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ミイラの語り方


日本語;ミイラ 中国語;木乃伊 英語;mummy


2008/1/8 追記


ミイラ、という言葉の語源は何だろうか? −−そんな疑問を持ったことは無いだろうか。
「ミイラというのは、没薬(ミルラ)から来た言葉だ」「いや、実は瀝青(ムンミヤ)から来た言葉だ」、主要なものだけで二つの説がある。
どっちやねん。と思うかもしれないが、結論から書いておくと、

1・英語の「マミー(mummy)」やフランス語の「モミイ(momie)」など欧米での名称は、アラビア語の「ムンミヤ(muumiyah)=瀝青」から来ている。
2・日本でも、初期にはオランダ語で「瀝青」を意味する「モミイ」という名前で乾燥遺体を呼んでいた。「ミイラ」とは、現在では「ミルラ」と呼ばれている香料(ゴム樹脂)のことを指す名前だった。
3.しかし、その2つがどこかの段階でごっちゃになり、「モミイ」と呼ばれていた乾燥遺体を「ミイラ」と呼ぶようになってしまった。「ミイラ」と呼ばれていた没薬は「ミルラ」に変わった。
4.たまたま、カタカナ表記だとミイラとミルラが一文字しか違わなかった。
5・よって、世界中で日本だけが、ミルラと乾燥遺体を混同し、いつのまにか同じものとして認識するようになってしまった。

本来は瀝青を意味する「ムンミヤ」が語源だったが、カタカナで書いたらミイラとミルラが良く似ていた為、没薬「ミルラ」が語源だったと勘違いしてしまった。

ミイラの語源はミルラだと信じている人は多い(ネット上でも大半を占める)が、「乾燥遺体」としてのミイラ自体の語源は薬として使われていたムンミヤなので、その解釈は日本でしか通用しない。というわけだ。

英語でも、その他の言語でも、エジプトの乾燥遺体はミイラとは発音されない。「ミイラ」という言葉自体が和製語なのだから、ミイラとミルラがよく似ているからといって、ミイラの語源がミルラなワケがない。※1
ネタバレしてしまうと、何だかつまらないほど単純な話だったりする。

とはいえ、誤解の発端は江戸時代なので、とかく何百年も定着している根深いカン違いなのである。

まずは出発点から、順を追って辿ってみよう。

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

実際にミイラを作った人々――古代エジプト人は、ミイラのことを「サァエフ(サフ)」と、呼んでいたようである。この単語の意味は「高貴なるもの」。祝福された使者が、死後に変化する、永遠を生きる魂としての名前である。

だが、古代エジプト語が死語になり、エジプトでアラビア語が使われるようになるにつれ、「サアエフ」という言葉は消えた。おそらく、ミイラ作りの真意も忘れ去られていったのだろう。

そののち、エジプトの死者たちとは全く関係ないところで、中世アラビアの医師は、ペルシアのダラブジェルト地方の山から取れる、黒い岩塩アスファルト(アラビア語でムンミヤ、またはムミヤ…mummia)を、様々な治療に使用するようになっていた。

時は流れ、12世紀。
ちょうど十字軍の全盛期、キリスト教世界とイスラム教世界が交わり、多くのヨーロッパ人が中東を行き来するようになった頃のことである。
遠征していった人々は、この「ムンミヤ」に触れ、効能を知った。異国で傷ついた騎士が、ユダヤ人医師にムンミヤを処方され、効果絶大として故郷に帰ってから広めた例もあるようだ。

この頃、アラビア語の医学書を翻訳する試みが行われていたが、当時は、アラビア語を翻訳する知識を持つ者が殆ど無かった。万能薬とされた「ムンミヤ」の正体を、正確に訳せる者が居なかったのである。
そこへ、12世紀の翻訳家―"クレモナのジェラルド"氏が登場する。博識な彼は、エジプトのミイラに瀝青が使われていたことを読み知っており、ムンミヤを、「人の死体(エジプトミイラ)と、死体に塗られた沈香が化合して出来た物質のこと」と解釈した。

(他にも、エジプトに入ったアラブ人が、黒ずんだミイラの遺体を見て「遺体の防腐処理にアスファルトを塗りつけている」と勘違いし、ミイラを薬効のある瀝青の代用品として使ったのが始まりではないか、といった説がある)

ムンミヤというのは防腐処理を施されたエジプトミイラから取れる物質だという誤解が広まったのは、こうした、間違った解釈からであった。ロンドン、パリ、ヴェネツィアなどの薬屋は、こぞって、「ミイラ薬」をアラビアの奇蹟の薬「ムミヤ」だと信じ込んで、売り始めることとなり、「ミイラとりがミイラになる」という現象が発生した。また、高値で取引されるミイラを売って一攫千金を狙う為、自殺者や処刑された犯罪者の遺体で偽ミイラを作ったり、墓を暴いたりといったおぞましい行為も生されるになった。

こうした熱狂の中、MumiyaがMummy(ミイラ薬)という言葉に変わり、やがては、エジプトの乾燥死体そのものが「Mummy(マミー)」と、呼ばれるようになったのである。

【参考文献:ミイラはなぜ魅力的か ヘザー・プリングル 早川書房】


言葉の変化

アラビア語…muumiyah(ムーミヤー) 瀝青 ミイラ
 ↓
中期ラテン語…mumia ムミヤ 粉末のミイラ
 ↓
中期フランス語…momie
 ↓
中期英語…mummie 薬として使われたミイラの粉末
 ↓
英語…mummy(マミー) ミイラ


だが、この話の経緯から分かるように、エジプトミイラに薬効などない。アラビアの医師が用いた「ムンミヤ」とは違って、自己暗示で「効く」と思い込んで飲む偽薬の類だった。

しかも、エジプトのミイラに防腐剤として瀝青が検出されるのはギリシア・ローマ時代のミイラからで、それ以前はミルラや、クスノキから取れる油、ビャクシンの樹脂…など植物の成分が混じりあったものが、遺体の表面に塗られていた。

「古代エジプト」と一口にいっても何千年の歴史があるが、ギリシア・ローマ時代はその中でも末期、「古代王国エジプト」の歴史が、ほとんど終わりかけの時代である。
その時代のでは、庶民も手軽に身内をミイラ化できる葬儀システムと商売体系が作り上げられていたため、ミイラは、共同墓地などに大量に収められていることが多い。そして、あまりに大量なミイラを作るために、高価な樹脂ではなく、代用品の瀝青(アスファルト)が使われるようになったのだ。

防腐剤と言っても体の表面にまんべんなく塗りつけるものなので、本来はアスファルトよりは樹脂が適している。その樹脂の使用を控えたのは、ミイラの作りすぎで、木が育たなくなったか、廉価なミイラを作る必要があったためではないかと、学者は推測している。


*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

ところ変わって、今度は日本の場合。
日本語では、エジプトの乾燥遺体を「ミイラ」と呼ぶ。これは周知のことと思われるが、「ミイラ」とは、英語という言葉が知られるよりも以前、江戸時代初期に作られた言葉だ。

1549年、フランシスコ・ザビエルの到来によって日本とポルトガルの交易が始まる。当時の西洋では、ミイラといえばアラビアの「万能薬」。ちょうど、万能薬ミイラが大ブームになり、ミイラ取りがミイラになったりした時代である。日本にもたらされたミイラ薬もまた、「西洋で使われている万能薬」という触れ込みであった。
輸入された、「ミイラから作られた薬」は、江戸時代の将軍や大名の間に流行し、粉末にして、滋養強壮剤として頻繁に呑まれていた。
ただし、これが本物のミイラであったかどうかは、確かめるべくもない。当時のヨーロッパで、すでに偽ミイラの製造が頻繁に行われていたことを考えると、エジプトのミイラであった可能性は、むしろ限りなく低いと思われる。

「木乃伊」という現在の当て字が生まれたのも、この時代である。木乃伊とは中国語からの転写だった。
ポルトガル船によって、日本に初めてミイラ薬がもたらされるより以前、中国は既に、シルクロードを通じて「ヨーロッパの万能薬としてのミイラ」を認識していた。当時の日本語に外国語を転写する言葉が無かったから、中国語を借りて、ミイラを「木乃伊(中国語ではムナーイーと発音)」と、書いたのだ。
つまり、日本語の「ミイラ」は英語のmummy、マミーから来たものではなく、表記は中国語を借りて、音だけはポルトガル語のまま、そこに当て嵌めた言葉なのである。つまり初期には、木乃伊をミイラではなく「モミイ」と読んでいたはずだ。

※ちなみに現在の中国の「木乃伊」という言葉からは、シルクロードからもたらされた乾燥遺体の薬、という、かつて意味は失われている


次に没薬、カンラン科ミルラノキ属 Commiphora の植物から浸出する樹脂である「ミルラ」が登場する。ミルラを産する植物は、東部アフリカ、およびアラビアに生えており、医療品や香料として古くから利用されていた。
しかしこれ、最初に登場したのは薬としてではなく、聖書の和訳としてだったようだ。
考えてみれば、ポルトガル船は医学だけではなくキリスト教ももたらしたはずで、実は至極納得のいく話だったりする。
新約聖書の中で、イエス・キリスト誕生シーンを見て欲しい。東方よりやってきた三賢者がお祝いに差し出すものは、「黄金・没薬・乳香」。そう、ここで初めて、ミルラという単語が登場する。しかも、その時もちこまれた聖書は、ギリシア語だった。書かれていたつづりはmyrrhである。これは、巻き舌になる「r」や「l」の発音が巧く出来ない日本人からすれば、ミーラ、ミイラ… と発音できる単語だった。

当時の学者、聖書を訳した人々は、キリストに捧げられたmyrrhが植物から取れるものであること、中国で没薬という字が当てられていることを知っていた。


まとめると、初期の状態では

  「瀝青」を語源とする乾燥遺体 ⇒ 木乃伊(読み方はモミイ)
   樹脂、香料としての植物 ⇒ 没薬(読み方はミイラ

これがどこかの段階で植物のほうも乾燥遺体のほうも日本語に直すと「ミイラ」になってしまったことが、今に至る混乱を引き起こした発端なのだろう。

実際に植物の「ミルラ(ミイラ)」が、遺体の防腐処理に使われていた時代があったことも、混乱に拍車をかけたようだが、これはむしろ跡付けの理由だろう。
ミルラは確かに、ミイラの防腐処理に使われた。しかも、防腐処理では、Mummyの語源となった"ムンミヤ"より以前に、多く使われていた物質である。薬として使われることもあるし、実際、古代エジプト人はミルラを薬として使っていた。

――だが、ミルラは地中海沿岸に見られる植物なのだから、ヨーロッパの人々には、古くから馴染み深いものだ。
普段から使っているものなのだから万能薬と思い込まれたはずはなく、実際、日本以外の国(西洋)では、没薬―ミルラを意味する単語が、「乾燥遺体」(ミイラ)の意味で使われたことは無い。よって日本以外の国で、エジプトミイラと没薬が混同視されたことは無い。

結局、もともと言葉の意味も綴りも違うのに、日本語に直したらたまたま同じ表記・発音になってしまった、というのが、ミルラ・ミイラの混同の始まりなわけで、双方の発音の区別がつかなかった、東洋の最果てたる日本ならではのカン違いだったと言えるだろう。


【参考として・言葉の変化】

アッカド語 murru ……「ミルラ樹脂、没薬」
 ↓
ギリシャ語 mýrra
 ↓
ラテン語 myrrha
 ↓
中期英語,古期英語 myrre
 ↓
現代ポルトガル語 mirra
現代イタリア語 mirra
オランダ語 mirre
正則アラビア語 murr
ラテン語 murra

※いずれの国の言葉でも、
没薬(ミルラ)をあらわす単語に「乾燥遺体」という意味は無い



****

ところで、日本で初めて木乃伊について紹介したのは新井白石(1657〜1725)だ。
自分で実際に読んだわけではなく、未確認情報なのだが、この人の書物によれば、日本語のミイラとはオランダ語の「モミイ」が語源であるという。モミイとは、乾燥遺体、今で言うミイラという意味の単語である。つまり、新井という人は、ミイラが樹脂(ミルラ)ではなく、「乾燥した人の死体」であることを知っていたことになる。

他にも、

蘭学者の大槻玄沢(1757〜1827)という男が著した『六物新志・りくぶつしんし』1787
島中良の『紅毛雑話・こうもうざつわ』1787

…に、ミイラについての言及があり、どちらも、「木乃伊とはアラビア方面で作られる腐らない人の死体で、オランダ語ではモミイと言う」といった記述が見られるという。少なくとも渡来初期においては、乾燥遺体を没薬と混同はしていなかったことになる。

では、いつの段階で「モミイ」が「ミイラ」になってしまったのか? そして、一体だれが最初に「ミイラの語源はミルラ」と言い始めたのか…?
それについては、断言することが難しい。(なにしろ漢字にフリガナ書いてくれてないから^^;) もしも乾燥遺体の表記・呼び方が初期の「モミイ」のままだったならば、ミルラと混同されることは無かったのだろうが。

正確に混乱がいつごろから生じたのかについての考察は、「あるミイラの履歴書 エジプト・パリ・東京の三千年」(神谷 敏郎/中公新書)に詳しい。興味のある方はぜひどうぞ。


おまけ:明治時代の日本人が持っていたエジプト認識

福沢諭吉 明治元年

浮世絵チック。


「萬国奇談 一名七不思議」(明治六年)
何かが違うスフィンクス。(笑)


※1

「ミイラ」という言葉は、英語やその他の言語のカタカナ表記ではなく完全な日本語である。(英語のカナ表記なら”マミー”)

片仮名で書くとミイラとミルラは確かに似ているのだが、日本以外の国で「ミイラ」という単語は使われていないのだから、ミルラが語源の筈はない。

…そもそも、これが「ミイラの本当の語源とは何だ」という話を調査する切っ掛けの1つとなった。

また、「ミルラ」とは、ヨーロッパで古くから使われてきた香料(ゴム樹脂)であり、中国でも古くから使われていた記録がある。既に薬品として使われているものが、あらためて万能薬となるだろうか。それを使った死体が万能薬という解釈になりえるだろうか? もしもミイラの語源がミルラだとするならば、ミイラが万能薬とされた理由がつかなくなってしまう、という疑問もあった。

問題の発生は、「万能薬としての乾燥した遺体」を、オランダ語からきたモミイではなく、ミイラと呼んでしまった時からはじまっていたはずだ。ミイラとは、本来、乾燥遺体(現在ではミイラと呼ばれているが渡来初期はモミイ)ではなく、植物樹脂(現代ではミルラは呼ばれているが渡来初期はミイラ)をさす言葉だった。どこでモミイという言葉がミイラと入れ替わったのか。

ミイラという言葉は元々は乾燥遺体ではなくミルラをさしていたのだから、まあミイラという言葉じたいの語源は没薬としてのミルラで正解なんですが。乾燥遺体を意味するミイラを指して没薬が名前の由来だ、というのは間違いだ。

紐解いてみれば何百年という時間の勘違い、たかが勘違いといえど奥が深い。


協力:Mさん Thanx!

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