第三章 空港で、アノ吉村教授を目撃。

 日本を出発して22時間―――。
 
それは、あまりにも長い試練だった。半日以上、狭いエコノミー席に閉じ込められて不味いメシをひたすら食わされ続ける恐怖体験は、おそらくオレの数少ないトラウマの一つとなったであろう。
本当だ。本当にブロイラーだよ。閉じこめられて、ただひたすらにメシを食わされるんだよ!!

西へ向かう旅は、朝日に追いかけられ、追い越され、長い時間をかけてようやく夜を迎える奇怪な世界だ。終わらない夜も恐ろしいものだが、終わらない朝…そして、終わらない夕焼けというものもまた、気持ちとしてはやけに負担になる。
それでも藤村はすやすやと良く眠り、よく食べ、無言のままイヤホンを耳に嵌め続けた。

 …ちったぁ会話しようよ、君(泣)。

そんなこんなで、精神的にちょっちヤバくなりながらたどり着いた、遥かなるエジプト―――。
窓から見えるカイロの町は、思っていたとおり、

 灰色に霞んでた。

何でって、そう、「砂嵐の季節」なんだよ。
航空券の値段が下がるの待ってたんで、そいつが始まる直前の季節に当たっちまったんだな。何となくヤバそうだとは、思ってた。帽子とかサングラスとか以前に、オレたちは二人とも、コンタクト使用者だからだ。
でもまぁ、何とかなるだろうと、その時は思ってた。

実に久しぶりに思える、飛行機からの脱出。
 「うおお…」
エジプト初上陸。して、その感想は。
 「…暑い。」
そうとしか、言いようが無かった。あれだけの長時間、マズいメシと狭い座席に閉じ込められたあと、エジプトに降り立ってロマンチックな感想の一行もかけるようなヤツは、よっぽどオメデタイか強靭な精神力の持ち主か、はたまた本心を隠しているかだ。オレには、とてもじゃねぇがそんな感傷に浸っている余裕は無かった。

何せオレは、新幹線で乗り物酔いしたことあるくらいの人間だ。
空を飛んでいるとはいえど、乗り物は乗り物。もはやオレは、乗り物酔いを通り越して中毒症、ほとんど「エコノミークラス症候群」を引き起こしそうなくらいヘロヘロになっていた。
HP自動回復も追いつかず!
出立前にくらったウコンティーの毒と相殺しあって、体力は限界値を超えて減りつづけるばかり。

 まずい…

このままでは、戦闘不能になってしまう。むろん藤村にリザレクション(蘇生魔法)が使えるワケもない。ええい、せっかくここまで来て、ホテル(セーブポイント)にたどり着く前に全滅してたまるかぁ!!
気合いで自分を保ちつつ、オレはよろよろと入国審査口に並んだ。
と、そこに、何かやったらと日本人に取り囲まれた旦那がいらっしゃる。
 「ん? あれ…いつもテレビに出とる人ちゃう?」
 「は?」
おお、よく見れば。
そこには、かの有名な吉村教授が、ツアー客の奥様がたに取り囲まれて、握手など求められているではないか!
 「サインもらっとくか?」
藤村が言う。
 「いや…いい。」
オレはヤツが好きなんじゃない。エジプトが、好きなんだ。…と、まぁクールなことを言っていたが、実際のところ、たかる奥様がたの黄色い声の波をかきわけて吉村教授のとこまでたどり着く体力は、その時のオレには残っていなかったんだな。

いかな冒険者といえど、命にかかわる危険は、冒さないに限る。

それにしても、エジプトで見る吉村教授は、何だかやけに普通っぽかった。
いつも背広着てテレビに出てるからな。当たり前だけど、エジプトで背広なんか着るバカはいねぇんだよな。暑いし、目立つし、汚れるし、おまけに意味が無い。
それでも着ているヤツぁ、飛行機はビジネスクラス、空港まで迎えのリムジン、泊まるホテルは5つ星ってなぁお偉方だけだろ。
吉村教授は発掘しに来てんだから、別に半そでポロシャツだろうが、髪ボッサボサだろうが、問題はねぇもんな。

奥様がたの満悦の笑みを横目に見ながら、オレと藤村はそそくさとその場を後にした。
 「それにしても…」
聞こえないだろう場所まで来てから、オレは、ぼそりと呟いた。
 「吉村さんて、意外と下っ腹出てんだな。」
 「ほんまやな。服の色もちょっとなぁ…」
その瞬間だった。
いきなり、それまで奥様がたに笑顔を向けていた吉村教授がこっち振り返った!
げっ、聞こえた?!
…否。そんなハズはない。通り一本隔てたこんな場所、しかも、パッとしないバックパッカーみたいな二人組みの呟きが、聞こえるはずは。
だがヤツは、間違いなくオレたちのほうを見ていた。

 偶然か、はたまた、地獄耳か。

真相は今となっては知る由もない、が、ほんの一瞬、オレと吉村教授が視線を合わせたのもまた、事実である。

1998年8月末のあの日、吉村教授は紫色のポロシャツを着てボッサボサの頭もってカイロ空港に来ていた。
そして、十人ばかりの奥様たちと握手を交わしていた。
これは歴史書に刻まれる証言である。

男はいなかった、と思う(^^;)。