寄せる何かがある。その何かに魅入られた者だけが、<アスガルド>に適合するのだ。



 数時間後、戻ってきたユーフェミアは、大量の荷物を抱えていた。
 「はい、着替え着替え! こっちがルベットのね。こっちがローグ…あ、まだ髪切ってない! もう、駄目でしょ」
ルベットは、品のよい老紳士風のシャツと上着を手に取った。ご丁寧にステッキとネクタイピンもセットだ。ローグは自分に割り当てられたラフなジャケットとTシャツにしかめ面している。
 「こんなもの着ろっていうのか」
 「今風でしょ? いつものボロボロのマントなんかは全部置いていくの。駅にロッカーがあるから。剣は… 置いていくの嫌だと思って、はい。これ」
差し出されたのは、釣具入れ。
 「…釣り…。」
 「何か問題が?」
 「いや、…まあ、いい」
 「それじゃあ着替えて。すぐに!」
ユーフェミアの命令には、逆らえなかった。しぶしぶといった体で、ローグは身支度を整えた。これが、こちら側の衣裳なのだ。仕方がない。
 着替え終わったところで、ユーフェミアが彼の、伸びすぎてボサボサの髪を切って整えた。慣れた手つきだ。
 「いつも弟たちの髪を切ってたから。さあ、これで、ちょっと整えれば… あら」
鏡に映し出されたローグの姿は、前とは似ても似つかない、まるで別人のような好青年だった。鋭すぎる目を除けば、若い会社員か、大学院生あたりに見える。賞金首だなどと誰も思うまい。これにはユーフェミアも、ルベットも驚いた。
 「念のため買ってきたけど、これ、案外役に立つかも」
そう言って、ユーフェミアは黒ブチのめがねを仕上げにローグの鼻の上に載せた。
 「カンペキ」
ローグ本人は、かなり居心地が悪そうだ。
 「まるで羽根を毟られたガチョウだな。帷子も剣も手甲もなし、おまけに体中石鹸の臭いで、気分が悪い」
 「そのうち慣れるわよ。昔は、そういう生活だったはずでしょ?」
言いながら、ユーフェミアは脱ぎ捨てられた襤褸と床に散らばった髪を片付けにかかった。ローグは不機嫌そうに部屋の中をうろうろしている。
 「そうだ。ローグって呼ぶのはまずいから… フェンリスって呼んでもいいかしら。下の弟の名前」
 「好きにしろ」
 「フェンリスか。ふむ」
こざっぱりとした老紳士へと変貌したルベットは、真新しいステッキを片手に下げ、ユーフェミアが持ち帰った列車の時刻表を見ている。
 ローグの故郷であるラウネース地方までは、ここから長距離列車で五日ほどかかる。半島を横断し、島々の間を貫く幾多の橋を越え、巨大な山脈を迂回したその先。列車は多くの乗客と荷物を載せ、途中駅で何度か停車しながら走り続ける。向こうで何日時間を要するか分からないが、戻ってくる頃には<アスガルド>の夏は半ばを過ぎているだろう。


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