大神殿のナイショ話

ホルス、家出する



 地上世界での神々の長にして王権の守護者であるホルスも、最初から、偉い神だったわけではありません。
 最初にその任務についたとき、彼はまだ、その重い責任に耐えるには若すぎました。日々、苦労の連続。母イシスは厳しいし、一度は破れたものの、セト派の神々は、いまだ虎視淡々と座を狙っています。父の座を継いだはいいものの、実質は、他の神々が仕切っているようなものでした。

 そんな日々に、若い彼は悩んでいました。
 悩んだすえに…
 逃亡してしまったのです。置き手紙だけを残して…。

 イシス「な、何てこと! あの子が…逃げ出すなんて?! あああ(倒れかけ)」
 トト「し、しっかりして下さい、副社長!(慌てて後ろから支える)」

 緊急の知らせを受けて駆けつけたのは社長室補佐をつとめる死者の守護女神たち、イシス、ネフティス、ネイト、セルケト。それに知恵者のトトと、アヌビスです。

 アヌビス「しばらく1人になりたいので探さないで下さい、か。…よほど悩んでいたんだな。」
 イシス「どうして? どうしてなのよ、あの子、そんな素振り見せてなかったじゃない! 第一、悩みがあるなら、どうして私に―――」
 ネフティス「姉さんが厳しすぎるからでしょ。あれはダメ、これもダメって。姉さんは何でも否定する。自分の思いどうりにいかないと、すぐ叱り付けるじゃない。そんなの、相談できないわよ。」
 セルケト「それはあるかもしれませんねぇ〜。あ、でも、ホルス社長、最近ときどき屋上でぼんやり空なんか見上げてましたよね。まるで誰かを待ってるみたいに」
 トト「…ぎくっ(思い当たるフシあり)」
 イシス「何、トト。何か知っているの?」
 トト「い、いえ、別に。…と、とにかく探しましょう。せめて行方くらいは掴まないと」

 それはもっとも、と、いうことで、4人の女神たちとトト、アヌビスは、手分けして心当たりを当たってみることにしました。ホルスが行きそうな場所といえば。

 イシス「では、私はラコテ(アレキサンドリアの古名)方面へ…。もしかすると、ギリシアまで行ってしまったかもしれないから。」
 ネイト「では、私はメンフィスへ行こう。プタハの息子、ネフェルテムのところへ遊びに行ったかもしれないからな。」
 セルケト「じゃ、ネケン(ヒエラコンポリス)でも探しましょう。古都観光にはもって来いですからねぇ〜。」
 ネフティス「わたしは…、(ちらりとトトを見る)そうね、この周辺を当たってみる。意外と近くにいるかもしれないし。」
 トト「僕は、ここに残って社長のいないのをごまかしときます。アヌビス、手伝ってくれるよね?」
 アヌビス「私がか?」
 トト「そうだよ。君以外に誰がいるんだい」
 アヌビス「……。仕方ない、か…。」
 イシス「では、みんな、宜しく頼みますね。急いで探しましょう」
と、イシスの号令で、4人の女神はそれぞれに社長室を出て行きます。

 誰もいなくなった部屋の中で、トトは、ほっとしたように一つ息をつきました。

 トト「…ふう。良かった」
 アヌビス「その様子だと、ホルスの行方に気がついたんだな?」
 トト「予想が当たっていればね。…ん? 誰か来る!」

 足音が近づいてきます。マズイ。
 慌ててホルスの置手紙を隠したトトは、何食わぬ顔で書類を渡しに来たような顔をします。

 入って来たのは、なんとセト神でした。
 
 トト(うわぁ…。最初っからヘヴィな人が…。)
 セト「ん? 何だ、トト。何をしている」
 トト「あー…いえ、今年のナイル氾濫状況の報告を。専務は何しに?」
 セト「下流域の私の神殿領地のことで話がある。ホルス」

 アヌビス「……。(汗)」

 セト「ホルス、どうした。顔が硬直しているが。」

 何でアヌビスなのにホルスとバレないのか。ご説明しましょう、それは、彼とホルスは異母兄弟だからなのです。
 ホルスの母はイシス、アヌビスの実母はネフティス。イシスとネフティスは双子の姉妹(モスラ〜や♪)なので顔はおんなじ。そして、双方の父はともにオシリス。ってことは、ホルスとアヌビスがクリソツなのは、ある意味、当たり前。
 でも、ネフティスとオシリスの間に息子がいたことは、秘密になっています。
 なぜかって?
 それはね、不倫だから。(※この経緯については、別の項目で。)
 家族愛を重んじるぶん、そういうのには厳しいのですエジプト神話。
 だからアヌビスは、普段は犬顔で素顔を隠していたのですが…(多分)。



 セト「何か妙だな…。ホルス、お前、いつから髪型変えた?」
 アヌビス(ホルスになりすまし中)「い、いえ、これは…寝癖、です。」
 セト「はア?」
 トト「専務、その話は無しにしましょうよ。社長、今日はイメチェンに失敗した挙句、イシス副社長に叱られて気持ちブルーなんですから。早く本題に入って下さい。」

 トトよ…どんなフォローだ、それは…。

 セト「ふん、相変わらずネンネだな貴様は。まぁいい。とにかく話に入るぞ。今回の領地割り振りだが、なぜ私の神殿の領地が削られねばならんのかが…」

 セトのやって来た理由は、自分の神殿が不当に領地を減らされたので、信者が参拝しにくくなったというもの。アヌビスにはもちろんそんな話はサッパリですから、トトが横からさりげなくフォローして、話を進めます。
 狡猾なセト神も、よもや目の前にいるのがアヌビス(すっぴんバージョン)だとは思いつきませんから、首をひねりながらも帰っていきます。

 次にやって来たのはクヌム神。
 トトとしても友人を裏切るのは心苦しかったのですが、ここは仕方ありません。クヌム君の言うには、今度の王が自分への捧げ物をないがしろにして腹が立つので、来年からしばらくナイルの氾濫を控えめにして人間に天罰くらわしてやりたい、というものでした。

 クヌム「あームカつく! 南部の田舎神だってよ、そりゃ確かにそうだけどさ。オレは田舎モンだよ、けどなー、オレだって頑張ってるんだ!」
 トト「あーハイハイ。よく分かるよ。君がちゃんと仕事しないと、ナイルが氾濫しなくなって穀物が取れなくなるんだよね。分かってるけど、天罰はやりすぎじゃない?」
 クヌム「けどなー。」
 トト「社長が王様に直クレームつけてくださるよ。ねっ、ホルス社長?」
 アヌビス(ホルスなりきり)「うん。…その、善処する」
 トト「だ、そうだよ。だから社長に任せて…。」

 クヌム君は、まだプリプリしながらも帰っていきました。
 この後も、休む間もなく、次から次へと訪問者の連続。トトもアヌビスもてんてこまいです。ようやく休息が訪れたのは、午後もだいぶ過ぎてからのことでした。

 トト「はー、疲れたー…。ご苦労さま、アヌビス」
 アヌビス「いや。しかし、ホルスも大変だな。こんなことを毎日続けていたのか。」
 トト「うん…。僕でも、きっと嫌になる。逃げ出したくなる気持ちも分かる。でも…。」

 隠していた置手紙を引っ張り出したトトは、溜息をつきます。

 アヌビス「心当たりは、あるんだろう。何処なんだ」
 トト「…たぶん、冥界だと思う。オシリス様のところだよ。」
 アヌビス「何? ―――そうか! 父上に会いに行ったのか。でも、どうやって…」
 トト「ベヌウだよ。不死鳥なら、生者の世界と死者の世界を自由に行き来できる。ホルス社長は、以前からオシリス様とベヌウを介して文通してるんだ。」(※「父と息子の物語」参照のこと)

 屋上で空を見上げていた…と、いうことは、手紙が来るのを待っていたのでしょうか。冥界なら、神々とておいそれと行けるところではありませんから、逃亡するにはもってこいです。

 アヌビス「オシリス様なら、きっとホルスを導いてくださるはずだ。しばらく、そっとしておいたほうがいいかもしれんな。」
 トト「僕もそう思う。きっと、自分から帰ってくるよ。…と、でも、そのぶん君には頑張ってもらわないと困るんだけど…(苦笑)」
 アヌビス「仕方がないさ。ところでトト、ひとつ聞きたいんだが」
 トト「ん?」
 アヌビス「全く誰にも疑われんというのは、何だか、妙な気分だな。そんなに似ているのか? 私とホルスは。」

 トトは、肩をすくめて複雑な笑いを浮かべ、こう答えました。
 「何も言わなかったら、僕でも騙されると思うよ。」


 と、こんなふうに地上での出来事が進んでいる間、冥界へと逃亡したホルスは…?

                                             >続く>

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