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なぜエジプト文明が、宇宙人起源説に結び付けられるようになったのか



エジプト文明といえばピラミッド。ピラミッドといえばミステリー。というのが、エジプトのエの字を知らないお茶の間の皆さんが思い浮かべがちなイメージだと思う。
ピラミッドとUFO(あるいは宇宙人)を結びつける本が世の中には大量に出回っているようだが、ぶっちゃけ私は、そういう本が好きではない。根拠がないと思うのもあるが、それ以上に、何か気持ち悪さを感じるからだ。


さて、最初に、司馬遼太郎氏の「愛蘭土(アイルランド)紀行」より引用してみよう。

ヨーロッパの理解のためには、その文明の基底にギリシア・ローマ文明があるというのは、当然の常識である。(P28)


ヨーロッパ人(というとアバウトな言い方になってしまうが、おおむね先進国と呼ばれている欧米諸国を指す)にとっては、ギリシア・ローマ文明は、文明の粋を極めた誇り、また、人間の知の頂点といった感覚があったらしい。ギリシア・ローマこそ「文明」であり、その文明によって洗礼を受けなかった地域は「野蛮」だとされていた。
このような考えは、タキトゥスの「ゲルマーニア」に記された、ゲルマン民族に対する見方からも伺える。
また、司馬氏も自著で多少触れられているが、マヤ文明の発見の際には、さらに激しく思い込みによる偏見が持ちこまれた。

1786年、マヤ文明の遺跡パレンケに到着したスペインのアントニオ・デル・リオは、密林に埋もれた遺跡を見て、これほどの文明を築けるのはギリシア・ローマ文明の影響無しには考えられないとし、『ローマの芸術理念を受け取った可能性がある』と、誤った報告をしたのである。

――創元社「知の再発見」双書7より


アメリカ大陸へ行って、自分たちとは全く異なるルーツをもつ文明を目の当たりにしていながら、それを認めず、即座に、「これは、古い時代にギリシア・ローマの人間がここへ来て、文明を教えたからに違いない」と思ってしまったのである。
当時のヨーロッパ人にとって、いかにギリシア・ローマが大きな影響力を持っていたか、文明といえばギリシア・ローマ以外にありえなかった、という常識が伺える。

しかし、もちろんマヤ文明はギリシア・ローマを起源とするものではない。
エジプト文明に至っては、疑いようもなく、ギリシア・ローマよりも古い。エジプト古代王国は、地中海の人々が線文字の使用を放棄し、書き文字を失っていた時代に、既に高度な文字文化を築いていたのだ。
そして、外見の壮麗さでは劣るものの、エジプト文明は、ギリシア・ローマ文明には存在しない巨大建造物を、はるか昔に創造していた。ヘロドトスが書いたように、「エジプトに比べればギリシアは赤子同然」の歴史しか持たなかった。

この事実は、ヨーロッパ人にとって、「文明はギリシア・ローマから始まる」「ギリシア・ローマこそ最高の文明である」と、いう常識を覆すものだったのではないのか。だから、全ての根底にあるはずのギリシア・ローマよりも古く、高度な文明は、「人間が作ったものであってはいけなかった」のではないか?

日本人には知るべくもないが、ギリシア・ローマの文明は、その末裔たちにとっては犯すべからざる、神のごとき文明と認識されるのかもしれない。ギリシア・ローマ文明に対する憧憬なり尊敬なりが強く根付いているからこそ、目の前の事実に反則的な解釈を付けたがる―― つまり崇拝の裏返し。

たとえばピラミッドは、ギリシャ語では三角形のお菓子の名前である。オベリスクという、神殿の前に立っている頭が三角形の柱は焼き串という意味だ。エジプトを訪れたギリシャ人が、現地にある建造物を敢えて日常にありふれたとるに足りないものの名前で呼んだのには、自分たちには作ることの出来ない巨大な建造物を前にして、劣等感をもっていたからではないか、という説がある。
ちなみにエジプトにギリシャ人が多く訪れるようになったのはエジプトの国力が劣ろえて属国扱いされるようになった頃で、それでもエジプト人は高いプライドを持ち、「ギリシャなんて最近できた国じゃーん」とバカにしていたらしい。(ヘロドトスの「歴史」からもそれが伺える)


これは根拠のない邪推というわけではない。
過去、多くのヨーロッパ人が、全ての文明を一つの根源に結び付けようと試みてきた。大航海時代を経て世界の全貌が明らかになり、すべての文明の源泉がギリシア・ローマだ、という、かつての「常識」が否定されたあとも、人々はアトランティスだのムーだの失われた起源を考え付き、その度に自分たちをこれら超古代文明の子孫と称して来た。過去に存在した超文明が世界じゅうに点在するすべての文明の起源である、そして、その直系が、”我々”なのだ、と。
たとえば、ナチス・ドイツもそうだった。

その”我々”に当たる人々が、超古代文明と、すべての古代文明とを結び付けたがるとき、根底には、「すべての根源たる文明、すなわち我々の文明」という、誤った自負があるのではないだろうか。

むろん全ての人がそうであるとは言わないが、ある種の偏ったヨーロッパ人の常識において、自分たちの文明は世界最高でなければならない、という潜在意識が働いているのではないかという推測は、あながちハズレとは思えない。
キリスト教支配による暗黒時代によってヨーロッパの文明が停滞し、精神文化においてアジアが勝っていた時代においてさえ、ヨーロッパは、アジアの文明を認めなかった。(この偏見は、今でも続いている可能性がある。)

日本人、いや、アジア人は、おそらく”ギリシア・ローマ源泉説”のような常識を持たないだろう。
ギリシア・ローマがスゴイということは分かっても、文明の起源として尊敬を持つほどではない。育った環境が違う。

ゆえに日本人が「エジプト文明は超古代文明から来ている、ピラミッドはUFO(宇宙人/超古代人)が作った」と、言うのと、ヨーロッパ人が言うのとでは、その背景にある意識が違うはずだ。
日本人は、その説が覆されてもどうということはない。民族的アイデンティティにかすりもしないし、自らの世界観が覆るわけでもない。超古代文明や異星人の飛来など、所詮は趣味の世界である。
しかし、一部のヨーロッパ人にとっては、おそらく、自分たちの文明の「アイデンティティ」でもあるギリシア・ローマ文明の否定・肯定がかかっている。真剣さが違う。


その真剣さを裏づけるためには、さらに、英語版のエジプト本を出してこなければなるまい。
英語によるエジプト本では、よく「ブラック・マジック」という言葉が登場する。読んでそのまま、「黒人の魔法」と訳すべきか。
全部かどうかは知らないが、欧米の人には、自分たちは「ホワイト」であり、アフリカは「ブラック」の国…という固定された概念があるようだ。もっとも実際は、エジプトは黒人の国ではない。現代もそうだが、古代にもすでに、アジア、ヨーロッパ各地からの移住によって、様々な人種の血が交じり合っていたのだが。

周知のとおり、黒い国々は、長く植民地支配を受けていた。黒人の知能は低い、黒人は怠け者だ、といった偏見は、当時のみならず今でも存在している。
エジプト文明がギリシア・ローマより古いことは、確実である。万が一にもギリシア・ローマ文明がエジプトの影響を受けていたとなれば、自分たちの誇りある文明は、アフリカの、彼らが長く蔑んで来た「黒人」の文明に創造されたことにもなってしまうのだろう。
これが「ホワイト」として、黒人より優れていると思い込みたい人々にとって受け入れがたいことであるのは、容易に想像がつく。

知能に劣り、怠け者である黒人たちに、輝かしい文明が作れるはずがない。誰かに教えてもらったに決まっている。それは誰か。失われた超古代の文明か、宇宙からやって来た人々か。とにかく人間ではない。なぜなら人間の中でいちばん優れているのは、自分たちの祖先であるギリシア・ローマの人々でなければならないからだ……。

エジプト文明を超古代文明やUFOに結び付けたがる人々のすべてが、必ずしも根底に差別意識を持っているとは言わない。だが、エジプト文明を迷信的なブラック・マジックと呼び、半人半獣の神々を否定する欧米のエジプト本を読む限り、彼らは、理解する意思を放棄しているとしか思えない。故意にエジプト文明を卑下しようとする行為は、超古代人や宇宙人を出してきて、人の手に因らない場所へ隔離しようとする試みと、本質的には同じものである。

「最もすぐれた文明はどれであるか」という、くだらない競争をやめて、「どれも、異なる点で優れた文明である」と、いう並列の考えを受け入れることが出来れば、常識的に無理のある解釈で自分を納得させようとする切ない努力をしなくて済むのではないだろうか?

日本の文化とエジプトの文明を結びつけようとする馬鹿げた試みを見るときにも、私はそのように思う。
そんなに日本の文化に自信がないのか。(笑) 偉大なるエジプト文明は日本人の祖先が創りました、とか、…いやお隣の半島の国はやりそうだと思ったけどさ、みっともないからやめなさい。そんなことをしなくても、自国の歴史と文化は十分に誇れるでしょう。

だいたい、現代と古代を比べて、どちらが優れているだとか、古代の文明どうしを比べてどちらが勝っているだとか、そんな議論は意味がない。その基準は一体なんですか。
古代のほうが現代より優れていた点といえば、たとえば石の加工技術だ。現代人は、銅と木だけで巨石を割る技術を忘れてしまっており、重機を使わないと出来ない。
そのかわり現代人は、古代人に出来なかったことを数多く実現させてきた。パソコンを使ってインターネットで一瞬にして多くの情報を得るなんてことは、古代人には出来なかったことだ。

「古代人は現代人より劣っている」という間違った考え方を持つからこそ、古代人が現代人より優れている点を見つけたときに、うろたえ、超古代文明とか宇宙人とか、逃げ道を思いついてしまうというのもあるのだろう。「ピラミッドのような凄いものは、エジプト人には作れない」「だから宇宙人の助けでも借りたんだろう。」 ――それ自体が、古代人に対する侮蔑だ。だから私は、そうした考えを持つ人をエジプトスキーな仲間とは認めない。

まずは、偏見に満ちた誤った考えを捨てることを勧めたい。そうでなければ、視野は開かれないだろう。



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