大神殿のナイショ話

神々の憂鬱−永遠の航路



聖書の中に世界の始まりはこうある。「最初にことばありき」
……言葉は発するものを必要として、発した者の力となる形なきものである。
かつて世界が混沌の中より形作られるとき、大地が生まれ、太陽の光はそこに生まれた。
そして言葉は、
時の始まりの力である言葉は、
それを発する者とともに、同じく混沌の中より湧き上がった。



 その時、地上と地下の世界のほぼ全ての存在が、平和を願って祈りを捧げていました。
 何も知らぬ人間たちさえも、胸騒ぎを覚え、神殿に、あるいは家に祭った神像に祈りました。戦いが終わって、ようやく新しい国づくりの始まろうという時です。これ以上、何も失いたくはありません。
 日々の暮らしの中で、働きながら、あるいは誰かと話しながらでも、その胸の中で願いの言葉が呟かれるとき、その言葉は、一つの力となります。
 原初の丘の上に立ち尽くすトトには、その言葉のひとつひとつが、雪のように自分たちの上に降り注ぐように見えていました。

 トト「…何か、聞こえる。なんだろう…この光みたいなものは」
 フゥ「はい? なんですか? なんもありませんけど。(見えてない)」
 ヘカ「いや、聞こえますよ。呪文ですねぇ。それも、まだ形になっていない。(聞こえてはいる)」

 不思議に、時間が止まっているような気がしました。ここが地下の世界だとか、戦っている最中だとか、そんなことは忘れてしまいそうです。
 ずるっ、と音がします。
 振り返ると、太陽神ラーが、そこに立っていました。さっきよりも形が崩れていて、もう、立っているのか這っているのかも区別が付きません。

 辺りには、青っぽい羽根が散らばっていました。

 フゥ「うわー、スプラッタ」
 トト「…大丈夫。ベヌウは死なない。不死鳥だから…」

 勇気を奮い立たせるように、トトは、ラーと向き合いました。

 ラー「逆らってもムダだ。運命を受けいれよ! 形あるものは、必ず滅びるのだ。始まりの存在は、今や、わしと一体化した。始まりには、終わりを決定する力がある。わしから生まれた者たちは、わしの中へと還る。お前たちだけで、この世界を取り仕切れると思うのか!」
 トト「それは…確かに、神は自分を生んだものには逆らえない…でも…。」

 足の下で、大地がかすかに震えた気がしました。
 トトは、はっとして降り注ぐ光に手を伸ばします。

 トト「…違う」
 ラー「何?」
 トト「言葉です、ラー様。ここに、皆の答えがあります。死にたくない、消えたくない、誰も争いを求めていない、平和でありたいと願っている。ラー様から生まれた神々も、人々と同じことを願っています!」
 ラー「なんと。あの裏切り者どもめ。親の言うことを聞かぬ者どもなど、必要ない。飲み込んで、作り変えてくれる」
 トト「それじゃ駄目なんです。あなたは何故、他者の言葉に耳を傾けないんですか。神や人の声が、あなたには届かないんですか?」

 宙を舞う言葉が揺れ、輝きを増したように思われました。

 トト「神は人の心に支えられて生きる、人は神々の力に守られて生きる。誰もあなたを望まない、願われない神は存在してはいけない。」
 ラー「逆らうつもりか。」
 トト「言葉は、人の願いです。世界に言葉が生まれしとき、その言葉より生まれたものが知恵の神となり、人間たちに言葉としての知恵を授けた、…それが僕の本体だ。言葉は創造し、力となって未来を切り開く!」
 ラー「愚かな。存在価値も無いものどもの戯言などに、何の意味があろう」
 トト「存在は価値でも量でもない。一つ一つに意味があるんです。たとえそれが、不和や破壊を引き起こすようなものであっても!」

 地面が裂け、唐突に、眩い光が丘を照らしました。夜明けのとき、太陽の新たに生まれ出る時です。
 しかし…

 ラー「?! これは…」

 太陽神の体は、どろどろに溶けて、ほとんど形を無くしかけていました。

 タテネン「バカじゃん。原初の水は、地下世界の闇の中でしか力を持たないんだよ。地上では消えちまうんだ。つまり、復活したっつっても冥界でしか生きられない体なんだな。ご愁傷様」
 トト「タテネン!」

 いつのまにか、原初の丘は、地上にある丘になっていました。太陽の町オンの神殿を見下ろす、きりたった岸壁が続いています。

 タテネン「あ゛ー…疲れた。久し振りに本体動かしたんで、腰がイタイ。」
 ヘカ「ジジイですな。」
 フゥ「それはともかく、そこまで考えて動いてたとしたら、ナイスです。単なる羊じゃーないんですね」
 タテネン「あぁ?! てめーらガキのくせに生意気だぞ?! あ、アタタ…(泣)」

 騒いでいるのを見つけたホルスが、飛び降りてきます。

 ホルス「トト、タテネン、無事だったのか!」
 トト「ええ。…間に合ったんですね?」

 後から飛び降りてきたハロエリスが、微笑んで頷きます。
 ラーは、彼等を睨みつけてうめきました。その視線は、ホルスではなく、もう一人のホルス…ハロエリスのほうを睨んでいます。

 ラー「ホルス…。貴様…。」
 ハロエリス「随分と無様な格好です。ご自分の光で体を破壊してしまうとは…太陽の輝きは、薄暗がりに包まれた原初の刻の中では輝けず、その逆もまた然りだというのに。」
 ラー「わしに口答えするのか。お前を作ってやった、このわしに!」
 ハロエリス「そしてあなたは失敗した。私は、自分の映し身として、完全なる存在を作ろうとしていた貴方の意向には添えなかった。なぜなら、私には、あなたの望む力は備わっていなかったからだ…」

 困惑しているホルスに、トトは、小さく頷く。天と地の間から生まれたとはいえ、ハロエリスは本来、イシスやオシリスたちとは違う存在だった。男女一組で完全となる神、その一組に対抗する、反対の意味を持つもう一組。4人で完全なはずだった。5人の兄弟神は、その中に、誰とも対にならない1人が入っている。

 ハロエリス「…光でも闇でもなく、調和も不和も生み出せず、太陽でも月でもない。何の役目も持たない。ですが、我が創造主よ。完全であるとは、本来そのような存在なのです。何の属性も持たないからこそ、何にでもなれる。あなたの望む完全なる姿とは、完全に無力であることだ。」
 ラー「信じぬ。そのようなことは…このわしが、無力であるとでも言いたいのか!」

 ホルスが、素早く支配の勺丈を構えます。腰が傷むらしい(笑)タテネンは、こそこそと丘の下へ隠れ、トトの左右に<魔術の力>ヘカと<創造の呪文>フゥがぴったりくっつきます。

 ハロエリス「信じられないご様子ですね。このまま…おとなしく、世界の礎となってくださる気は…」

 答えるかわりに、ラーは太陽の力を放ちます。激しい炎と光が、朝日の最初の一閃をさらに激しくしたように、神々を殴りつけようとしました。ホルスが弾いた炎は岩を嘗め尽くし、蒸発した岩が、しゅうしゅうと音を立てています。

 ハロエリス「無い、ようですね…。」

 溜息をひとつ。
 ラーの力は、老いていても激しく、灼熱の太陽そのもののままに、抗うことを許しません。まともに戦っていては、人間たちの町に影響が及ぶでしょう。

 そのとき、トトが何かを呟きました。

 ラー「…? なんだ、体が…」
 トト「お忘れですか。太陽には支配できない月だけの時間を。一年のうち、4分の1だけは太陽神であるあなたの預かり知らぬ、太陰暦の領域です。」

 そう、この時代、神々の支配する太陽暦と太陰暦は、異なった時の数え方をしていたのでした。
 太陽暦には4年に一度の閏日がなく、太陰暦にだけ、それが存在する。だから、太陽暦に存在しないぶんの時間は、太陰暦を司る神だけのものなのでした。
 かつて、古代の知恵の神が月との賭けによって手に入れた月の時間の支配権が、トトの手には在りました。

 ラー「おのれ。どこまでもわしに、逆らうかッ…!」
 トト「く…ううっ」

 太陽の暦と、月の暦が対抗しあっています。ラーの、時を支配する力はとても強大で、生半可なことでは押さえられません。しかし、この間にも、ラーの体を形作る原初の水は、地上の光の中で溶けて流れ続けていました。

 フゥ「ガンバって下さい! もう少しです。ファイト、トト様ー!」
 ヘカ「ひとりじゃないです。みんなついてますから!」

 多くの魂の祈りの力が、絶対的な輝きを持つ太陽の力を押し留めていました。
 言葉となった意志の力を司るのはトト神なのです。一つ一つは弱く小さな力でも、縒り合わされれば、大きな力となることが出来るのでした。

 タテネン「観念しな。神でも人でも、引き際ってモンはあるんだよ」
 ラー「馬鹿な。認めん…かつて地上を支配した神々の長たるこのわしが…たかが…たかが…」
 ホルス「……。」

 最後の言葉が、大地に吸い込まれる水とともに消えました。形をなくした太陽神は、輝く魂だけの姿となって宙に浮かんでいます。
 止まっていた時が、ゆっくりと動き出します。
 トトは、気が抜けたのと力を使い果たしたのとで、その場に尻餅をつきました。

 空翔ける太陽の船が到着します。

 イシス「終わったわね!」
 ホルス「母さん? どうして、ここに…」
 イシス「ラーの魂を回収しに来たのよ。一日の始まりよ、あまりに日の出が長いのじゃ、人間たちが何事かと思うでしょう?」

 太陽の船を近づけると、魂は船に近づいて、すうっと吸い込まれてしまいます。

 イシス「さあ、ヘカ、フゥ。シアが待っているわ。あなたたちも船に戻りなさい」
 ヘカ「ええ〜? 休みなし?」
 イシス「神の仕事に慰安休暇は無いのよ、残念ながら。ほら、あなたたちがいないと、またラーが文句言いだすわよ。」
 フゥ「ま、仕方ないか。それじゃートト様、また!」

 太陽の魂を抱いた昼の船は、ゆっくりと、いつもどおりの航路へ…東から西へと向かう天の黄道へと戻っていきます。
 人の目には何も変わらない太陽。けれど、それは、かつての太陽とは少し違っているのでした。

 タテネン「どうやら、こっちは片付いたみたいだな。----んで? そっちはどうなんです?」
 イシス「セクメトたちが巧くやってくれているわ。セトも、これ以上は何も出来ないでしょう」
 ハロエリス「まだ、セトを罰するつもりかい? 
 イシス「……。」

 トトが、口を開きました。

 トト「女神マアトの代理として願います。セトを罰しないことを」
 イシス「トト?」
 トト「ネイト様に宿題を貰って、それを考えている時に気が付いたんです。この世界に、絶対に『正しい』ことと『間違っている』ことなんて、無いんだと。『善』と『悪』に絶対の違いは無く、それを決めているのは僕たち自身だった…」

 イシスは、困惑したような視線を向けています。

 トト「だって、そうでしょう。祖なる神に逆らったのは、イシス様たちのほうだ。神としての役目からすれば、セト様は、ご自分の『破壊するもの』という役目に沿っただけで、むしろ正しいのは向こうではないですか。人間たちを守ろうとした行為が間違いだったとは言いません、でも、僕たちは神の原則に逆らったんです。」
 イシス「…あなたも?」
 トト「ええ。僕は使ってはならない太陰暦の力を使いましたし、マアト様は、皆を心配するあまり地上に出て来てしまった。どちらが正しいのかなんて、僕にもマアト様にもきっと分からない。正義なんて、本当は…裁く者によって決められた、都合のいい真実に過ぎません。」
 タテネン「だからって、何してもいいってわけじゃないけどな。」

 タテネン「神なんてもんは、存在そのものが矛盾を含んでる。それはこの世界が矛盾から生まれてるからだ。不和をもたらす神と、調和をもたらす神がいる。だから、世界は永遠に争い続け、人間は神に祈りつづけるんだ。」
 ホルス「戦いは永遠に終わらない。…では、神というものが存在しなかったら、この世界はどうなっていたのだろう。」
 タテネン「どうって? 存在しないんじゃないのか? それとも」

 タテネンは、にやっと笑ってトトを促します。あとはお前が言え、というように。
 彼は、空をゆく太陽の船を見上げて、こう呟きました。

 トト「…永遠に変わらない世界になっていたかもしれない。でも、そんなことは分からない。ただ一つだけ確実なことは…それは、僕たちが、今ここにいるっていうことだ…。」

 長かった混迷の季節が終わり、今ようやく、砂とナイルの恵みの国に、新しい時代が訪れようとしていました。

                                                     >続く



前へ   戻る   次へ