大神殿のナイショ話

神々の憂鬱−背徳者セトの裏切り



 信じられない出来事に、神界に残された神々は大騒ぎでした。
 主だった神々は人間界へ出払っていて留守です。こんな時に、まさか結界が破られるとは思ってもみませんでした。まさに、王国始まって以来の大事件です。

 イシス「静かになさい! それで。状況はどうなの?」
 コンス「オベリスクが2本ともやられた。侵入して来た奴は、おそらく、ヒクソス人の連れて来たバアルってヤツだ。」
 セルケト「本社が乗っ取られたみたいねえ。逃げ遅れた連中は、人質ってトコロかしら。それとも、もう消されちゃったかも? うふふ、どっちにしてもタイヘンねぇ〜。」
 クヌム「それからさ、言いにくいんだけど…。」

 クヌム神が、そーっとイシスに近づいて、囁きました。

 クヌム「コレ。門の入り口ンとこで焼け焦げた地面と一緒に見つけたんだけど…。」
 イシス「…これは!」

 見覚えのある尾羽。トキの姿を借りる神は、トトとその眷属の知恵神たち以外にいませんから、誰のものかは一目瞭然です。

 ヘケト「ふええ〜。トトちゃんが殺されちゃったよぉ〜。」
 クヌム「そんなワケ無いだろ。神だって死んだら冥界に行くんだ。あいつが冥界に下っちまったら、死者の国のオシリス様から何か連絡のひとつくらい来るだろ。」
 イシス「そのとおりよ。何も告げてこない…ということは、きっとトトはまだ生きているわ。おそらく、敵の手の内に。」

 そう言って、イシスはキッと闇に包まれた大ピラミッドを睨み据えました。神々の世界と人間たちの世界は連動しています。一時的にせよ神々の座が奪われたということは、人間たちの世界でも、侵入者が勝利していることに違いはありません。もしかすると、このまま神々の治める領域のすべてが奪われてしまうかもしれないのです。

 イシス「戦いが起きているのに、人間世界へ行った神々を今すぐ呼び戻すわけにはいかないわ。バアルが何を企んでいるかは知らないけれど、私たちだけで出来ることをするのよ。とにかく、こちら側に残っている中で戦える者を選んで。残りの者は、安全な場所へ避難するように。いいわね。」
 セルケト「あーあ。戦える者なんて言ったって、マジメな話、そーたくさんはいないのよねぇ〜…。」

 イシスの指示で、神々が防衛策を練っていた、その頃。
 人間たちの世界でも、王国の兵士たちの苦戦が続いていました。

 敵のヒクソス人たちは、高い機動力を持つチャリオット(戦車)を用いて、砂地もたくみに走りぬけています。しかも、その戦車を引くのは、砂漠の国にはいない馬という動物だったのです。
 見たこともない動物と乗り物に、軍はかく乱され、なすすべも無く敗退していきました。アヌビスやホルスといった神々の守護も、人間たちの心が乱れていては届きません。

 アヌビス「拙いな。このままでは、下流域のほとんどが奪われてしまう。」
 ホルス「……。」
 バステト「ちょっと、ちょっとちょっと!!」

 髪を振り乱して現れたバステト女神は、仲間たちに向かって怒鳴ります。

 バステト「あんたたち、何してんのよ?! あたしの町ブバスティスがメチャメチャじゃない! どーしてくれんのよ! あんたたちがボサっとしてるからこんなコトになるんじゃないのよ!」

 バステトの守護するブバスティスの町は、ナイル下流の、アヴァリスにも近い場所にあります。東から攻め入られたら、真っ先に被害を被る地域なのでした。

 ネイト「…私の町サイスにも火が放たれた。デルタ地帯のほとんどは、奴らの手に落ちるだろう。人間たちが落ち着きを取り戻さぬ限り、我々の力ではどうしようもない」
 バステト「あーーもーー! だったら、このまま見過ごせっていうの?! どうにかしてよね! ホルス! アンタ神々の長でしょー?!」
 ホルス「…すまない。王には、ひとまず退いて機を見よと言っておいた。今は、主要な王族を上流地域に逃がすだけで精一杯だ」
 バステト「って、ソレちゃんと戻って来られるんでしょーね。体勢立て直したら戻って来てあたしの町を取り戻してよ! いいわね!」
 ホルス「勿論だ。」
 バステト「ったく。」

バステト女神は、腰に手を当ててプリプリしながら消えてしまいました。自分の神殿に戻れるようになるまで、どこかに身を隠すつもりなのでしょう。
 ホルスは、ひとつ溜息をついて世界を見渡しました。

 ホルス「とは言ったものの、この被害では…。いつ戻れるかは分からないな。」
 アヌビス「彼ら異民族を少々見くびっていたようだな。あの、馬という動物についても知らなさすぎた。ここは、我々も一端戻って皆に報告せねば。」
 ホルス「そうだな。…ん?」

 そのとき、ホルスは何か黒っぽいものがフラフラしながらこちらに飛んでくることに気付きました。今にも消えてしまいそうになりながら、神々を目指してきます。

 ネイト「あれは―――トトの伝令か?」
 アヌビス「そのようだが、様子がおかしい。何か…」

 彼らの足元に最後の力を振り絞って舞い降りたトキは、何か巻物のようなものを落とすと、そのまま消えてしまいました。ホルスがそれを拾い上げます。

 アヌビス「何ですか、それは?」
 ホルス「そのようだ。トトから…ん…」

ホルスの表情が変わりました。

 ネイト「どうした。」
 ホルス「…本社が…占拠された、と」
 アヌビス「何だと?! 一体誰がそんなことを!」
 ホルス「バアル…、彼らヒクソス人の連れ来た神だ。そして…、その手引きをした者が、内部にいると…。」
 アヌビス「手引きだと? まさか。我々の中に、そのようなことをする者がいるはずが!」
 ネイト「いるさ。一人心当たりがある。」

 女神ネイトは、難しい顔で腕を組み、空を見上げました。

 ネイト「あの者のことだ。いつか、何かしでかすだろうとは思っていたが…。」
 アヌビス「……。」
 ホルス「皆のことも心配だが、ここを留守にするわけにもいかない。アヌビス、君は一端戻って様子を見て来てくれ」

 そう言われて、アヌビスは一人、戦線を離れることになりました。

 ネイト「我々も、一端ここから撤退しよう。上流のテーベの町なら、アメンとモントゥが守護結界で守っている。少しは安全だろう」


 各所で、神々の撤退がはじまっていました。異国の者たちに都を奪われること、神々が追われること、――それは、王国の体験する、はじめての歴史でした。


 トト「……。」

 気が付いた場所は、暗い、どこか、石室(いしむろ)ような場所でした。湿気はありませんが、かつて苔の生えていた跡が腕にザラつきます。

 バアル「気が付いたのか、トリ」
 トト「君は…」

ふいに目の前が明るくなって、トトは、その眩しさに思わず顔をそむけました。

 トト「君たちにとって、僕の存在は邪魔なはずじゃないのか?」
 バアル「ま、オレもそう思うんだけどな。お前にはやって貰わなきゃならないことがあるらしい。」

 ゆっくりとした足音が響き、暗がりの向こうから、見慣れた一人の神が姿を現します。それは、トトもよく知る、赤の砂漠を守護領域とする、荒々しい破壊の神セトでした。

 トト「…セト様!」
 セト「お前には、我々の創る歴史を記録して貰わねばならんのでな。これから地上に創られる、新たなる王国の王たちの名も。そう、覇者たるものの名を刻み、未来へ伝える者がいなくては、栄華は時の流れにうずもれてしまうだろう」
 トト「どうして、こんな! 仲間を裏切るなんて…、この国を侵略させるなんて!」
 セト「仲間? ふん、誰が仲間だと。あの、忌々しいイシスや吐き気のするオシリスの同盟者たちが私の仲間だというのか。くだらん妄想だな」
 トト「まだ昔のことを! 今は、そんなことを言ってる場合じゃ…!」

バアルに強かに打ちつけられて、トトは、続ける言葉を喉に詰まらせてしまいました。
 むせ込む彼を、セトは冷ややかに見下ろして言います。

 セト「弱い者が負け、強い者が生き残る。それのどこが間違っている。この国の人間どもは、神々の守護に慣れて安心しきっていた。愚かにも、注意を怠っていた! 神々自身もな。だから負けたのだ。」
 トト「……。」
 セト「王座を奪うことは、私の長年の野望だ。貴様たちとて、それを知っていたではないか。知っていて、仲間だなどと甘い幻にうつつを抜かして、現実を見ていなかったのだ。愚かな」
 トト「だから…異国の神と手を結んで…。」
 バアル「へっ、気付かないとは愚かなモンだぜ。オレたちはずーっとやり取りをしてたってのによ。ま、地位を折半つーのはいただけないが、手柄は半々だからな。それも仕方ねぇや。」

 にやにやと笑いながら、バアルは、異国の剣を抜き放ち、トトの首元にぴったりと付けました。刃の表面が、炎に禍禍しく輝きます。

 バアル「さて、返答は? オレたちに従うか、従わないか。言っとくが、魔法は寝てる間に封じさせてもらったぜ。今のお前はただの貧弱なガキだ。殺すなんてのは、簡単なことだ。」
 トト「……。分かったよ…。」

その言葉を聞き、セトは、満足したように口もとを吊り上げ、背を向けました。

 バアル「おい、いいのか? こんなんで」
 セト「構わん。そいつはバカ正直で、いちど口にしたことは裏切らん。」

 トトは、去ってゆくセトの背中を、唇を噛み締めたままじっと見つめていました。人間世界に届けた伝言は、届いただろうか、と思いながら。


                                                 >続く



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