大神殿のナイショ話

神々の憂鬱−古神ヘジュ・ウルの提案




 バアル「おらー! キリキリ働けー!」
 トト「って、そんな騒がないでも働くよ。むしろ邪魔だよ、邪魔」

 監禁されているわりに、トトはたいへん冷静にお仕事をしていました。
 がらんとしたドゥアト産業本社(大ピラミッド)最上階玄室。社長室の横にある、いわばVIPルームです。

 セト「騒がしいのは、品性に関わる…。(優雅にお茶を飲みつつ)少し落ち着いたらどうだ。」
 バアル「かー! なんなんだよ一体。ここんとこ、ずーっと篭もりっぱなでさ!」

 人質作戦が成功したのか、それとも向こうも打つ手が無いのか、ここ数日、イシスたちエジプトの神々は、全く動く気配がありません。本拠地(大ピラミッド)を占拠されているというのに、何も仕掛けてこないのは、ある意味不気味なことでした。

 セト「ふん、あの女のことだ。また何か企んでいるのだろう」
 バアル「あんたに企んでるとか言われたかねーだろうよ。あんたこそ、何企んでんだよ。」

 バアルは、ちらりとトトのほうを見ます。魔力を封じるため、いちおうパピルスの茎で縛る封印の呪術など施してありますが(※)、本人はいっこうにそれを解こうとする気配もなく、ひたすら普段どうりの業務をこなしていたりしました。

 黙々と仕事するトトをよそに、バアルはヒソヒソと囁きます。

 バアル「なァ、あいつ、本当に大丈夫なのか? なんか黙々と書類作ってるぜ。」
 セト「ふ…。そこが買いどころだ。奴は実によく働く。吐き気がするほど真面目な奴なのだ。…そう、たとえ異国出身の王だろうと、正統ではない王朝だろうと、奴は『歴史を書き記す』という自らの役目はこなすだろう。」
 バアル「げ…。ヤな神だな。何でそんな神がいるんだよ。」

 それはエジプトが文字を大切にする国だったからだと思う。
 と、いうかトト、働きすぎ。

 無論、彼としてもこのまま簒奪王権(神界、地上界両方とも)に天下を取って欲しくはありませんでしたが―――、だからと言って、どうする力も持っていないのです。むしろ、その歴史の変遷をきちんと記録しておくことこそ、自分の役目だと考えたのでした。

 永遠に朽ちない聖木の葉に消えないインクで歴史を記すのは、トトの重要な役目の一つだす。人間界のことは人間が記すとしても、神々の世界の歴史を記せるのは、彼しかいないのですから、
 ここのところの慌しい出来事を記録しながら、トトは、密かに他の仕事―――たとえば、冥界へ送る死者のリストなどのことも考えていました、
 人間たちの世界でも戦争が起こっているのですから、たくさんの死者がでているはずです。その魂を死者の世界へ送り込むことが出来なければ、迷える魂が悪しきものに掴まったり、消えてしまったりして大変なことになるのです。


 その頃、ピラミッドの外ではというと…。

 コンス「どーすんだよ! まさか、このままんま見てるだけか?! おい、虫男!」
 タテネン「誰が虫男だ、誰が。せめて格式高く『蟲の王』とか言え。この戦力で正面から攻めるのは無理なんだぜ。様子見んのが当然だろーが。」
 コンス「だからって! あのバアルってヤツの言葉からするに、地上に行った連中を呼び戻すわけにはいかねーだろ? この国が異国人に占拠されたら、マジでオレたち消えちまう!」
 イシス「……。」

 裏切り者のセトをとっちめるほかに、神様としてのお仕事もあります。一端戻って来ていたアヌビスも、戦死者たちの魂を集めるため、すぐに地上に戻ってしまいましたし、占領されたナイルの下流から上流の町テーベに亡命した国王たちを守護するため、ホルスも戻ってこられません。クヌム神も、失われた命の代わりを補充するため人間創造工房に戻ってしまいましたし、残っているのは、ほとんど戦えない神々ばかり。
 いえ、それ以前に、そもそも神々が本気で戦ったりしたら、それこそ大惨事になってしまいます。かつてのセトとホルスの争いでは、地上のほぼ全域が戦場と化したのです。

 イシス(何とかしなければ…。あの時は、トトが知恵を貸してくれたから勝てたのだけれど、今回は…。)
 セシャト「きゃあ!」
 イシス「!」

 振り向くと、トトの妹・セシャトが、パピルスの束を抱えて転んでいました。

 イシス「大丈夫?」
 セシャト「ご…ごめんなさい、いつもはお兄ちゃんと二人でやってるから大丈夫なんだけど、やっぱり私一人だと…。」

 冥界へ送る死者のリストづくりは、セシャトが一人でやっているのでした。いつもより数が多いうえに、セシャトでは、あまり素早く筆記が出来ません。かと言って、こういった文書の記述が出来る神は、ごくごく限られたものなのでした。

 イシス「少し休んだら。」
 セシャト「でも…まだ半分も終わってないし…。」

と、その時。

 ヘジュ・ウル「はっはっはあ! なら、ワシが手伝ってやるぞい!」
 イシス&セシャト「!!!」
 コンス「……げっ」

 どこからともなくやって来る、銀の毛並みなびかせて。
 古代の知恵の神、ヘジュ・ウル登場。なんで古代の神なのかというと、まだ文字が開発されていなかった時代の知恵の神だからで、神様にもいちおう、時代変遷による定年などが存在するのでした。すでに引退してノンビリと過ごしていた…はずなのですが。

 イシス「ど、どうしてここに」
 ヘジュ・ウル「決まっとるじゃろうが、何やら大変なことになったと聞いちゃあジッとしておられんわい。どれ、セシャト、わしが手伝っちゃろ」
 セシャト「ううん、いい。それよりおじいちゃん、お兄ちゃんが…。」
 ヘジュ・ウル「わかっとる、わかっとる。まぁたセトのぼんずが悪さしたんじゃろ? 仕様の無いヤツじゃのー。」
 イシス「……。」
 コンス「……(ぼんずって。)」

 さすがジジイ、若い神様はすべてボウズ・嬢ちゃん扱い。孫と同列です。おそるべし。

 ヘジュ・ウル「心配せんでいい。わしが話しつけに行って来る。(キリッ)」
 イシス「えっ?! でも、そんな…。」
 ヘジュ・ウル「ふふ、なぁに。ヤツもわしには手出しが出来んわい。そうじゃろ?」
 イシス「それは…。」

 そう、このヘジュ・ウルじいさん、今は引退して隠居生活を送っていますが、昔は名のある冒険者…じゃない、名のある調停者だったのでした。
 反乱を起こして他国へ逃げ去ったセクメト女神を連れ戻したのも、月との賭けに勝って太陰暦の支配権を手に入れたのも、そもそも、太陽神ラーに誕生を禁じられたオシリスたち兄弟をこの世に出現させたのだって、このジイさんの仕業なのです。
 その恩義がある以上、いくらセトだって、そう無下に彼を追い返すことは出来ないはずなのでした。

 イシス「…分かりました。では、説得にはあなたに行っていただきます。でも、おそらくセトはおとなしく投降しないでしょう」
 ヘジュ・ウル「わかっとるわい。説得なんざツイデじゃツイデ。孫の顔見に行くツイデ。」
 イシス「(苦笑)そうですか。では、トトの無事だけでも確かめて来て下さい。」

 こうして、ひとり酒壷など抱えて飄々とセトのもとへ向かったヘジュ・ウル。この人に説得できなければ、もはやセトは誰にも止められない。
 王国の運命は、いかに―――?


※パピルスで縛る…古代エジプト人は、戦争で捕まえてきた他国の捕虜をパピルスの茎で縛る
呪術的な儀式を行っていたらしい。これが何を意味するのかは詳しくわからないが、壁画を見る限り、
イケニエもしくは相手の力を無力化するとの意味があったと考えられている。


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