大神殿のナイショ話

神話物語 カエムワセトと封印の呪文vol.4



 古えの王たちが眠る砂の台地、サッカラ。
 ジェセル王が階段ピラミッドを築いた場所であり、古代エジプトに巨石建築が始まった場所でもあります。古代の王たちは、この地を中心に、死者の住まう永遠の家を造ろうとしました。 
 けれど、それも、もうずっと昔のお話。人の一生は短く、この時代をはっきりと覚えている者など、誰ひとりいないのです。

 ネフェルカプタハの墓は、彼が若くして亡くなったため目立つピラミッドの形ではなく、築かれて間もなく入り口が埋もれてしまったために、天然の丘とは見分けがつかなくなっていました。
 誰も、そこに墓があるなどとは思いつかないはずでしょう。でもトトには、入り口の場所がわかっていました。
 地上を統べるすべての王の名と在位とを聖なる葉に記す役目を持つ彼は、王たちの眠る地が何処であるかも、記録しているのですから。

 昼の強い日差しに陽炎がゆらぎ、地平線をぼやかしています。
 誰かが近づくのを感じ取ると、陽を避けて丘の影に寝そべっていた黒犬たちが耳をそばだてました。

 「アヌビスのしもべたちか。…僕は怪しいものじゃない。ここを通してくれるかい」

墓守である黒犬たちの金色の目が、じっと彼を見つめます。
 一匹が、自ら道を開けるように、すっと横に退き、それとともに、地面が微かに揺れ、さらさらと砂が落ちて、地下へ続く道がぽっかりと暗い穴を開けました。

 「ありがとう。」

墓守たちに微笑みかけた彼は、小さく何かを囁くとともに、その穴の中へ降りて行きました。
 中は薄暗く、古い砂の臭いがこびりついています。地面のわずかな湿気が、かびを発生させたのでしょうか。

 奥に微かな気配を感じて、彼は足を止めました。
 「誰だ…。」
カサカサと、干からびたものが蠢くような気配。暗い玄室の中に起き上がったものは、変わり果てた、ネフェルカプタハのミイラでした。
 「また、眠りを妨げる者が…」これは、息子のメルイブの声。
 「墓荒しなの?」ネフェルカプタハの妻、アハウエレも起き上がります。

 「ここには、もう何も無い。巻物も盗られてしまったのだからな。」
 「分かっている。そのことで来たんだからね。」
 「…? あ、あなた様は。」

 ミイラたちは、はっとして平伏します。墓を訪れたもの、それは、巻物を書いた神―――本当は違うのですが―――トト神だったからでした。

 トト「巻物のほうは心配しなくてもいい。それより、聞きたいことがある。」
 ネフェルカプタハ「な、何でしょうか。」
 トト「カエムワセトがここへ来た時のことを。それから、君たちが巻物とともにこの墓に収められたときのことを。」

 ミイラたちは顔を見合わせ、乾いた記憶から搾り出すように、ぼそぼそと語りだしました。
 カエムワセトと、セネト(エジプトの将棋)で勝負をし、巻物は勝ったほうのものにする、という話だったのに、カエムワセトは卑怯な手を使って巻物だけを奪って逃げたこと。
 自分たちが死んだのち、側に落ちていた巻物が何なのかを知る者は誰もおらず、遺品のひとつとして収められてしまったこと。

 トト「―――つまり、巻物がここにあったのは、誰もその意味を知らず、君たちの所持品だと勘違いしたためなのか…。」
 ネフェルカプタハ「そうなのです。本当はトト様の神殿にお返しすべきだったのでしょうが、我々は死せる身、誰かに語りかけることは容易ではありません。それに、この巻物のことが世間に知られるのが怖かった。ここにあれば…、少なくとも、永遠に誰かの目に止まることは無い…と思っていたのですが…。」
 トト「そうだね。そのはずだった。でも、巻物がここにあることを知っている者が、外の世界に居たんだ。」
 ネフェルカプタハ「え? しかし、私は、妻と子以外の誰にも…。」

 トトがいちばん気になっていたのは、まさにその部分なのでした。

 ネフェルカプタハは、妻子にしか呪文書探索の詳細を告げていません。けれど、その妻子は、彼とともに神罰で命を落とし、ここに居ます。誰も知らないはずなのに、なぜ正確なことを書き記した古文書が存在したのでしょう。
 そこには、ただひとりだけ、すべてを知る人物が居ました。

 トト「君は、父王にも巻物のことを詳しく語らなかったんだろう?」
 ネフェルカプタハ「勿論です。ただ、偉大なる書を手にしに行く…とだけ…。」
 トト「それなら、カエムワセトが読んだ巻物を書いた人物は1人しか思い当たらない。君に語りかけた老人だ。でなければ、その老人の共犯者か。どちらにせよ、君の知識欲を利用して巻物を世に出そうとした人物がいたことは確かだ。」

 あまりのことに、ミイラたちは、今にも崩れ落ちてしまいそうに見えました。アハウエレはよろよろと棺にもたれかかり、何百年も前から肺に溜め込まれていた空気を、大きな溜息とともに吐き出します。

 ネフェルカプタハ「…神の記した書のありかなど、本来なら、普通の人間が知っているはずもないこと。今思えば、私も浅はかでした。素性も知れぬ老人の言に惑わされて。…あれは、従ってはならぬ悪しき霊だったか…。」
 アハウエレ「死んでしまった今となっては、もはやどうすることも出来ません。罰は十分に受けたのです。絶望は…今となっては、希望に変わることもないでしょう。」
 メルイブ「……。」

けれど、トトは言います。

 トト「死は単なる無ではないよ、アハウエレ。死者たちは、今を生きる者のために存在する。誰かの生は、別の誰かの死によって贖われるものだからね。巻物の秘密を教えたのが誰にせよ、また同じコトを繰り返してカエムワセトを死なせるわけにはいかない。だから教えて欲しい、ネフェルカプタハ。君たちが読んだというその巻物には、一体、どんな呪文が書かれていた?―――」

 彼らは不思議そうに顔を見合わせました。それはそうでしょう。巻物を書いたのはトト自身だと思っているのですから。
 それでも、ネフェルカプタハは、おずおずと口を開き、死の直前に見た巻物の内容を、少しずつ、トトに語り始めました。その呪文は死者の口から漏れてなお力強く、暗い墓の中をほんのりと明るく照らし出すほどです。

 天地と海のことわりと、獣たちの言葉を知ることの出来る原初の知識。
 死者の復活に関わる再生の呪文。
 人の心を操り、隠された知識を引き出す魔法。
 未来の予言。世界の真実―――。

 すべてを語り終えたミイラは口を閉ざし、そろそろとトトの表情を伺いました。

 トト「それだけかい?」
 ネフェルカプタハ「は…はい。」
 トト「ふうん。それだけなのか…。」

意外そうな表情でした。

 トト「その程度なら、別に隠すほどのこともない…。高位の神官たちなら、断片的に知っているはずの内容だ。」
 ネフェルカプタハ「は? そ、その程度とは。しかし、この呪文で私たちは、ひとときではありましたが、素晴らしい力を得ました。」
 トト「それは錯覚だよ。人は、新しいことを知ると、それだけ自分が偉くなったように勘違いしがちだが、実際は、逆に愚かになっていくだけさ。知ったかぶりをすることで、当たり前のことが見えなくなっていく。」

 知恵の神は、そう言って玄室の中の薄明かりをかき消してしまいました。部屋の中は、再び真っ暗な闇に包まれてしまいます。

 トト「真に理解するということは、単純に覚えることとは違うんだ。世界の根源たることわりなんて、読めば分かるようなものじゃない。見えなければ手探りで探し、自分の肌で感じられるものを、なまじ見えてしまうから、実際に触れることなく知ったつもりになってしまう。『見える』ことは『まやかし』なんだ。分かるかい?」
 
 ミイラはこうべを垂れ、ただじっと、この言葉を聞いています。
 その言葉は、巻物を紐解いて得た知識のどの部分よりも優れて、彼らの心に光を与えたのでした。


 墓の外に出たトトを待っていたのは、黒犬たちに囲まれた、アヌビス神でした。そこだけ、太陽の光が届かず、黒い影を落としたように見えます。

 アヌビス「お前が俺を呼び出すとは、珍しいな。何かあったのか。」
 トト「少し気になることがあって。…君の従者たちがこの墓を見張っていたということは、ここが最近破られたことを知っていたからだろう?」
 アヌビス「そうだ。」
 トト「それなら―――この墓の主たちが『生きている』ことは、知っていたのかい?」

 アヌビスの表情が、ぴくりと動きました。

 トト「ミイラになったものが、ミイラのままで生き続けるはずがない。死者の魂は地上ではなく、地下に留まるはずだ。それなのに、彼らの魂は『永遠の園<セケト・イアル>』へは行っていない。それどころか、魂の審判も通っていないだろう。何故なんだ?」
 アヌビス「…。私が、彼らの魂を取りのがしたのではないか、と、いうことだな。」

 傾いた日が墓を隠す砂の丘を照らし、その影を長く伸ばしています。いつしか、空には夕暮れの明星が輝きはじめていました。

 アヌビス「正直に言おう、トト。知っていたが、私には手出しが出来なかったのだ。彼らの魂がまだここに留まっているのは…、おそらく、その理由は私よりお前のほうが詳しいだろう。」
 トト「彼らが読んでしまった、あの呪文か?」
 アヌビス「そうだ。その中には、死を拒むものもあったのではないか? あったなら、それが原因だ。永遠の生を得ながら肉体の滅んだ者は、冥界へ行くことも出来ず、転生も出来ず、永遠に朽ちない肉体に縛られるしかない。愚かなことだ…、死は、終焉ではなく新たな始まりでもあるというのに。」

 トトは、静かに呟きました。

 トト「僕は知らなかった。…」
 アヌビス「何?」
 トト「知っていたら、この墓に収められた巻物にも気付いていたはずだ。死せる者の名簿には、彼らの魂の行方は書かれていなかった…。」
 アヌビス「何だと? まさか。いや…しかし、そんなことがあるハズは」
 トト「巻物を書いたのも、封印したのも、僕じゃない。もし僕が知っていたら、彼らのもとに巻物を置いたままにはしておかなかった。今回のような事件がおきることもなかったはずだよ。」
 アヌビス「言われてみれば…。災いの種になるようなものを、わざわざ人間の手の届くところに置いておくようなお前ではないな。だとしたら、誰が」

 言いかけて、アヌビスは気が付いたようです。
 彼は古い存在…、トトより前から死者の守護者という任務についていた神です。ネフェルカプタハたちがまだ生きていた時代のことも、覚えていました。


 人々の記憶からは消えてしまった遥か古え、まだ、人と神の距離がそれほど遠くはなかった頃のこと。
 この国には、かつて、もう1人の知恵の神がいたのでした。
                                         

 ――――vol.5に続く。



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