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タイトル ヌゥト(空)の外側にはヌン(水)が広がっている?
記事No 2453
投稿日 : 2006/10/04(Wed) 16:13
投稿者 greenbard
参照先 http://theta.gozaru.jp/
この掲示板で質問をするのは初めてかもしれません。

ジョージ・ハート『エジプトの神話』(訳:阿野令子,丸善ブックス)を読んでいて、少々、引っ掛かるところがあったので、質問したいと思います。

問題はヌン(この本ではヌー)に関する部分なのですが、そのまんま引用します。

「ヌーの持つ真髄は、多くの宗派の聖所において聖なる湖という形で存在している。そしてその湖は、天地創造以前には何一つ存在するものが無かったことを象徴している。実際、この死んだような水の巨大な広がりは存在し続け、天地創造が想像された後も太陽、月、星、地球、そして黄泉の国との境界線を守りながら、天上の大空を取り囲んでいる」(p.6)

もう1つ。

「彼女(ヌゥトのことです!)の身体の向こう側には、ヌーと何も存在しない空間がある」(p.14)

と記述してあるんですね。

ヌンがヌゥトの外側に広がっているという概念って、これは一般的に承認されているものなのですか?

確かにヌゥトそのものの身体には「波」のヒエログリフが書かれたり、ヌゥトに飲み込まれた太陽はヌンの上を航海するとか、ヌゥトと「水」の関連って結構、あるのかもしれないのですが。古代エジプト人が空の向こうに水があると考えていたとしたら、それって面白いな、と思いました。

でも、他の本なんかではこんな話は読んだことがなくって、これはマイナな説、あるいはジョージ・ハートさんの自説なのかな、と疑問に思った次第です。ほかにもこんな本に書いてあるとか、あるいは実際のピラミッド・テキストにこんな風に書いてあるとか、何かそれらしいことを知っている人がいましたら、教えていただけると幸いです。

あ、逆にそんな話は聞いたことがない。それはきっとマイナな説だという主張でも構いません(笑)。

タイトル 原文の読み間違い…?
記事No 2454
投稿日 : 2006/10/04(Wed) 22:02
投稿者 岡沢 秋
> この掲示板で質問をするのは初めてかもしれません。
たぶん初めてです。はい。
お名前が以前と変わってたら存じ上げませんが。


> ジョージ・ハート『エジプトの神話』(訳:阿野令子,丸善ブックス)を読んでいて、少々、引っ掛かるところがあったので、質問したいと思います。

えっと。この本を読んだことがないので、以下は憶測ですが。

>
> 問題はヌン(この本ではヌー)に関する部分なのですが、そのまんま引用します。

という時点でのその人は「水」を意味する言葉と、「原初の海」を意味する言葉を混同してないでしょうか…。
古代エジプト語では、ただの水をあらわす文字(うにうにした線を三本かさねたもの)がnwなんですよ。原初の海はnnwだから、つづり違うんじゃない? っていう…

で、このヒトは、原初の海として書かれてる文字ではなく、別の水、たとえば川を原初の海(ヌン)として解釈してしまったのではないかな? と。

そう考えると、なんかしっくりくるんですよ。

ヌトの体の横に書かれてる水の文字は天の川を指してるんス。

あれはラーの船が通る天の川、東から西へと続く生者の世界の道。
空の端まで続いた天の川は地下の使者の世界にも同じように流れていて、西から東へぐるっと戻ってきて、生者の世界の空の道に繋がっている。

その「太陽の船が通る、生の世界の死の世界の川」を原初の海=ヌンと取り替えてしまうと、以下のような話になりませんか?


> 「ヌーの持つ真髄は、多くの宗派の聖所において聖なる湖という形で存在している。そしてその湖は、天地創造以前には何一つ存在するものが無かったことを象徴している。実際、この死んだような水の巨大な広がりは存在し続け、天地創造が想像された後も太陽、月、星、地球、そして黄泉の国との境界線を守りながら、天上の大空を取り囲んでいる」(p.6)

ただ、↓これはよくわからないです。

> 「彼女(ヌゥトのことです!)の身体の向こう側には、ヌーと何も存在しない空間がある」(p.14)

こっちも同じようにnwという文字を解釈したものだと思うんですが、もしかして棺の内側に描かれたヌト女神の体のどこかにnwという文字があるのを見て、そのまんま解釈したとか…。
ヌト女神は空そのもので、天の川はその中を通っているんだから、まあ、体の中にnwと書いても不思議じゃないんです…よね。うん。

タイトル Re: 原文の読み間違い…?
記事No 2455
投稿日 : 2006/10/04(Wed) 23:18
投稿者 greenbard
参照先 http://theta.gozaru.jp/
さっそくのお答え、ありがとうございます☆

えーっと。つまり、ヌゥトの外側にヌンが広がっているというような宇宙観というか、世界観は一般に知られていないということですよね? ……うむむ。原文の読み間違い。なるほど。納得できる憶測だと思います。

このうにうにした線を三本かさねたものって「波」のヒエログリフのことですよね。ヌゥトの身体にたまに書いてあるヒエログリフ。あれって天の川を表していたのですかー? なるほど、1つ賢くなりました。とすると、読み間違えなのかなー。面白い世界観だと思ったのに。

で、その上で、また疑問が。

そのイメェヂだと、やっぱり、その水(つまり天の川)はヌゥトの身体の内部にあるイメェヂなんでしょうか。星もヌゥトの身体の中に書かれたりしますよね?

タイトル まあ…推測ですから。
記事No 2456
投稿日 : 2006/10/05(Thu) 07:23
投稿者 岡沢 秋
> えーっと。つまり、ヌゥトの外側にヌンが広がっているというような宇宙観というか、世界観は一般に知られていないということですよね? ……うむむ。原文の読み間違い。なるほど。納得できる憶測だと思います。

何をもって一般に知られているとか、何をもって正統とするしかいう線引きは非常に曖昧で、危険なものでもあります。

日本語訳があんまり上手ではないのか、引用された部分だけだと電波出ている怪しい新興宗教みたいな文章ですので、どうにも解釈が出来ない。そこで馴染みのあるものと照らし合わせて推測してみた。というだけであり、実際どうかは知らないですよ。

ジョージ・ハートさんが何語圏の人なのか、何の分野のヒトなのか、どういうテキストを元にそういう記述をされたのか、肝心の根拠がわからないですからね。

ただ、「天としてのヌトの外側に水があるってことは、選択肢は上しかないじゃないか。上にあったらヌト重いだろ」ととか、「ヌトを支えてるシュウは水も支えてることになるんじゃないか?」とか、思っただけのことです…。

> そのイメェヂだと、やっぱり、その水(つまり天の川)はヌゥトの身体の内部にあるイメェヂなんでしょうか。星もヌゥトの身体の中に書かれたりしますよね?

星はヌトの腹にくっついてるだけじゃなかったけ。

タイトル Re: ヌゥト(空)の外側にはヌン(水)が広がっている?
記事No 2457
投稿日 : 2006/10/05(Thu) 11:01
投稿者 あやめゆうき
こんにちは、突然割り込んですみません。
 こちらではお久しぶりです。あやめです。

 ジョージ・ハート著『エジプトの神話』、つい最近読みました(笑)。
 翻訳者が悪かったのか、ものすごく分かり辛い内容だった印象があります(個人的に)。

 さて、問題の箇所なんですが、私自身は何の疑問ももたずに読み通してしまいました。それも、確かに文中でヌーと表現されているものを、『混沌としてのヌン』と捉えて、です。
 ここは、その前の文で「ヌーまたはヌンと呼ばれる原始の生物のように描かれ…」とあるので、間違いないと思います。
 私個人の解釈であって申し訳ないのですが、古代エジプトの神話上での『ヌン』とは、ヘリオポリスとヘルモポリスで微妙に違っているけれど、両方を同じものと見たら、ヌンとは『混沌』であると捉えられると思うんです。
 そうすると、神々はそれを分けて世界を形作っているわけで、ヌト(天空)の上には、混沌が広がっていてもおかしくないのではないか、と。
 ただ、このヌンは確かに水の属性が(文字を見ても)あるとはいっても、今わたしたちが想像するような水とは違って、原始の水……つまり「水が水になる前」のような(それがどういうものかは、今の私たちには想像もつきませんが)ものだと、考えられないでしょうか。
 ですから、ヌトが、文字通り「水を」背で支えていたというのは、少し違うかな、と思います。
 あ、でも、ここは難しいですね。混沌のどろどろした感じのそれを水と言ってしまえば、正しいようにもなりますものね……。

 天にある川や、星たち、そしてそこを通る太陽や月、さらに、ゲブ神である大地のずっと下まで……この世(と言っても、古代エジプトの世界観の話ですが)を包み込んでいるヌン(混沌)と考えれば、はじめの引用の文も納得できるのではと思います。
 古代エジプトの世界観の中で、ヌン(混沌)が世界の果て(?)に存在するものであること、そしていつかまた世界を呑み込むかも知れないという考えは、ある程度知られているようです。数冊の本で見かけました。7ページにもそのようなことが書いてありますが、「他の神々が死んでもアトゥムとオシリスだけは生き残る」と言うような特殊な内容で、本にもある通り、コフィン・テキストに書かれているようです(同じテキストを参考に述べているものが、リチャード・ウィルキンソン著『古代エジプト神々大百科』21ページにありました)。

 この本は結局、参考文献の提示もなく、著者について何者なのかの説明もない不思議な本ですが(笑)、ジョージ・ハート自身はエジプト関係の本を他にも扱っているようなので、頭の中の基礎知識をまとめたものなのだと思われます。本業はなんなのでしょうね? 少なくとも、翻訳者さんにはエジプトの知識はなさそうですよね。

 二つ目のご質問(星はヌトの中にあるのか、張り付いているのか)については、私も良く分からないので、この件に関してだけ…。一応、本を手元においてお話させていただきました。
 どうもお邪魔いたしました。

 最後に、私も質問させていただきたいのですが(笑)。
 
 同じ本に、「デミウルゴス」なる存在が表現されていて、それはアトゥムと事実上同じで、世界の創造者であると同時に、(以下引用)

「全宇宙の諸要素が形成される最初の段階でヌー(ヌン)から生まれ出てきたもの」p7

 らしいのです。
 この本は、どこまでが何についての解説か分かり辛い部分が多く、どこまでい引用してよいのか分からないのですが、その後の文では、「彼(?)」がナイル川の氾濫後に現れた島か小山に立つ、とあります(アトゥムについてのみの説明かもしれません)。
 明らかにエジプトらしからぬ名前なので、他の国の神を例としてあげている可能性もあります(この本は、そういう例の上げ方が多いです)。他の神々について知らない私はさっぱりです。
 また、エジプト神の西洋読みである可能性も高く、なかなか知っている神と結びつきません。
 どうか知恵を貸してください……。

タイトル ヌンがすっぽりと……
記事No 2458
投稿日 : 2006/10/05(Thu) 12:51
投稿者 greenbard
参照先 http://theta.gozaru.jp/
岡沢さん、返信どうもです。
そしてあやめさん、フォローありがとうございます。

> 何をもって一般に知られているとか、何をもって正統とするしかいう線引きは非常に曖昧で、危険なものでもあります。

そうですね。そこんところは、重々、胸に刻んで……。

ただ、「正統」かどうかは別として、一般的に流布している説なのかどうかというのは少なくとも潮流を知る1つの指標になるのかな、と思っています。時が経って、新発見があったりして、その潮流がそのまんまひっくり返されるかもしれないということはさて置いて、少なくとも、何らかの根拠なりロジックがあるから流布しているのだろうと安心できます。もちろん、根拠なく流布しているものも世の中にはたくさんあるのですが(笑)。

このハーツの『エジプトの神話』は1990年にイギリスで出版されている本。15年ほど前のものなのですが、その後、類書で話題にならないのだとしたら大した根拠は……などと考えるのは、妥当性に欠くでしょうか。

閑話休題。と思ったけれど、その前に……

この翻訳者、ひどいですよね。そしてこの本、あやめさんも仰っている通り、非常に不思議な本なんです。訳者はヘタっぴなクセにちゃんと紹介文が巻末に載っている。でも、肝心の著者紹介がどこにもないんですね(本末転倒)。

もともとの出版元がロンドンのブリティッシュミュージアムプレスとあるので。イギリス系の人、少なくとも原文は英語のようです。英語なのにこの翻訳って丸善ブックス、ショボすぎる……。あるいはよっぽどひねくれた英文だったのか、ハート。

閑話休題。

さて。
ボクは個人的に「混沌」って概念は新しいと思っているので、「混沌」なのだとしても、もっと漠然としたイメェヂだったんだろうと思っていて、「混沌」って言葉を使うことには多少、抵抗を感じるのですが、

> ヌンとは『混沌』であると捉えられると思うんです。
> そうすると、神々はそれを分けて世界を形作っているわけで、ヌト(天空)の上には、混沌が広がっていてもおかしくないのではないか、と。

つまり、天空の向こう側だけじゃなくって、上も下も、ヌンがすっぽりと全世界を包んでいるってことですか。で、「ゲッターデメルンク」が来ると水が世界を飲み込んでしまう。なるほど、そういう考え方も面白いなぁ、と思います。

岡沢さん、あやめさん、ありがとうございました。いろいろとこれから考える手掛かり、材料になりました。

ヌゥトの星については、本、ひっくり返してみます。多分、松本弥の本のどれかに、ヌゥトの身体の中に星が描いてある絵が……(ウロオボエ)。

>デミウルゴス

あ、ちなみにもともとの「デミウルゴス」はギリシア語です。エジプトの神様じゃないです。単純に「宇宙を作った神様」のことを「デミウルゴス」って呼んでいます。プラトンの言葉が元で、意味は《工匠》。微妙にその後、ユダヤ・キリスト教のイメェヂとか、グノーシス主義のイメェヂとかが乗っかっていたりして、単純に「宇宙を作った神様」って表現するとニュアンスが違うような気もするんですが、「造物主」とか訳されることが多いですから、ここは「造物主」と訳しておいて、アトゥム=造物主ぐらいに思っておけばいいのかな、と思いますよー。

タイトル ありがとうございます!
記事No 2459
投稿日 : 2006/10/05(Thu) 14:35
投稿者 あやめゆうき
 greenbardさん、質問に対しての的確な、そして素早い回答、本当にありがとうございました。
 古代エジプト神話系のものしかほとんど知らないので、こういう、他の文化を例に説明しようとされている本は(他にもありますが)、どうも難しくて(笑)。

 「混沌」という概念、新しいんですか? 私は、エジプトに触れる前に、簡単なギリシャ神話の本の中で「混沌」という言葉に触れたので、だいぶ一般的な概念なのかと思っていました(笑)。でも、この「混沌」という日本語に対する、個々の概念も、もしかしたら様々なのかもしれませんね。個人的に、何もかもがゴチャゴチャに混ぜ合わさった、どろどろの状態をイメージしていますが(笑)。

> 「ゲッターデメルンク」が来ると水が世界を飲み込んでしまう。

 そうですね、この混沌を単に「水」と考えれば……。
 私自身は、ヌンを「水」とすることに少し抵抗があって…(笑)。すみません。
 色々お話しようと思ったのですが、貴サイトの「ヌン」を説明されているページに、詳しく書かれているようなので(笑)。気付くのが遅くなってすみません。
 私は、その「ゲッターデルメンク」とか「神々の黄昏」という概念を、そこまでエジプトらしい考えのように思えないので、この表現は難しいと思うのですが(でも、言葉の意味からすればその通りですよね、神様皆いなくなるのですもの)、ここでの「ヌンが呑み込む」は「元の世界に戻る」と捉えるのが妥当かな、と…(しかも、また再生する可能性も含めた「終わり」ですよね)。
 そんなことは分かっている、というのでしたら、本当にすみません。
 失礼しました。

タイトル ちょっと待ったコーーーール
記事No 2460
投稿日 : 2006/10/05(Thu) 18:38
投稿者 岡沢 秋
やや、こちらではお久しぶりです。あやめさん。
例の場所ではいつもお会いしてます(笑

ちょっと待ったをかけたのは、

 その本、民俗学でも考古学でもなく、オカルト系じゃないのか。

という疑いがあるからです(笑
いや…実物読めば分かるんですけど。引用されてる文章の電波具合と、原典を挙げずに結論だけ書いてくるところが、オカルト系エジプト本の匂いなんですケド…

少なくとも今まで、グノーシス派と呼ばれる人々の文書から単語を持ってきたエジプト本にまともなモノは無かった。(汗


>  ここは、その前の文で「ヌーまたはヌンと呼ばれる原始の生物のように描かれ…」とあるので、間違いないと思います。

ヌンは、ヌウとかヌーとか読める字ではないのが引っかかりました。
本を書いた本人が別物だと理解していないからゴッチャになってんじゃないかと危惧していたんです。ヘケト女神とヘカト女神を混同するのと同じレベルで。

>  私個人の解釈であって申し訳ないのですが、古代エジプトの神話上での『ヌン』とは、ヘリオポリスとヘルモポリスで微妙に違っているけれど、両方を同じものと見たら、ヌンとは『混沌』であると捉えられると思うんです。
>  そうすると、神々はそれを分けて世界を形作っているわけで、ヌト(天空)の上には、混沌が広がっていてもおかしくないのではないか、と。

このあたりのご説明を聞いて、私はちょっと違和感がありました…
それだと、まるでグノーシス(と、いうか初期キリスト教の一派)の教義になってしまいます。

>デミウルゴス(ヤルダバオト)

というのは、greenbard さんもちろりとおっしゃってますが、エジプト神話でもギリシャ神話でもなく、初期のキリスト教の一派が創世神話の中で述べた神です。
こいつはアトゥムとや太陽信仰とは関係ないし、神々が生まれてくる原初の混沌もヌンではない。なので同列に書いてはいけないものです。

ヤルダバオトは、原初の神ソフィアが生み出した、ありていに言うと悪モンの、不完全な神様でして、どっちかというと人間の敵です…。

関連スレ
http://www.moonover.jp/bbs/infi.cgi?mode=allread&no=2302&page=10

でも出てますが、初期のキリスト教はエジプト周辺で発達しているので、エジプト神話と影響しあっている部分はあると思われますが、繋がることはありません。
なので、ヤルダバオトとアトゥムを関連づけて書いた時点で、著者が専門家でないことは予想されます。^^;

>  古代エジプトの世界観の中で、ヌン(混沌)が世界の果て(?)に存在するものであること、そしていつかまた世界を呑み込むかも知れないという考えは、ある程度知られているようです。数冊の本で見かけました。

リチャード・ウィルキンソンの元になっているテキストがコレですね
http://www.moonover.jp/bekkan/sisya/index-175.htm

(…実はだいぶ前にアップしてあったり)

難解な部分なので解釈次第でいかようにも。てカンジですが
大筋は、オシリスとして復活した死者が「アトゥム様〜我々も次の世界に行きたいデス!」と、祈っているらしい。

世界が時間的に有限であり、神々の命もまた有限である。という考え方が古代エジプト人にとってはわりと一般的であった、とは聞きますね。ただ、その世界の終わりは、北欧神話のような差し迫ったものではなく「数百万年先」という非常に長いスパンなので、人々は末法思想に追い立てられることもなく、わりと楽天的に生きておられたご様子。

そしてふと思ったんですが、エジプト人にとって自分たちの「世界」の中心はナイル川を中心とした上下エジプトオンリー。その外側に異国があることは分かってるけど、異国に暮らすことは耐えられないし、異国で死ぬのは考えたくない(Byシヌヘの物語)とまで思っている。

…てことは、
 ヌト=エジプトの空
 ヌトの下にいるゲブ=エジプトの大地
であって、ヌトの外は世界の果てではなく、エジプトじゃない国という可能性は…?

タイトル ヌンはヌーか
記事No 2461
投稿日 : 2006/10/05(Thu) 22:25
投稿者 あやめゆうき
 絵をほっぽり出してスミマセン。時には頭も使わないと腐ってしまうので(笑)。

 この本の著者が何者なのか、本当に分からないんですが(どう調べればよいものやら…)、私が読んだ限り、内容は(小難しくは感じましたが)そこまで曲げられたようには、感じなかったんですよ。というのは、あまり目新しいことが書かれていなかったもので。
 ただ、「オカルト系」と呼ばれるのがどういうものか分からないので、もしかしたらこれも入るのかも知れません。
 私は、自分自身が考古学や民俗学よりも、宗教学を特に楽しむ人間なので、こういった本ばかり読んでいるんですよ(笑)。

 さて、私のことは置いておいて、少し意見を述べてもいいですか?

○ヌンの呼び方
 資料がそれほど多いとは言いませんが、河出の『エジプトの神々事典』、弥呂久の『古代エジプトの神々』では、ヌンの発音は元は「ヌウまたはネヌウ」であるとしています。
 ヒエログリフの表記を見ますと、「nまたはnw」の発音である小さな壷三つと、発音しないらしい空、そして同じく「n」の発音である波線が三つ。
 表記の仕方は様々あるようですが、空と波線の間にウズラ「w」が入ることもあるので、最後が「w」で、三つの波線が、溜まった液体を表すとも考えられるのではと思います。

○混沌の広がり
 すみません。これについて違和感を感じられたのなら、それは全く私個人の解釈が偏っていたとしか……(笑)。
 グノーシスとかキリスト教については本当に良く知らないので、エジプト系の本をあれこれあさる内に感覚として身についたものと思われます。無視してくださってけっこうです(笑)。

 デミウルゴスについては、質問したくらいですので、こちらからは何も言えません(笑)。
 まあ、この本、いろんなところからいろんな例を持ち出して、しかも結論を述べずに流しているという感がありますが(分からないから、私が流しているだけかも・笑)。

○参考テキスト
 あ、それについてもありました。ただ、両者が特に参考にしているらしいのは『コフィン・テキスト』呪文1130、らしいです。すみません、確認したかったのですが、コフィンテキストの詳細な資料を探せませんでした。
 アトゥムとオシリスが蛇になって、自分たちを知るものがいなくなってからも存在し続ける、というような記述らしいです。
 らしいらしいで説得力がなく、すみません。どちらも同じ呪文番号で例を挙げられているもので、疑うこともないかな、と。

 この次に岡沢さんの書かれていた「世界が時間的に〜……楽天的に生きておられたご様子」というのは、私もその通りだと思います。

 それで……もし、こちらでの解釈が曲がってしまっていたら申し訳ないのですが、
「ヌトの外は世界の果てではなく、エジプトじゃない国」
というのは、概念として難しいと思うんです。
 なぜなら、ヌトは天空であって、その外側とは、空の上ですよね。そこに国があるとしたら、住むのは神様くらいしか考えられないと思うんです。
 古代エジプトでの神々の居場所は曖昧で、近隣国の例のような山の上でもなかったし、はっきり「空の上、雲の上」とも決定付けがたいですよね。ある意味空の上で、それは星の世界で、イコール「ドゥアト」で、それは冥界で、地下の世界で、でも実は空…みたいな。
 死者の書等で、太陽の船が夜に航行するのが、天空(のヌトの体内)であったり、地下(のドゥアト)であったり、その辺の矛盾はありますよね。
 その矛盾が、ヌンを天上に押し上げ、また地下に押し下げたのではないか、と、私はそう考えるのですが……。
 まず、「世界の果て」とした表現は誤解を生むものでした。本当にすみません。この言葉から考えると、確かに岡沢さんの仰るとおり「ゲブの外」という概念を表現し切れませんよね(もしかして、適当に果てがあると思っていたのかもしれませんが、それはもう想像の域で・笑)。
 ただ、ヌンとヌトが近いと思うのは、その名前の表記からも想像されるもので…。ほとんど同じ文字を用いて、しかも一番気になるのは、ヌンの名に天を表す文字があることです。

 文字の表記をけっこう気にしてしまうもので、視点が変わっているかもしれませんが……。

 長くなってすみません。
 岡沢さんさえよろしければ、またお考えを聞くことができれば、と思います。
 お忙しい中、いつもすみません……っ。

タイトル ごめ、勘違いっす。mwでした
記事No 2462
投稿日 : 2006/10/05(Thu) 23:26
投稿者 岡沢 秋
やっぱ家にいない時は適当なことを言うもんじゃないですね。
水はmwですよ。びみょうに違うっていう。
文字として書けば同じですけどね…

ヌンはヌウとも書きます、というか昭和初期の日本語の本ではこぞってヌウになってます。どの時点でヌンのほうが定着したのかは知らないですが。
ただ原文がどうなっていたのかと。
ヌーと延ばすからにはnwと書いてあったのかな、と思って、水はnwだと記憶していたから原文の人の勘違いじゃない? と書いたんです。
これは記憶違いでしたので、前のほうの話は飛ばしてくださいな。


>  この本の著者が何者なのか、本当に分からないんですが(どう調べればよいものやら…)、私が読んだ限り、内容は(小難しくは感じましたが)そこまで曲げられたようには、感じなかったんですよ。というのは、あまり目新しいことが書かれていなかったもので。

まあ、これは感性の問題ですし、
私はこの本を全く知らないのでなんともいえないです^^;
オカルトじゃない? というのも、普通のエジプト本ではまず出てこないヤルダバオトを出しているから。というだけの理由ですので、違う可能性はあります。(※北欧神話の英語本で、ルーン文字を複数形で書くか単数形で書くかでトンデモ本を見分けるようなやり方です…)


> ○参考テキスト
>  あ、それについてもありました。ただ、両者が特に参考にしているらしいのは『コフィン・テキスト』呪文1130、らしいです。すみません、確認したかったのですが、コフィンテキストの詳細な資料を探せませんでした。

コフィン・テキストは基本的に死者の書を棺に書いたものだから、死者の書175章と内容はさほど変わらないと思います。神々の世界の終焉を表現した部分、として知られているのが175章なのでそこでいいかと…。

>  それで……もし、こちらでの解釈が曲がってしまっていたら申し訳ないのですが、
> 「ヌトの外は世界の果てではなく、エジプトじゃない国」
> というのは、概念として難しいと思うんです。
>  なぜなら、ヌトは天空であって、その外側とは、空の上ですよね。そこに国があるとしたら、住むのは神様くらいしか考えられないと思うんです。

うーんと。
私が考えていたのはヌトの手足の先…です。上は何も想定していないです。そこについて想像したことは一度もないですし、言及されていると思われる部分を見た覚えもないのです。

だから混沌があってもいいとは思う。
ただ、その根拠がないのでなんとも。です。

確かに地下の世界のずっと奥にはヌンがあるらしい。
それは死者の書に出てくるから確かだろう。
エジプトの宗教観では地下と地上は表裏一体であるらしい。
なら空の上の高いところにもヌンがあるか?
私はNOだと思う。かつてあったとしても、それは太陽という秩序の象徴が生まれた時点で消えているんじゃないかな?
地下世界にヌンが残っているのは、地下では太陽が死んでいて、輝きが届かないからではないか。表裏一体であり、上下対照でありながら、決定的に違うのはそこだと思う。

で、私はその本の中身を読んでないのでわかりませんが、著者の言っている「ヌーは生き物」という記述もどうも解せない。ヌトの上に生き物いるか?? 蛇のことか…? なんか色々まじってないか。
前後の話が噛みあわないというか、整合性がとれていない気がして、どこか勘違いしているんじやないかという気になってくる…

と、ここまで言っておきながら、ただ、と付け加えます。
ヌトの「上」は無い、と思うのであって、空が円盤ならば、その外側はあってもいいと思う。デンデラのハトホル神殿の天井にある星図(いわゆるデンデラの天体図。いい写真が見つからなかったのでリンクしてませんすんまそん)みたいなカンジです。

で、デンデラのハトホル神殿ってギリシャ・ローマ時代につくられてるんですよね。紀元後1世紀〜3世紀あたりか。ちょうど初期キリスト教の広まった時代。アトゥムとヤルダバオトが同一視される教義もあったかもしれないあたり。

本の参考になっている資料というのが末期王朝以降のエジプト宗教だとすれば、ヘリオポリス・ヘルモポリス全盛時代の神話感とは異なるでしょうし、かつての「正統」から外れたものがあってもおかしくはないかと。

#一番オカルトのネタにされやすいのもこの時代なのですが…


>  ただ、ヌンとヌトが近いと思うのは、その名前の表記からも想像されるもので…。ほとんど同じ文字を用いて、しかも一番気になるのは、ヌンの名に天を表す文字があることです。

そこは微妙に不思議だけど、音が近いので類似と言ってしまうとエジプトの神様はほとんど類似になってしまいますし。
名前がたまたま似てるからっていつのまにか習合してしまった神様たちのこととか…^^;

ただ、えてしてそういう理由で教義は変わっていくものですし、
たぶん、あやめさんの思考のほうが、当時のエジプト人に近いと思いますよ。

この本がオカルト系かどうかやたらこだわってるように見えるかもしれないですが、もしオカルト系だとしたら、そもそも最初の質問「これは、一般的な説かどうか?」が、成り立たなくなるんですよ…
それどころか、この本に書いてある内容について検証することもあんまり意味がなくなるという。(オカルト系は根拠がないゆえにオカルトなわけですから…)

古本屋あたりでこの本を探してくれば話は早いんでしょうけどね。

#だいぶ元の話からズレた気がしますので、ここで締めていいのでしょうか?

タイトル 延ばしてすみませんでした!
記事No 2463
投稿日 : 2006/10/06(Fri) 07:33
投稿者 あやめゆうき
 ヌンがいつから「ヌン」と呼ばれるようになったか。不思議ですね(笑)。

 さて、ヌトの話ですが。
 ちょっと解釈が曲がっていたようで、すみませんでした。

> 私が考えていたのはヌトの手足の先…です。上は何も想定していないです。そこについて想像したことは一度もないですし、言及されていると思われる部分を見た覚えもないのです。

 岡沢さんの言われるとおりで、言及されていると思われる部分をはっきり示すことはできませんよね。
 根拠がない。本当に、その通りだと思います。
 そして、私は「ある」と思っていて、岡沢さんは「ない」と思っている。それで、いいのだと思います。(むしろここは、根拠なく想像だけで語っている私のほうがどうかという感じですが・苦笑)
 私は感覚で読んでしまうので、説得力に欠けるなあと思うのですが、「ヌーは生き物」という部分について、この著者はヌンのことを「うごめく液体」のように捉えているのではないかと…。ここは、ヌトの上にあるもの、ということではなく(その記述は、引用されたその一文にしかありません)、擬人化され船を運ぶ姿で描かれるヌンなどからそう表現したと考えられると思うんです。

 まあ、それもこれも、著者の考えは想像するしかないのですが(笑)。

 でも、この本自体は、あまり「いい本だ」とは感じなかったので、話を戻して、「一般的」な考えを求めるのは、ちょっと難しいかもしれませんね。もっと、いい本がいっぱいあるし……。
 デミウルゴスの話も、岡沢さんのお話を聞いてから読み直してみると、確かにここで「ヌーから生まれた」として持ち出すのは、少しおかしい気がしますね。
 色々鼻に付く表現がちりばめられていたのは確かです。もう読み返すことはなさそうです(岡沢さん、要りますか?・笑)。
 欧米人の書く本って、時々キリスト教的な視点になりますよね。日本人が、日本の神々や仏教と絡めてお話しするときのように、読み手により近いものを目指してこうなったのかも?
 でも、宗教が違うと、なんだか腹が立ちますね(愛ゆえに・笑)。

> ただ、えてしてそういう理由で教義は変わっていくものですし、

 そうなんですよね。ここがまた、複雑にしている理由なんですよね。
 時代が古いものほど残っていなくて、今残っている記述が、実はマイナーなものだったかもしれないし…でも、後代になると、資料は多いけど明らかに他の国(の宗教)の考えが入ったりしているし……。
 それが面白いといえば、面白いんですよね!

 文字のことについても、岡沢さんのお話に納得です。あとから(教義が変わって)こじつけることも多いですものね。
 個人的に、できるだけ古いものをしっかり頭に入れておきたいと思うのですが、市販の本から「また聞き」するしか方法がないのは、悲しいことです。本の内容はたいてい、新旧をまとめて書いてあるようなので。

 長々とお付き合いいただいて、本当にありがとうございました。
 お話を勝手に広げてしまって(汗)。
 いい加減に描きます。遅くなってしまって…す、スミマセン……。

タイトル 適当にレスつけすぎました。
記事No 2464
投稿日 : 2006/10/07(Sat) 13:37
投稿者 岡沢 秋
片手間に掲示板流し読みはするものじゃない。
と、改めて自戒を。


「ヌーの持つ真髄は、多くの宗派の聖所において聖なる湖という形で存在している。そしてその湖は、天地創造以前には何一つ存在するものが無かったことを象徴している。実際、この死んだような水の巨大な広がりは存在し続け、天地創造が想像された後も太陽、月、星、地球、そして黄泉の国との境界線を守りながら、天上の大空を取り囲んでいる」(p.6)


なんだオシレイオンのことじゃん。
と、今読み返して思った自分です。

「多くの宗派の」が不適切な言い方なんですよ。多くの聖域で、とか、異なる神々の神殿で、とか言えばいいのに。
神殿に、ヌンを模した池をつくり、その中に最初の大地である丘を模して天地創造神話を再現したモニュメントを作ってある、ってことを言いたいんですね。

私が電波だと思って拒絶反応を示したのは「天地創造が想像された後も太陽、月、星、地球、そして黄泉の国との境界線を守りながら、天上の大空を取り囲んでいる」の部分で、天体はいいとして、地球と黄泉の国ってナンダヨ! というつっこみ。
原語はそのまんまearthとかheavenだったのだろうか。
worldじゃなく。

女神ヌトのむこうにヌンがあるかどうかはまた別として、
この文章だと「黄泉の国との境界」つまり地平線の向こうにもヌンが広がっている話になりますね。
どっちかっていうとエジプト神話より大地が円盤であるとした北欧神話やギリシャ神話的な世界観に見えてきます。

「一般的であるか」という最初の質問に対し、「古代エジプトの宗教史を通して、長い時間/広範囲にて信じられた」概念を「一般的」と定義するならば、一般的な解釈ではないと思います。


ああ。やっとスッキリ締まった。

タイトル Re: 適当にレスつけすぎました。
記事No 2465
投稿日 : 2006/10/07(Sat) 21:17
投稿者 greenbard
参照先 http://theta.gozaru.jp/
しばらくネットから離脱しておりました。
色々とありがとうございます。

なにぶん岡沢さんが未読の本でのことなので、
議論がかみ合わなくって申し訳なかったです。
結局、ジョージ・ハートが何者で、
何を意図して、何を根拠に書いているのか。
そのあたりは結局、分からないままなのですが、
岡沢さんの見解を読んで、大体の感じはつかめたように思います。
この本がどうであるかは別として、
エジプト関連の本って、オカルトのものって結構、混じっているんでしょうか?
気をつけて読んでいかねば、と(笑)。
(彼の著作のアメリカでのamazonの評価はそんなに悪くはないみたいですが)

> 「一般的であるか」という最初の質問に対し、「古代エジプトの宗教史を通して、長い時間/広範囲にて信じられた」概念を「一般的」と定義するならば、一般的な解釈ではないと思います。

了解です。ありがとうございました。

タイトル なんかすいません。本当に
記事No 2466
投稿日 : 2006/10/08(Sun) 00:08
投稿者 岡沢 秋
今週は公私ともにボロボロで。
外からレスってたものでほとんど流し読みでした。
間違いやら勘違いやら、投げやり気味で、こちらこそ本当に申し訳ない。しかしこんなに自宅に戻れないのも久しぶりでしたよ^^;

> この本がどうであるかは別として、
> エジプト関連の本って、オカルトのものって結構、混じっているんでしょうか?

一時期に比べれば減ったと思います。

過去、エジプト学の世界には、さまざまなオカルト・トンデモ説が出でた時代があります「エジプト人は黒人の国」「ピラミッドは地球の大きさをあらわしている」「ギザの三大ピラミッドはアトランティスの末裔によって築かれた」etc,
どっかで聞いたことがあるかもしれません。
そういう説が流行していた時代の遺産が一部まだ残っているようなんですよ。

このサイトをはじめる前、まだダイヤルアップ接続をしていた頃は、エジプト神話といえば、そういうオカルト説を扱うとこが主流でしたしね…
「タロットカードの発祥はエジプトである」説とか、今思えばどこから出てきたんだか分からない説も当たり前のように言われていて、なんだか不思議でした。

それでまあ、一部の単語を毛嫌いしているというか、拒絶反応が出るのかも。ヤルダバオトとか…^^;
旧約聖書のセツがセト神と関係あるかどうか、とかいう話も勘弁してください(笑)


今でも、オカルトでなくても、「?」なものは相当数まじっております。

たとえば素晴らしい衝撃で記憶に新しいのが、新潮選書の「ピラミツドは何故つくられたか」です。著者の高津氏はエジプト学は専門外だけれど文章が分かりやすく、知識も素晴らしい。序盤の纏め方は非常に面白い。

ただ、この本の肝心の部分「ピラミッドはなぜつくられたか」の部分が凄いんです。
ギャグなのか真剣に言ってるのか、真面目に考え込んでしまいますが、読みごたえたっぷりのエンタテイメント本ですよ。


もう新たな発見がほとんどない北欧神話やサガの世界と違って、エジプト関係は発見物が大量にありますから、出版スピードも速く分量も多いです。全部読むのは到底ムリ。10年前の資料はほとんど誓えません。データがかなり書き換わってます。
なので、どういうものを読んでみるかのチョイス、いい本と巡りあえるかどうかの運は、重要になってくるかと思います。



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