大神殿のナイショ話

神々の憂鬱−霊鳥ベヌウの予言



 トトは、外へ出る道を探して長い回廊を走っていました。
 彼は外の様子を知りません。イシスたち外にいる神々も、中での様子は分からないでしょう。

 トト(時間を稼がなくちゃ…ハロエリス様が戻るまで、みんなを戦わせちゃいけない)

 セトもバアルも見当たらない今が逃げ出すチャンスです。それにしても、こんな時に、ヘプリは一体どこへ行ってしまったのでしょう。もし見つかっても、トトが囮になれば、ヘプリだけは狭い通気孔からでも外に出られるのに…。
 しかし、ことはそう簡単ではありませんでした。

 バアル「おーっと。どこへ行くつもりだ」
 トト「!」

 行く手に立ちふさがる、バアル。

 トト「…通してくれ、って言っても、通してくれそうもないね。その様子じゃ」
 バアル「あったりまえだろ?! ったくセトのやつ…。何やってんだよ、人質を逃がしちまって。」

 バアルの手に、彼の力であるいかづちと炎が生まれます。それは、彼の支援者であり、神の力の源であるザクセンの人々が、まだこの国に健在である証拠でした。

 トト「…人間たちの世界は、どうなっているんだ?」
 バアル「あぁ。お前らの国の王どもは、上流の町に追っ払われちまったよ。ま、あっちのほうは暑いんで、オレたちには向かないんだ。ヌビアの連中が落としにかかってるから、じきに」
 トト「ヌビア…ってことは、ヌビアのホルスとも手を組んだのか。また上下エジプト分裂の時代に戻そうっていうのか? あの、争いに満ちた時代に」

 トトの低く押し殺した呟きにも、赤い異国の神はただせせら笑うだけです。

 バアル「んなこと、知ったこっちゃないね。とにかく下流のデルタ地帯はオレ様がいただきだ。約束どおり、オレの国のやつらはセトを崇めてる。この国いちばんの神はセトだ。そんで、セトとオレは同列の神になるのさ。」
 トト「……。」

 セトは、望みどおり神々の王の地位を手に入れ、最高神の位につきました。けれど、神々も、この国の人々も、そのことを認めてはいません。もちろん、トト自身もです。
 そんなトトの視線に気付いたのか、バアルは少しむっとした顔で言いました。

 バアル「反抗的な目だな。気に食わねぇ。オレは最初っからお前みたいなタイプは嫌いなんだよ。頭でっかちでクソ真面目なタイプはな」
 トト「…僕も嫌いだ。単純で、自己中心的でワガママで、人間たちを神の道具としか思っていない」
 バアル「何だと…。この野郎、本気でローストチキンになりてぇらしいな。」
 トト「君には、神々の王になる資格なんか無い!」

 バアルの放つ炎がトトの魔法とぶつかり合い、回廊が崩れて天上の岩が転がり落ちます。それでも、二人はどちらも、一歩も退きませんでした。この戦いを回避することは不可能だったのですから。
 トトは魔法を得意とする神ですが、それはバアルも同じことです。ただ、彼の場合、荒々しい力任せの技で、すべてを吹き飛ばしてしまうのでした。

 トト「君は、どうしてこの国に来たんだ。自分の国で王として認められなかったからじゃないのか。だから、この国に逃げて来たんじゃないのか!」
 バアル「何を知ったようなことを。オレはただ、領地を増やしたかっただけだぜ。豊富な川の水のおかげで気楽にやってる、この、呑気な国をな!」

 バアルの放つ熱風がトトの足元をすくい、彼は、やはり力の差は圧倒的です。神々の力は人間たちの祈りの力を反映するもの。地上の人間世界が異国の民に蹂躙されている今、この国にもともといた神々の力も、かなり押さえられてしまっています。
 トトに勝るのは、彼がもともと持つ知恵の力、何千年もかけて培われた、隠された知恵の力だけでした。

 トト「この国が豊かなのは、ナイルの流れがあるからだけじゃない。僕たちは、君なんかと違って、気まぐれで人間に恵みを与えたり、また奪ったりはしないからだ!」
 バアル「ほざけ。生かすも殺すも、神次第だろーが。そんな甘いこと言ってっから、てめーらは…」

 その時でした。
 空中からふわりと舞い降りた影が、バアルの身体を貫いたのは。

 バアル「なっ…」

 彼は、信じられないといった顔で、自分の胸から飛び出した一本の槍を見つめました。神々は人間のように血を流すことはありません。けれどそのかわり、魂をかたちづくる息のようなものが漏れるのです。

 バアル「アナト、お前、何を…」
 アナト「もう、終わりにしよう。バアル…。お前が死んだ時、一体誰が悲しんでくれた? エルも、イルゥさえもお前のために何もしてはくれなかった。太陽神シャプヤシュだけは僅かに応えてくれた…だが、その太陽も、時としてお前の敵となっただろう?」

 トトでさえ、このような展開は予想していませんでした。あのときの、アナトの覚悟を決めたような顔が、夫であるバアルを自分の手にかけようとしていたからだったとは。

 アナト「私はもう疲れたのだ。死と再生を繰り返すお前に、付き従うということが…。お前は、与えては奪うことに慣れたあの大地にいてはいけない。あそこでは、私たちは永遠に終わらない戦いしか与えられない」
 バアル「じょ、冗談だろ」
 アナト「この大地にも、雨は降る。雨が降ればお前は、いつものように目覚めるだろう。だが、次に生まれてくるお前には、もう、死神モートの呪いはかかっていない…。」

 何か言いたげに口を動かしかけたバアルでしたが、アナトの放った槍が大地に繋ぎとめるように、その体をゆっくりと横たえ、静かに消えてしまいました。
 しかし、彼は異国の神なので、その魂が冥界へ下ることはありません。彼の持つ再生の力は、アナトが予告したとおり、やがて自身を再び誕生させることでしょう。---ただし、生まれ故郷ではなく、魂の飲み込まれた、この大地の上に。

 トト「アナト…。」
 アナト「すべての責任は私にある。バアルは、今、ここで死んだ。次に再生するときは、また、ここに生まれてくる。」

 大きな仕事を終えたあとの、ほっとしたような、それでいて少し悲しげな表情で、女神は、地面の上に残された槍を見つめていました。

 トト「これで…バアルは帰ることは出来なくなった。そして、あなたも…。」
 アナト「…受け入れて…もらえるか?」

 振り返るアナトに、トトは、微笑んで返しました。

 トト「勿論です。ナイルの育む、この黒き大地に生まれた神は、すべてこの国のものなのですから。」


 その同時刻、人間たちの世界では、今まさにザクセンの軍に対して戦いを仕掛けようとしているホルスたちが、バステトたちの話を聞いたところでした。

 アヌビス「アポピスの言霊とは…。どうりで、奴らめ、こちらの魔法を受けつけないと思った。」
 ホルス「しかし、それも今日までだ。王の魔力が弱まれば、この国を思いどおりにはさせん。」
 バステト「でもさー、問題は、あのバアルって乱暴なヤツよね。アイツちょっと厄介なんじゃないの? こっち片付いたら、さっさとやっつけてよね。」
 ホルス「ああ、分かっている…。」

 気を引き締めたホルスは、大地の向こうから、砂煙を上げて迫って来るザクセン軍のチャリオット(戦車)部隊を睨み据えます。もちろん、神が人間たちの戦いに直接手を下すことはありえません。そんなことをすれば、神々の国際社会の秩序に反するテロ行為とみなされ、他国の神々の連合軍から避難轟々。あの戦争好きなギリシアの神々でさえ、トロイア戦争の時は後方支援だけにとどまっていたのですから…。(しかしそれがかえって争いを長引かせたって説も)

 アヌビス「来たな…。」
 ホルス「人間たちのほうは、我々が引きつける。お前たちは機を見てアポピスを狙え」
 バステト「りょーかいっ! タテネン、いるの?!」
 タテネン(地面下から声)「う〜ん。下からの眺めもグー」
 セルケト「って…、アンタ。まさか、スカートの中覗いてるんじゃないでしょーねー…」

 こんな時でもマイペースなタテネン神。のーんびりとした笑い声が聞こえたかと思うと、ふいに、別人のような真面目な声が聞こえました。

 タテネン「我が支配のもとにある大地よ、ゲブの腹にしてヌトの肉体よ。あらゆる命の創造されし場所にして還る場所、生と死を別つ、アケルの支配せり地平線よ。我、ヘンティ=テネント<始まりの地テネントを支配する者>が命ず。目覚めよ、時と混沌の始まりより立ち上がれ!」

 あまりに突然のことに、バステトたち女神も慌ててとびすさります。その足元で大地が割れ、内側から暗闇が噴出してきました。

 タテネン「来るぞ! 自慢じゃないが、オレは魔法使えねーからな。あとヨロシク!」
 バステト「ちょっと! あんた、そんなイキナリ…」

はっとして、バステトは大地に口を開く闇の奥に目を凝らしました。
 人間たちに、割れた大地は見えません。突っ込んできた戦車の中で、先頭の一列が大地の裂け目にはまりこんで身動きがとれなくなっています。その中に、ザクセンのアポピス王の姿が見えました。人間たちは、どうしてとつぜん馬が動かなくなったのかが分からず、足元を見回しています。

 セルケト「ん〜、コレを狙ったんですねぇ。ナイス〜」
 バステト「なんてノンキなこと言ってる場合じゃないわよ! 来るわっ」

 地面が揺れ出しました。
 光を求め、地底の闇の中から、混沌の化身・アポピスがこちらへ向かって来るのです。ふだん地底に封じられているこの蛇が、地上に出て来てしまったら大変。あらゆる秩序を破壊して、すべてを食らいつくしてしまうでしょうから。

 マフデト「わたくしがヤツの動きを封じますわ。皆さんは、攻撃のほうをよろしく」
 ネイト「(矢をつがえつつ)…王の魂から、アポピスの魔力が分離するぞ。本体と完全に融合したところを狙う。いいな」
 セルケト「では、私はいつもどーり戦いの余波が外に漏れないよう結界を張りますね〜。中でならジャンジャン暴れて大丈夫ですよー」
 バステト「了解!」

 女神たちのコンビネーションは完璧です。蛇退治はお手のもの。
 一方で、ホルスたちのほうも、人間たちの軍を守護して、ザクセン陣営を追い下げていました。前回までと随分と状況が違います。ウソのようにあっけなく、次々と撃退されていくのです。

 モントゥ「…妙だな。この者たちからは、神の守護が感じられない」
 アヌビス「お主も、そう思うか。まさかとは思うが…バアルに、何かあったのではないのか?」
 モントゥ「まさか。上(神々の世界)には、戦える神は残ってはいないはずだ。」
 ホルス「……。」

 神々は、何かを予感していました。けれど誰も、その漠然とした不安の意味を知りません。
 ただ一人を除いて。

 そのとき、それまで落ち着かない様子で空を見上げていたベヌウが、表情を変えました。何か未来を感じ取ったのでしょう。
 流れゆく天の高みの雲を見つめ、ゆっくりと口を開きます。

 ベヌウ「雨がやんだ。たくさんの人がしんで、神もしんだ…。そして、また生まれる…。星の翼がもどってくる…。」

 その呟きは不吉な響きをおび、彼(彼女?)の、青みがかった翼を僅かに輝かせます。

 ベヌウ「あとひとり、誰かがしぬね…。」

 アナトとともに神々との合流を目指すトト、地上へ飛び出すアポピスを抑えようと構えるバステトたち、人間たちの戦いを守護するホルスたち。そして、すべての様子を見守るイシス…。
 そして、セト。

 激しく揺れ動き絡み合う、歴史と神話の糸の中で、神々は何を見ていたのだろう。

                                                     >続く



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