ミンネザング、という言葉を聞いたことがあるだろうか。「恋愛詩」、と訳される。ミンネジンガーとは宮廷において、当時好まれた恋愛詩を歌った恋愛詩人のことだ。
ただ戦うだけでは野蛮人と変わらない。騎士は、高貴なるご婦人がたに奉仕しなくてはならなかった。困っている女性が居たら必ず救いの手を差し伸べること!
かのグルネマンツ師匠も、こう言っている――
またご婦人がたを愛すように。それは若い男を素晴らしいものにしよう。婦人方に対しては決して移り気を起こしてはならぬ。それが本当に男らしい心というものだ。婦人をだまそうと思えば、何人でもだませる。高貴なミンネに誠実を欠けば、称賛は長続きしない。<中略>ミンネの不興を破れば、そなたは名誉を失い、いつまでも恥ずかしい思いをしなくてはならぬ。この教えをいつまでも心に銘記するがよい。 ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ「パルチヴァール」―第1巻・パルチヴァールの少年時代―共訳/郁文堂 |
ミンネは、「恋愛」とは訳されるものの、独特の宮廷恋愛で、行為であり、感情であり、物証でもある。「高貴なものに対する尊敬」や「奉仕」を意味するものだった。
使用例としては、ある貴婦人の美しさを讃えるために、「あなたにミンネを捧げましょう」という言い方をしたり、貴婦人からの願いで決闘をする際に「ミンネのために戦いましょう」と言ったりする。騎士はミンネの奉仕をし、貴婦人からはお返しとして、愛情たっぷりの感謝、時には素敵な夜など(*^^*)をいただく。ゲームというか、一種の駆け引きのようなものさえ感じさせる。洗練された宮廷恋愛の前には、庶民の恋愛など野暮に思えただろう。
ミンネはまた、擬人化され、しばしば「ミンネ婦人」と呼び習わされる。「ミンネ婦人が彼らを結びつけた」とか、「ミンネ婦人がやってきた」とか、恋心を人のように扱うのである。
婦人奉仕、ミンネに対する考え方は作者によって異なる。至高の愛であったり、騎士たちの冒険動機であったり、単に報酬であったりする。それは「ミンネ」が、騎士時代を生きた人々にとっても、探求すべきものだったからに他ならない。
ミンネの追求に始まり、ミンネの追求に終わる物語、「トリスタン」が、各作者ごとに少しずつ装いを変えているのも、ゴッドフリートの如く最後まで書き上げることなく終わらされているのも、それが作者たちの「ミンネ論」の体現だったからと思われる。
騎士とは、礼儀正しく、貴婦人に奉仕の出来る男でなくてはならない、という理想像があったようで、いくら強くて容姿端麗であっても、ミンネを知らぬ男は不完全とされた。(マリ・ド・フランスの「ギジュマール」で、主人公が不幸な男と看做されているのも、そのためだろう)
ゆえに騎士たちは、自らが騎士であるがゆえに、時として、命がけで「ミンネの奉仕」に挑んでいく。
男女とも相手のことを好ましく思っていても、恋愛は、ただ普通に成り立つわけではない。男性が女性のために奉仕→女性がその報いとしてミンネを与える という形式でカップルが成立するのがお約束のため、女性は、まず男性に試練を課す。「これこれをしてくれたら、私はあなたのものになりましょう」と、いうような。
「パルチヴァール」に登場するジグーネなど、まさに、そのミンネの試練によって恋人を失ってしまうわけだが…。
…とかく、口で説明してもあまりパッとしないものなので、ミンネ婦人について知りたい方は、ぱらりと一冊、本をめくってみてほしい。
◆騎士文学に見るミンネ用例
「ミンネの証し」
口付けや、身に付けているものの一部など、ご奉仕してくれた証明として相手に与えるもののことを指す。
これは、ターゲットの貴婦人にとって身近なものであればあるほど良く、婦人ものの肌着を与えることもあった。現代で言うとブラジャーとか?
…騎士さん、それってちょっとヘンタイチック?
「ミンネの要求」
主に肉体的な恋愛を指して使われている模様。
本能的な昂ぶりを、格好よくオブラートに包んで言う言い方。
「ミンネの果実」
子供。
愛の果実、とか、愛の結晶、と同じ意味で使われている。
「ミンネの苦しみ」
草津の湯でも治せない、アレのことです。
「ミンネをいただきたい」
求婚の言葉になることもあれば、単にデートのお誘いであることも。
大衆の面前で礼儀正しく口にすれば、「あなたの騎士としてお仕えしましょう」という意味にもなる。
どこまで求められているのかは、口にした人の気持ちと文脈次第。また、その場のシチュエーションにもよる。
二人っきりのときに耳元に口を近づけて言われたりしちゃうと、レッツ・アヴァンチュール。