大神殿のナイショ話

神々の憂鬱−豊穣神タテネンの思惑



**豊穣神タテネン**

所属としては、ヘルモポリス系神話群に入る豊穣の神。その力は、地下世界に属する全てのものに至り、
地下に住む生物、死者の国、または鉱物水脈といったものまで、彼の意志によって変化させることが出来る。
大地はすべての物質を生み出し、長い年月をかけてすべてを生み出し、または浄化する。
しかし、大いなる恵みを司る神でありながら、彼への信仰は、ある時代より以前のものは全く残されていない。




 戦いは長引いていましたが、いつまでもやられっぱなしというわけにはいきません。
 最初は見慣れぬ生き物(馬)に戸惑い、侵略されるがままになっていた国王軍も、なんとか馬と戦車を使いこなせるようになった今では、条件は五分と五分。
 しかも、砂地や暑い気候にも慣れている地元っ子のほうが、状況的には有利です。

 ホルス「本場の底力を見せてやる。いくぞ、みんな!」
 神々「おー! 地方産に負けるなー!」
 モントゥ「高慢な侵入者どもに、思い知らせてくれる!」

 戦いの神モントゥも、いきり立っています。彼は、テーベの太陽神アメン直属の守護神で、テーベ聖域を強力な結界で守っている神です。

 アメン「上流のヌビア方面は私が引き受けよう。ホルス殿は下流のザクセンを頼みます」
 ホルス「分かりました。くれぐれも、テーベを落とされぬようお気をつけて。」

 と、いうわで、今回も相手してもらえないらしいヌビアのホルス君。ザンネンですね。

 このとき、下流地域への進軍には、ホルスのほかに、もちろんアヌビスも加わっていました。しかし、アヌビスは晴れない顔です。

 ホルス「やっぱり…ネフティス叔母さんのことが気になるのかい?」
 アヌビス「いや…。あの人のことだから、どこにいても無事だとは思う。ただ…。」
 ホルス「ただ? 何だい。相談に乗れることなら、話を聞くが。」
 アヌビス「……。」

 ホルスは、知らないのです。アヌビスが自分の異母兄弟であることも、かつて父オシリスと、イシス・ネフティス姉妹の間に何があったのかも。ネフティスも、イシスも、そのことをホルスに知られるのを恐れていました。だから、アヌビスは、ホルスが生まれてすぐに下級の女神のもとに預けられたのでした。
 ホルスはそのことを、何か事情があってネフティスと一緒に暮らせなくなったのだ、くらいにしかとらえていません。

 アヌビス「お母上は…ご自分の幸せを諦めてしまっている。私には、どうしていいのかが分からない。」
 ホルス「幸せって…。」
 アヌビス「ご存知のとおり、私の父親はセトではない。お母上には、他に好きな神がおられた。だが…神である以上、与えられた役割から外れることは出来ぬ。だから、全ての望みを諦めてしまわれた。それが…、見ていて辛い。」

 搾り出すような呟き。ややあって、ホルスは、ゆっくりと口を開きました。

 ホルス「分かるよ。僕だって、本当は、神々の王になんかなりたくなかった。ハロエリス叔父さんみたいに旅をしてみたかった。でも、それは出来ないことなんだよな。人は自由に生きられても、僕ら神は自由には生きられない。世界の秩序のためにある存在だから…」
 アヌビス「だが、我々とて完全ではない。己の生まれてきた意味を、すべて目的論で語れるほど達観してはいない。時には運命に抗おうとするだろう。時には、己の役目を否定してもみたくなるだろう。そうではないですか?」
 ホルス「……。そうすることで…、大切な何かが失われても?」
 アヌビス「それが、神々の世界での真理というものです。」

 わずかな沈黙。

 ホルス「だとしても、僕には…いや、私には、何かを犠牲にしてまで得たいほどの望みはないよ。この国とともにあることが、私の一番の幸せだから。」

 微笑んでから、彼は口調を変えました。

 ホルス「さあ! 我々の国を取り戻すぞ。人間たちに平和が戻れば、神々の国も静かになる。反撃開始だ!」
 アヌビス(そう…、あなたは強い。昨日よりも。そして、今日より明日は…。)

 戦いに勇む神々は誰も、アヌビスの心の呟きには気付きません。。

 アヌビス(あなたは強くなっていくだろう…。たった1人でも、神として成り立つように)

 おなじころ、タテネンは、今まさにセトに対し総攻撃を仕掛けようというイシスたちの前にぶらりと現れていました。

 イシス「…どういうことなの。攻撃を止めろって…」
 タテネン「だから。ここでオレたちが戦っても意味ねーってことさ。敵の本体は下だぜ、下。人間界だ」
 イシス「だから、それはどういうことなのかと聞いているでしょ!」

 いつの間にかいなくなっていたと思ったらまた戻って来て、攻撃を中止させようというのだから、イシスが怒るのも無理はありません。他の神々も、おろおろしながら見守るばかり。

 タテネン「ひゃ〜。もー怒ってツバ飛ばさないでくれよなぁ。オレ、これでもちゃんと働いてんだからさぁ〜」
 イシス「だったら早くお言いなさい!

 キレかかったイシスにガッチリ胸倉を掴まれて、タテネン神も、ちょっと真面目に喋る気になったようです。

 タテネン「…侵略に来てるザクセンの王の名は、アポピスだぜ。」
 イシス「何ですって?!」
 タテネン「これがどういう意味か、アンタなら分かるよな。そ、これは単なる偶然の一致じゃない。言霊だ。おおかたセトの奴が何かしたんだろ。なんせ、アポピスを従えられるのは、セトだけだからな。」
 イシス「……。」
 タテネン「オレの睨んだとこじゃ、アレは人間の器にアポピスの魂を転生させたもんだな。ま、人の殻かぶってんでパッと見はわからねーが。」

 タテネンは飄々と言いますが、これは一大事です。
 アポピスは原初の水より生まれた、冥界に巣食う大蛇。太陽の船を飲み込まんとする、混沌の化身です。
 そんな物騒なものが人間の形で人間界をうろうろしているなど、大変なことです。存在するだけで混沌を産み、争いや災いを引き起こすでしょう。

 クヌム「…じゃー、お前はどうやって気が付いたんだよ。(ちょっとウサンくさそうな顔)」
 タテネン「んん〜? そりゃもー、手下の虫たちフル動員で♪ あっ、ちなみにネズミとか小動物もオレの支配下だかんね〜。便利だろ。ふっふっふ」
 クヌム「…。お前って、実は情報処理系?」
 イシス「何でもいいわ。とにかく、アポピスなんて厄介なものが出たからには! 蛇バスターズを召喚よ! セルケト! マフデト! ネイト! バステト!」

 お呼びのかかった女神たちが、次々と登場します。女神イシスは、神々の真の名を知っているので、どこに居ても相手を呼び出すことが可能なのです。これも、魔術の女王と呼ばれる由縁。

 イシス「人の形をしていても相手は蛇。その混沌なる魂を刈り取っておしまいなさい!」
 バステト「って言うけどぉ、相手は蛇じゃないわよ? あたしたちは人間と直接戦えないもの。どうやれっていうのよ」
 イシス「魂だけを追い出すのよ。少し難しいけれど…」
 タテネン「難しくないぜ?」
 イシス「……。」

 またも、ひょっこり現れてニーッコリ笑うタテネン。

 タテネン「所詮は本体から分離した魂、本体が近づけばそっちに引っ張られるさ。そん時を狙えばいい」
 イシス「随分と簡単に言うわね。アポピスは冥界にいるのよ。どうやって近づけると」
 タテネン「そっちは手回しオッケ! マアトに許可貰って、一時的に冥界と地上界を繋ぐわ。っつっても、カタブツの冥界の門番ソカリスには許可貰ってないもんで、オレの力じゃー一瞬しか繋げないけどな。」
 イシス「…まぁ。手回しのいいこと…。(半分呆れ顔)」
 クヌム「結局何なんだお前は一体」

なにやら腹に一物ありそうなタテネンではありますが、他に作戦もない以上、この方法を採るしかありません。イシスとしては、一刻も早く人間界での争いを終結させたいのです。

 イシス「ザクセン人が引き上げれば、バアルも一旦は退くはずよ。何しろ、ここは異国の地なのだから、彼を信奉する者たちが去れば、ここでは力を保てない。いいわね、あなたたち。アポピスの力を奪う任務は、あなたたちの腕にかかっているわ」
 マフデト「お任せを。わたくしたちが悪しき魂を祓って参ります。」

 女神たちが人間世界へ発つのを見送ってから、タテネンは、なにやら面白そうに呟きます。

 タテネン「間に合うといいんだがなー…。」
 クヌム「何がだよ。」

 聞きつけたクヌム神が、不機嫌そうに聞き返します。

 タテネン「ザクセンが退くのと、バアルが死ぬのと、どっちが先だろうと思ってね。」
 クヌム「はぁ?!」
 タテネン「それとも…まぁ、どっちにしろ同じことか。トトが奴らをこっちに引き入れるってことは、仲間が増えるってことなんだよな。オレとしちゃどっちでもいいんだが、とにかくセトがプチ切れないうちに、ことを収集したほうがいいよなー。」
 クヌム「だから、お前は何なんだよ一体。よく考えてみたら、お前って地下世界の神なんじゃん。なんでいつも地上にいるんだ?」

 タテネンは、ニーっと笑って、クヌム神を振り返りました。

 タテネン「知ってたか? オグドアドの使役権って、オレにあるんだぜ。」
 クヌム「あぁ、知ってるよ。奴らはお呼びがかかるまで、地の底の『大地のはらわた』で眠りについてる。それを目覚めさせるのがトトで、使役するのがあんただ。だから?」
 タテネン「セトは馬鹿だなってこと。オレもいなきゃ、ダメなんだよね。世界を創り直したいのなら…さ。」
 クヌム「??」

 そのとき、霊鳥ベヌウはじっと空を見上げ、雲行きを確かめていました。
 まるで、渦巻く風の向こうに、これから来るべき未来を予測するかのように。口を開き、語りだしたとき未来は再び動き始めます。終焉、あるいは終結へと向かって…。

                                                     >続く



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