大神殿のナイショ話

神々の憂鬱−変成神ヘプリのいざない



 トトから全ての話を聞き終えたイシスは、黙ったまま、視線を落としていました。
 敵の片割れであるバアルは死んだ。その証拠として、たった今、ザクセン軍が敗走したとの一報が入ったばかり。

 イシス「…南方は? ヌビアとの国境はどうなっているの」
 伝令・アンケト女神「えーっと、あーっと、…ハイ、もーちょっとです。アメンおぢさんが戦ってますぅ〜」

 クヌム、サティスとともに南方のヌビア国境を守護する三柱一体を成すひとり、アンケト女神は、いつもどおり、全く緊張感のないキャピキャピな雰囲気でした。

 クヌム「お前な、もうちょっと詳しく報告できないのか。」
 アンケト「ええ〜だぁってぇ〜。近くに行くの怖かったんだもん。怖かったんだもん」
 クヌム「さては遠くから見てテキトーに判断したな? ったく。まぁいい。お前、戻ってサティスの手伝いしてろ。」
 アンケト「は〜〜い。」

 ガゼルの女神アンケトは、神々一の俊足です。退場も早い早い。砂煙を上げながら駆け戻って行く後姿に、クヌムは溜息をひとつ、つきました。

 クヌム「オレの部下って…一体…。」
 イシス「あなたもお戻りなさい、クヌム。土地の守護神がいなくては、戦いも話になりませんよ。」
 クヌム「いいのか? ま、下(人間世界)のほうもだいぶ片付いたみたいだし、大丈夫か…。それじゃ、あとは任せたぜ。」

 戦力が終結するのも、時間の問題です。残るは、ただひとり。

 イシス「セト…。」

 重々しい口調で呟いたその名に、誰もが唇をきつく結びました。
 人間たちの時間で何百、あるいは千ともなる歳月の昔、セトは神々の決定に逆らって、王たる座を我が物にしようとしました。その戦いは天を二分するほどに激しく、多くの神が、傷ついたのです。
 けれど今は、表立ってセトに味方する神はほとんどいません。
 いるとしても…ごく僅かだったでしょう。そんな状態で、セトは一体、どうやって戦おうというのでしょうか。

 ヘジュ・ウル「むー…。セトのぼんずは、負け戦など仕掛けるクチじゃーないんだがのー。まだ何か企んどるはずじゃのー」
 トト「って、ジイちゃん。まだいたの?」
 ヘジュ・ウル「まだとは何じゃ。ここが一番安全なんじゃからいーじゃないか。」

 そのとうりでした。
 地上が蹂躙され、神殿が破壊されたり守護すべき土地を奪われたりして、力の弱い神々が避難してきています。セトが何をしでかすか分からないのでは、それらの神々を地上に帰してやることも出来ません。

 イシス「…敵国の神と結んで国を売るなど、いかなる理由があろうとも、極刑に値します。私はセトを捕らえ詰問することは妥当な処分だと思うのですが。皆は、どう思いますか。」
 トト「……。」
 アヌビス「……。」

 誰も、すぐには口を開きません。これは、大きな問題です。そうそう簡単には結論を出せないのです。
 と、そこへ。

 ホルス「その前に、確かめておきたいことがあるのですが。」

 ホルスの声で、みんな一斉に振り返りました。神々の王座の、正統な所有者の登場です。少なからず、ほっとした雰囲気が流れました。

 アヌビス「ホルス、もうこちらに戻っても大丈夫なのか」
 ホルス「ああ。下の片付けは終わった。デルタ地帯に関しては、もう問題はない。」
 イシス「…そう、それは何よりだけど…確かめたいことというのは、何なの?」

 ホルスは、厳しい表情で神々を見回します。

 ホルス「今回の戦いに、ホルアクティやホルベヘデティは参加していましたか?」
 イシス「えっ…?」

 思いがけない問いに、誰もが一瞬、口篭もります。

 ホルス「セクメトやヘプリは? 太陽神ラー直属の神々の姿を見かけた者は」
 トト「…ヘプリなら、いましたけど。」
 ホルス「彼はどこに?」
 トト「それが、僕を助けに来たはずが、途中でいなくなってしまったんです。…それが、何か」
 ホルス「ああ。これで確証がつかめた。」

ホルスは少し目を細め、ひとつ息をつきます。

 ホルス「みんな、心して聞いて欲しい。…この事件の首謀者は---、----ラーだ。
 神々「!!」

 そんな突拍子もない話に、イシスさえ、声が出せません。神々の表情は硬直し、青ざめ、凍りついたような時間だけが過ぎていきます。
 ただひとりタテネンだけが、ひそかに表情で笑っていました。

 タテネン「さー、どーする? トップの裏切り。しかも相手は太陽だ。あんたたちは、太陽を空から叩き落すことが出来るのかい…?」

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 神々が、真実に気付き始めていたその頃。
 ヘプリは、セトの前に立っていました。

 セト「…まさか、アナトが裏切るとはな。これで優秀な手下を失うことになった。」
 ヘプリ「考えようによっちゃ、手間がはぶけて良かったじゃないですか。仲間割れで片付けてくれたんですし。」
 セト「ふ、まぁ…な。しかし、いま少し時間があれば良かったのだが。」

 声が、暗がりに続く長い回廊に響き渡ります。そこは、神々も滅多に立ち入ることもない死の回廊、---夜の世界を通る太陽の船が収納された、神々の世界で最も深い部分でした。

 太陽の船とは、太陽神ラーが乗り、運行される船のことです。昼は地上の空を東から西へと過ぎ去り、夜は地下り世界を西から東へと過ぎる。これを毎日繰りかえすことで、太陽の光は毎日、決まった場所から決まった時刻に現われるのでした。

 セト「ここにたどり着くまで、随分と時間を食ってしまったな。奴等に気付かれていないといいが。」
 ヘプリ「大丈夫ですよ。迷路みたいに入り組んでるんです。たとえ気が付いても、私が道案内しなきゃー、そうカンタンにはたどり着けませんって」
 セト「…だと、いいのだがな。」
 ヘプリ「もー、心配症ですねぇセト様はぁ。(手をぱたぱたと)さっ、早く用事済ませちゃいましょうよぉ」

 ヘプリは、呑気に笑いながら船着場へと歩いていきます。セトはひとつ溜息をついて後に続きました。
 彼自身、ここまで来るのは初めてのことです。
 太陽の船は、単なる乗り物ではありません。それ自体が一つの生活空間となっており、いわば、小世界となっています。数多くの神々の力によって守られており、誰か一人が勝手に触れられるようなものではないのでした。

 セト(…だからこそ、ここに隠す必要があったのだ。「アレ」を…。)

 ヘプリ「セト様〜、早く〜。」

 暗い、地下世界に浮かぶ夜の太陽の船、「メセクテト」。地平線の西の端で日没を待つその船は、今はシンと静まり返って闇色の川に浮かんでいます。太陽の乗る船でありながら一片の輝きも宿さない、沈黙の船。しかし、その船体は昼の船よりはるかに立派で、神々しく飾り立てられていました。

 セト「…ここに、あるのだな。」
 ヘプリ「えぇ。そうです」
 セト「よく、誰も気付かなかったものだ。毎日のように船を動かしていながら」
 ヘプリ「仕方ないですよ。地下世界はおっそろしいところですからねぇ。気を抜くと、亡者やら邪霊やらアポピスやらが押し寄せて来る。そっち払うのに必死ですから。」

 ヘプリが船底の板に触れると、板は、とたんにくにゃりと曲がって、
 物を変化させる神であるヘプリは、自身が変身できるだけではありません。物質の属性を変化させる力も持つ神なのでした。

 消えた船板の下を覗き込んだセトは、薄く、笑いました。

 セト「見つけた…。」

 そこには、しわがれた老人の、冷たく凍りついた死体が横たわっています。
 一体誰が、そんなところに死体があることを、いえ、隠されていることを知り得たでしょう。誰に予想できたでしょうか。
 それこそ、かつて地上にあって人間を、また神々を治めていた、かつての神王---太陽神ラーの体だったのです。

 セト「それでは、始めるとするか。----神々の真なる王、太陽神ラーの復活の儀式を」

 力を失ったとき地上を去り、肉体を失って生と死のはざまを船で行き来するのみとなったはずの太陽神、ラー。
 セトの真のたくらみは、これから始まるのです…。

                                                     >続く



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