中世騎士文学

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三大騎士団について


 ファンタジーでは、よく騎士団という言葉が出てくるのだが、「王や貴族に仕える家臣団」と、いう意味でないのなら、騎士団はごく限られた時代にしか存在しなかった。初期の騎士たちであれば、「傭兵団」という意味での騎士団を形作っていたようなのだが、洗練された騎士の流儀というよりは、戦士の戒律のようなもので秩序づくられていたようにも思う。

 そんな中、ちょうど十字軍遠征の時代に作られた、これら「三大騎士団」は、ファンタジーな騎士に慣れ親しんだ人たちでもイメージしやすいものだと思う。キリスト教関係、または騎士関係のサイトに行けばイヤってほど語ってくれている予感がする(怖いから探してない)ので、ここでは簡潔にまとめるに留める。


■テンプル騎士団

 もとは「キリストの貧しき騎士」を名乗っていた騎士団だが、ソロモンの聖堂(テンプル)跡に本拠地を置いたことから「テンプル」の名がつき、テンプル騎士と呼ばれるようになった。本来の役目は、巡礼者が立ち寄る水場の安全を守ること。エルサレムへ聖地巡礼に出かけるキリスト教徒たちのために、安全地帯を設けることだったのだが、やがて守護地域が拡大し、勢力を増す。
 彼らは、巡礼の道を守る戦士であるとともに修道士でもある。つまり、「聖職者」と「騎士」という、二つの相反する職業が合体した騎士団なのだ。神への服従という天上への愛と、地位・名誉という地上への愛を、真の意味で一体化させた騎士団は、おそらく他の時代には存在しなかっただろうとも言われる。

 入団した者は主にフランス・ノルマン系。
 別称は「赤い騎士団」。
 主君はおらず、教会と同じく司祭を騎士団長としてまとまる。
 財源は各地からの寄付。(巡礼者の保護が目的なので、お布施みたいなものだったのだろう)
 衣装は、白いマントに赤い十字。…と、言えば、マンガやゲームで見たことがある人も多いはずだが、そう、ドラクエの司祭さんが着てるような十字架マークのローブ、アレがテンプル騎士団のシンボルだ。

 だが、寄付により増大した財産が係争の火種となる。
 フランス王フィリップ4世は、修道騎士たちの豊かな財源を奪おうとはかり、テンプル騎士団の人々を異端尋問にかけて財産没収をした挙句、異端尋問にかけて処刑してしまうのだった。


■聖ヨハネ騎士団

 三大騎士団のうち、唯一、今日まで残って活動している騎士団。
 しかし活動はヨーロッパ限定。活動内容も、特殊なカトリック信仰と、現代的なボランティア活動とに二分されているようだ。ここから先、この騎士団がなお生き残るかどうかは、予測できないとヨーロッパのサイトに書かれているのを見た^^;

 ヨハネ騎士団は、イタリアのマルフィの町の市民がエルサレム近郊に、巡礼者共済のため作った病院を母体とする。この病院で聖ヨハネが信仰されていたことが、騎士団の名前の由来である。
 巡礼の旅は長く厳しいから、もちろん、途中で病気になって倒れる人もいる。そういった人々を助けることを目的とし、また、時には異教徒さえも受け入れた慈愛の精神が、やがて、「守るためには、時として戦うことも必要」という精神を得て騎士団へと変化したのだという。

 財源はテンプル騎士団と同じく寄付だが、財産を溜め込まず、常に奉仕のために消費し続けたため、権力者に狙われなかったことが、今日までの生存を可能とした。
 十字軍遠征は、一時は成功するものの、やがて失敗を重ね、完全に中止される。聖地への巡礼が行われなくなった後、聖ヨハネ騎士団は、創設した人々の故郷である地中海方面へ本拠を移している。

 衣装は、黒字に白の十字である。



■チュートン騎士団

 歴史好きが食いつきそうなのが、この騎士団。
 さきの二つの騎士団を手本として作られ、内容的にも、十字軍騎士の救済…と、かなり近い。「団員はドイツ語圏の出身者に限る」としたことから、「ドイツ騎士団」とも呼ばれる。
 衣装は、白いマントに黒い十字。
 ちょうど、聖ヨハネ騎士団の色を反転させたような格好になっているが、十字架の2本の棒の長さが一緒なので、プラス記号に見える

 資料にいわく…、この騎士団の最大の過ちは、プロイセンとポーランドの戦いに、ポーランド側の援護のため参加してしまったことだ。
 本来なら巡礼をする者たちの守護や、聖地の奪還の補佐をすべきなのに、政治に手を貸したのがケチのつきはじめ。本来の目的を忘れ、世俗に走りすぎたあまり、他の国や貴族たちとの争いが起こり、勢力を失っていくのである。


…なお、それぞれの騎士団の歴史については、ひじょーーーに長いのと、色々資料があるのとで、面倒なので…
興味ある人は自分で調べてくらはい…。
ちなみに十字軍の遠征は、多くの騎士文学の書かれた12-13世紀にはかなり盛んに行われており、作者たちの中には、実際に十字軍に参加したか、あるいは参加しようと考えていた人もいると思われます。


騎士団について、ここに挙げた以外にも作られた事実は、ある。

たとえば、14世紀末から15世紀に生きたジャン・ル・マルグル、通称ブシコーが設立したという「緑の盾の白い貴婦人」騎士団。フェミニストを気取って女性の味方の騎士団、という立場で設立されたもので、目的は”不幸な女性たちを保護するため”だそうだ。

また同時代、「おひとよしのフィリップ」こと、ブルゴーニュのフィリップ卿が設立したもので、「金羊騎士団」というものがある。大掛かりなものではあったが、遊びや気晴らしのためなのか、あるいは本気なのか計りかねるようなものであったらしい。第一の目的は”神への奉仕”とされていたが、フィリップ殿の十字軍遠征と同様、形式美の探求に費やされ、中身はうつろであったと考えられる。

12-13世紀末に至る黄金時代を過ぎた騎士の文化は、やがて豪華絢爛の中に本来の荒々しさを失ってゆく。騎士団といっても、たとえば日本で言うところの鎌倉時代の武士と、江戸時代の武士が大きく異なるように、時代によって、内容は異なっていたということだ。




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