大神殿のナイショ話

神話物語 北の王女−月神コンスへの祈り 第3節



 幸せの時は、飛ぶように過ぎていきました。

 異国の王女、ネフェルウラーは嫁ぎ先の国にも馴染むようになり、今では、習慣や言葉、それに、王家に関わる様々な習慣なども覚えました。彼女の優しい人柄が好かれて、先にいた王の妻たちと不仲になることもなく、常に、王妃として遜色の無い尊敬を集めています。
 誰もが彼女を好きになり、彼女もまた、故郷を離れた寂しさが、少しずつ薄れていくのを感じていました。

 ラメセス王とも、年の離れているにも関わらずよき夫婦で、何事も、包み隠さず話し合っていました。
 ただ、――彼女にはただ一つ、夫にも内緒にしていることがあったのです。


 ネフェルウラー「…不思議ですね。あなたと出会ってからもう随分経つのに、私は、あなたのことを何も知らない。」

 それは、時折たずねて来る、あの少年のことでした。
 決まって月の輝く晩、皆の寝静まる夜更け。外から吹き込む涼しい風に頬を撫でられて、目を覚ますと彼がいるのです。
 誰かに気付かれる様子もなく、どこからともなく現れるこの少年は、今ではネフェルウラーの秘密の話し相手になっていました。夫には零せないグチも、宮殿での嫌なことや楽しかったこと、故郷の思い出話。彼は、何でもよく知っていて、何でも気安く聞いてくれます。
 そのかわり、自分のことは、あまり喋ろうとはしないのでした。

 ネフェルウラー「王には、コンスという名前の息子さんはいらっしゃいませんでした…。こんなことを聞いてはいけないのかもしれませんけれど、あなたは一体、どこの誰なのでしょう。」
 コンス「オレは、この街にずっと住んでる。名前はコンス。ま、本当の名前じゃないけどな。オレたちはみんな、本当の名前を隠してるんだ。」
 ネフェルウラー「よく、分かりません…。」
 コンス「なら、知らないでいいんじゃないか? 別に問題無いじゃん。」
 ネフェルウラー「…。そうですね…。」

 姿かたちは少年なのに、彼は、時々大人か、賢者のような口さえ利くのでした。けれどネフェルウラーは、なぜかそのことに違和感を感じません。むしろ、当たり前とさえ思う時がありました。
 月の光に透き通るような、この国には珍しい髪の色が、そんなふうに思わせたのかもしれません。

 コンス「ところでさ、また、あんたの国の話、聞かせてくれよ。こないだの続き…えーっと、そうだ、『雪』だ。オレ、聞いたことはあるんだけど、実際に見たことは無くってさ。」
 ネフェルウラー「ええ、いいですよ。雪というのは…。」

 話の内容は、大抵が、ネフェルウラーの故郷の遠いバクタン国のことでした。その話をする時、彼女はとても懐かしそうな顔になり、ときおり、寂しげな表情さえ見せます。
 けれど、話に大喜びのコンスを見ていると、一瞬の落ち込んだ気持ちも、すぐに無くなってしまうのでした。

 コンス「いいなー。オレも見てみたいなぁ、そういうの。真っ白に降って来る冷たい雨か! この国、暑いばっかで雨もロクに降んねーからなぁ。」
 ネフェルウラー「大人になれば、きっと行けますよ。私だって、そこから来たのです。旅をすれば、行けない距離ではありませんよ。」
 コンス「……。」
 ネフェルウラー「どうかしました?」
 コンス「行けねーんだ、オレは。翼があったって自由に行けやしない。」

 ぽつり、と呟いた彼の口調は、いつになく沈んでいて、ネフェルウラーのほうがびっくりしてしまいました。
 いつも明るいコンスが表情を翳らすところなんて、初めてだったのです。

 コンス「オレたちは…、人間ほど自由じゃないんだ。人間はオレたちのことを羨ましがるけどさ、でも、思うように生きられないのって結構辛いときがあるんだぜ。」
 ネフェルウラー「コンス…さん?」
 コンス「わりぃ、そろそろ時間だわ。オレ、帰る。」

 立ち上がったコンスは、窓から、ひょいと飛び出して走り去ってしまいました。気が付くと、もう月が地平線に隠れようとしています。
 ネフェルウラーはしばし、ベッドの端に座ったまま、少年の出て行った月明かりの窓を見つめていました。さっきの呟くような言葉が、頭の中を響いています。誰よりも自由に見えるあの少年が、『自由じゃない』と言ったことの意味は…。

 地平近くの月から放つ光は部屋の奥深くまで忍び込み、壁を、淡く白く照らし出していました。


 バクタンの国から急の使者が訪れたのは、その、次の日のこと。
 この使者によって、ネフェルウラーにとって悲しく、驚くべき知らせが、彼女のもとに寄せられたのでした。

                                                 ―――続く

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