この「死者の書」は、古代エジプト宗教の中核をなす「死後の世界」と「永遠の園での生活」、「現世への復活」をあらわす、膨大だが詳細で、おそらく他に類を見ない、人々の心の信仰の記録だと思う。
しかし、その表現形式は独特で、読んですぐに分かるものではない。当時特有の常識も練りこまれている。
すべての時代に共通かどうかは分からないが、ひとまずここに、基本的な「古代エジプト人の死生観」というべきものを記してみたいと思う。
まず、
【古代エジプト人にとって、死は新たな人生へのはじまりであった。】
と、いうことが挙げられる。死は消滅ではない。眠りではない。再生そのものではない。
死んだあと、死者たちは自らの心臓と真実の羽根を天秤に載せる審判を受け、秤のつりあった「声正しきもの」は永遠の楽園にて暮らすことを許され、悪しき行いをした者は、その心臓を、「死者を喰らうもの」アメミットに、食べられてしまう。
しかし心臓は魂ではない。
心臓を失った者が消滅するかというと、そうではない。心臓をなくすことは、死者の楽園に復活できなくなること、を意味している。
「死者の楽園で、第二の人生を歩めなくなること」を意味するのであり、現世に復活するのではないのだ。
それでも中王国以前は、死者は、実際に現世に蘇ると信じられていたようだ。
だが、死者の蘇り信仰が始まってから千年も過ぎようとする頃、人々は、過去の誰も、蘇ってこないことに気がついた。
戦乱の時代を迎えると、荒廃した国土を救うために王たちが蘇らないのを不満に思う民衆も現れた。
そこで生まれた新たな解釈が、「死者は死者の楽園で生きる」と、いうものだったのだ。
このとき、生者と死者の世界は観念の中で完全に分かたれたのだろう。
かつて、復活を許されていたのは「王たち」だけだった。
エジプト神話において、死から復活するのは神々の王オシリスである。死することは、このオシリスと一体化することであり、一度死してからまた復活するというのは、オシリスの復活をなぞることであった。
神話によれば、エジプトで最初のミイラはオシリス神、ミイラを作ったのはアヌビス神である。
ここでは神話と歴史が同じものとして扱われている。
過去にあったことは現在でも起こるだろう、オシリスが復活したように、王たちもまた、蘇ることが出来るだろう…。
ミイラには、そのような願いがこめられていた。
そして、この神話になぞらえるために、蘇ることが出来るのは、王と、王にも比する権力を有した者たちに限定されていた。
しかし、新たな信仰では、貴賎の区別なく「正直者は」、冥界で蘇り、幸せに暮らせる。
そこで人々は、こぞって「オシリス神のいる世界」で生きたい、と願うようになったのだった。
こうして、「死者の書」が一般むけに売られ、ミイラ職人が「あなたの身内をミイラにするには、豪華Aコースですか。格安Bコースですか。」と、尋ねる時代が到来する。冥界産業革命である。(笑)
ただのお供え物や復活した時の準備ではなく、死者の楽園へ持っていくため、生前好きだったものを墓に持ち込む習慣も、こうして生まれたのだろう。
そして、墓の壁面には死者の審判で、神々に好印象を持っていただくため、生前に成した「良いこと」がビッシリ。
これが、現在我々の知る、エジプトの墓美術である。
ただし、このように信仰が変化したあとも、まだ、「ミイラにし、復活することがオシリス神話のなぞり」である意味は失われていない。
オシリス神話をなぞる、ということから、さらには「復活の力を持つオシリスと一体化する」に変わり、死せる者は戒名よろしく「オシリス・○○」と、いう名前で呼ばれるようになっていった。
神々との融合は、人が神になることを意味している。
仏教で、死んだ人間が「ほとけさま」と呼ばれるのとニュアンスは同じだろう。死んだ偉大な人間は、時として、神として祀られることさえあったという。
古代エジプトの人々にとって、死はあらたな人生のはじまり、神々との融合。
好きなもの持って行き放題、「死者の書」で呪文を装備しておけば、召使を召喚するなど、色んな魔法が使えてしまう。
正直に生きれば、こんなすばらしい楽園へいけるとは。砂漠の気候が厳しくったって、人生多少辛くったって、笑って生きられると思う。
オシリス信仰が人気高かった理由も、分るというものだ。