大神殿のナイショ話

ホルス、父と語る



 冥界でいつもの業務に当たっていたオシリスは、羽ばたきの音に気付いて振り返りました。青い翼は不死鳥のベヌウ。けれど、今回は、その翼の上に寄り添うように、もう一つの翼があります。
 鷲の翼を見て、オシリスには、それが誰なのかすぐにわかったようです。

 オシリス「…ホルスか。よくここまで辿り付けたね」
 ホルス「すいません…。」
 オシリス「謝らなくてもいい。お前がここに来るのなら、何か大切な理由があってのことだろう? おいで、中で話そう。」

 冥界のオシリスの領域には、神殿がありました。冥界にやって来る死者たちの魂を裁く場
所であるとともに、オシリス個人の館でもあります。
 中では、ひっきりなしに送られて来る死者の魂を選り分ける仕事が休み無く続けられていましたが、それを行っているのは、神々の分身たちです。いわば、自我の一部が切り離されて、仕事をしているのでした。

 オシリス「今日は、アヌビスも地上に呼ばれていったっきり戻って来ないんだ。何かあるんだろうとは思っていたが。」
 ホルス「…僕のせいです。きっと」
 オシリス「何も言わずに出てきたのかい?」
 ホルス「置手紙は…しました。(うつむく)でも、ここに来るとは書いていません。」
 オシリス「そうか。なら、大丈夫さ。イシスやトトが何とかしてくれる。心配せずに、少しゆっくりしていくといい。」

 明るく言って、オシリスは飲み物を用意します。ベヌウは、部屋の隅っこで毛づくろいしながらぼーっとしていました。
 ここへ来るとき、ホルスはいつも誰かと一緒でしたから、一対一で父のオシリスと向かい合うのは初めてです。少し緊張もしていました。

 ホルス「…あの」
 オシリス「何だい?」
 ホルス「僕は…、もしかしたら、父さんの跡を継ぐのは、適任じゃなかったのかもしれないと思うんだ…。」

 オシリスは手を止め、優しく訊ねます。

 オシリス「どうして、そう思うんだい?」
 ホルス「だって、僕には何も出来ません。何をするにしたって皆の力を借りてばかりで、何をするにしても僕よりも優れた人がいる。皆を纏めているのは母さんだし、困ったときに頼りになるのは、僕なんかよりセト叔父さんのほうがずっとそうだと思う。戦うのも、考えるのも、…みんな中途半端だ。僕には、期待されるようなことは何一つ出来てない。僕がいなくたって、きっと何も困らないよ。」
 オシリス「……。」

 しばらく、沈黙が流れました。ややあって、オシリスはこう言います。

 オシリス「だったら、どうして皆はお前のことを探しているんだろう。」
 ホルス「えっ?」
 オシリス「お前がいなくなったら、誰が代わりをするんだい。イシスかい、それともセトかい。2人はケンカばかりしている。どちらかが、どちらかより上の立場になるのはムリなんだ。お前以外に、一体誰がみんなをまとめるんだい。」
 ホルス「…でも…。」
 オシリス「それにね、お前は一つ、勘違いしているよ。」

 にっこり微笑んだオシリスは、湯気の立つ湯のみをテーブルの上に置きました。

 オシリス「1人で何もかも、出来る必要なんて無い。神も人も、ひとりでは生きていけないものさ。たとえばイシスやセトだって、ひとりでは、この広大な国のすべてを管理することは出来ない。他の皆だってそうさ。一つずつ優れたところを持つかわりに、他の部分は、誰かに頼らなくちゃいけない。」
 ホルス「でも―――僕には、優れたところなんか何も―――。」
 オシリス「お前には、他の皆にない力があるじゃないか。『皆をまとめる』っていう力が、ね。」

 ホルスは、ぽかんとして父を見ました。
 束ねる力だなんて、考えたことも無かったのです。

 オシリス「それだって、大切な力だよ。皆は、自分の得意な力でお前を助ける。お前は、皆の力を一つに束ねて、この国の未来を考える。お前は誰かに頼っていいんだよ、ホルス。むしろ頼らなくてはならない存在なんだ。なぜなら、誰かを頼るということは、信頼の証しだからね。」

 その時はじめて、ホルスは、神々の長という意味を知ったような気がしました。
 父の笑顔の中には、『すべての神々への信頼』という、何よりも大切なものがあったのです。信頼していたから、彼は簡単にセトに殺害されてしまったのだし、今でも信頼しているから、
弟の行為を責めたり、恨んだりしていないのでした。

 オシリス「そう、相手は、信じることに必ず応えてくれるとは限らない。でも、応えてくれないことが裏切りなのではないよ。私は私なりの方法で誰かを信じ、相手は、相手なりの方法でそれに応えてくれる。そういうものなんだよ。」
 ホルス「父さん…。」
 オシリス「皆がお前に期待をするのは、お前を信頼しているからだ。お前は、お前なりの方法でそれに応えればいい。分かるね、ホルス。」
 ホルス「はい…。」
 オシリス「それじゃあ、堅苦しい話はこれくらいにして、お茶でも飲んでゆっくりして行きなさい。せっかく来たんだしね。(ニッコリ)」

 ふ、と手元に視線を落としたホルスは、湯のみの中に揺れる緑色の液体を発見しました。

 ホルス「…。父さん、これは…?」
 オシリス「珍しいだろう? 東方の島国・ニッポンから仕入れた緑茶だよ。これが健康に良いんだ。ふー…(湯のみを手に和みの表情)」
 ホルス「……。」

 父はずいぶん変わった趣味なんだな、とホルスは今さらのように思いました。
 そういえば、館の裏手にボンサイなるものを並べて喜んでいたこともありましたが、ホルスには何がそんなに面白いのか、全く理解出来ませんでした。
 まぁ、冥界の時間はゆったり流れるものなので、楽しみの種類も違うのかもしれませんが…。
 (ホルスはある意味世間知らずなので、父の趣味がたいへん個性的であることに気が付かなかったのでしょうネ。)



 トトとアヌビスは、てんやわんやで、もうグッタリでした。
 次から次へと神々が訪れて、誤魔化すほうも大変。アヌビスはくたくたです。いい加減、ホルスに戻って来て欲しいな、と思っていたその時。

 ばさばさ…。

 トト「あっ?!」

 羽音がして、しばらくすると、入り口にホルスが姿を現しました。

 ホルス「あれ…?(自分そっくりな人にびっくりしている)」
 トト「ああ、これ、アヌビスですよ。化けててもらったんです。良かったー、やっと戻って来てくれたんですね。」
 ホルス「あ、ああ、うん…。ただいま…。」
 アヌビス「(苦笑しつつ)遅いぞ、ホルス。せめてもう少し早く戻って来て欲しかったものだ。」

 ほっとしたように社長席から立ち上がったアヌビスは、また元どおり、犬の顔に直しました。かわりにホルスが席につきます。

 トト「で、どうでした。オシリス様との語らいは。」
 ホルス「え? どうして、それを…。」
 アヌビス「まぁ、だいたいの予想はつく、ということだ。とりあえず、イシス殿のほうは誤魔化しておいた。戻ってきたら、適当な言い訳でもするといい。」
 ホルス「うん…。ありがとう、2人とも。」

トトとアヌビスは、顔を見合わせて笑いました。

 それから間もなくイシスたちが戻って来て、ホルスはさんざん叱られたり問い詰められたりしたようですが、彼は持ち前の機転で何とか切り抜けたようです。
 その姿に、トトもアヌビスも、ちょっとだけ成長したホルスを見たのでした。


 おしまい。

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