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初期王朝時代 第6王朝
PepyT/PepiT
在位年代;前2276−2228年王朝の首都;メンフィス
埋葬地;南サッカラ
出身地;メンフィス
家族;
妻/アンケネセペピ(アンクエスメリラーとも書かれている。同じ名前の人が2人いる)、ウェレト・イムテス、メハア 息子/ネフティエムサフ、テティ、ペピ2世、ホルネチェリケト 娘/ネイト、テティ・アンク
メンフィス(古名;メンネフェル)という地名は、この王様が建設したピラミッドに由来する。ペピ1世のピラミッド「メン=ネフェル」の中には、かなり質の高いピラミッド・テキストが残されている。長い治世の半ばにいちど即位名を変えている。妻たち、二人のアンケネセペピは姉妹で、兄弟にジャウという人物がいたことが分かっている。妻たちにも二つ目の呼び名があることから、夫ペピが即位名を変えたように、途中で名前を変えたのかもしれない。妻たちは、それぞれ次の代の王となるネフティエムサフとペピ2世を生んだ。
■地方豪族の台頭
若くして王座についた王の長い在位中、貴族たちの力が増し、上エジプトに壮麗な墳墓を築き始める。王の力を持ってしても押さえきれないほどになる。
エジプトの王家といえば何故か暗殺のイメージが強いが、実際に暗殺された王は多くない。とはいえ、この王はその数少ない暗殺の可能性がある王の一人で、王妃の一人が暗殺を企て、それを裁いたという裁判記録パピルスは見つかっている。また、ミイラの分析から、喉に致命傷を受けていたともされる。
対外的な交流には問題なかったものの、内政は悪化していたようだ。
珍しく即位中に即位名を変えているが、このことは治世中に何か大きな出来事があったためと考えられている。
シナイ半島でベドウィンと戦った。エジプトの古代王国史上、史上はじめてパレスチナまで兵を進めた司令官・ウェニの名が残されている。
▲ピラミッドデータ:
サッカラ 真正ピラミッド
・メモ ペピ1世のピラミッドから出てきた靴職人の女性のミイラ
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