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主要都市データ/アマルナ

―アテン神の町―


【都市データ】
現代名/(テル)・エル・アマルナ Amarna,(Tell)=el=
古代名/アケト・アテン anc. Akhetaten (「アテン神の地平線」を意味する)
建造者/アクエンアテン王
建造・居住年/第18王朝、前1350-70年ごろ
居住人数/推定2-5万人
規模/南北の長さ10km、幅最大5km
発見/1880年代末

【来歴】
アクエンアテン王によって築かれた、アテン神崇拝を中心とする都市。
宗教都市と思われがちだが、アテン神自体が"神殿を必要としない神"だったため、実は壮麗な宗教施設などが無い。他の都市と違い、人の住んでいなかった完全なサラ地に一から建設された都市として記録が残っていることが珍しい。
王の死後まもなく放棄され、その後、人が住むことは無かったため、皮肉にも良い保存状態で残されている。

「テル=エル=アマルナ」という名前で覚えている人が多いかと思うが、最初の「テル」は、本によって付かないこともある。「テル(Tell)」はアラビア語で「小丘」、「エル(el-)」はアラビア語の冠詞で英語で言うところの「The」に相当する言葉だ。
長年に渡って人が住み続けた場所は、生活の廃棄物や崩れた家の瓦礫のよって丘状になることが多いため、一般にアラビア地方の遺跡には「テル」が付けられるのだが、アマルナの場合、建造後数十年で放棄されているため、他の遺跡と違い丘状にはなっていないようだ。そのため、テルを省いて「エル・アマルナ」と呼ぶ人もいる。


【町マップ】

全体観

出典◆大英博物館 古代エジプト百科事典(1997)

コム・エル=ナナは、プトレマイオス朝時代の集会所。
「境界碑」とは、都市を作る際、都市とその外とを隔てるために据えられたもので、都市の守護神の守備範囲を表しているようなものと解釈していいかもしれない。
微妙に画像状態が悪いが、上の図の大神殿と王宮周辺の拡大図(こちらは「古代エジプト 都市文明の誕生」より)


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