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第十九話 シヌヘの物語
−後編・シヌヘ国へ帰る−
時は流れ。子供たちは成人し、シヌヘもだいぶ歳とって来ました。
この時代、平均寿命短いですからねぇ。30歳後半にもなれば、もう死に際って感じです。シヌヘはこのとき、妻の父である族長アンミ・エンシのもとで軍の指揮官などしていたのですが、彼に逆らう者などもいたわけで。
反逆者「一騎打ちだ!!」
いや、なんていうかソレ、違う話のような気が…。命と財産かけて男どうしで一騎打ちって、騎士文学とかの世界じゃないんですか? 何を熱くなってるんでしょぅか。しかもシヌヘは子持ちのジジイですよ。
ふつうなら、シヌヘ負けますよね。
たぶん、本当は逃げ出したくて恐ろしくてブルブル震えてたと思うんですよ、この人。でも、そんなこと書かない。これは、あくまで自伝的文学だから。国から逃亡した理由を書かなかったのと同じく、戦った時の状況も自分に都合のいいように書きます。
そう、ここでの彼は、身の程知らずにも自分に向かってくる青二才に対して、哀れみさえ抱き、手加減してやる素敵な紳士。
アンミ・エンシ「大丈夫なのか。お前は勝てるのか」
シヌヘ「どうということはありません。きゃつめは、この私への嫉妬から向かってくるのでしょう。所詮は身分の低い取るに足りない者です。私の敵ではありません。」
…けっこうムチャクチャ言ってます。(原文はもっと無茶です。)自信満々。
その晩、シヌヘは念入りに武器を調え、翌日の決闘を待ちました。
さて次の朝。いよいよ戦いの時です。人々が見守る中、決戦開始。挑戦者が弓を射て来ますが、シヌヘはヒョイヒョイと避けていきます。シヌヘ強い!
挑戦者「なっ…バカな、このオレの技が?!」
シヌヘ「(ふ、と笑う)見切った!」
ちゃきっ、と弓を構えるシヌヘ。
シヌヘ「遅い…これで最後だ!!」
挑戦者「うっ、うああっ」
ざ し ゅ っ
矢に貫かれ、倒れたとこを、斧でトドメ。
挑戦者「く…ば、馬鹿な…この、オレが……」(スローモーションで倒れる)
どさ。
この華々しい勝利に、見守っていた人々が口々にシヌヘを讃え、どよめき続ける中、シヌヘは、そこの国の神様そっちのけで、捨ててきたはずの故国・エジプトの戦の神、モントゥに感謝していました。(オイオイ)
そう、第12王朝ってのはテーベ出身の王たちが築いた王朝なので、シヌヘが崇めてた神様ってのも、テーベの神なんです。
シヌヘは異国人の奥さんもらって、そこで暮らしていましたが、改宗したわけではないんです。それって夫婦の間ではどうだったのよ? って気もいたしますが。
倒された挑戦者の財産も得て、さらに裕福になったシヌヘは、族長アンミ・エンシから新たに信頼と賞賛を勝ち得て、何不自由もないはずの暮らしを再開しますが、しかし。
彼は、こう思っていました。
かつて神の怒りによって追放された身だけれど、この戦いに勝てたのは神のおかげ。神は、こんな異国にいる者にまで、救いをもたらしてくれるのだ。
ならばこれは、故郷に帰ってもいいということなのか。
帰ろう。懐かしい故郷へ。そこが…私のいるべき場所…。
て、いうか、何勝手にホームシックになってんでしょうか。もぅいきなりです。実は奥さんと何かあったんじゃないんでしょうか。
帰りたくなったシヌヘは、現在の王、センウセルトにお手紙を書きます。「帰国しても、いいですか?」
王様からの返事は、こう。「いいだろう。お前ももう歳だし、戻って来い。そっちには、ミイラにして埋葬する習慣も無い。国外で死ぬのは辛いだろう。」
…まぁそうですよね、確かに。葬儀の習慣が違うってのは、たとえば日本人がアンデスに移住して鳥葬(木につるして鳥に食われる)にされるとか、考えてみれば良く分かるかと。現地の人はいいかもしれないですが、日本人からすれば違和感ありまくり。
シヌヘは感動して、さらに返事を出しました。
「ラーが愛し、テーベの神モントゥが寵愛する者よ。(※この時代は、まだアメンよりモントゥのほうが高いようだ)
両国の玉座の主アメン、セベク、ラー、ホルス、ハトホル、アトゥムとその九柱神、ソプドゥ、ネフェルバウ、セムセルー、東のホルス、ブートの女主人(ウアジェト)、ハピと精霊たち、砂漠に住むミン・ホルス、プントの女主人ウレルト(ハトホル)、ヌト、ホル・ウル・ラー(ハロエリス)、その他、エジプトと大洋の神々の祝福があらんことを。
<中略>
私のいるシリアはいうまでもなく、人々はあなたさまの犬として、あなたのものなのです。
私は逃亡を計画したのではありません、まるで夢でも見ていたようです。どうして国の外に出てしまったのか、わからないのです。」
敢えて原文に近いセリフで書いてみました(笑)
シヌヘよ。貴君にはプライドとか信念とかいうものは無いものか。
わたしは家出した犬です。家に帰りたいのです。ってか。^^;
この人は一体、何を考えて言い分けしてるんだろうとか疑問に思いますが。
それにしても不思議じゃないですか、エジプト万神殿の主神の名前にアメン、ラー、ホルスと並んで、セベク入ってますよ。ここらへん、組み合わせから察するに上エジプトの神様ばかりなんですよね。
文官のはずなのに、何で、トトが居ないんだろう…。
+++
さて、こうして、エジプトに戻ってきたシヌヘ。勝手に逃亡していたくせに、王様の前に出てもなんも言い訳出てきません。相変わらず、弁舌のたたない男です。ただ震えているだけ。
そんな彼を見て、王妃や王の息子たちは、「誰ですかコレは。異国のカッコウしてますけど、本当にシヌヘなんですか?」と、疑い口調。王だけは、「いや、これはシヌヘだ。間違いない」と、言っています。
廷臣に復帰したシヌヘに与えられた役割は、王の礼装の世話。死ぬ時にはピラミッドまで用意してもらい、結局は幸せに故郷で一生を終えた模様。
奥さんと息子を置いてきたところからして、彼らは、エジプト宗教では無かったのでしょう。家族に愛想つかされて、他に帰るところが無かったんじゃないのか、という疑問も残りますが、真実は時のかなた。
そもそもこの人、本当に何が原因で国を出たんだろ?
死ぬまで口を割らなかったシヌヘですが、なんとか聞き出してみたいモンですね。
おしまい。
【ワンポイント】
「シヌヘ」として知られているこの人物の名前の読み方は、実はちょっと前までまちまちだった。
「サヌヘ」とか、「サヘネト」とか、色々〜に読まれた挙句、結局「シヌヘでいいんじゃない?」と、まとまったのです。
ちなみにシヌヘは、つづりの上では「サァ・ヘネト」、ヘネト女神の息子、という意味です。ヘネトはシカモア・イチジクの樹の女神のことで、ハトホル女神の分身と考えられています。
以上、ワンポイントでした。
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