大神殿のナイショ話

神話物語 カエムワセトと封印の呪文vol.2



 最初の衝撃はかなり大きかったカエムワセトですが、彼とて、神に仕える高位の神官。神との直接対話も経験したことがあったはずです。
 何より、聡明な彼のこと。状況を掴むまで、さほどの時間はかかりませんでした。

 カエムワセト「私がここに呼び出された、ということは…、あの、呪文書のことですね…?」
 トト「そうだ。まず、最初に何処にあるのか聞いておく。どこだい?」
 カエムワセト「自室の、机の上に…」

 言い終わるか、終わらないかのうちに、トトは片手を差し上げました。何もないはずの空中から、その手の中に呪文書が現れます。
 パピルスの巻物は、固く蜜蝋で封が成されたままで、開かれた様子はありません。

 トト「確かに。…封印がそのままということは、君は中身を見ていないんだね?」
 カエムワセト「はい。父に止められましたから。」
 トト「そうか。それは懸命な判断だった」
 カエムワセト「あの…。」

てっきり罰せられると思っていたカエムワセトは、トトが思いのほか穏やかなのを不思議に思ったようです。

 カエムワセト「お怒りではないのですか。」
 トト「いや。確かに良くないことではあるけど、君は自分の知識欲に従っただけだろう? そして今回は、愛欲に従ったわけだ。欲望に支配されるのは愚かだけど、欲を持たなければ、人間は生きていくことが出来なくなってしまう。違うかい?」
 カエムワセト「…さすが、知恵の神トト様のお言葉です。しかし、巻物を取り戻すだけでしたら、何故こんな…」
 トト「知りたかったからさ。君が、どうやってこの巻物のありかを知ったのか」

トトの表情が、少し硬くなります。ここからの話は、他人に聞かれては困るもの。だから、トトは中央との縁あさく、信頼できるバステトに頼んで、ブバスティスの片隅を借りたのでした。

 カエムワセト「どうやって、とは…。私は、神殿にあった古文書を読んだだけなのですが。」
 トト「古文書だって? それは、いつ、誰が書き記したものなんだい?」
 カエムワセト「それは、気にも止めていなかったのですが…。戻って調べれば、すぐに分かるはずです」
 トト「では、すぐに調べさせて貰うよ。だが、君は僕と出会ったことを誰にも言ってはならない。君はバステト女神の気まぐれに付き合わされてブバスティスへ迷い込んだ、それだけなんだ。いいね。」

 言うや否や、カエムワセトの意識が遠くなり、部屋の壁も、床も、すべてのものが揺らいで、あとは何も分からなくなってしまいました。


 気が付くと、彼は、太陽の照りつける砂の真ん中に呆然と座り込んでいました。
 「な、何してるんですか兄上!」
側には、腹違いの弟アンフレルが立っています。カエムワセトの酷い格好に、アンフレルの表情は、いかんともしがたいものでした。
 「神殿から姿を消したって聞いて、皆ずっと探していたんですよ?! こんなところで何やってるんですか!」
 「い、いや…。」
辺りは、飄々たる砂漠。さっきまでいたはずの部屋も、トト神の姿もありません。ブバスティスの町並は、はるか彼方。
 「さあ、帰りましょう。」
弟に腕を引っ張られた拍子に、何かが砂の上にぽとりと落ちました。
 「あ…。」
それは、あの呪文書。トトが取り返したはずのものでした。
 なぜ、ここにあるのか?
 それは、「預けておく」という意味だろう、とカエムワセトは理解しました。

 神の思し召しは、所詮人間には理解出来るものではないのだ、あの部屋の中で告げられたことは自分には理解出来ないのだ―――と、思いながら。


 トトとバステトは、弟とともにメンフィスへ帰っていくカエムワセトの姿を、遠くから眺めていました。

 バステト「あーあ。何もこんな面倒なことしなくったってイイのに。そんなに心配なら燃やしちゃえばいいじゃない、あの呪文書」
 トト「そうもいかないんだよ。アレは…特別なものなんだ。」
 バステト「特別? たかが呪文書でしょう。」
 トト「ただの呪文書じゃないよ。初代が創ったものだから、内容も、効果も僕は知らない。何も分からないものを迂闊に燃やしてしまえるものじゃないよ。」
 バステト「ふうん。あんたらしい慎重な意見ねぇ。だけどさ、トト、あんたどうしてこんな回りくどいことをするワケ? あの人間が呪文書をどうやって手に入れたかなんて関係ないでしょ。」
 トト「あるんだよ、それが…。」

 トトが気になっていたのは、前回、ネフェルカプタハが、ナイルの流れに封印されていた巻物を手にいれた経緯です。
 彼は自力でその在りかを見つけたのではありません。トト神殿に立っているネフェルカプタハに話し掛けた、名もしらぬ見知らぬ老人が教えたのです。
 老人は、トトの呪文書が何処にあり、何が書いてあるのかまで詳しく知っており、しかも、呪文書を守る数々の封印までも知り尽くしていました。これはトトの神殿内で起きたことですから、もちろん彼は知っています。しかし、この時トトは、その封印の書が実在することを知らなかったのです。

 バステト「知らなかった?! だって、あんた先代の業務と記録は全部引き継いだはずじゃないの!」
 トト「そのはずだった。なのに、僕はそんなものが存在することさえ知らなかった。僕でさえ知らないものを、人間の誰かが書き記したり出来るとは思えない。何か、嫌な予感がするんだ。ネフェルカプタハをそそのかした老人は、おそらく、ただの人間じゃない。」

 巻物などに関わらなければ、ネフェルカプタハは、優秀な学者として、立派に国を治める王になっていたはずなのです。
 長い時の流れから見れば、たかがひとりの死ではありますが、魂の審判に立会い、数多くの人の死を見て来たトトにとって、それが人間にとってどんなに恐ろしいものかは、とてもよく分かっているのでした。
 誰も、突然の死を望む者などいない。心残りを置いたまま冥界へ行く魂の叫びは、いつ聞いても切ない…。

 トト「ネフェルカプタハは巻物のせいで命を落とし、今度はまた、カエムワセトが巻物のせいで危うい目に遭っている。『トトの記した書』のせいで優秀な人間たちの命が奪われるのなら、『知恵の神トト』は、災いの神になってしまう。だから、真実を確かめたいんだ。僕の役目として、知識は争いや災いだけを招くものではないと証明するために。」
 バステト「…あんたらしい理由ね。ソレ」

 バステトは、風にたなびく髪をゆるくかきあげながら、空を眺め遣ります。その姿を見たら、世の若い男は放っておかないだろう、というくらいですが、彼女は気まぐれな恋の女神。本気でホレたら痛い目を見ることは請け合いなのです。

 トト「姿を変えて人間になりすますことくらい、下級神にだって出来る。問題は、僕でさえよく知らない呪文書の内容を知っていた、ってところだけど…。」
 バステト「あてずっぽうじゃないの?」
 トト「それにしては細かいよ。封印の内容も知ってた。 もしかすると…コトは、そう単純じゃないのかもしれない。」
 バステト「キツいね。仲間の神を疑わなくちゃならないなんて。」
 トト「……そうだね。」

 少しの間、沈黙がありました。場が暗くなったことに気が付いたバステトは、すぐさま明るい声に戻って、ちょっとおどけて言いました。

 バステト「でもさ、このこと、あたしの力を借りたってことは、あたしは疑われてないのよね?」
 トト「当たり前だよ。バステトがそんなことするはず無いじゃないか。セト専務が女装するよりあり得ない話だよ。」
 バステト「え〜? 何ソレ! 超ヘン〜」
 トト「ね、あり得ないでしょ?」

 大爆笑のバステト。
 けれど、そんな彼女に合わせて笑いながらも、トトの胸の中は、すっきりしないままでした。

 カエムワセトが呪文書を持っていれば、その「誰か」は、巻物を手に入れようと必ず接触して来るするはず。

 誰が、何のために呪文書を手に入れようとしたのか…。それが分からなければ、どこか別の場所に隠したところで、また次の時代に誰かが呪文書を盗み出すよう仕向けられるでしょう。
 だから、いま、この時代で、真実を暴かなくてはなりません。
 けれど―――もしそれが、よく知っている誰かの仕業だと知ってしまったら?
 真実は諸刃の剣、ともすれば自分自身をも傷つける刃になることを知りながら、トトは、正体の見えぬ「だれか」のことを考えていたのでした。

                                         ―――vol.3に続く。



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