2007/08/02
古代エジプト人のミイラを調べると、年齢に応じて遺体の歯が磨り減っている。という話を、聞いたことがあるだろうか?
その原因は、食物に含まれる砂… それも、パンに含まれていたものが原因なのだという。
古代エジプトでは、パンは主食だった。そのパンに砂粒が混じっているから、食っているうちにだんだんと歯が磨り減ってしまい、年を重ねると歯の病気や歯痛になってしまうんだとか…。
実際、残っているミイラの歯は年をとっている人ほど減っていて、ぱっと見で死亡年齢をはかる目安にもなっている。
さて。
ここで疑問に思わないだろうか。主食の、毎日食ってるものに砂なんて入っているものなのか?
口の中でザリザリしたら、イヤじゃないか? と…。
入っちゃうとしても、歯が磨り減るほどガリガリ食わないだろ…?
何故エジプト人はパンの砂粒を無くせなかったのだ。何故だ!!!
ここではそんな素朴な疑問とモヤモヤに対する、ある一つの答えを述べておく。
パンの基本的な加工過程は、以下のようなものである。
(1)粉を引く
(2)こねる
(3)発酵させる
(4)焼く
ポイントは、(1)の「粉にする」部分。
実は、「小麦をひいて粉にする」というのは、人類の食べ物にかける大きな情熱と、大きな進歩のたまものなのだ。
古代の人間は、自然界にあるものをそのまま食べていた。しかし、それだけでは食べられるものが少ない。そこで、火であぶったり、干したりと調理して、食べられないものも食べられるように加工することを思いつく。その時点で大きな進歩だ。
パンの元になっている小麦も、そのままでは美味しく食べられない。大麦なら水で煮るだけでおかゆ(オートミール)にして食べられるが、小麦はうまくオートミールにならない。「粉にして水と混ぜてこねる」ということを思いつくまで、小麦は「おいしく食べられない」穀物と認識されていた。
それが、「粉もの」という新たなジャンルの開拓によって、小麦の利用価値は劇的に上がる。パンにすれば保存も出来るし、オートミールより美味い。かくて小麦は大いに人類に利用されるようになった。
しかし、ここで問題がある。
小麦が食べられ始めた、初期の頃というのは、小麦を粉にひく道具がまだ原始的なのだ。専門用語ではサドルカーンと呼ばれる。古代エジプトの墓から発見される模型や、墓の内部に描かれた壁画でもよく知られている、アレだ。
ちなみに「サドル」とは台座になっている平らな石、「カーン」は棒のことである。
さて、このサドルカーンという粉ひき器は、上の写真を見てもらうと分かるように、棒の上から体重をかけて穀物を挽き潰すものだ。
日本の昔話によく出てくるような、回すタイプの粉引き器(いわゆる石臼)はロータリーカーンと呼ばれ、エジプトでは1世紀頃になるまで登場しない。つまり、ピラミッドを作っていた人たちも、アブ・シンベルを作った人たちも、ファラオ様も平民も、みんな、サドルカーン、つまり平らな石の上で押しつぶしてひいた小麦粉で作ったパンを食べていたワケだ。
石臼で作るのと違い、力を必要とし、効率も悪いサドルカーンでの粉引きは、石と石をぐりぐりすり合わせ、粉引き器自身を磨耗させ、その破片を混入しながら小麦粉を作っていく作業になる。小麦粉のカラや大きな砂つぶは濾しとることが出来ても、細かい石の粉までは取れなかったのだろう。
古代エジプト人は、「パン食い人」と呼ばれるほど日常的にパンを食べていた。
他の国や文化でも、同じようなサドルカーン式の粉引き器は使われていたため歯がすりへるという現象はおきていたはずだが、日常的にパンを食べていたエジプト人には顕著だったのだろう。そして、遺体をミイラにして保存するという宗教的な習性ゆえに、歯の磨り減りをハッキリと後世に伝えることが出来た、というわけだ…。
なお、私的には(3)の発酵という部分も妖しいように思う。
パン生地をしばらく寝かせて「発酵」させるということを最初に思いついたのは、古代エジプト人だったという。しばらく生地をほったらかしてから焼いたほうがふっくら焼きあがることを知った彼らは、半日くらい、生地を寝かせてから焼いたという。
サランラップみたいな便利なもののない古代。
場合によっては砂嵐も吹く古代エジプトで、パン屋の棚に半日並べられているパン生地が、砂をかぶらない保障は… たぶん、無い。生地に入り込んだ砂もまた、歯がすりへる一因になってしまったかもしれない。
歯が磨り減るということは、そこから虫歯など歯の病気になりやすいということで、エジプト人の高齢者はけっこうな割合で歯痛を抱えていたという研究もある。
今では簡単に作れる、店でも買えるパンだけど、古代人にとっては、生きるために必要であるとともに、食べるほどに持病を抱えるリスクを高める、悩ましい存在だったようだ。
↑現代のパン売り。
…なお、エジプトの臼に使われた石が、摩擦でどのくらい磨り減るのかについての詳細なデータを、私は持っていない。回す石臼に比べて砂が混入しやすいかどうかについての検証などは、また機会があったら。
※ちなみに大ピラミッドが作られた時代、その建設現場で働いていた人々が食べていたのは、大麦で作られた巨大な重たいパンだったようだ。当時、大麦も小麦も生産されていたが、まだパンに使われる麦が小麦(エンマー小麦)になっていなかったらしい。
2007/10/7 追記
以下の情報が見つかりました。
・古代エジプトの時代の小麦(大麦、エンマー小麦)は、現代のものより殻が分厚く、とれにくかった。そのため固い殻もすり潰して食べることになった。
・サドルカーンでは完全な粉にはならず、かなり大きな、つぶれきっていない麦のカケラがパンの中に残っていた。(墓の供物として捧げられたパンがミイラと一緒に発見されている)
2014/4/6 追記
以下、引用。
イギリスりの学者プラグは、大プリニウスの著作の中に、カルタゴ人たちはパンを最初に杵で砕き、煉瓦の粉や白粉や砂を混ぜて粉を挽いていた、という記述があるのを発見した。そこで彼は、古代の石臼を使って小麦を砕いてみたところ、十五分続けた後でも小麦の粒はほぼ元の形を保っていることに気づいた。ところが、砂を100分の1の割合で混ぜてからやってみると、たちまち細かな粉末が得られた。こうした事実から、ミイラの歯の研究で知られるリークは、次のような結論を下した。つまり、パンの中に鉱物質の粉末が混入している理由は、 1.小麦の生育する土壌 2.刈入れの際に使った道具(刈入れには火打石製の刃をつけた木製の鎌が使われていた) 3.もみがらを煽ぎ分ける際に風でまぶされた砂 4.小麦を保蔵する穀物倉の立てつけが悪いために入ってくる砂埃 5.粉を挽く際に磨り減った杵、槌、石臼 6.より細かい粉末を作るために添加される少量の鉱物質 などによるのである。 *アンジュ=ピエール・ルカ「ミイラ ミイラ考古学入門」より |
うーむ、思いつくかぎり全ての理由を挙げてみた感が。
まあでも妥当だよね。色んなところから砂や小石が紛れ込んでそうだよ古代エジプトのパン。