大神殿のナイショ話

神々の憂鬱−破壊女神セクメト降臨



 トトたちが地下世界に向かっていた頃、地上に残された神々は、ホルスを中心にして一つ所に纏まっていました。
 こんなに大勢の神々が集うのは、神々の王権争い以来のことです。しかし、今回は、かつてとは違います。何しろ、世界の存在そのものを危うくする事件なのですから。

 イシス「セトが残していった結界は解けたようね。とりあえず、本社へ復帰しましょう」
 ホルス「…その前に、ひとつ、成すべきことがあります。」
 イシス「何?」
 ホルス「新たな太陽神を選ぶことです。」

 彼のこの言葉に、大きなどよめきが起こりました。太陽神…と、呼ばれる神々は数多くいますが、このときホルスが言ったのは「その頂点に立つのは誰か」、=国の主神になるのは誰なのか、と、いうことです。

 ネイト「…そうだな。ラーは国も我々も裏切り、自らのために行動した。それは神としてあるまじき行為。追放されても、文句は言えん」
 ヘジュ・ウル「確かに。当然じゃな」
 アヌビス「太陽神の移行…。この国始まって以来のことだ」
 ホルス「異存のある者は?」

 みな、出来るのか不安げな表情ですが、異を唱えようとする者は誰ひとりいません。いくら多くの神々の祖神であっても、神としての秩序は、絶対です。神は決して、人間のように、一個人の利益を優先させてはならない、自分の役割を最大限に果たすべしというのが掟なのでした。
 この掟を破った者は、いかなる者であれ、処罰されなければなりません。
 そして、この「弾劾裁判」とも呼ぶべき裁きを司るのも、やはり、真実と秩序の女神マアトなのでした。

 ホルス「マアト様、承認を。」
 マアト「…承認しましょう。太陽神ラーの座を廃棄し、その権利を他者に譲ることを」

 このとき、神々の世界は革命の時を迎えました。それまでの旧体制に変わる新しい秩序の確立。ちょうど、人間たちの世界でも、混迷の時代を抜け、新たな王朝が築かれようとしていたのと同じように。

 ホルス「業務開始、最初の大仕事になる。太陽神としての能力をもつ者、その中で最も人間たちの信仰を集めているのは誰か。」
 イシス「……。」

 神々は、顔を見合わせて隣同士、相談しあっています。

 ハピ「…それは、アメンではないかと思う。」

 ひとりの青い肌をした男神が口を開きました。彼は国を南北に真っ直ぐ貫く、ナイル川の化身です。下流地域のことはすべて知り尽くしているのでした。

 ヘジュ・ウル「おぉ、そうじゃな。今回、王権が避難していたのも奴の町テーベじゃし」
 ホルス「そうだな、私もそう思う。」
 イシス「……。」

 イシスは、何か意図ありげに、ホルスの横顔をじっと見守っていました。
 神々はそれぞれに協議をはじめ、辺りはざわつきます。そのすきに、イシスはそっと、息子に近づきました。

 イシス「本当に、彼を主神に据えるつもりなの? いいの、ホルス?」
 ホルス「何が、ですか。」
 イシス「私たちは、彼の真の名を知らないのよ。」

神々は、すべて、真の名前というものを持っています。
 イシスやホルスといった、人間たちの口にする名前は表向きのものであって、彼らの属性、本質そのものを示す真の名ではないのです。
 その名を、イシスとホルスだけが知っていました。
 かつて、ホルスが誕生する前、イシスは、太陽神ラーを罠にかけ、彼と、すべての神々の真の名をすべて聞き出しました。そして、それをホルスにも教えていたのです。ですから、彼女たちは他の神々を支配することが出来ますし、望めば、容易く傷つけることも出来ます。
 しかし、ただひとり、アメン神だけは違っていました。

 アメンの名は、イメン<隠されたもの>…の、言霊です。ラーでさえ、彼の名は知りません。なぜなら、名を隠されていることこそ彼の本質であり、誰にも知られないことが、アメンの真の名でもあるからです。

 イシス「私たちは、彼を支配することはできないのよ。」
 ホルス「だから、どうだっていうんです?」
 イシス「どうって…。あなた、それでいいの?」

 ホルスは溜息をついて、言いました。

 ホルス「母さん、僕はもう子供じゃない。そんな子供じみた論理で、最も相応しい者を遠ざけるなんてことがあっていいはずがない。母さんは、自分より強い者を認めたくないんだ。自分が一番じゃないと気がすまないんだよ。」
 イシス「ホルス、あなた…。」
 ホルス「魔法で神々を支配することが真の王なの? それは、力で支配することと同じじゃないか。母さんも、セト叔父さんも、同じことをしてる」
 イシス「私がセトと同じだって言うの?!」
 ホルス「同じだよ。自分が一番だと思ってて、自分ひとりで何でも出来るって信じてる。本当は、僕たちは誰も、一人では壊すことしか出来ないのに…。」

 口を閉ざすイシスの側を通り抜け、ホルスは、神々に向かって言います。

 ホルス「答えは出たのか? アメン以外に適役があるという者は。」

 神々は口々に、アメン神こそ太陽神にふさわしい、と言います。冷たく合理的なラーよりは、アメンのような元・地方神を好いている神は、かねてより多くいたのでした。

 ホルス「では、すぐにアメンに連絡を。何より、本人の了承を得なくては。ネクベト、いるか?」
 ネクベト「ここに。」

 ナイル上流地域の守護者、白い翼を持つ禿鷲の女神ネクベトが風のように現われます。

 ホルス「テーベは君の守護地域だ。翼のある君なら早く着く。頼めるかい」
 ネクベト「心得ました。」

 彼女は空に飛び立ち、テーベを目指し青い空を一直線に消えていきます。その姿を見送ったあと、さらにホルスは続けました。

 ホルス「それから、これはラーとの戦いも意味する。トトやタテネンが地下に向かってくれたが、彼らだけでは止められないだろう。セトのこともある。この神界も巻き込まれることは覚悟しなければならない。」

 神々は険しい表情です。いかなる理由があっても、身内の神と刃を交えることは気のすすむものではありません。

 ネイト「あの人のことだ…。すなおに座を譲り渡しはしないだろうな。」
 ホルス「ラーと戦う軍を必要とする。同時に、人間世界が余波を被らないようにもしなくてはならない。守護地域を持つ者はすみやかに自分の町へ帰り、結界を強化するように。力の足りないものは、こちらから援護する。」

 神々はそれぞれに、自分の祀られている町や村へと散って生きます。特定の守護地域を持たない神は、ほとんどいません。また、持っていて、町を守りつつ戦えるほど余力のある神も、ほとんどいないのです。

 後に残っているのは、引退した神や戦い専門の神など、ごく少数でした。

 イシス「…。心もとない、わね。」
 ホルス「ラーは母さんの魔法の力で押さえられるんじゃないの? 母さんは、ラーの真の名前を知っている」
 ヘジュ・ウル「いや。コトはそう簡単じゃないぞい。」

 言ったのは、ヘジュ・ウルでした。イシスに向かっていいます。

 ヘジュ・ウル「お前さんがラーを罠にかけたあの時とは、事情が違っとる。ラーは、原初の神アトゥムとの融合を目論んでおる…。アトゥムは『在って無きもの』、つまり、言霊なんぞは効かん。言霊ってのは、存在の本質に働きかける魔法じゃからな。」
 ホルス「では、魔法で対抗せよ、と…?」
 ヘジュ・ウル「それも、どうじゃろうな。さてもお前さんたち、魔法の源…とは、何だと思う。」

ホルスは、怪訝そうな顔をしています。

 ヘジュ・ウル「アトゥムは、四大元素の創造者じゃ。つーことは、元素を使った魔法は、一切通じん。火も大気も大地も水も、吸収されるだけじゃな。」
 イシス「……。つまり、私たちでは勝てない、と?」
 ヘジュ・ウル「残念だが、そういうことじゃな。魔術の女王でも、肝心の魔術を封じられてはの。」

 誇り高いイシスは、自分が無力だと言われたことに対し顔を赤らめています。けれど、彼女は何も言いません。
 唇を噛み、きびすを返して足早に立ち去ってしまいます。

 ホルス「……。」
 ヘジュ・ウル「やれやれ。まったく、ああいうところは昔から変わらずじゃな。」

 老いた狒々の神は、ひとつ、溜息をつきました。

 ヘジュ・ウル「何でもかんでも、自分ひとりで背負おうとする。悪い癖じゃ…。気丈で、責任感の強い娘なんだがな。」
 ホルス「そういえば、あなたは母さんたちの若い頃を知ってるんですね。父さんが生きていた頃のことも」
 ヘジュ・ウル「あぁ、よく知っとる。お前の親父さんだけじゃな、ラーに真っ向から対抗したのは。あれは…女神セクメトが生み出され、人間たちをみな滅ぼそうとした時だった。」

 それは、もうずいぶん遠い昔のことのように思えました。
 人間たちの大きな王朝が生まれる前です。神々の世界を二分する大きな戦いの前で、力の弱い小さな神々も、たくさんいました。今と変わらない面子もいますが、多くは、かつて存在しなかったか、もう存在しない神々です。

 ヘジュ・ウル「懐かしいような、寂しいような複雑なものじゃな。かつての仲間も、さっさと逝っちまったしの。…」
 ホルス「ラーは…今度は、僕たち神の一族も滅ぼそうとするでしょうか。」
 ヘジュ・ウル「さあなぁ。わしは月神、太陽神の考えることは分からんよ。激しく昼の世界を照らす炎は、いつかその激しさで世界を焼き尽くしたいと思うのかもしれんな。」

 しかし、かつてとは状況は違うのだということを、ホルスも知っていました。
 今はもう、主神だけが大きな力を持つ時代ではありません。多くの神々が、太陽神に匹敵するほどの力をつけ、それぞれの信者や守護地域を獲得しています。
 そして、太陽神によって生み出された神々もまた…。


 神々の輪を離れようとしたイシスは、足を止めます。

 イシス「…あなたは」
 セクメト「……。」

 美しいけれど鋭い瞳を持つ、破壊の女神セクメトが、息子のネフェルテムを連れて立っていました。

 セクメト「息子から話は聞いた。私も手伝おう」
 イシス「何ですって? あなたが? なぜ」
 セクメト「私も神の一員だからだ。この世界の秩序のために在る」

 簡潔な彼女の言葉は常に力に満ち、一切の迷いを含みません。
 ネフェルテムが続けました。

 ネフェルテム「ラー様は、『セトの邪魔はするな』って言ったんです。だから母さんは今まで動けなかった。創造主の意思には逆らえないから…。でも、ラー様ご自身の邪魔をするな、とは言われなかった」
 イシス「親を裏切るというの?」
 セクメト「裏切るのではない。眠っていただくのだ。親の過ちを正すのも、子の務め。私など、しょっちゅう息子に砂糖と塩の間違いを指摘されているが」
 ネフェルテム「母さん、それ違う。…だいたい、母さんの料理、いつも味付けが大雑把過ぎるんだよ…。」

 破壊女神は料理が好きらしい。(ボコボコにする、の意も在)
 なんてことは置いておいても、セクメトの参戦はかなりの戦力になるはずでした。何しろ、エジプト神族最強の戦の神、そのあまりにも強大な破壊力ゆえ、人間どうしの戦いに参加すると地上を焼き尽くしてしまうほどなのです。
 ラーの右目から生まれた彼女には、強力な太陽の力もありました。

 イシス「…ありがとう。あなたがいてくれると本当に心強いわ」
 セクメト「大したことではない。後の連中も、耄碌していなければ直ぐに来る」

 こうして、太陽神ラー直属の神々も戦いの準備に参加しはじめている中…
 地下世界に落ちたトトとタテネン、そしてベヌウは。

                                                    >続く



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