大神殿のナイショ話

神々の憂鬱−冥界神ソカリスの祈り



 次々とあらわれる化け物、不完全な生き物を相手に、神々はよく戦いました。
 先頭を切って戦うのは恐れを知らぬセクメト女神、後につづくネイト女神やその他の戦いの神々。
 イシスは、ただ一点、セトをのみ睨みつけています。

 イシス「これ以上、戦いを長引かせるわけにはいかないわ。」

 彼女は強力な呪文を唱えようとします。セトもそれに気がつきました。

 セト「…フン。どうやら、本気で、この私を葬るおつもりらしい。」
 イシス「あなたの相手は私がするわ。すぐにオシリスと同じ場所へ送ってあげる。覚悟なさい!」

 セトは、せせら笑って言いました。

 セト「そうして、また終わりなき戦いをしようというのか? 決着がつかんことは、もうずっと昔に分かっているはずだぞ。我が姉上は、よほど争いがお好きらしい」
 イシス「黙りなさい! 誰がそうさせているの? 誰も戦いなど望みはしない。だのに、どうしてあなたは、いつも…」
 ホルス「母さん、避けて!」

 イシスは、怒りの表情のまま、頭上に飛び掛って来たヘビを一撃のもとに打ち伏せます。セトは薄く笑いました。

 セト「…口では何とでも言えるものだ。結局、貴様も争いを収めるために争いを生み出している。罪には罰を、流された涙には血を持って酬い、力には力を持って報復を。それが、貴様の流儀だろう。」
 イシス「言いたいことはそれだけなの?」

 誰も、この戦いを止めることは出来ませんでした。セトを止めることが出来るのはイシスのような強力な神々だけ。それに、みな、抗い難い罪を犯したセトは、罰されるべきだと思っていたのでしょう。
 けれど、ただ一人だけ、セトに味方しようと現われた者がいたのでした。

 ネフティス「待ちなさい…」
 セト「!」
 イシス「ネフティス?! 何をしているの! そこを退きなさい!」

 しかし、彼女は退きません。それどころか、両手を広げてイシスとセトの間に立ちふさがったのです。

 ネフティス「この人は殺させないわ。それが、私の役目。真実も偽りも、正義も悪も所詮は同じことなのよ、姉さん。」
 イシス「何を言っているの、ネフティス! とつぜん現われて…今までどこにいたの。セトが何をしたか、知っているの?」
 ネフティス「知ってるわ。この人は、祖なる神に従ったのでしょう。それが、どうして悪いことなの?」

 イシスは、言葉を失います。そこにいるのは、普段のネフティスではありません。アヌビスでさえ、戸惑っているようでした。

 ネフティス「ここにいる神々のほとんどは、太陽神ラーから生まれた者のはずよ。それなのに、どうして逆らうの? 原初の神アトゥムはすべてを生み出した…なぜ拒むの? 正しいことと、間違いとを決めているのは誰なの? あなたたちは、自分たちの大祖を否定したのよ。それが、どうして正義なの。」

 セトは、押し黙ったま、ネフティスの背中を見つめています。
 おそるおそる、セシャトが口を開こうとしました。

 セシャト「でも…私たちは…」
 ネフティス「黙りなさい。私たちとは根源を異にする神よ」

ぴしゃりといわれて口を閉ざしかけたセシャト、しかし、彼女も知恵の神です。黙ってしまうことは、しません。

 セシャト「だからどうだっていうんです? 私たちはみんな、どこから生まれてどんな役割を持つ者でも、この世界の秩序を守るために存在するんじゃないですか。自分を否定してまで、祖なる神に従わなきゃいけないんですか? 人間をまもる役目を持っている神が、どうして人間たちに仇なす行為を許せるんですか。私たちは、決められた役割をこなすだけの道具じゃありません。ひとりひとり、意思を持っているんです!」

 そのとき----

 ハロエリス「その通りさ。そこのところが、ラーとオシリスの一番の違いだったね。」
 イシス「!」
 ネフティス「…兄さん」

 セトは苦い顔をして、そっぽを向きました。
 彼は、向かい合うイシスとネフティスのちょうど真ん中あたりに降り立ちます。

 ヘジュ・ウル「おぉ、二番目の。久し振りじゃな」
 ハロエリス「こんにちは、銀老。どうやら、間に合ったようですね。」

 にっこり笑い、ハロエリスは、3人の兄弟たちを見回します。

 ハロエリス「さて、と。相変わらずだね、君たちは。ケンカするほど仲がいいっって言うけど、これは少しやりすぎだろう。」
 イシス「どうして、あなたがここに…」
 ハロエリス「ふふ、なぜだろうね。ときに、セト。」

セトが、気まずそうな顔で振り返ります。

 ハロエリス「聡いキミのことだ。ラーが、この世のすべての神々を生かしておかないだろうことくらい、気が付いているんじゃないのか? 原初の神と融合した彼の望みは、おそらく、全てを飲み込み、世界と一体化することだよ。」
 セト「……。」
 イシス「私たちも、一部として飲み込まれてしまうわ。混沌へ還るつもりなの、セト!」
 セト「それが運命なら仕方あるまい。」
 ハロエリス「おや。キミはいつから運命に素直になったんだい? あんなに、運命というものを変えたがっていたくせに。」
 セト「人も神も変わるものだ。絶対たる力を前にして、変わらずに居られる者はいない」

 はっとして、イシスは地上を見下ろしました。
 ただならぬ気配が、地下の世界から迫ってきます。

 イシス「…何か来るわ!」
 セト「ラーが蘇る。太陽の丘より、新たな太陽は生まれる。」

 神々の目には、ナイルの東、太陽の町オンの辺りに漂う風のようなものがはっきりと見えていました。アポピスの纏う混沌の炎にも似ています。しかしそれは、光と闇とが複雑に交じり合った、独特の気配なのでした。

 ハロエリス「なるほど、再生の道を辿って地上に出てくるつもりか。西の地平線より沈んだ死せる太陽が、東の地平線から新たに生まれ出る大地の産道。…ネフティス、再生の道の出口はキミの管轄だ。冥界の門を閉ざせ!」
 ネフティス「……。」
 イシス「ダメよ。あの子は今、自分の本来の役目と感情との間で混乱しているわ。」
 ハロエリス「やれやれ。…セトのお蔭で、皆が警戒してそれぞれの守護地を守っているのが幸いしたな。少しだが、時間は稼げる。」

 彼は、振り返ってホルスに言いました。

 ハロエリス「ホルス、ひとつ手を貸してもらえないかな。」
 ホルス「何ですか」
 ハロエリス「オンの町に結界を張る。あそこはもともと太陽神殿の町だから、ラーの炎にも耐えられるはずだ。」
 ホルス「…どうして、母さんじゃなくて僕なんですか?」

 ハロエリスは、にっこりと微笑みました。

 ハロエリス「太陽と月と、両方の力を持つ者が、ここには私たちしかいないからさ。キミはトトから月の左眼を受け取っているだろう? だったら、大丈夫さ。」
 ホルス「…?」

 慌しく動き始める神々の世界の時間。
 そのとき地下の世界では、死せる神々がオシリスのもとを訪れていました。

 ケンティ・イルティ(瞳に再生の力を持つ神)「あなたが我々を呼び寄せるとは珍しい。力を失い、冥界に落ちた者たちに何用ですか?」
 オシリス「頼みがあるんだ。皆、太陽神ラーの企ては知っているね?」

 神々は、暗い表情で顔を伏せます。ここにいる神々は元々、太陽神ラーの眷属であったものがほとんど。冥界での騒ぎも知っていますが、どう感じていいのか、判断がつきかねているのでした。

 オシリス「祖なる神に逆らうことは大罪を意味する。しかし、あなた方はもう死んでいる。…裁きを受けることはない。かつて地上の秩序のために生きたことを思い出し、自分の気持ちに素直になって、いま一度、地上のために力を貸して欲しいんだ。」
 ヘンタメンティウ「…確かに。我等とて、全てを無に帰し、秩序を作り直すという自分本位の考えには賛同しかねる、しかし----」
 ケンティ・イルティ「死せる神に、どうして地上に干渉が出来ましょう。オシリス、あなたでさえ、地上世界には干渉する力を持たぬではありませんか。」

 オシリスは、にっこり笑って柱の影に振り返りました。
 宮殿の中を流れる川の向こうに、影のように佇む、一人の神がいます。
 それは、滅多に人前には姿を見せない冥界の門の番人、ソカリスでした。

 オシリス「少しの間、冥界の出入り口の規制を緩めてくれるよう交渉した。」
 ケンティ・イルティ「しかし…、我々には、もう力は残されてない。ただの魂である我々に、どんな力があるというのです?」
 オシリス「あるさ。誰にも奪えない力が、あなたたちにも」
 ケンティ・イルティ「?」
 オシリス「言葉の力だ。あなたたちは、ただ祈り、願うだけでいい。死者の楽園にいる人間たちの魂も、地上に生きる人々のために祈るだろう。ただ一言、思いをこめて口にするその言葉が、力ある呪文となる。」

 暗い闇を纏うソカリスは、ただ、静かに頷きました。

 ソカリス「…死者の言葉であっても、生きた者のそれと変わることはない。なぜなら、言葉は魂から生まれるものであり、魂の消えぬ限り、力を失うことは無いからだ…。」

                                                     >続く



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