サイトTOP別館TOPコンテンツTOP


永遠への階段<きざはし>―ピラミッド建設の意図について



 よく知られる完全な石の墓、つまりピラミッドが造られはじめたのは、古王国時代の第3王朝である。それまでは、石と日干し煉瓦を同時に使っていた。
 日干し煉瓦というのは、現代のエジプトでも家の材料に使われることの多い、土を水で練って干しただけの手軽な建材だ。雨の少ないエジプトならではの建材と言える。また、年月が経てば風化してしまうもののため、石よりは強度的が劣り、重量を考えても、そう巨大なものは造れなかった。

 エジプトにピラミッドが造られはじめた背景には、巨大建築物を可能とする石を扱う技術の進歩、という理由もあるだろう。ろくに道具も無く、技術にも乏しかったはずの古代エジプト人が、何百万トンにも及ぶ岩を伐り出し続けた熱心さは驚嘆に値する。

 また、石には、ただ、巨大なものを造る可能性が秘められていただけではない。固く、伐りだしにくい岩には、風化しにくく、長い時間、形を留めているという性質があった。つまり、「永遠」が約束されていた。

 古代の人々にとっては、死後の生はたいへん重要なものだったと言われている。
 「死ねば、永遠の楽園へ行ける。そこで暮らすための必需品は持っていかなければならない。」
彼らは、そんな感覚を持って、墓を「永遠の家」と呼び、死後の世界でも生きていた頃と同じように暮らせるようにと、生活用品をアレコレと持ち込んだ。
 だが、その家が壊れてしまっては、あの世での生活が出来なくなってしまう。ゆえに、古代エジプト人は、決して壊れない家を、つまり石の墓を造らねばならなかったのである。

 墓や神殿には、年月を重ねても壊れることのない石を使い、豪華に飾りたてながら、自分たちの暮らす家は、崩れやすい、日干しレンガでつくった簡素なものにする。これが、古代エジプトに墓や使者の町といった遺跡が多い理由で、移ろいやすい生者の時間を留めた町は、日干し煉瓦で造られたため、瓦礫の山としてしか、発掘されないのである。

 当時、生きるということは、どんなに長くてもたかだか数十年(当時の平均寿命は35年)。
 死が身近にありふれていて、生きることは儚い夢のようなもの、それだけに、この世では得られない「永遠の生」を、死後の世界に強く求めていたのかもしれない。
 短い一生のうちに、永遠に名を残す偉業を達成することは難しい。子を持ち、子孫を伝えること以外に、己の生きた証を残そうとしたら、一体何が出来るのか。
 その一つが、ピラミッド建設ではなかったかと、私は思う。
 巨大なピラミッドを何十基となく築き続けた人々に、自発的な勤労意欲が無かったとは思えない。ムチや報酬では、意欲は生まれない。永遠に通じる記念物、そこに自分の生きた証を残したい、という一つの願いが、彼らを突き動かし、巨大な石の記念物を作らせたのだろう。


 ところで、よく知られたピラミッドという言葉は、実はエジプト語ではなく、ギリシア語である。本来は、「上昇」を意味する「メル」という言葉で呼ばれていた。
 上昇という言葉が意味するように、ピラミッドは、もとは、王の魂が天へ昇る上昇のために造られたものだった。

 古代エジプト人のイメージする「魂」は死者の顔をした鳥である。鳥である以上、魂は「飛んでいくもの」というイメージがあった。天へ昇り、太陽とともに西の地平線から沈み、東の空からまた生まれ出る。
 同じように、棺の裏や、玄室の天井に天空の女神ヌトが描かれているのは、かの女神が、太陽を産む母とされているからだ。死者の魂はいちど天へ昇って、母なる女神ヌトと同化し、彼女から再び生まれて再生するのである。
 古代における転生の思想は、空を巡る天体と結び付けられ、切り離せない関係にあった。

 ピラミッドは、その「再生のための昇天」に必要な、天へと続く人工の階段でもあった。大いなる空自身である母なる女神と一体化するために、死した人々は空へ向かう。この思想的なモチーフは、世界各地で見られるものであり、おそらくは、人の深層意識に刻まれた原始的な憧憬のようなだろう。古代エジプトの人々のように、本当に空へ続く階段を造った民族は、あまりいないけれども。

 最初に階段ピラミッドを建設したジェセル王は、天へと続く階段の先に何を見ていたのだろうか。そして、それに倣い、続く様々なピラミッドを建造した次代の王たちは、何を求めていたのだろうか。

 強い日差しと強い風によって形あるものはすぐに風化し、毎年の増水が、川岸の町を容赦なく押し流す。
 そんな、厳しい環境が全てを風化させていく土地だからこそ、彼らは、朽ち果ててしまわないものを求めずにはいられなかったのかもしれない。
 朽ちない石で作られた、「永遠の階段」。はるかなる天の高みへと魂を運ぶその祭壇は、建造した人々の願いどおり、永遠とも言うべき5千年の時を越えて、今もなお、砂の大地に建ちつづけている。


 なお、のちのピラミッドは階段型から正四角すいへと形を変える。それは、太陽の光を強く反射するためで、太陽信仰に関係があったとされる。ミニピラミッドとも言うべき「ベンベン石」は、太陽神殿の一部として飾られることの多かった石だ。
 化粧石で表面を滑らかに仕上げられた、建設当時のピラミッドは、「階段」というよりは、大地に建つ巨大な神殿と言うべきものに見えたかもしれない。