大神殿のナイショ話

神々の憂鬱−星の翼、ハロエリス帰還



 ずずん、と、どこかで大きな重い音がした気がしました。その衝撃で、水の表面に大きな波紋が広がります。
 地面の下深く、水の滴る空洞内。

 トト「あいたたた…。」

 途中で翼を広げたからいいようなものの、勢いあまって岩に激突してしまったトトは、どうやらしばらく気を失っていたようでした。ふらふらしながら起き上がると、辺りは薄ボンヤリと明るい世界。地面に広がる、泥のような水が輝いています。

 トト「ここは…、これが、原初の水…?」
 タテネン「おっ、いたいた。おーい、無事かー?」

 突き落とした本人、タテネンがやたらハイテンションに駆け寄って来ます。

 タテネン「鳥のくせにだらしないなーもー。何やってんだよ」
 トト「…何でそんなに元気なワケ?」
 タテネン「ごはんキッチリ食べてるからだ!(びしっ)」
 トト「聞いた僕が馬鹿だったよ。」

 声が反響して、天井から、透明な雫が滑り落ちます。
 辺りはシンと静まり返り、動くものは他にありません。セトやヘプリの姿も見当たらないのです。
 一緒に来たはずのベヌウもいなくなっていました。
 彼らを探すため、原初の水の淵を歩き出すトトとタテネン。
 そこは、何とも不思議な感じのする場所でした。

 トト「何だか変だな…。ここには来たことがないはずなのに、なぜか、見たことがあるような気がする。」
 タテネン「そりゃそうさ。オレたちは、ここから生まれたんだぜ?」

 あっさり言うタテネン。

 タテネン「他の連中はともかく、オレやお前の原型は、辿ればここに行き着くんだぜ。人間の記憶は、個体が死ぬと消えちまうが、オレらは神だかんな。記憶は、少しずつ次の世代に伝わっていく。世代交代の激しいお前ら知恵神でも、そこそこは記憶してるんだな。」
 トト「…。僕が記憶しているのは、先代までの知恵の神たちの生み出した知識の記憶だけだよ。そんな昔のことは、覚えて無い。」
 タテネン「そうか? ま、そんなことはどうでもいい。大事なのは、オレたちが『ラーの子孫じゃない』っつーことだ。」

 祖先にあたる神を攻撃することが出来ない、というのは、長生きなので何代も先の神と同じ世界に住むことの多い神々にとっては、忘れてはいけないルールでした。
 それは、人間にとっての、「ご先祖さまを大切にしなさい」「両親を敬いなさい」というのと同じこと。太陽神ラーを祖とする神々は、いかなる理由があっても、ラーを直接攻撃は出来ないのでした。

 タテネン「普段はどっちつかずでイヤンな立場だけど、こーいう時はベンリだよな。直接の先祖がいねーんだもん。わはは、オレ様に怖いモンはないぜ、ってか?! ははは!」
 トト「……。」

 不安げなトト。と、そのとき、タテネンが声を上げました。

 タテネン「おー! ようやく見つけたぜ、あンの野郎!」

 彼の声が指し示した方向、行く手の、奇妙な形の岩が林立する辺りに、ヘプリが、立っているのが見えました。
 しかし、一人です。ラーもセトもいません。

 ヘプリ「やれやれ…。来てしまいましたか。」
 タテネン「よぉ、フン転がし。セトはどーした?」
 ヘプリ「セト様はここにはいませんよ。それにしても、貴方の存在をスッカリ忘れていました。そういえば、数少ない『原初の刻』からの神でしたね…アナタは。」

 なにやら、いつもと雰囲気の違うヘプリ。おちゃらけた『虫』では、ありません。トトは、少し嫌な予感を覚えました。
 辺りに立っている、奇妙な岩の柱。もともと、ここに在ったものでは無いでしょう。一体…

 天井に向けて立つ柱。その先には、たった今くずれたような大きな穴。どこまでも続く…地上へと。その先には…

 トト「まさか!」
 タテネン「なんだ?」
 トト「セト様たちは、もう地上へ向かってしまったのか?!」

 ヘプリは、軽く笑ったようです。

 ヘプリ「そう。一足遅かったようですね。セト様はここにはおられない…と、いうわけで、あなたがたのお相手は、私がいたしますよ」
 タテネン「おいおい。お前、オレたち二人相手に一人で戦えると思ってんのか?!」
 ヘプリ「一人ではありませんよ。」
 タテネン「!」

 ヘプリが合図をすると、地面が揺れ動きます。柱の表面にヒビが入り、剥がれ落ちた下から青白く光る手が延びます。
 何本もの手が宙を飛び交い、トトとタテネンめがけて襲い掛かってきました。

 トト「これは…」
 タテネン「ヘテペトの手、原初の神アトゥムの一部だ! くそ、忘れてたぜ。アトゥムは受動的なんだが、コイツはやたらヤル気なんだよなっ!」

 トトはあわてて宙へ逃げますが、タテネンは飛べません。あっというまに手に捕まり、からめとられてしまいました。

 タテネン「くっそー! 鬼ごっこは昔っから苦手だったしオレって!」
 トト「そんな冗談言ってる場合じゃ無いよ、今、助ける…」
 タテネン「そんな時間はねぇよ!」

 魔法で助けようとしたトトに、普段にはないタテネンの厳しい声が飛びます。

 タテネン「丘を探せ! ベヌウがそこにいる。行けば、どうすればいいのか分かる。お前だったら!」
 トト「…分かった!」

 何が何だかわかりません。でも、タテネンがそう言うのです。こうしている間にもセト神と他の神々が地上でぶつかりあっているかもしれません。
 タテネンの意図を確かめる間もなく、トトはその場から飛び出します。
 何か、頭の中で、まとまらない考えが渦を成していました。

 世界のすべてが始まった場所で激しい戦いが繰り広げられているその頃、神々の世界もまた、緊張の中に在りました。


 イシス「セト…。」

 神々が戦の準備を整える中、彼らの前に、唐突に姿を現した裏切りの神…セト。誰もが、思いも寄らなかったほど自然に。

 ホルス「セト、反逆者に下される断罪は分かっているだろうな。」
 セト「フ…。再び、この私と戦うつもりか、ホルス。それが如何なる結果になるとしても」
 イシス「強がりはお止めなさい! あなたには、あの時のような味方はいないのよ! もはや、あなたに味方する神々は、誰もいない!」
 セト「味方なら、居るとも」
 ホルス「何?!」
 セト「ここにな…。」

 言うなり、セトはうっすらとした笑みを浮かべて、手にした支配の勺杖を掲げます。すると、空に闇が生まれ、そこから無数の形なきものたちが降り注ぎました。

 ホルス「これは…!」
 イシス「いけない、みんな下がりなさい!」

 それは、蛇や蠍といった、人間たちから恐れられているものに変わり、中には、不完全なまま、罪人の心臓を食らう化け物、アメミットのような合成獣の形になるものもいます。

 ホルス「何だ、これは?! なぜ化け物が! セトには、こんな力は無いはずなのに…」

 そのとき、アヌビスがはっとして叫びました。彼の目が金色に輝き、その声は、低く、唸るようです。

 アヌビス「奴らは…冥界の存在だ。死者の魂に手を出す邪悪な霊たちだぞ!」
 ホルス「冥界?!」

 黒犬、ウプウアウトが女神ネイトを伴って素早くかけよります。彼らはともに、戦の神として同じくサイスの町を拠点としているのです。

 ウプウアウト「うっひゃあ、こいつぁまた大量だな〜…。どうするよ、ネイト様。」
 ネイト「(矢をつがえてつつ)仕方があるまい。奴等が地上に出てくるなど在り得んことだが、今はそれが起きているのだから。」
 セト「ふははは! 貴様ら軟弱な神どもに、もはや味方など求めはせん。」
 イシス「セト…! あなたという人は…!」

怒りに燃えたイシスが前に出ようとするより早く、脇をすりぬけたセクメトが立ちます。
 これには、セトも一瞬、顔をこわばらせました。

 セクメト「…私がこのような下衆な輩を嫌うことは知っていような、セト。燃やしつくしてくれるわ!」
 セト「ふん…いきがるな、ラーの娘。貴様の炎はとうに萎え、獅子は子猫になって家庭に納まっておるわ。大人しく、ひっこんでいれば良いものを」
 セクメト「私を愚弄するか。良いだろう…その愚行、身をもって思い知らせてくれるわ!」

 セクメト女神は力ある獅子の女神、破壊を司る最強の戦闘の神です。その彼女を本気で怒らせると、とんでもないことになります。

 イシス「みんな! 彼女が暴れた余波が地上を荒らさぬよう、防御しなさい!」
 セクメト「グルルル…」

 セクメトは、金色に輝く巨大な獅子の姿に変わっていました。口からは灼熱の炎を吐き、その炎に触れたものは、何であろうと焼け落ちてしまうのです。
 しかし、セトのほうも、次々と化け物を召喚していました。

 ネイト「キリがないな。」
 アヌビス「…。しかし妙だ。奴は、一体何処から…。」
 セシャト「アトゥムの創造せし混沌だわ…。」

 いつのまに其処に来ていたのか、トトの妹、セシャトが立っていました。自分でも驚いたような表情で、空を見つめたまま呟きます。

 セシャト「…すべてを創造するとともに、すべてを破壊するもの、彼であり、彼女であるアトゥムに創造されたものよ。でも、アトゥムには、人や神の『心』を創造することは出来ない…それは、静かに育ってゆくものだから。だから…あれは、ただの化け物になってしまっている」
 ホルス「セシャト?」
 イシス「これは…」
 ヘジュ・ウル「記憶じゃよ。代を重ねるごとに受け継がれていく、神の記憶。」

 古い狒々の神が、のんびりと言いました。

 ヘジュ・ウル「太陽神ラーには、原初の刻の記憶は無い。だから、ラーを祖とする神々は、地底の奥深くに眠る『はじまりの地』を知らん。だが、わしらのように別の系統から生まれた者は、それを知っている。…受け継いでいるからだ。」
 イシス「ラーではない系統から生まれた神々だけが知っていると…。」
 ヘジュ・ウル「そういうことになるな。」

 神々の系譜はかなり複雑に絡み合っていて、大抵の神はどこかでラーに繋がっているものですが、原初の神や、自らの力で自分という存在をつくりだしたような創造神たちは、それとは関係なく存在します。
 だから、この国には、多くの創世神話があり、多くの神話系統があるのでした。

 ヘジュ・ウル「しかし、厄介じゃのー。相手が無尽蔵に生命を生み出す原初の神だとすると、この戦いは、いつまで経っても終わらんのー。ヤング風に言うと、『ねばぁ・えんぢんぐ』と、いうやつじゃな?」
 セシャト「おじいちゃん、それ言うなら『ネバーエンディング』よ…。」
 ヘジュ・ウル「そうじゃったか?」
 ホルス「…と、いうことは、元を断たなければ駄目なのか…。」

 空を縦横無尽に駆け巡る獅子の女神セクメト吐きつける炎が、次々と化け物を焼き払い、撃ち落しています。しかし、それでも、化け物の数は一向に減りません。
 元を断つということは、原初の神アトゥムの動きを止めるということでしょうか。
 けれど、今、それが出来るのは、地下世界に行った神々だけです。


 ----そして、この頃。
 一羽の鷲が、神々の知らない通路を通って、砂とナイルの恵んだ国へとやって来ていました。

 ハロエリス(大ホルス)「…さて、と。」

 とりあえず、河口に近い町の、焼き払われた神殿の上にちょこんと停まります。ある程度の話は聞いていたものの、ナイル下流の町の荒れ方は、思っていたより酷いようでした。
 人間たちが復興に当たっていますが、それも、まだまだです。

 ハロエリス「この分だと、上(神々の世界)のほうも…。」

 と、そのとき、下のほうから、甲高く鋭い声が飛びました。

 ベス「いやッほう!」

 少し銀色がかった、カールした鬚の陽気な神が、軽やかなリズムとともに現われます。歌と踊りの神、ベスです。指にカスタネットをもち、カシャカシャと鳴らしました。

 ベス「こりゃーホルスの旦那。お久しぶりで。北の国にも聞こえたるこの大戦、いずれかに加勢されるおつもりで?」
 ハロエリス「ベスか。…いや、トトから連絡を貰ったので、とりあえず戻って来てみたんだが、状況がわからなくてね。今は、どうなっているんだ。」
 ベス「そいつぁ、話すと長いですが」

 ハロエリスは、翼を広げ、ふわりと地面に飛び降ります。彼の留まっていた神殿は、どうやらベス神の祠だったようでした。

 ベス「ちょいとマズいことになってますね。太陽神の座が移行されます。でもって、原初の神々ははじまりの場所へと降りていきましたヨ。」
 ハロエリス「…と、いうことは、太陽の生まれし場所、はじまりの丘…か…」
 ベス「左様で。さてさて、どうなさいます、旦那。」
 ハロエリス「成すべきことは、分かっているよ。」

 ベスに笑顔で別れを告げ、神々の住む世界へ向けて、真っ直ぐ飛び立って行くハロエリス。
 果たして彼は、セトとホルスの再度の戦いに、間に合うのでしょうか…?


                                                   >続く



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