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主要都市データ/テーベ

―壮麗なる王国首都、アメン神の御座―


テーベ【都市データ】
現代名/ルクソール Luxor
古代名/ワセト Waset(王権)、ニウト・アメン Niut=Amen(アメン神の町)、テーベ Thebes(ギリシャ語名)
建造者/不明 初期王朝時代には既に人が住んでいたとされる
建造・居住年/現在も人が住んでいる
居住人数/推定9万人(最盛期) 現代においては50万人弱が居住
規模/東岸 340ha、西岸 400ha
発見/現在にいたるまで人が住み続けている

【来歴】
中王国時代以降、地方の一都市から王国の中心へと転身を遂げ、新王国時代を通じて王国の首都であった町。

ナイル東岸に、主神アメンを祭るカルナック神殿、ルクソール神殿を中心とした町が広がり、西岸には王家の谷や葬祭殿が立ち並ぶ。東岸と西岸をあわせ、現在もエジプトの観光名所として名高い。鉄道駅、飛行場もある。

現在のルクソールの町が古代の町の上に重なっているため、古代都市の輪郭を描き出すことは容易では無いが、残された神殿群などから、かつての町の規模を推定することは出来る。ディオドロス(プトレマイオス朝時代)の推定では、町の周囲は140スタディオン= 約25.5kmとなっている。またそれ以外でも、ギリシャ人がテーベを「百の門の町」と呼んだことから、門の多い広大な都市だったことが分かる。なお町の中心となるカルナック神殿とテーベ神殿の間は2kmほど離れている。

町はエジプトがアッシリアやペルシアの侵略を受けた末期王朝時代に大打撃を受け、前27年の地震によって神殿が崩れて以降は縮小されていった。再び都市化したのは、近代に遺跡が観光地化してからである。ただし都市なのはホテルなどの多いテーベ東岸のみで、西岸は現在も農村の雰囲気を残している。


【町マップ】

ルクソールの東岸・西岸を合わせたディティールがこちら(クリックで拡大)。
ルクソール神殿はルクソールの町のど真ん中にある。



出典◆古代エジプト 都市文明の誕生 + Google Map


東岸・カルナック神殿平面図。



西岸・葬祭殿と神殿群。


出典◆大英博物館 古代エジプト百科事典(1997)



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