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キリスト教とエジプト神話


【前提】
キリスト教は、もともとユダヤ教から発生したものであり、イエスはユダヤ人である。


ユダヤ教とは、周知のとおりユダヤ人たちの宗教である。ユダヤ人は、エジプトで言うところの新王国時代、「出エジプト」によって、彼らの神の導きで、エジプトから脱出した。
ユダヤ教というものが形成されるに至った直接的な出来事は、この「出エジプト」だったろう、と言われる。(参考;「一神教の誕生―ユダヤ教からキリスト教へ」加藤 隆/講談社現代新書)
キリスト教の大元にはユダヤ教があり、そのユダヤ教の根底には、ユダヤ人がエジプトで受けた影響や見聞きした文化が溶けこんでいる。そのユダヤ教から発展していった キリスト教に、エジプト宗教の名残があったり、エジプトに対する強い意識があるのは、むしろ当たり前かもしれない。

だが、旧約聖書にある「黄金の牛」事件のように、ユダヤ教の指導者は、エジプト宗教の影響を排除することに躍起だった。
だからキリスト教にあるエジプトのイメージは、ユダヤ教から受け継がれたものというよりは、後の時代になってから取り入れられた部分もあるのかもしれない。

なお、ここで取り上げるのは、「キリスト教という宗教の持つ"イメージ"と、古代エジプト宗教の持つ"イメージ"の類似についてだ。あくまでイメージについてなので、細かい教義自体については言及しない。


キリストが誕生したのは、今からだいたい2000年ほど前のことである。(ぴったり紀元の境目に生まれたのでないことは、既によく知られた事実だが)
発祥地域は、大雑把に言って西アジアの辺り。地中海の文明は古来より互いの影響を受けて成長してきたが、中でもエジプト神話は、そのはっきりとした個性を持っているために、他の文化に与えた影響が見えやすい。

原始宗教はその土地その土地の単独発祥であっても、それらの思想がある程度発展する段階になると、近隣区域の神話・伝承を巻き込むのはごく自然な成り行きである。
キリスト教のみならず、世界各国の宗教・思想は、ほとんどがどこかで繋がっていると言っても過言ではないだろう。

エジプトと、キリスト教の誕生した地域は、思いのほか近い。
世界地図を広げてみる。
エジプトの北端(地中海側)は、イスラエルのすぐ近くにある。イスラエルのあたりも、全盛期にはエジプトの領土の一部だった。海路街道が整備され、古来より人の行き来は盛んだったし、新王国時代には、東アジアの辺りからも、かなりの移住があった。エジプト宗教とキリスト教、さらにはイスラム教までもがある程度の類似を持つことは、発祥地域が隣接する地域だったことを考えるとそれほど不思議でもない。

そしてエジプトは、他の宗教に寛容な国だった。
キリスト教がローマの国教になる前…認められず、迫害を受けていた時代、エジプトには多くの伝道師や信者が逃れてきていた。アレキサンドリアには、弾圧されていた時代にキリスト教徒が使ったという地下墓地(カタコンベ)が残っている。
エジプトにキリスト教が伝道されたのは、イエスが磔にされた直後の紀元後40年くらいとされている。まだ宗教としては、かなり規模が小さく、教義にもまとまりがない時代だ。キリスト教とエジプト宗教の交じり合った「コプト教」が誕生したのは、この頃になる。この信仰は、現在もエジプトの一部に残されいる。

エジプト人はキリスト教を受け入れ、自分たちの宗教と混ぜた。
ならば逆に、キリスト教にもエジプトの宗教が取り入れられていった可能性もあるだろう。

もちろん、キリスト教がエジプト宗教とは全く異なるものであることは、言うまでもないことだが、イエスを失って新たな方向へ動き始めようとしていたキリスト教の黎明期に、エジプト宗教が何がしかのインスピレーションを与えていたかも、と想像するのは、とても面白い。

以下はエジプトからの影響と思われる部分である。


〔聖母子像に見られる類似点〕
ホラネ、そっくり。
聖母マリアが幼いキリストを抱く姿の絵や彫刻は、キリスト教の代表的モチーフとして、有名なものだ。
しかし、このモチーフはキリストの生まれる何千年も前から、エジプトで使われていた。エジプト展に行けば必ずと言っていいほど見られる、イシスが幼いホルスを抱く姿の像が、それである。
だかれているホルスは別名ホル・パ・ケレド、ギリシア語で「ハルポクラテス」(子供ホルス)と呼ばれる神か、ホルサイセ(若者ホルス)である。
常に子供の姿であり、母親に守られる聖なる子供であると同時に魔法的な神である。
古代のエジプトは、オリエント世界の中でも、とくに家族愛を重んじる国だったといい、こういった、仲むつまじい親子像が多く作られた。参考図はグレコ・ローマン時代(ギリシア、ローマ支配時代)のものだから、アレクサンドリアにいた初期キリスト教の信者たちも、必ず目にしていたはずだ。


〔オシリスの復活と三位一体〕

磔刑に処されたキリストが復活する、という伝説はキリスト教信仰の中でも大きな比重を占める伝説で、絵画の題材としても多くの人々をひきつけてきたテーマだ。エジプト神話にも、同じような「復活」の伝説がある。いわずと知れた、「オシリスの復活」だ。

キリストの死に際して涙を流す女性は聖母マリアだが、オシリスの死に際して涙を流すのは妻である女神イシス。イシスは、母子像では「母」の役だった女神である。幼いキリスト=ホルス、大人キリスト=オシリスで、オシリスとホルスは父子ということになり、父と子は一体…という思想とも通じる。

ちなみに、古代エジプトにおける三位一体では、あと一つ、精霊にあたるものは、太陽神ラーであった。
これも、キリスト教の三位一体のように非常に複雑な教義で、簡単に言おうとすると、生きた王はホルス、死せる魂は太陽とともに天に昇り、地下世界の王オシリスと呼ばれて復活を約束される。ということになっている。
精霊なる太陽神ラーは世界と人類を創ったともされるし、さまざまな姿と分身たちを持つという。
そこはかとなく、キリスト教の教義に似ているような気がしなくもない。

(「聖なるものの死と復活」というモチーフだけなら、ほかの様々な神話にも存在するが、それに三位一体の思想まで関係しているのはあまりなさそうだ)


〔関係〕

古代エジプトでは、「妹であり妻である」だの、「娘にして妻である」だの、ややこしい関係がたくさん出てくる。そもそも、いちばん最初の夫婦神、大気の神シュウとテフネトのペアからして、兄妹なのだ。神様には近親婚なんてあんまり関係なかったのだろう。

これと同じように、初期のキリスト教には、「母にして聖なる妻マリア」という表現がたくさん出てくる。キリストの妻=聖母マリア、という考え方である。後世には、母親と契りを結ぶなんて邪道だ、という風潮が強まったせいか、この思想は放棄されていったようだが、古代エジプトでは神聖なものとされていた、「母にして妻」や「妹にして妻」な関係が、キリスト教の中にある程度、受け継がれていたのではないかと思う。

(もちろん、こういった近親相姦の思想だけなら、他の古代宗教にもありそうなモチーフではあるのだが…)


〔キリストの誕生日〕

キリストの誕生日とされる12/25だが、この日は、キリスト教の前身となる、ユダヤ教の祭りの日でもある。
これだけでも何か因縁がありそうだと思うところだが、さらに遡ると、古代エジプト歴では太陽の復活祭にあたる日とされている。なぜこうも12/25が重要視されたのか、というと、どうも、この日は古代の冬至だったから…の、ようだ。

冬至といえば太陽の輝きが最も弱まる日、太陽の輝きの復活を願い、また、太陽神の力の復活を願って、大規模な祭りを行う…という思想があったというのも不思議ではない。何しろ古代人にとっては、太陽が明日また昇るかどうかは大変な重要事項だ。その日に、「再生・復活」を象徴するキリストが誕生した、という伝説も興味深い。 キリスト像の中に、古代世界の「豊穣神伝説」が混じっているように思える。


〔天使たち〕

天使といえば、旧約・新約の聖書に登場する、神の御使いとして有名だ。
だが全く関係なさそうに思える古代エジプトにも、これにそっくりなものが存在した。太陽神ラーの乗る船を守る神々だ。

太陽神ラーは、毎日、東から西へと天を巡る。昼間は昼の船に乗って空を横切り、夜は夜の船乗って地中を移動してまた東の空に戻るのだ。
しかし、地中を通るとき、太陽の船は、大蛇アポピスなど多くの邪魔者によって行く手を阻まれてしまう。地底の邪魔者たちから太陽神の船を守るため、船の乗組員である神々は、有翼の戦闘形態へと変化して戦うことになっている。

翼あるマアト。
…ただし、見てわかるように、背中から羽根が生えるわけではなく、腕が翼になるという変化だ。むしろギリシア神話にある「イカロスの翼」に似ているかもしれない。

この「翼ある神々」(女神であることが多い。)は、地下へ下る死者の守護もつとめ、王の棺の四方や、墓の内部に描かれていることが多い。人々の魂を守り、死後の世界へと導く存在。…翼もつ神々は、言ってみれば天使の先輩たちなのかもしれない。





〔旧約聖書のセツがセトとおんなじつづり〕

アダムとエバの3人目の息子、セツは、エジプト神話に登場する神「セト」とおなじ綴りであるらしい。
ワザとなのか偶然なのかは今となっては分からないが、オシリス、大ホルス、セトの3兄弟では末っ子にあたるセトと、セツ…まあ、関係づけようとすれば、関係づけられなくもない。
実際、キリスト教の一派、グノーシス派は、このセツをセトと同一視していたというが、グノーシス派は異端とされていたため、キリスト教総本山は、この解釈を認めていなかったのだろう。


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と、幾つか出してみたが、どうだろうか。

先にも述べたとおりだが、初期のキリスト教は、ローマ世界で迫害を受け、そのうちいくばくかの布教者が(のちに聖人と呼ばれる人もふくめ)、海を渡ってエジプトへと亡命している。
亡命者はアレキサンドリアにカタコンベ(地下墓地)を築くとともに、現地のエジプト宗教と初期キリスト教のまじりあった、コプト教を誕生させる。これは、文明の良い形での融合だったろうと思う。

しかし、良い関係も一時のもので、ローマ帝国がキリスト教を認めたあたりから、キリスト教徒の態度は一変し、今度は自分たちの宗教以外は認めない、と、エジプト宗教を否定しはじめたという。一部の狂信者によって、エジプト宗教の神官が殺害される事件などもあったようだ。

やがて時代が下ると、エジプトは完全にキリスト教世界から切り離され、イスラム教圏に入るが、コプト教が完全に消えてしまったわけではなかった。コプト教が残ったということは、その中にある、古代エジプト宗教のエッセンスもしっかり生き残っているということだ。
イスラム教が誕生するに至り、キリスト教とイスラム教の犬猿の仲が始まるわけだが、エジプトはかつて、ユダヤ教徒を送り出した国であり、誕生して間もないキリスト教を受け入れた国であり、さらにイスラム教も受け入れた国なのだ。

現在、エジプトでは5人にひとりがキリスト教徒だ。そして、総人口の10パーセントほどがコプト教徒であるとされている。
イスラム教徒が多い国と思われていそうだが、そういうわけでもない。

エジプト人のキリスト教徒にとって、復活する主・キリストは、オシリスと同じようなものではないのか?
視覚化することは出来ないがとりあえず一番偉く、世界のすべてを創造したものだとされるヤーヴェとは、ニュアンス的にアメン・ラーと同じではないのか? 

現代という時代は、過去から連続する歴史のいちばん新しい部分なのだと思う。


アッラーとヤーヴェが同じものなのかどうかはよく分からない。というより、こんなこと言うと宗教問題になりそうだが、キリスト教の神は父なる神なのか息子であるイエスなのかも私にはよく分からない。

ちなみにアッラーはアメン・ラーと音が似ているように見えるが、全然関係ない。
 アッラーの元々の名称は「アル=イッラーフ」、アラビア語で神を表す「イッラーフ」に冠詞「アル」をつけたものだからだ。言葉の切り方が全く違うので、アメン・ラーから進化したということはありえない。




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