【エジプト限定】オーパーツコレクション
エジプトマニアの間では笑い話として使われるトンデモネタに、「古代エジプトの神殿にヘリコプターが描かれている」というものがある。
見た目がそれなりに整っており、それなりにエジプトの知識がないと反論が難しいため、エジプト関係の「オーパーツ」の中でも厄介なものなのだが、もちろんココでネタにされているからは衝撃のオチが待っている。期待してもらいたい。(オイ)
まずは写真を見ていただこう。
※ちなみに、現物は文字の部分を掘り込んである。この写真では文字の部分が出っ張っている。つまり凹凸が逆。
この写真は世界中に広まっているものだが、現物の写真ではない。おそらく、柱からシリコン等でとった型と思われる。
世の中の大半の人には、なんの変哲もないヒエログリフの文章に見えるはずの部分である。
どこにヘリコプターがいるのかって? しょうがないな…じゃあちょっと矢印でも…。
ココ。
言われてみればヘリコプターに見えてきた? マジですか。
んじゃこれでどうだろう。
アレ? なんか文字重なってるだけで、見覚えあるよコレ、読めそうジャン?
そう。基本的なヒエログリフ文字を見た覚えのある人ならピンとくるだろうが、これ、文字の端っこが繋がって、たまたま「無理やりヘリコプターに見ようと思えば見えなくも無い」カタチになっているだけなのである。
さすがに写真判定で二重になった文字をスラスラ読み解くほど私は賢くない。だが、ある程度のところは分かる。こちらのサイトで文章が分離されているのを見ると、後から書かれたと思われるラメセス2世の碑文は「ニ女神のひとり(九つの外国を打ち倒す)」と読めるようだ。
ニ女神というのは上エジプトの守護女神ネクベト、下エジプトの守護女神ウアジェトのニ柱を指し、ともに王の守護者である。また「九つの外国」(縦線九本であらわされている)とは、古代エジプトでは「九」という数字は「全て」を意味することから、「諸外国全てを打ち倒し平定した」という意味だろう。エジプト王国時代最大の領土を築いた王たちへの賛辞として、王名の前に持ってくるには自然な内容となっている。
我々日本人も、西欧の人からすれば面妖で複雑な文字を使用している。
だが、その文字を文字と認識してもらえず絵として認識されるのは悲しいことだ。
もしも上記のようなカン違いが日本語に対して行われたら、どう思うだろう?
この例を見て欲しい。
日本語である。それは見て分かる。だが、何か書き損じたような跡がある。
書かれているのは「ぱんつ干した。」…まぁ、あんまりうまい例が思いつかなかったので、多少バカな文章なのはお許しいただきたい。
「つ」の字の位置がずれ、「干」の漢字を書き直したときに縦棒の一部が消えずに残ってしまっている。
ただそれだけのことで、日本語以外の何者でもない。
コレを、日本語に慣れていない外国人が見て以下のように解釈したとする。
「つまりコレは! 日本人のヘビ信仰をあらわしているものなのだよ!!
鳥居とは”鳥のいる場所”いう意味である。ヘビはその鳥居を見ている。
と、いうことは、日本の神社では、
神聖なるヘビに鳥をささげる儀式が行われているに違いない!!」
<こう解釈した>
……文字と絵の区別くらい、つけようよ。
「古代エジプトの神殿にヘリコプターが描かれている」と主張したばかりか、「だから古代エジプトには飛行機械があったんだよ!!!!」などと言い出すのは、これと同レベルのギャグなのだ。
君はキバヤシか。
私などよりヒエログリフを見慣れておりスラスラ読むことが出来るであろう学者には、この梁の文字が飛行機やヘリコプターに見えることはないだろう。日本人にとって、悪筆だろうが、二重に重なっていようが、日本語は日本語にしか見えないのと同じことである。
ところで、この神殿はアビドスにある「セティ一世の葬祭殿」である。
セティ一世は、紀元前1300年ごろ、第十九王朝に即位した王で、かの有名なラメセス二世の父。
セティ一世は神殿が完成する前に亡くなってしまったため、息子のラメセス二世が後を継いで完成させた。
改めて、問題となっている梁の文字を見てみる。
…ちょうど王名の部分じゃないか。
古代エジプトでは、王が代替わりした際、神殿に書いてある文章の名前の部分を変更するのは一般的だった。代替わりしなくても、ハトシェプストやアクエンアテンのように、異端の王や政敵を持っていた王は、後の時代に名前を抹消され、そこだけ書き換えられることがあったし、墓や棺の場合、流用のために持ち主の名前が削られて入れ替えられることもあった。
つまり、「持ちぬしの名前のリテイクは前例がないほど珍しいことではない」のである。
文字が二重になっていること、書き損じのような痕があることは、このようにして説明がつく。
また、文字が掘り込まれているのは神殿の梁なので土台は石である。
神殿の柱は彩色のため上から漆喰を塗りつけることが多い。王名の部分も、漆喰を塗って上から掘りなおしたのではないか。
その漆喰も、長年のうちに風化していく。すると、漆喰の下に隠れていたもともとの名前が浮き出して、リテイクのため分厚く塗った漆喰の上から描かれている新しい王名より目立ってしまう。
そうすると何千年か後には、このような二重の文章として浮き上がってくるはずだ。
セティ王だって、ラメセス王だって、まさか何千年もあとに、自分たちの肩書きを記した部分が、ヘリだのホバークラフトだの言われるハメになるとは想像もしていなかっただろうなぁ…。
★現地確認。
図にある黄色いレンガの部分はほとんど残っていない。
荒涼とした砂漠に神殿だけが建っている。
神殿の見取り図の中位置を示した。柱の位置は、入り口に近い、天井の横梁。入り口側からではなく、右手の壁側から梁の横面を見ると発見できる。
入り口に近い天井上なので、神殿から出ようとする時にちょうど目に入る。神殿の保存状態のよさ(オム・セティの功績?
^^)と規模に感動して、興奮しながら帰ろうとすると頭上にあったりするわけですね。最初にこれをヘリコプターだと言い出した人は、ちょっとした興奮状態にあって見間違えたのかもね!
カメラの拡大率が足りないので、やや遠くから。(↓クリックすると全体図)
写真の左、光の当たっている方向に神殿の入り口。
ちなみに、この、「ヘリコプターに見える文字」のある柱のウラ。入り口の東から西方向に撮ってます。
(↓クリックすると全体図)
裏側も王名とその周辺の文字がダブっています。
ヘリコプターだといわれた部分以外にも文字のダブりが見られます。もしかして、この柱まるまる一本、突貫で文字の書き直しをやったんじゃ?
他のセティとラメセスのお名前部分もダブっているのだから、問題となっている部分だけ特別ではないことは明らか。たまたまヘリコプターやらミサイルやらに見えた「都合のいい部分」だけに注目して、他の部分は都合のいいカタチに見えないから無視っていうのもなあ。
なんていうか、オーパーツって呼ばれているものって、現地で実物を見るとオーパーツと呼ぶ意味が分からないものが多いようです…。
ダメおし
テーベ西岸のラメセウムの柱にもどっかで見たよーなお名前が。なんだ。まったくおんなじレイアウトが他の神殿にも使われてるんじゃないですか。文字が二重になってないだけで。柱に建造者の名前を書くのは、この時代には一般的であったらしい。(というか、この王朝の王様が自己顕示欲が強かっただけかもしれない)
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余談だが、一番最初にこのアビドスの梁についての話を載せようと思ったのは 浅川嘉富ホームページ というサイトを見て愕然としたからである。こ、これで公演やったり本出したり出来るのか。
「自己写真と記事でこのオーパーツが発表されるのは、我が国では初めてである。◆」ってネタを振られたから、ちょっと本気で対抗してみたよ!(笑)
この人は古代エジプトについてずいぶん自信たっぷりに書いているようだが、なんのことはない。
ヒエログリフは読めないし、読む気もない
たとえば、アビドスのセティ葬祭殿について書かれたのと同じページでは、何の変哲もないアヒルの文字について、この人は「不思議な生物」と書いている。これは恥ずかしい。日本語の「月」という字をハシゴの絵と勘違いしているくらい恥ずかしい。
幾らなんでも知識がないとかそういうレベルじゃないだろ。つか、金とって公演するくらいの活動してんだから、基礎知識くらい持って欲しいよ、おいちゃん…。
陰口イクナイ! とか思うだろ。違うんだよ。
私は昔、これについてメールを何通か送ったことがある。マジで。
文字は前後の繋がりで意味をなすものであり、文字ひとつ取り出して、なんのカタチに見えるかで論ずるなど馬鹿げた話だ。エジプトについて語るなら、せめて「はじめてのヒエログリフ」くらい読め。その文字は「恐怖」を意味し、文章の意味として「あらゆる恐怖が諸外国中にある。」と書いてあるんだと。
だが、良い反応はなかった。「ヒエログリフが文字である」ということすら理解できなかったのかもしれない。
わざわざエジプトまで出かけて行って写真を撮って来た行動力と熱意自体は素晴らしいと思う。だが、自己愛のみで行われる学術探求は、時として他者に苛立ちを覚えさせる。そこには古代文明への愛も、敬意も存在しない。あるのは利己的な欲望のみである。
このような悪しき広報に手を貸す人がいるのだから、その人が古代エジプト研究者に対して振り上げた無礼な腕で、その人自身を殴り返してみるのも面白いンじゃないか。と思って、こういうページを作ってみたわけだ。
ついでなので、上記ホームページで、この梁の文字について記載されている部分を引用する。
『それにしても、このような近代兵器の模写としか思えない絵柄が、なにゆえセティー1世の葬祭殿に刻まれているのだろうか?一部の学者は「石の表面が風化によって浸食され、偶然奇妙な形に見えるだけだろう」と、述べている。
しかし、梁(はり)の左端に描かれた鳥の絵柄を見ると、そのような説がいかに馬鹿げたものであるかがわかる。何故学者はこれだけの遺物が存在しているというのに、詳しい調査をしようとしないのだろうか?』
詳しい調査も何も、文字だから文字として読んで意味を理解すればいい話であり、そもそもヒエログリフに慣れていればヘリコプターになんぞ見えないから。と、いうのが返答であろう。
「鳥の絵柄」といわれているものは、ガチョウのことか。「サァ」=息子 という意味の文字である。
王の名前には、ふつう、「サァ・ラー」=ラー神の息子 という形容詞が添えられる。
書き直し前のセティ1世も、書き直し後のラメセス2世も、ともに王なのだから、定型文である「ラーの息子」の部分は書き直す必要がない。
もう一度、問題の梁の文字を見てほしい。
鳥の部分だけではない。カルトゥーシュ、「上下エジプトの王」など、王の称号に関する部分は書き直されていないため、ダブっていない。(カルトゥーシュ内の王名は除く)
しかも、漆喰を塗って彩色している梁の下面と同じ単語だし。
それに、「画面が風化した」といったって、全体が均等に風化するわけではないだろう。
リテイクされて掘り込みが深くなった部分、上から漆喰を塗って書き直した部分もあるだろうし、過去に神殿の修復があったなら、修復前の状態にもよる。
エジプト学者だって、私のようなただのエジプト好きだって、真摯に聞けば普通はまじめに答える。聞きもしないで(というか私をはじめ何人ものエジプト好きのメールを無視してきただろう立場で)、「学者は調査をしない」なんて、ずいぶんな言い草である。
ちなみに、この「アビドス神殿のヘリコプター」が最初にWeb上で発表され広まり始めたとき、梁の文字は画像の修正がなされ、もっとヘリコプターやホバークラフトに見える形にされていた。
自らの説を証明したいがために事実すら曲げ、写真を改造した悪意ある人物がいたのだろう。
しかし、文字は文字にしか見えない。