大神殿のナイショ話

神々の憂鬱−太陽神ラーの復活



人々が神を敬うのを忘れた時、太陽神ラーは人間を滅ぼしてしまおうと
自らの怒りと憎しみから、破壊の女神を生み出した
彼女の名はセクメト 最も力ある獅子の女神
しかし彼女の破壊があまりにも凄まじいのを目にした神々は、ラーを諌め
セクメトを捕らえるために策を案じた。…---セクメトによる人類殺戮の神話


 地底の奥深く、タテネン神の支配力も及ばない『時のはじまりの地』には、薄暗く、しかしぼんやりと光る世界が広がっていました。
 光を発しているのは、足の下に広がる巨大な「海」…、原初の水、ヌンでした。時々、生きているかのようなコプコプと泡をたてています。ゆらめくさまは、寝返りをうつようにも見えました。
 静まり返った、音のない世界。生命の気配に満ち溢れていながら、生きてはいない世界。音をたてているのは、セトとヘプリだけです。

 セト「原初の水、とは言うものの、まるで『泥』だな。フン…」
 ヘプリ「そんなもんですよ。ただの水からじゃ何も生まれませんよ」
 セト「そういえば、貴様も泥から生まれたのだったな。」

 いつも笑顔の(お面な)ヘプリの微妙な表情は、全く分かりません。セトは、普段から、このヘラヘラした神のことを気味悪く思っていました。
 何をするでもない、何の役に立つでもない。それほど力があるわけでもないのに、高位の神々のすぐ近くにいる…。
 セトとて、その真の役割りを知ったのは、この計画が始まってからなのでした。

 セト「ヘプリ、とは『ヘペル』…<存在にいたるもの>の言霊だ。貴様は、ラーが復活のために生み出した神…。いわば、太陽の魂の分身だ。」
 ヘプリ「いやですねぇ〜。僕なんかカスっぽいでしょ? そんな、太陽神サマの分身なんてエライものじゃないですよう〜」
 セト「フン。この期に及んで謙遜はやめろ。そんなふざけた格好をしているのも、フン転がしなどというモノを神聖動物に選んだのも、我々を誤魔化すための策略なのだろう。いかにも、ラーらしい姑息な手段だな。」

 気に食わない、と言うように歩調を速めたセトは、水際まで行って足を止めました。そこから先は、どこまで続くのか分からない、「海」---です。
 追いついてきたヘプリが、言いました。

 ヘプリ「あんまり近づかないほうがいいですよぅ。ヌンは、命を生み出すとともに命を吸い取る水なんです〜」
 セト「フン。物騒なものだ。ここが地下世界の下にあるというのもうなづける。…誰も来んだろうからな。さぁ、とっとと済ませてしまえ」
 ヘプリ「はいはい。」

 ヘプリは魔法で小さくしていた太陽神ラーの肉体の入った柩を元の大きさに戻して、そろそろと地面に下ろしました。もちろん、体だけでは何も出来ません。魂を取り戻さなくてはならないのです。

 セト「そろそろ、日没の時刻だ…。」

 天井を振り仰いだセトの呟き。
 ちょうどその頃、トトとタテネン、それにベヌウは、地下世界に来ていました。

 タテネン「ひゃー♪ 絶景だねェ。そういや、お前と組んで地下に来んのって、はじめてじゃねーか?」
 トト「っていうか、…君って…。」
 タテネン「何だよ」
 トト「別に…。」

 絶景と言ったのは、夜の太陽の船が通過する冥界の川の両側です。切立った崖が聳え立ち、目もくらむばかりの深い闇が地底深く沈みこんでいます。唸る風が生き物の吐息のように足の下から吹き出してきています。
 地下の世界は夜の十二時間と呼ばれる十二の世界に分かれていて、それぞれに、管轄している神や特徴が違うのでした。

 トト「…ここって、どの辺りなんだろう。」
 タテネン「<第四の世界>さ。お前の職場はオシリスの法廷がある<第三の世界>だろ? お隣だぜ。知らないのか?」
 トト「知らないよ。地下世界は果てしなく広いんだよ、迷い込んだら二度と出られないかもしれない。そんなところで散歩を楽しむ気にはなれないからね」
 タテネン「ちぇー、相っ変わらずマジメだなお前はー。どうせ死なないんだから、神サマ人生はもうちょい楽しまなきゃ」

 トトは、内心溜息をつきました。そういうセリフは、迷っても簡単に地上に出て道を確かめられるタテネンの言うことであって、他の神々は、地表に結界を張る神アケルの体を通り抜けることは出来ません。
 この世界から地上に出るには、体の反対側にふたつ開くアケルの口…つまり、東と西の地平線を通り抜けるしかないのです。

 タテネン「墓場の入り口は、ココだ。ここを通らなきゃー原初の水のもとへは行けないぜ。見たとこ、太陽の船が通過するのはまだみたいだし、オシリスんとこでも行って待機すっか」
 トト「…うん、そうだね…。オシリス様も、今度のことは知ってるはずだし」
 ベヌウ「おしりすー」

 三人は、地下世界を移動して、入り口のある西の地平線に近い、<第三の世界>へと向かいました。そこは、オシリス神が死者を裁く法廷のある場所で、彼の宮殿が建てられています。悪人にとっては恐ろしい世界ですが、多くの死者にとっては、それほど悪い場所でもありません。

 オシリスは、お茶を煎れて待っていました。

 ベヌウ「おかしー」
 オシリス「やあ、いらっしゃい。まあゆっくり」
 トト「……。」
 タテネン「……。」

 餌付け済みのベヌウは、さっそくお茶菓子などついばんでいます。

 トト「あの…オシリス様…?」
 タテネン「相変わらず呑気だなーあんたはー。この非常事態に」
 オシリス「私が慌てても仕方ないだろう? 私の役目は死者の国に入ってくる魂の安息を保証することだ。地上で大きな戦があれば、それだけ多くの人間が傷つき、迷える魂も増える。そんなときに、私が慌てていては、人間たちの魂も浮かばれないだろう?」
 タテネン「まぁ、そーだけどサ。」(ちゃっかりお茶をすする。)

 けれど今、死者の法廷は、それほど大忙しでもありません。もう、ほとんど仕事が終わってしまったのでしょうか。随分静かだな、と思いながらトトが辺りを見回していると、オシリスがぽつりと言いました。

 オシリス「戦の後半で死んだのは、多くは外国の兵士たちだよ。ザクセンやヌビアの者たちは、ここには受け入れられないからね。」
 トト「…あ、そうか」
 オシリス「勝っても負けても、戦は悲しいだけだ。死者の国は『逝きて帰らぬ』永遠の楽園。転生し、生ある世界に戻った者も、いずれ再びここへ戻って来る。人は…その短い一生を、神々の何倍もの意味を持って暮らす存在だ。」
 トト「……。」

 かつて、太陽神ラーが人間を抹殺しようとしたとき、いちばん最初に反対したのはオシリスでした。神々の王であったラーの怒りを恐れて、多くの神が口を閉ざした中で、真っ向から異を唱えたのは彼だけでした。

 タテネン「けど、ラーは、そんなふうには思っちゃくれねーだろうな。あのジイさんは、人間はオレたち神のために祈るだけの存在だと思ってる。」
 オシリス「あの方は…、人間は、自分が生み出した人形だと思っているんだ。涙のかけらから作り出した人形のままだと。長い時が流れ、人は、もうあの頃のような単純な心しか持たない生き物ではなくなった。今はもう、我々と同じ、豊かな感情を持つ、存在だ…。」

 両手を組み合わせたオシリスは、悲しそうに呟きました。

 オシリス「…私は何の力にもなれないが、どうか頼む。弟を止めて欲しい。セトにも分かっているはずなんだ。人は、無為な存在などではないことも、太陽神を復活させたところで、自分は王になどなれないことも」
 タテネン「分かっててやってんのかよ。タチ悪いなアイツ」
 トト「タテネン、そういう言い方は…」

 その時----
 オシリスの宮殿が、ぐらぐらと大きく揺れました。トトは、はっとして外に目をやります。

 トト「船?!」
 タテネン「いや、違う。この揺れ…まさか!」

 闇色の空を、きらびやかな太陽の船が通り過ぎて行こうとしています。このまま行けば、次は<第四の世界>。しかし…、その船の前には…。

 トト「アポピス!」

 深く切立った、あの崖の下から、邪蛇アポピスが鎌首をもたげ、今まさに船を飲み込まんとしているのでした!

 タテネン「あちゃア! もー回復したのかよ、あんだけバステトたちがハリ倒したっつーのに!」
 トト「船が飲まれる…駄目だ、間に合わない!」

 本来なら、船には多くの神々の守護がかけられていて、アポピスが襲い掛かってきても簡単に撃退できるはずです。しかし、地上での大きな争いのせいか、それとも他の何かの原因か、船には今、全くその力が感じられません。

 オシリス「…セト」
 トト「え?!」
 オシリス「アポピスを封じる力は、セトが担当していた。…まさか、これは」

 トトも気付きました。
 アポピスは船を飲み込もうとしているのばありません。地底に開いた、深い暗闇の奥へと引きずり込もうとしているのでした。
 セトなら、一時的にでもアポピスを従えることは出来るはず。
 彼は、アポピスを使って太陽の舟を原初の水のもとへ運ばせるつもりなのか…。

 トト「止めないと…」
 シア「邪魔しないで!」

 呪文を唱えようとしたトトに向かって、頭上から高い、若い女性の声が響きました。白い淡い光に包まれた少女が、両手を広げて彼らをキッと睨み据えています。

 オシリス「君は、<認識>の女神、シアだね。なぜ止める? 」
 シア「父さまを復活させるのよ。誰にも邪魔はさせない。再び全能となった父さまとひとつになって、わたしは本来あるべき姿にもどる。目を開かなければ見えない光、耳を澄まさなければ聞こえない音、…そんなか細い姿は嫌!」
 タテネン「げ、エレクトラ・コンプレックスかよコイツ」

 ぼそっ、と何か呟くタテネン。

 オシリス「無駄だ! たとえ太陽神が蘇っても、君は…」
 シア「黙りなさい!」

 少女は、杖を振るい魔法を放ちます。けれど、その力は弱く、トトやオシリスを傷つけるどころか、届かせることすら出来ません。

 オシリス「……。」
 トト「君の力じゃ、僕たちとは戦えない。シア、止めて! 僕たちは、君を傷つけたくないんだ!」
 シア「来ないで!」
 タテネン「ちっ、このままじゃ、船が。間に合わなくなるぞ?!」

 と、その時でした。

 プタハ「ここは、わしが引き受ける」
 トト「プタハ様!」

 東の地平線に近い<第八の世界>を仕事場とするプタハが、西の地平線に近いここまで、かけつけてくれたのです。

 プタハ「間に合って良かったわい。お前たちは早く地下へ行け。この第四の世界は、厄介だ」
 タテネン「さんきゅ、助かったぜ〜プタハ♪ よっしゃ! 行くぞトト」(襟首つかむ)
 トト「えっ…あ、うわぁ?!」(一緒に断崖から飛び降りる!)
 ベヌウ「べぬーもー」(ぴょん)

 鳥なのに翼を使わず、どこまでも落下していくトトとベヌウ。

 トト「うわーーー!!……」

 声がどんどん小さくなっていき、やがて、暗がりの奥底に消えてしまいました。

 プタハ「やれやれ。こんな時でも騒がしい」
 シア「……。」
 プタハ「そう睨むな。お前ではわしには勝てんことくらい承知の上だろう? …ヘカ、フゥ、おるのか」

 プタハの呼びかけに答え、闇の中から、シアと同じく白い輝きにつつまれた少年たちが姿を現します。ヘカは<魔法の力>、フゥは<創造の力>を意味する神々で、シアとは三柱一体の共同体を成しています。

 プタハ「お前たち、これはどういうことだ? 太陽の船を守護すべき者が、アポピスの横行を許すとは」
 ヘカ「仕方なかったんだよ。っていうか、単にシアがひとりでヒス起こしてんだし。」
 シア「何ですって?!」(怒)
 フゥ「オレたち役割上は三柱一体とか言われてるけど、女心はわかんないよ〜。なァ、ヘカ」
 ヘカ「うんうん。うちの父さん(クヌム)も言ってたもん。『女心は、分かろうとするほど逃げていく。だからデーンと構えて受け止めてやれよ』ってさ」

 クヌム神よ、息子に一体何を教えているんだ…。

 プタハ「(冷静)それはいいが、だからと言って傍観するのは運命共同体としては拙いのではないのか?」
 ヘカ「(マジメになる)マズイ、とは思いますよ。けど…」
 フゥ「分かることもあるんです。オレたちは太陽神のくびきを外れて、それぞれ一個の神としてやってるけど、シアはいまだに、他のどの神とも繋がりを持てないでいる。自分の存在に深くかかわる神が死んだままっていうのは、やっぱり、ちょっと不安かなって」
 プタハ「…それが、お前たちの『運命共同体』と、しての結論か…。」
 ヘカ「三神一体っていうのは、お互いの悩みとか迷いとかも共有するってことでしょ。僕たちだけ結論を出しても、一人が納得しなきゃ意味はない。だったら、とりあえず気が済むまでやらしてみようかな、って。女心はデーンと受け止めてみました。」
 フゥ「でも、とりあえずオレとしては、自分の役目果たしに行きたい気分です。」

 と、フゥは足の下の深い闇を見下ろしました。
 創造の力の化身である「フゥ」に最も深いつながりを持つのは、職業柄、魔法の力を宿す力を多く扱うトト神です。「ヘカ」にとっての父親がクヌムであるように、フゥにとっては、トトは父親のようなものなのでした。

 プタハ「ならば、行くのが正しい選択であろうな。位の高い低いに関わらず、神とは、一柱一柱が役目を持ち、自分の正しいと思うことを行うべき存在だ。それについて、誰も異議を唱えることは出来ん。一柱の神が持つことわりは、他の神にとってどうであろうと絶対的に正しい。…そういうものだ。」
 フゥ「まー、そうですね。それじゃオレは行きます。あとのことはヨロシク」
 シア「…!」
 ヘカ「そだね。僕も行こっと」

 プタハ「お前は…どうするのだ?」

 プタハの問いかけに、まだ幼い<認識>の女神は、静かに、こう言いました。

 シア「わたしは、待ちます。わたし自身が、いつか---人間たちにとっても神々にとっても、必要不可欠な大きな存在となれる日を」

 暗がりの奥から、何か変化を示すかのように低い振動が伝わってきます。太陽の船の飲み込まれた果てしない地の裂け目の奥で、何かが、かすかに光ったように見えました。

                                                      >続く



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