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エジプト神話とは。

2007/12/24 改訂


そのものズバリ、エジプトでかつて信仰されていた宗教の名残として知られる各種の物語。
古代のエジプト宗教は今では信仰されておらず、現在ではイスラム教とキリスト教がエジプトの宗教になっている。エジプト神話の名残は、エジプト神話とキリスト教が融合した「コプト教」の中に若干生き残っているようだが、神話の中でお馴染みの神様たちは、もう何処にもいない。

さて、神話とは何か? という定義は置いておくとして、神話の中の「エジプト」と、現在の「エジプト」は、少し違う。
エジプトが何処にあるかというと。↓ココ

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古代のエジプトは、勢力が最大の時代で↓こんな感じ。


左のほうにある「バハリヤ」や「ファラウラ」「ダフラ」はオアシスの名前で、オアシスを拠点に交易していた証拠からエジプトの勢力に組み入れられていたと考えられる。ただし、オアシスを越えてその先まで行った形跡はない。

この図にあるのは現在のエジプトとだいたい同じ範囲なのだが、河と海沿いに勢力を持っていて、それ以外の場所(砂漠)は国の一部ではない。
エジプトといえば砂漠がイメージされ「砂漠の神話」と思われがちだけど、砂漠のド真ん中にはオアシスを除いて人がまとまって住んでいるわけではないため、そこには土着の神話がない。「エジプト神話」はナイル流域の川沿いをコアとして、

人々は水や食べ物の手に入る河に沿って暮らしているので、神話によく出てくる場面は河や湿地帯。砂漠の神は何柱かいるが、そうした神様たちは「人の行かない場所を治める神様」「人に優しくない荒っぽい神様」とされることが多い。



なお、この勢力図は時代ごとに変化する。他国が攻め込んできて領土を取られたり、内乱があって分裂したりして、南と東の国土は、今よりも狭い範囲になっている。


■それぞれの町ごとに、ちょっとずつ信仰が違う

エジプト神話を知る上で重要なポイントは、神話のバージョンごとに内容が全然違うという点。

今も昔も、国の真ん中をナイル川が南から北に向かって流れている。
その川に沿って町があり、南のほうの町と北のほうの町はかなり離れている。たとえるなら北海道と沖縄みたいなものだ。(…まあエジプトは陸続きですが)

時代が進むにつれ交易などで人が行き来するようになるが、最初は、各地域・各町ごとに神様がいて、それぞれの神様ごとの神話があった。同じ神様でも、信仰される地域が違うと性格や名前が変わることがあった。大まかにはエジプトの南と北で神話の系統が異なる。(南はナイルの上流=上エジプト、北はナイルの下流=下エジプト とも呼ばれる)

神話の本で「○○神話群」という分類が出てくるのは、そのためだ。人気のある神様は複数の地域で、異なった役割で登場する。話がややこしいが、アナザーストーリーみたいなもんが沢山あるんだと思って貰えればよし。小説版と映画版でストーリー違ってるようなもんですよ。で、原作(小説)信者と映画信者がバトルするとか、そういうことだ。


■時代ごとに、神話が姿を変える

古代エジプト王国の歴史は長い。
まだ文字は無かったが、紀元前5000年ごろにはもう川沿いに人が住んでいて、動物を神様として崇拝していたような痕跡がある。それからエジプト宗教が禁止される7世紀まで約5700年、エジプト神話は絶えず変化し続けた。最初と最後だと全然話違ってくる。^^;
日本だと、縄文時代と江戸時代で文化が違うようなものだ。一部の古い信仰も地方には残ってるんだけど他国の影響受けやすい都市部は宗教が形骸化してます。みたいなカンジ。

そして、神話の変化にはいくつか大きなターニングポントがある。
歴史的な事件が起きたり、世の中が不安定になったりすると、その前後で神様の生き残りをかけたサバイバルが発生するのだ。戦いに敗れた神様は有力な神様の門下に下るか、信仰を失って消えていくか、名前だけは辛うじて残しつつ、全く別の存在になってしまうこともあった。…なんだか不景気なときの会社の統廃合みたいですな。

ちなみに、特に変化の大きかった時代は「中間期」と呼ばれる。中間期は3回ある。

第一中間期と第ニ中間期は近い時期に起きていて内容も似ているが、よそからの移住者が多く訪れた時期、他国出身の王が国を統一したことによって異国出身の神々や神話が多く入って来た。

第三中間期はエジプトの繁栄の衰えと国内の分裂が決定的になり、王朝が並立して地方がバラバラになってしまっている。

そして最も大きな節目は、アレクサンドロス王に征服された紀元前332年。この後たてられたプトレマイオス朝以降、エジプトの芸術様式とギリシャ様式が混ざり合い、神々の姿やミイラの作り方などが一目で判別がつくほど大きく変化する。また、これはエジプトの国勢が衰えていたことの象徴でもあり、以降はエジプト神話のオリジナリティが少しずつ消えていくことになる。


■外来神の取り込みについて

エジプトの神話は、外来の神々に寛容であったといわれる。古代王国が繁栄した3000年の間、つまり古代エジプトが古代エジプトであった時代、――この国は、まるで人間のように、周囲からの刺激を取り込みながら変化し続けた。
取り込まれた神々の出身地は多種多様。アフリカ大陸はヌビア方面から、地中海を渡ればギリシアから、陸路を通ってシリアから…と、まさに四方からやって来ている。

移住してきた神々が、もとはエジプトにいなかったものとはっきり確認できるのは、新王国時代以降に新しく入ってきた、明らかに姿や名前が異国風の神々だけだ。それ以前については、ヌビアからやって来たとされる神、デドゥン以外、確証は無いという。時代が進むにつれて神々の形態が変わっていくため、ほとんどの神々について、信仰発祥地や、本来の姿が分かっておらず、エジプト発祥なのかそれ以外なのかの区別はつきにくい。

移住してきた神々の役割や性格は、出身地とエジプトでは異なる場合が多い。
たとえばアナトとバアルは出身国では兄弟であり、夫婦でもあるだが、エジプト神話の中では単に「伴侶」とされるにとどまり、配偶神とはされていない。

アナトはラメセス2世など新王国の主要なファラオに信頼され、太陽神ラーの娘として親子関係を結ぶ女神となったが、バアルのほうは、直接的に王の信頼を集める神では無かったようで、「セト神の一部」と、いう解釈のされ方をしていた。もしアナトとバアルが夫婦という解釈であったら、どちらも地位が高くなくてはいけないわけで、考えようによっては、アナトの地位を高くする反面、バアルについてはさして重要視しなかったために、夫婦仲が自然消滅したという見方も出来る。

信仰の世界は人気が全て!
だから、人気があれば、どんどん役職や肩書きはグレードアップしていくし、人気が無ければ、他の神の影になるしかない。
バアルなど、本国では最高位の神とされていたが、エジプトでは、ほぼ戦に特化された、それほど重要ではない神の一柱となってしまっている。まああんまり人気出なかったんでしょう…(「バアルの変遷」参照)


人の移住によって平和的に溶け込んでいった神々がいれば、侵略行為によって神話に組み込まれた神々もいる。
侵略された国の神は、勝者である国の神々より下位におかれる。わかりやすい例でいけば、ヌビア出身の神々は、ヌビアとの国境を治める神クヌムの配下に置かれた。
これらの神々がヌビアでどんな信仰をされていたのかは分からないが、決して単独で信仰を集めるのではなく、「エジプトの神の配下」として、言ってみれば、神社のわきに付随するほこらのような形で生き残ることを許されていた。

さらに、名前や姿がそのまま残ればいいが、体の一部がシンボルとして残るだけだったり、名前は残るものの姿自体は別の神と一体化してしまい見た目では区別がつかなかったり、と、神様がそのままの姿で生き残ることもなかなかに難しかったようだ。

神々への信仰の変化から、当時の国々の勢力図が見えてくるとも言える。

かなり後代に入り、ギリシア神話のゼウスと、エジプト神話のオシリスを融合させた神、「セラピス」が誕生したのも、おそらく偶然ではない。吸収合併や変容、配下への組み込みではなく、両者が同等の存在として組合され全く異質なものへと変化する。神々の、どちらがどちらに勝るわけでもない対等の関係は、そのまま、信仰していた人々の関係の反映ではないだろうか。
当時のエジプトとギリシアは、ほぼ同等の力を持って付き合っていたということだろう。

歴史にすら不明瞭な部分が多い中、信仰の変遷に正確さを求めることは難しいが、神話とは、「人間の歴史とともに変わっていくもの」である。
エジプト神話の特徴は、その柔軟性にある。外国の神さえも取り入れていく寛容さゆえに、無限に広がる精神世界の発達を促し、今なお魅力を失わない。長い年月の中、失われた神、新たに生まれた神、性格を変えていった神など、さまざまにあるだろう。

神話の中、つまり人々の精神世界の中の地図にあったものは、絶対の国境ではなく、神々でさえ、ある程度自由に行き来が出来た、低い垣根だったのかもしれない。



<オマケ:ローマ時代の信仰>


エジプトの信仰がどんな感じで薄れていったか、葬祭にまつわる遺物から検証してみよう。

左は、ローマの属州化された時代のミイラボード(ミイラを覆う板)。有名どころで、ツタンカーメンの豪華絢爛な棺を思い浮かべて欲しい。こちらは庶民のものなので豪華さは足りないのはともかく、エジプト風の装飾はほとんど原型がないのが見て取れるだろう。

顔立ちにはかすかにエジプトっぽさが残っているが、衣装がローマ風になっているほか、神々の姿が消えている。
「死んだらミイラにする」という信仰は残っていたものの、細かい部分は廃れていたのだろう。

哲学的で難しい部分は一部の神官や学者だけが受け継ぐものになってしまい、残っていたのは、のちにキリスト教にも影響を与える「死後の楽園」や「死後の復活」といった、庶民になじみやすい簡単な部分だけだったのではないだろうか。





これは棺に入れられる「死者の書」の中の挿絵部分。

オシリスの後ろに立つイシスとネフティスの顔がえらいブッサイクになっているのが分かるだろうか…。体のバランスもおかしいし、オシリスの下腹が出てしまっていて威厳もへったくれもない。

本来はきちんと下線をひいて、体のバランスや顔の形などはルールに従って描く(だからエジプトの壁画は、同じ顔ばかり並んでいる)ものだが、そうした書き方の伝統が受け継がれなかったため芸術レベルが落ちていったものと思われる。











死者の守護者、アヌビス神もこんなカンジになってしまう。

ぱっと見、庭に置いてある犬の置物のようだが、よく見ると首にスカラベの護符を下げており、アヌビスだと分かる。威厳がなくなって、可愛いわんこになってしまっている…。
まあ、こっちのほうが現実の犬には近いんですが。











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