大神殿のナイショ話

神話物語 北の王女−月神コンスへの祈り 第6節



 人々が浮かれ騒いでいるのを眼下に見下ろしながら、コンスは、宮殿の屋根の上でぼんやりと月を眺めていました。
 これで、もう3日目ですが、お祝いの宴は少しも鎮まる気配がありません。貧しい国で派手さはないとはいえ、長く自分たちを苦しめてきた呪いが解かれたのですから、それはもう大変な騒ぎよう。国王自ら無礼講で楽しんでいるくらいなのです。

 コンス「ったく…ノンキなもんだぜ、奴ら。そんなに嬉しかったのかねー…。」
 小人「なぜ、我がこのような…。」(泣きながら酒を注ぐ)
 コンス「うっさい。お前、オレの子分になったんだから貢物くらい寄越せ。」

 コンスは未成年なのですが、この国にはコワイ母上もいないとあって、かなり気ままにやっているのでした。
 何より、この国のことを見て回れるチャンスなのです。
 ネフェルウラーが話してくれたとおりの岩山、ごつごつした山道に閉ざされた、ちっぽけで貧しい国。何もかもが彼の故郷とは違いました。同じなのは、ただ、夜空から照らす月の光だけ。

 コンス(あいつ、こんなところで育ったのか…。)

 人々のお供えものを頬張りながら、コンスはぼんやりと、そんなことを考えていました。
 と、その彼の耳に、すぐ足の下の窓から、話し声が聞こえてきました。

 侍女「どういうことなのでしょう。」
 ジェフティエムハブ「ううーむ…。悪しきものは去り、息もちゃんとしているのに、どういう訳だろう。」

 彼らは、眠ったままの姫君の枕もとに立って、なにやら思案しているようでした。

 ジェフティエムハブ「姫さまが目を覚まさないのは、もしかすると、何か他に原因があるのやもしれん…。」

 コンスは、じろりと小人を睨みつけます。

 小人「ち、違う。我ではない…(大慌て)」
 コンス「だったら何でだよ。」
 小人「……。」

 邪悪な小人は、ちらちらと上目遣いにコンスを眺めやりながら、おずおずと口を開きます。

 小人「あの娘は、元々弱っておったのだ。その…我が取り憑くより以前から。」
 コンス「何?」
 小人「感じられるであろう、弱々しい魂の響きが。あの娘は、自ら我を招き寄せた。自ら望んでいたのだ、―――破滅を」
 コンス「……。(ガシッ)」
 小人「あ゛ッ?!」
 コンス「お前、子分のくせにエラソウ(グリグリガリゴリ)」
 小人「ギャアアアー!!!」

 窓の外から奇怪な声が聞こえたような気がして、ふ、と顔を上げたジェフティエムハブの目に、満ちようとする美しい銀色の月が輝いていました。

 ジェフティエムハブ「…?」

 怪訝そうな顔をしたジェフティエムハブは、次の瞬間、窓から吹き込んで来た風の冷たさに、大きく身震いをしました。

 ジェフティエムハブ「今夜は、随分と冷える」
 侍女「もうすぐ、冬がやって来るのですわ。この国の冬は、雪に閉ざされてしまうのです。」
 ジェフティエムハブ「ああ、そうだったな。我々の国は、冬でも暖かいのですっかり忘れていたよ。」

 話しながら、ジェフティエムハブと侍女は部屋を出て行きます。
 ぱたん、と扉の閉まるのを見届けてから、コンスは、閉ざされた窓を通り抜けて、眠っているベントシュ王女の枕もとに立ちました。
 生を司る神である彼には、命あるものすべての魂が感じ取れるのです。彼女の中にあったものは、深い悲しみと、絶望…。
 双子の姉と遠く離れ離れになってしまい、もう二度と会えないのだという思いが、彼女の心に悪しきものに付け入る隙を作ってしまったのでした。

 絶望した今の彼女は、たとえ体が生きていても、魂は生きていないのと同じことです。このままでは、いずれ、眠ったままで衰弱しきって死んでしまうでしょう。
 コンスは、深く闇の中に沈んだベントレシュの魂<カー>に、力を注ぎ込むようにして語りかけました。

 コンス「しっかりしろよ。あんたが死んじまったら、あんたの姉ちゃんは悲しむぞ。。」
 ベントレシュ「……。」

 絶望のイメージの中に、黄色く霞む地平線が見えます。乾いた、だだっ広い大地。耳慣れぬ言葉を喋る異国の人々。威圧するように佇む、巨大な三角錐の岩の塊。
 それは、ベントレシュの持つ姉の嫁ぎ先のイメージでした。
 彼女にとってケメトの国は黄金色に輝く灼熱の大地で、雨も降らない、恐ろしい場所なのでした。

 コンス「…成る程な。姉ちゃんが苦しんでるんじゃないって思ってんのか。でもな、あんたが思ってるほど、オレたちの国は悪いとこじゃねーよ。」
 ベントレシュ「…あなたは」

 朦朧とした意識の中から、澄んだ、か細い声が返ってきます。

 ベントレシュ「あなたは…誰なの…」
 コンス「オレは、あんたの姉ちゃんに頼まれて、あんたを助けに来たんだ。」
 ベントレシュ「姉さまから…? 姉さまはお元気なの?」
 コンス「ああ、元気さ。そんで幸せそうだったよ。だから、あんたは何も心配しなくていい。自分のことだけ考えろ。」
 ベントレシュ「……。」
 コンス「姉ちゃんだって、遠いとこで頑張ってるんだ。あんただって、頑張れよ。目を覚ませ」

 ベントレシュの、固く閉ざされていた瞼が僅かに動きました。
 弱々しかった命の鼓動が少しずつ高まっていきます。もう大丈夫、彼女は自分から目を覚ますはずです。
 それを確かめたコンスは、そっとその場を離れ、月明かりの中に消えました。
 意識を取り戻した王女に見えたのは、その、消えていく瞬間の僅かな残像だけ。


 その晩、いつもより少し早い北の風が吹きました。
 冷めたく澄んだ濃紺の空に、白銀に輝く月の光。暑い国から来た人々も、コンスも体験したことのない空気。
 風は、バクタンの国に、雪の季節を運んで来ようとしていたのでした。

                                                 ―――続く

前へ   戻る   次へ