■ヴォルスンガ・サガ/ワルタリウス |
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この「ウァルターの歌」は、「ニーベルンゲンの歌」の中ではすでにハゲネの過去として前提に置かれているので、当然ながら「ニーベルンゲン」より以前に書かれたである。
そして、一連の関連伝説ではあるものの、「ニーベルンゲン」とは時代も作者も、書かれた国も違うという、なんとも変わった位置づけの作品だ。(なんせ元がラテン語だし)
従って、そのまんま「ニーベルンゲンの歌」と繋がるわけではなく、多少不自然なところもあるものなのだが、まぁ繋がると仮定してみよう。
まず疑問に思えるのは、ハゲネがフン族の宮廷からウォルムス城に戻って来るまでの間が全く語られていないということ。
タイトルからしてウァルターが主人公なんだから当然かもしれませんが、けっこうな距離がありますし、ウァルターの如く宮廷から宝などを持ち逃げした形跡もないので、途中で馬を買うなど出来たかどうかも分からない。
ハゲネは一体どうやって国に帰ったのか。
ところで、ハゲネといえば、「ニーベルンゲンの歌」では親友のフォルケールといつも行動を共にしている。ウァルター物語では、フォルケールはまだ居ない。と、いうことは、彼らが出会ったのは(フォルケールというキャラクターが作られたは)、このウァルター物語より後の時代のはずだ。
いや、もしかすると、この、語られていない「国に帰る途中」こそポイントなのかもしれない。
なぜそう言えるのかというと、フォルケールはドナウ川流域の出身らしいからだ。
まず一箇所、
第26歌章(1586) 「誰がわしたちを案内してくれるのか」と問うグンテルに、フォルケールが「ここからは私が道案内を引き受けましょう」と答える。
次は、同じく第26歌章(1594)勝手の分からないゲルプフラートの国でハゲネが渡し守を討ってしまい、報復を予感しているとき、「誰が案内してくれるのか」と問うギーゼルヘルに、騎士たちが、「フォルケール殿なら、どんな小道も裏道もご存知です」と答える。
一度も行ったことのない場所なら、道案内は出来ないはずだし、どんな道でも知っているとは言われないだろう。彼はこのあたりの出身、もしくは、しばらく住んでいた経験があったはずだ。
この、ドナウ川のあたりというのは、ブルングント勢がフン族の国に招かれて行く途中に通る場所---ウォルムスから12日の場所---と、なっていることから、ハゲネが帰国する際にも通っただろうことは予測できる。
と、いうことは、ハゲネがフォルケールと出会ったのも、彼が以前このあたりを通過したときだった、と予想できるのである
研究書に再三述べられているとおり、この時代、吟遊詩人や楽師といったものはかなり低い身分とされ、宮廷に上がることは出来ない存在だった。にもかかわらずフォルケールは王の側近の一人に数えられているわけで、これには、何か余程大きな功績が無いと無理だったはずだ。
この、「ウァルターの歌」の時点では、フォルケールはハゲネと密かに知り合ってはいても、まだグンテル王の宮廷に上がっていない。しかしその後、「ニーベルンゲンの歌」の時代までの間に何かがあり、側近の位にまで取り立てられることになる。
こう考えると辻褄が合う。
私的には、ハゲネとフォルケールの最初の出会いがどうだったのかが相当気になる。若い時分の彼らって、一体どんなキャラ?
若くてもフォルケールは昔から変わらない気がしますが、ハゲネはどうだったんでしょうか。意外と、何も考えずに城を飛び出してそのまんま行き倒れてたような気がする(笑)。
「ニーベルンゲンの歌」にもあるように、フォルケールはハゲネのしでかすことがすべてお気に入りらしいので、たぶん、そういう向こう見ずというか無鉄砲なところが気に入ってついて来たのだろう…ビバ男の友情(☆)
何の根拠もないのだが、このあたり、考え出すと実に面白く、語られなかった物語の背景などが見えてきそうだ。