第七章 聖なる丘の風景

カエムワセト葬祭殿。

それが、当時早稲田大学が発掘していた、遺跡の名前だ。荒野のど真ん中の、小高い丘の上に埋もれた白い石の神殿―――その丘は、遥かな昔から多くの王たちが様々な神の神殿を建ててきたところなのだという。

車の馬力が足りず、丘の急斜面の中腹で下ろされたオレたちは、直射日光の暑さに舌を巻きながら頂上を目指した。

吹き付けてくる強い風に、服の裾が煽られる。
神話では、ナイルの恵みを受けた河流域を「黒い土地」と呼び、それ以外の荒れた土地を「赤い土地」と呼ぶ。けれどそこは、砂まじりの風の吹き付ける「黄色い世界」だった。
黄色く煙った地平線と、そのはるか上空に広がる真っ青な空。
スモッグも、ダイオキシンも関係ない、だだっ広い世界だ。

カエムワセトは、自らを「神」と称した、エジプト史上でも珍しい「王子」だ。
彼は優秀な頭脳と指揮力を持ち、王として相応しい器を持った人物であったが、父王ラメセスの在位があまりに長すぎたため、栄光の王座に就くことなく、父よりも先に没した。
結局、現世では最高位を手に入れることの出来なかった彼の、やり場の無い思いの果てが、「神」という、王よりさらに高い天の地位だったのかもしれない。

 砂嵐の季節が、すぐそこまで迫っていた。

何千年の時を越えて掘り出された神殿の痕は、砂と風に削られて、瞬く間に風化してしまう。この遮るもののない広大な黄色い大地のど真ん中で、発掘可能なのは暑すぎず風の強すぎない一定期間だけ。もうじき嵐がやって来る。今年の発掘期間ももう終わりだ、と現地の早稲田発掘隊の人は言っていた。
そんなところに、何千年も昔の人々は、自分たちの手で巨大な神殿を建てたのである。

発掘現場は、まだ日本では公開されていないとかで、「写真は撮らないで下さい」などと厳重警戒だったが、オレにとっては神殿の発掘よりも、丘の上から見える砂漠の方が遥かに重要だった。
遺構を見ても、あんまり面白くはない。
オレの専門(?)は神話なのであって、神話に出てこない自称・神にはあんまり興味無かった。(…と、いうより、当時はイマイチ、エジプト建築の知識に明るくなかったんだが。)

地上界は、強烈な青と黄色とのコントラストによって描かれていた。
その荒野を、砂漠ギツネがぴょんぴょんと踊るように走っていく。こんな場所でも、生き物はいるわけだ。こんな土地でも、人は生きていけるんだ。そう思ったら、地球の広さを感じた。
 「おーい岡沢〜?」
藤村の呼び声で、はっと我に返る。
 「どこ行っとんじゃ。戻って来いよ」
 「……。」
ヤバい。何か考えごとしてっと、オレかなり「遠く」へ行っちゃうんだよなぁ。どうやら藤村は何度も呼びかけていてくれたらしいが。
…オレも会話してないじゃん(笑)。

早くも帰る時間になっていたらしく、ツアー客は、ぞろぞろともと来た道を歩き出している。
先頭を行く案内人がにこやかな笑顔で言った。「みなさーん、丘の上に忘れ物してませんねぇ? 忘れてても、二度と取りにこられませんよぉ」どっ、と笑い声が起こる。だがその時、オレがぼそりと呟いたのは。
 「…オレの心を忘れて来たよ。」
藤村「岡沢! シブい!」

けど、オレはあの時、ほんとにそう思ったんだよ。
確かに、発掘現場となった丘には、二度と行くことはないかもしれない。でもさ、忘れてきたものは、いつか取りに戻らなくっちゃな。

果てしない黄色い大地、ナイルの恵みの届かない砂漠の奥…。
そこには、言葉では言い表せない何かが、たくさん埋もれていた。