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主要都市データ/ヒエラコンポリス

―古きホルス神の町―

【都市データ】
現代名/コム・エル=アハマル Kom el-Ahmar
古代名/ネケン anc. Nekhen
ギリシア語名/ヒエラコンポリス Hierakonpolis
建造者/不明(ナルメル王?)
建造・居住年/先史時代(前4000-)
居住人数/初期王朝時代で推定1,6000人規模(Uphill,E.P.)
規模/川岸の幅約1.5km内
発見/データ未発見

【来歴】
古代エジプト統一前後の黎明期の王朝が首都とした地域。
エジプト統一を成し遂げたとされる、有名なナルメル王のパレット(化粧板)と、スコルピオン(いわゆる"サソリ"王)のメイスが見つかったのは、この遺跡。古代エジプト人が最初に灌漑農業を始めた地域とも言われ、初期の都市発達を知る上での重要な地点である。
ナルメル王のパレットには上下エジプトの統一を示す内容が表されていることから、この都市が「統一されたエジプト王国」としての最初の首都と考えられている。
なお、ギリシア語名の「ヒエラコンポリス」はタカ(ハヤブサ)の町を意味する。町の守護神がホルス神であったためだ。

この場所には、エジプト最古の神殿痕がある。(最古というのは、2004年9月現在。もしかしたら、もっと古いものが発見されるかもしれない)


尚、すべての文明において、ひとつの都市が永続して繁栄することは無い。ヒエラコンポリスが繁栄したのは、先王朝時代(前4000年ごろ)から、初期王朝時代(前2686年ごろ)までの約1400年間とされ、最大人口もその時期のデータになる。首都が下流のメンフィスに移って以降、規模がすべての時代を通して一定であったわけではなく、首都の移転に伴って人口が減ったり、時代が流れ、エジプト全体での人口が増えれば、また元の規模に戻っていたと思われるが、目立った遺跡がない時代の詳細は不明。
今のところ、この場所に初期王朝以後の大きな建造物は発見されていないようである。

【町マップ】

出典◆大英博物館 古代エジプト百科事典(1997)
結構昔から発掘されていた地域だが、初期の頃の発掘の記録がきちんと取られていなかったようで、データの欠損がある。
居住地の拡大図が以下。


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