大神殿のナイショ話

神話物語 北の王女−月神コンスへの祈り 第7節



 真っ白に、雪は一晩のうちに街を多いつくし、山も、谷も、道も、すべてを凍りつかせていました。
 王宮の屋根はきらきらと輝く小さな結晶に覆われ、まるで、別の建物になってしまったかのように見えました。

 王「この雪では、道はしばらく通れんでしょう。春まで、この国でゆっくりして行かれるとよい。」
 ジェフティエムハブ「春まで…ですか…。」

 報告のため、すぐにも故国に戻ろうとしていた使者たちも、ジェフティエムハブも、思わぬ大雪のせいで立ち往生していました。
 ここ、バクタンの都に通じる道は、急な山道です。慣れていない暑い国の者たちに、雪で滑りやすい道は危険でしょう。
 ジェフティエムハブは溜息をつき、仮の祠に安置されているコンスの神像のことを思いました。

 災いが払われ、王女ベントレシュが目覚めた今、この国には、もう何も憂うことはありません。心配しているラーフネェル王妃のためにも、一刻も早くテーベへ戻ってそのことを報告したかったのですが。

 ジェフティエムハブ「仕方がありません。それでは、雪が解け始めたら教えてください。我々は、一刻も早く戻って王にお知らせしたいのです。」
 王「分かっておりますとも。冬の間、出来る限りおもてなしいたします。どうぞごゆっくりと。」

 けれど、このとき王の胸には、雪のこと以外にもう一つ、彼らを国に引き止めておきたい理由があったのでした。

 その頃―――。

 コンス「うおー、白い! これが『雪』かぁ! ひゃ〜〜♪」

 はじめて見る雪に、コンスは大はしゃぎでした。世界が真っ白になって、風の臭いが変わる。こんなことが本当に起きるなんて、彼には信じられませんでした。

 コンス「っかー、これは皆にも見せてやりたかったなー…。ん?」

 ふと、彼は、誰かの気配を感じて姿を隠しました。積ったばかりの新雪をおぼつかない足取りで踏み分けて、祠に近づいて来る小さな人影があります。
 それは、ベントレシュでした。まだ顔色はあまり良くありません。供も連れず、ひとりです。
 祠に入ってくると彼女は、肩の雪を払い落として、マントの下からそっと、温かそうなショールを取り出しました。

 コンス「…何やってんだ? お前」
 ベントレシュ「きゃ…。」

 つい、物陰から声をかけてしまったコンスは、しまった、という顔で口を押さえました。驚きのあまり、ベントレシュの顔がみるみる死んでしまいそうに青ざめたからです。

 ベントレシュ「あ、あの…。」
 コンス「……。」
 ベントレシュ「さむく、ないですか。」
 コンス「は?」

 彼女は、ふるえながら、ショールを差し出しました。

 ベントレシュ「雪、降ったから…。神像が凍えているといけないと思って、かけて差し上げようと」
 コンス「そんなことのために来たのか? ったく。まだ寝てろよ、みんな心配するぞ?」
 ベントレシュ「……。」

 神に、寒い暑いはあまり関係ないのでした。しかし、ベントレシュからすれば、暑い国の格好のまま雪の中にいるコンスは、とても寒そうに見えたのでしょう。
 考えた挙句、立ち尽くしている王女の手からショールを受け取ったコンスは、それを自分の肩にかけてみました。

 コンス「ま、一応受け取っとくよ。見てるあんたのほうが寒そうな顔してるしな。」
 ベントレシュ「…あの」
 コンス「何だよ。」
 ベントレシュ「一言…お礼を、言いたくて…。ありがとうございました…」
 コンス「おう。これに懲りたら、もう皆に心配かけんじゃねーぞ?」

 ベントレシュは淡く微笑み、ゆっくりと優雅にお礼の身振りをして踵を返しました。その笑顔は、明るく、見るものを魅了する姉姫とは違う、相手の心に静かに染みとおる、月の輝きのようでした。

 コンス「姉ちゃんが太陽で、妹が月…か。よく出来てんな。やっぱ、そっくりだ。」

 ひとりごちた彼は、台座にひょいと腰を下ろして、窓から見える雪景色を眺めました。
 王女の置いていったショールは、バクタンの、ごわごわした分厚い織物で、コンスの知っているものとは随分と違っています。
 空も、風も。この、冬という季節も…何もかもが違う国。そこは、人だけでなく、神にとっても、未知なる世界なのでした。

 日々は、何事もなく過ぎていきました。
 バクタンの王は丁重に人々をもてなし、コンスのもとにも、毎日たくさんのお供えが届けられました。国中の人々がひっきりなしに礼拝にやってきて、ご利益にあやかろうとします。
 最初は、異国の人々の奇妙な礼拝を面白がっていたコンスですが、しばらくして、飽きて嫌になってしまいました。

 コンス「ったく面倒くさい! これじゃテーベに居るときとおんなじじゃねーか! ったく!」
 小人「…だからって、何故、我に当たるのだ…?」
 コンス「お前しかいないからだろ。」

 さんざん苛められた小人は、それでも逆らうことが出来ないので、悔しそうにコンスを見上げます。

 小人「そんなに嫌なら、何故、やめてしまわぬのだ。」
 コンス「はぁ?」
 小人「この我をやすやすと組み敷くほどの力を持ちながら、なぜ人間などに媚びへつらう。なぜくだらぬ序列や規則に従う。その力があれば、すべては思いのままではないのか?」

 邪悪な微笑を称えた小人は、コンスの表情をうかがいながら、悪しき言葉を囁きます。

 小人「なぜ自らを規定する。そなたは…力を持っているではないか。人間などにかかずらう理由など無いではないか」
 コンス「…あのなぁ、お前。」

 けれど、溜息をついたコンスは、こう突っぱねました。

 コンス「そんなだから、お前は『神』にゃなれねーんだ。オレやお前みたいな存在でも、単独で生きてるわけじゃねーんだよ。」

 空から舞い落ちる白い雪は、いつしか、小さな花びらのように、谷風に舞いながら月の光に輝くようになっていました。
 ベントレシュは、寒い風が入らないよう小さく作られた窓から外を眺めるコンスに気が付いて、祠の入り口で足を止めます。

 コンス「何だ。こんな時間に何か用か?」
 ベントレシュ「あ、いえ…。今、話し声が。どなたかいらっしゃっていたのかと。」
 コンス「あぁ、今帰った。ちょいと、あんたには会わせらんないヤツでな。」

 窓から続く雪の上には転々と、小さな、尖った爪の跡が続いて、雪山の向こうに消えていました。

 ベントレシュ「国中の人たちが、コンス様のお噂を聞いてやって来るのです…。毎日、お疲れではないですか?」
 コンス「まぁ、疲れるっちゃ疲れるな。けど、人間の言うことを聞くのもオレたちの仕事だし。」
 ベントレシュ「お仕事…なのですか。」
 コンス「まぁな。けど、オレは、人間が喜ぶのが好きだ。何だかんだ言って、自分が好きだから、やってられんのさ。ま、楽じゃないけどな。」

 ベントレシュは、何も言わずに、抱えてきた供物を神像の台座に下ろしました。もう体の調子はよくなったはずなのに、何か、思いつめたような表情でした。

 ベントレシュ「…この国には、今まで、コンス様のような神様がいらっしゃらなかったのです。小さな国、力なき弱い神々、たやすく悪しきものに侵入されてしまう…。」
 コンス「けど、それは、あんたたち人間にも原因があるんだぜ。」
 ベントレシュ「私たちに?」
 コンス「そうだ。神ったって一人で生きてるわけじゃない。誰にも必要とされずに永遠の時を生きられるやつなんて、どこにもいないんだ。命は命で贖われる。オレが生きてんのも、オレに人間を守る力があるのも、誰かが必要としてくれてるからなんだぜ。」
 ベントレシュ「……。」
 コンス「あんたたちはさ、最初からダメだって決め付けて、この国の神々を信じてやらなかったんだろ。諦めて、絶望して、自分たちで悪いものを呼び込んでんじゃねーか。信じてもくれねー人間を守れるかよ。オレだってゴメンだね。」
 ベントレシュ「でも…。」

 何かを言いかけた王女は口をつぐみ、俯きました。今にも泣き出しそうな顔を見て、コンスは内心ちょっと焦っていました。

 ベントレシュ「私たちには…、あなた様が必要なんです。」

 ややあって、彼女はぽつりと呟きました。

 ベントレシュ「私たちはみな、あなた様がこの国に留まってくださることを望んでいます。私たちは、あなたの国の方々と同じ、いえ、それ以上にあなたを求め、敬います。それでも駄目でしょうか?」
 コンス「…って、んなこと言われても…。」

 顔を上げたベントレシュの潤んだ瞳が、月の輝きでコンスを見つめます。けれど、コンスには、その望みに応えることは出来ませんでした。
 いずれ時が来れば、国に帰らなければなりません。
 なぜなら、冬の来るこの国には、彼の本来の姿は馴染めないからなのでした。

 コンス「…悪ぃな。それは出来ない」
 ベントレシュ「何故?!」
 コンス「神の本質ってのは、風と、水と、大地が決めるんだ。ここはオレの生まれた国じゃない。だから、この国に暮らすには、オレはもう一度生まれ直さなきゃならない。けど、そうしたら、オレはもうオレでなくなってしまうだろ。―――オレには、自分でいられることが何よりも大事なんだ。」

 コンスの言葉に、ベントレシュは再び俯き、悲しそうに両手でショールをかき寄せました。
 神の言葉の半分も理解出来なかったはずの彼女に分かったのは、求める神がいずれは自分の国に帰ってしまうこと、ただそれだけだったのかもしれません。

 ベントレシュ「…間もなく雪が溶けます。父は、何かと理由をつけて、あなたの出立を阻もうとするでしょう。けれど、それでも行かれるというのでしたら…どうぞ、お気をつけて。私は…決して忘れませんから」
 コンス「あ、」

 言うが早いか、王女は、顔を隠したまま駆け出して行ってしまいました。
 雪は止み、雲間から差す月と星の輝きが、視界を銀色に染めています。夜の闇と地面の雪との境い目が霞んで、全てを胡乱にしてゆく淡い青い夜明け前。

 別れの時は、確実に近づいていました。



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