大神殿のナイショ話

神々の憂鬱−配偶神アナトの告白



 そーっと廊下に出たトトは、辺りに人気が無いのをきょろきょろと確かめてから、そろそろと歩き出しました。誰も掃除してなくてホコリっぽい社内は、なんだかいつもと違って、まるで廃棄された墓のようです。

 ヘプリ「課長オ〜、どこ行くんですかァ〜? 逃げないんですかぁ」
 トト「しっ、静かにしててよ。そんな簡単に逃げ出せるわけないじゃないか。」
 ヘプリ「何でですか?」
 トト「分かってない、もぉ! 僕がここにいるから、みんな攻撃を仕掛けられないんだよ?! もし僕が逃げちゃったら、セト様とみんなが戦いになっちゃうじゃないか!」
 ヘプリ「…ダメなんですか、それ」
 トト「絶対、ダメ!」

 トトには、ベヌウの予言した不吉なあの言葉がありました。『たくさんの人と神が死ぬ』。もし、このまま神々が戦いをはじめてしまったら、その予言は現実のものとなるでしょう。

 トト「…それより、ヘプリ。もう一回聞くけど、ホルス様やアヌビスは人間たちの世界にいるんだよね。」
 ヘプリ「そーです。今は、こっちに戦える神はですねー、えっと、クヌム様とコンス様とタテネン様くらいですかね」
 トト「それに、イシス様か…。まぁイシス様が何とかまとめてくださると思うけど。コンス、短気だからなー…」
 ヘプリ「暴れてましたよ。」
 トト「ああ〜、やっぱり…。(泣)急がないと…。」

 味方が虫一匹(ヘプリ)と、いうのはかなり辛い状況ですが、ここは、何としてもやらねばなりません。
 トトは、狭い回廊を抜けてどんどんピラミッドの奥深くへ入って行きます。トトの肩の上で、ヘプリがぶぃんぶぃん羽音を鳴らしました。(さすが虫)

 ヘプリ「ところで、一体何やろうとしてるんですか? こっちに何かありましたっけ?」
 トト「チャネリング祭壇だよ、遠距離用のね。本社の中はジャミングされてるし、外に出られても、遠くの国までは僕たちの声は届かない。あの祭壇があれば…たぶん、繋がる」
 ヘプリ「もしかして…。」

 呑気なヘプリも、気が付いたようです。
 そう、トトは、遠国へ出かけているハロエリスに連絡を取ろうとしていたのでした。
 彼は、天と地から生まれた5人の神の1人、ずっと旅に出たまま戻って来ない、「ホルス」の名を持つ神のひとり。あまり表立って干渉しないため意識されていませんが、彼もまた、高位神のひとりです。

 トト「僕の予想が正しければ、ハロエリス様なら何とかできるはずなんだ。5人の中間…。光でも闇でも、再生でも破壊でもない…何の属性も持たない、あの人なら」
 ヘプリ「はあ。単純に、兄弟ゲンカの仲裁をしてもらうんじゃなくて?」
 トト「それだけじゃないんだよ。仲裁じゃなくて、中和なんだ。必要なのは---」

 言いかけたトトは、はっとして、足を止めました。
 誰かが来ます。明らかに、こちらに気がついているよう。

 トト「ヘプリ、君が行け! ここは、何とかする」
 ヘプリ「で、でも〜…」
 トト「だろ?! 僕よりバレる可能性低いよ! 急いで、ハロエリス様を呼び戻すんだ。僕たちの運命がかかってるんだぞ!」
 ヘプリ「わっ、わっかりましたぁ。ぶ〜ん…」

 一生懸命、羽根をはばたかせて暗がりの奥へ消えていくヘプリ。向き直ったトトは、近づいてくる足音に向かって構えます。

 トト「……。」

 しかし、攻撃してくる気配はありませんでした。
 現れたのは…セトやバアルではなく、アナト女神です。

 アナト「…何もしない。構えなくていい」
 トト「え…。」
 アナト「バアルも、あの男もここにはいない。それよりも、お前に聞きたいことがある。」

 アナトは武器を持っていましたが、言っていることが本当だと証明するためか、それをトトの足元に投げてよこします。彼女は、魔法は得意ではない女神ですから、武器が無ければ戦えません。
 トトは、しばし、足元に転がされた武器と、アナトとを見比べていました。

 トト「……。」
 アナト「信用してくれなくともいい。だが、これだけは言っておく。私は…国の覇権だ神の王座だと、権力にかかわることには一切興味がない。」
 トト「いえ、信用します。話して下さい」
 アナト「お前は、神々の銘記に権限をもつ神と聞いた。ならば他国の神も受け入れるのか。お前がそう記せば、我々のような他国の神も、この国のものとして移住できるのか?」

 突然の問いかけに、トトは一瞬、口篭もります。が、すぐに普段の仕事どうりの顔になって、答えました。

 トト「そうです。我々は、他国の神であっても受け入れる…。その名を、神名表にこの国の言葉で記せば、例えばあなたでも…。」
 アナト「ならば、私をこの国に受け入れてくれ」
 トト「は?!」
 アナト「私がバアルについて来たのも、そのためなのだ。」

 あまりのことに、これにはトトも、すぐさま返答できません。

 アナト「何故…、と、言いたげな顔をしているな。それも、もっともだ。だが、私は、もう故郷に未練は無いし、あの男、バアルの妻という役目にも疲れ果てた。新しい神として生まれ変わりたい。そう思っていた」
 トト「で、でも。どうして…。あなたは、自分の夫である神が気に入らない、っていうんですか?」
 アナト「それでも昔は良かったのだ。今はあのような形だが、かつては…バアルも、故郷では神々の王の地位にあった。」

 女神アナトは、静かに自分たちの国の物語を語りだしました。
 雨と嵐、いかづちを操る豊穣神バアルは、最高神エルの血を引く者として、神々の王となるべく生まれて来た存在でした。しかし、その王座に就いたとき、彼は死の神モートを支配下に置こうとして、逆にモートの力で死の国へと引き込まれてしまいます。
 ”いかなる存在も、死には逆らうことが出来ない”。
 アナトはバアルの魂を取り戻そうとモートを殺しますが、モートは何度でも蘇り、バアル自身もまた、死の永遠の呪いによって、死と復活を繰り返すさだめになります。
 それは、豊穣の季節のはじまりと終わりを、アナトにとっては、安息なき生涯を意味していました。

 アナト「…私は、疲れたのだ。死ねないかわり何度でも蘇る夫を…バアルの魂を取り戻すために、終わり無き戦いを続けなくてはならない。神である以上、私は永遠にバアルの妻でありつづけなくてはならない。故郷にいては、私は運命から逃れることは出来ないのだ。だが、この国の神として生まれ変われば…」
 トト「でも、そんなことをしたら。…確かに、あなたはバアルの妻ではなくなるし、もう死の神と戦わなくても済みます。でも、バアルは? 時が来て、再び死の呪いに呑まれたあと、誰も、彼の魂を取り戻さなくなったら…。」
 アナト「……。死んだままになる、か。そうだな。それも仕方の無いことだ」
 トト「そんな!」
 アナト「それは嫌か? ふふ。確かにお前は甘いな。敵の身を心配するとは」
 トト「敵…それは…そうですけど。だからって…。」

 口篭もるトトにほんの少しだけ笑みを向けたアナトの表情も、すぐに引き締まり、女戦士のものに変わります。

 アナト「ならば、妻として最後の仕事をしよう。トト、お前を信じてすべてを託すが、良いか」
 トト「僕は…偽りを口にすることはありません。信頼を裏切ることは出来ません。そういう神ですから」
 アナト「ふ。そうだったな。」

 武器を取り上げるなり、アナト女神はくるりと踵を返し、歩き出します。これから何をしようとしているのか。一体何を考えているのか。トトにも分かりません。
 けれど、その決意に満ちた背中に、トトも、軽軽しく声をかけることが出来なかったのでした。


 ピラミッド頂点の真下にある、淡く青白く輝く狭い隠し部屋。
 遠距離用チャネリング祭壇にたどり着いたとは、そこにはまだ、誰も来ていないようでした。

 トト「あれ? ヘプリ…しょうがないな、道間違えたのかな。ま、いいか」

 気を取り直し、祭壇に向かったトトは、遠く北の国々に向けて意識を集中させます。神々の波長は固有のものですから、会ったことのある相手なら、送り先を間違えることはありません。

 トトの呼びかけが、はるかな地を旅するハロエリス神にとどけられている、ちょうどその頃…。
 表では、すでに、謀反人セトと戦うための神々の軍が終結しつつあったのでした。


                                                     >続く

前へ   戻る   次へ