大神殿のナイショ話

神々の憂鬱−原初存在アトゥムの世界



原初存在アトゥム---万物であり、万物の創造主である、すべての神々の父であり母なるもの
宇宙の主人、それ自身で存在する存在せぬもの
完成されし不完全なるもの、創造の手をもつ光の風の生み主



 ホルスの言葉に、誰もが衝撃を隠せないでいました。

 トト「そんな…。ラー様が、なぜ」
 イシス「いいえ、在り得ることだわ。ラーはセトに王位を継がせたがっていた。今回の事件を仕組んだのがラーだとすれば、どさくさに紛れて私やホルスも殺すつもりだったかもしれない。ラーの真の名を知る、私たちを」
 トト「でも! それだけの理由で、この国を敵に売り渡すような真似は、しないはずです。ラー様だって、自分の国がめちゃくちゃにされるのを喜んでいたはずがない…」
 アヌビス「いや…。ラー直属の神々が戦いに参加していなかったのは事実だ。セクメトが出てきたらどうしようかと冷や冷やしていたが、それも全く気配がなかったしな。」
 トト「セクメト…。」

 トトは、振り返って神々の中に姿を探しました。彼女はいません。しかし、息子であるネフェルテムは居ます。
 視線に気付いた彼は、静かに口を開きました。

 ネフェルテム「母さんは…来ない。代わりに僕に行って欲しいと、それだけ伝えられた。理由は聞かなかったけど」
 トト「理由…。」
 コンス「とにかく、あのジジイが怪しいのは確かだぜ。セトの奴もいなくなっちまったし。」
 トト「あっ」

 はっとして、トトはピラミッドを振り返りました。

 トト「そうだ。中でヘプリがいなくなったんだ。そのあと、セト様も見かけなくなった…。」
 イシス「ヘプリですって? あの変わり者(虫)に、一体何が出来るっていうのよ。関係ないでしょう」
 タテネン「…それが大有りだったりして〜」
 イシス「!」
 トト「タテネン!」

 相変わらず、人の背後からコソっと出てくるのが得意なタテネン君。

 タテネン「やっほぅ。相変わらずお人よしだな、みんな。こんなとこで悠長にしてる場合じゃないってのに。」
 トト「タテネン、もしかして、ヘプリたちが何処へ行ったのか知ってるのかい?」
 タテネン「知ってるも何も。あいつら、オレの領域『外』に行きやがったんだぜ。分かるかって〜の〜。はっはっは」
 コンス「…ってお前なァ! なに呑気な…」
 トト「ちょっと待って」

 トトの声が、真剣みを帯びました。

 トト「領域外って言ったよね。君の守備範囲は地下世界全域のはずだ。その地下世界の『外』っていえば、その下は原始の水ヌン…はじまりの地…」
 タテネン「そ、何者の干渉も受け付けない未だ混沌たる世界だ。始まりの神だけが踏み込める領域だぜ〜。」
 トト「セト様とヘプリは、そこへ行ったのか?! まずい…」
 コンス「おいおいどーいうことだよ。話がよくわかんねーぞ。分かるように説明しろ」
 トト「始まりの地には、始まりの神アトゥムがいるんだよ。万物の創造主! 混沌からの始まりの神だ!」

 誰も、その意味をよく理解していないようでした。
 始まりの神とは…自らの力で自らを創造した最初の存在、人格、性別、その他のありとあらゆる属性が未分化なままの存在です。
 神と呼ぶにはあまりにも巨大で、一個の存在とするにはあまりにもあやふやなもの。存在「する」ことと、存在「しない」ことのちょうど中間に位置するような、不確定な事象。
 つまり、神とはいうものの、神さえも凌駕する「何か」…なのでした。

 ホルス「…ラー…は、地上を去るときに肉体を失い、地上への干渉力も無くした。だが、神の肉体は永遠に腐ることはない。魂は滅びない。だとすれば…。」
 アヌビス「ラーの肉体は、どこかに隠されているということか? しかし、我々は誰もそのようなものを知らない。いや、今まで、考えてみようともしなかった…なぜか…。」
 マアト「それは、ラーの言霊のせいです。」
 トト「マアト様!」

 滅多に人前に姿を現さないはずのマアトが、こうして大勢の前に出てくるのは、何千年ぶりでしょうか。みな、存在を感じることはあっても実際に目にすることのない、この高位の女神の姿に驚いています。

 ホルス「…貴女は太陽神の娘だったはずではないのですか。何故、我々のもとに来られたのです。」
 マアト「私は真実を司るべくして、最初の秩序とともに生まれました。太陽神ラーがその秩序の守り手であった頃は、彼の娘として在りました。しかし、今は違います。…彼は秩序を乱し、その力を失った。今はもう、私に太陽神の束縛は存在しない」

 静かな口調で語るマアトの表情は、どこか哀しげで、その声は天から聞こえる荘厳な響きのように、神々の間に広がります。

 マアト「けれど、古きえにしに未だ縛られたままの神々もいるのです。私と同じく、太陽神の娘としての役目を果たしていた、<認識>の女神、シア。彼女が…あなたがたに不可知の言霊をかけていたのです。真実のほころびを、認識出来ぬよう」
 イシス「シアですって? 彼女は下級神のはずでしょう。あの子に私たちすべてに言霊をかけるだけの力なんかあるのかしら。」
 マアト「それが、神の力というものですわ、イシス。ただ小さな出来事に気付かせないだけの力、誰かを傷つけることも、何かをなすことも出来はしないささやかな力。けれど、その小さな出来事が、今、大きな歪みとなって時代を動かしています。優れていることは、単に力の問題ではありません。多くの能力を持つことだけが、神としての有能さではないのです。」

 誰も、反論することは出来ませんでした。…そう、確かに、ラーの肉体のことなど、気がつかなくても大したことはありません。本当なら、永遠に気付かないままでも問題は起きないはずだったのです。
 ほんのちょっとした、しかし、限りなく強力な魔法なのでした。

 トト「ヘプリたちは、おそらく、アトゥムをつかってラー様を蘇らせるつもりだよ。」
 コンス「何ィ?!」
 トト「ヘプリは変成神だ。無から何かを生み出すことは出来なくても、物質を変化させることが出来る。ラー様の肉体と、原初の神と…それに、セト様の魔力だ! ラー様の魂は、世界に輝きを与えるため、冥界には下っていない…つまり、まだ自由なまま。永遠に朽ちない神の肉体と魂をあわせれば、復活させることは出来る」
 アヌビス「…なるほど。侵略行為だろうが何だろうが、我々全員の目を外に向けておいて、そのすきに復活を計ろうというわけか。考えたものだ」
 コンス「しかも、もうすぐ夜じゃねーか?!」

 コンスの言うとうりでした。
 太陽は、すでに西に沈み始めています。その姿が完全に地平線の下に隠れれば、太陽の船は地下世界へ滑り出すでしょう。

 ホルス「急いで追いかけなければ。地下の世界で、ラーの肉体と魂が合わさる前に」
 マアト「お待ちなさい。」
 ホルス「…?」

 出かけようとするホルスを、マアトが制止します。

 マアト「あなたでは、原初の神のもとへ行くことは出来ません。創造の力を持たないものは、創造主であるアトゥムに飲み込まれてしまいますよ。」
 ホルス「……。」
 タテネン「そゆこと。なんせ相手は、神なんだかバケモンなんだか分からないヤツでさ。いわゆる『太母』ってヤツだよ。すべてを生み出し、全てを飲み込んでしまう、始まりにして終わりの存在。分かるかな〜? つまり、アトゥムは、絶対的な創造の力であるとともに、絶対的な破壊の力でもある」
 コンス「わかんねーって、ソレ(本気)」

 トト「……。」

 創造の力とは、「無」から「有」を作り出せる力のことです。
 世界の理を知り、高い魔力の持った者だけが扱える力。高位の神々の中でも、これを持つものは稀です。大いなる魔法使いであるイシスも、持っていません。

 トト「僕とタテネン、それに、プタハ様とクヌム…くらいかな」
 コンス「はあ?!」
 ベヌウ「べぬーもー」
 コンス「うお?!(ベヌウ喋ってる?!)」
 トト「…5人か。クヌムは国境の守護がある。プタハ様は動かせる?」
 タテネン「おっけー。頼んでみる。っていうか、たぶん、もう知ってる」
 トト「ベヌウは?」
 ベヌウ「ごはん」
 トト「(→振り返って)手伝ってくれるって。」
 コンス「おいおい、ちょっと待ておいおい。お前ソレ本当に話通じてんのか?」

 コンスのツッコミも何のその。

 マアト「そうですね。アトゥムに近づいても呑みこまれない者は、おそらく…その5人だけでしょう。」
 ホルス「……。」

 戦力としても、ずいぶん偏った組み合わせです。相手はセトだというのに、これでは勝てるかどうか心もとありません。もっと戦いに強い神々を連れていくべきではないのかと考えている者もいました。
 しかし、マアトが大丈夫というのだから、誰も文句は言わないのでした。

 トトたちが去ったあと、ホルスは、マアトに近づき訊ねました。

 ホルス「一体、どういう基準なのですか? トトやタテネン、それにベヌウまで…。」
 マアト「彼等は、辿っていけばとても古い…、アトゥムとは独立した創造神にたどり着く存在なのです。私たちはみな、アトゥムから生まれた神の子孫。けれど彼らは、自身の手で自らを創造した神々の末裔なのです。」
 コンス「…??」

 創造神はただ一人ではありませんでした。
 世界は、幾重にも折り重なって、それぞれの時間と空間が独立して生まれて来ています。
 何も存在しない混沌の中から、アトゥムが最初に「存在するもの」を生み出したあと、その存在は、幾つにも分かれて、それぞれの世界を誕生させたのです。


 アトゥムが光と風を。光と風は空と大地を。
 大地の上に太陽を。命を。大地の上と、下の世界を。そして世界が意思を持ったとき、はじまりの時を告げた…。

 光と風の名はシュウとテフネト。太陽を目覚めさせたものの名はベヌウ。大地と、その上に生きる人間たちの創造者はプタハとクヌム。
 時の始まりを告げたのはタテネン。
 そして、彼は、もう一人の創造者トトとともに、アトゥムと同時発生した八柱一体の神「オグドアド」を支配する。

 混沌の中から人格が生まれ、思考が生まれたとき、その神は誕生した。
 思考が正義と悪とを生み出し、知恵を手に入れたとき正しいことが何なのかを知り、意思が生まれた。


 それは、神々自身も覚えていないほど、遠い昔の出来事でした。
 なぜならその時、歴史を記す文字はなく、記す者もまた、存在しなかったのですから。


                                                     >続く



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