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文化心理学と神話の世界


 文化心理学、という分野がある。
 応用心理学(本館で取り扱い)の一種で、社会心理学と民族学をまぜあわせたような学問だ。心理学専攻で神話なんぞ扱うというと、まっさきにフロイトの「トーテムとタブー」や「モーセと一神教」などの著作を思い出すのだが、実は、神話とは、フロイトの如き精神分析学よりも、社会心理学の分野に近いところにあるらしい。


 「すべての人類学は心理学的である」という有名な言葉がある。文化人類学といえば、アジアやアフリカなど異なった文化のことを知る学問である。(もちろん、それ以外の文化も研究すれば文化人類学になるはずだが)
 では、文化とは何なのか。文化は人間集団から生まれるものである。人間は社会的な生き物なのだから、集団になれば。そこに社会が生まれる。その社会の仕組みを論ずるのが社会学であり、社会学と人類学があわさって社会心理学が生まれた。

 人間心理は、個人が属する社会ごとに変わる。
 簡単なところで言えば、虹は虹色とは限らない…と、いう話がある。
 日本人は虹を7色と言うが、ロシア人は5色だという。アメリカ人は6色で、オセアニアの少数民族は1色きりだという。現実の見え方、解釈の仕方は、ひとつではない。属する集団ごとに「常識」は変わる。
 人間の行動様式は、ある程度、集団による常識によって決定されているのだ。その決定された枠の中に、個人の自由な行動がある。
 もっと例を挙げてみよう。
 我々は、風邪を引くと体を温める。それが常識だと思っている。しかし、ある民族などは逆に、熱が上がって体が熱くなったのだからと言って、体に水をかけて冷やすのだ。
 どちらが正しいわけでもない。暖めようが冷やそうが、結果として熱が下がればいいわけだし、どちらも間違っている方法ではないから、今日まで使われているはずだ。
 社会心理学とは、そうした社会の常識、人間行動の最も基本的な部分を法則として導き出すものといえる。

 しかし、通常、私たちが社会心理学を学ぶとき、その対象とするのはやはり、自分が属している社会である。せいぜいがアメリカやヨーロッパ、中国など手近なアジア圏まで。それ以外の地域は念頭においていない。調べようがないからだ。
 アフリカのサバンナに住んでいる民族の社会常識を扱うには、社会心理学では手が及ばない。そこで、文化人類学が出て来る。やっていることは同じなのだが、守備範囲が違うのだ。社会心理学は自分たちの社会を相手にしているから、実験をやったり細かい理屈を立てたり出来るが、文化人類学で扱うような社会は、細かい理屈よりもまず概要をつかまなければならない。
 サバンナの民に、社会心理学の「認知不協和理論」なんかがあてはまるとは思わない。そもそも社会の構造が違うのだ。「対人比較」の理論にしたって、上司と部下、先輩と後輩、などという関係すら存在しないのに、どうやってあてはめたらいいだろう?

 人類学は、文化人類学と呼んでもそうだが、人間の本質なり特性なりを扱っている。対して心理学とは行動の学問だ。人間がどう行動するか、行動の理由は何か、そんなことを論じている。しかし、人間とは、当たり前だが、どんな社会においても「行動」するものだ。生きて動いている人間を扱うのに、どんな相手だろうと、心理学でアプローチできないはずがない。
 そこに、文化心理学なるものが生まれる余地がある。
 文化人類学が扱っている特殊な社会、特殊な人々に対する心理学。我々の社会とは全く異なる社会に属する人々の行動を理解するためには、まず、その社会を知らなくてはならない。
 社会心理学の基本は社会学から来ているのだから、人類学的な社会学が必要になってくる。


 さて、ここまで語ったら、あとはもう繋げるばかりだ。
 言わずと知れたことながら、神話とは、それが語られた当時の社会を反映したつくりとなっている。神話を語った人々は、いかなる心境であったのか。何を求め、何を考えていたのか。
 もちろん神話は遠い昔のものなのだから、今とは社会構造が異なっている。
 滅びた社会に対する社会学であっても、遺跡なり神話なりといった「行動の結果」が残されている以上、これを心理学の知識で分析できないはずがない。
 しかも、現在進行形の社会と違って、古代の社会というものは、もう存在しないのだから、リアルタイムで変化していくわけではない。慌てて研究しなくてもいいのだから楽なものだ。

 神話に語られることが理解出来ないとき、たとえば近親相姦の話などが出てくるとき、子供をイケニエに捧げる話が出てくるときなど、その物語の語られた社会について考えてみるとよい。
 神話が語られた時代の常識は、今の時代とは違う。人々が不可解な行動を取るのは、異なる社会心理の法則に従っているからで、理屈をつけようと思えばつけることだって出来る。何しろ、昔の人間も人間には違いないのだ。納得出来るかどうかはともかく、「わからない」はずがない。
 心理学にも色々あるが、これほど楽しげな分野もそうは無いであろう。


 ――社会心理学をやってみたけど面白くなかったという先輩たち、これからやってみようという後輩たちに捧ぐ。




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