中世騎士文学/パルチヴァール-Parzival

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ジグーネ


「あなたはパルチヴァールさんね。この名は、『真中を貫けよ』という意味です。」
−母のように、姉のように、主人公を導く悲しみの”ピエタ”


 主人公の、母方の従姉妹。
 彼女の母、ショイジーアーネはお産のときに亡くなっており、一時期、主人公の母のもとで育てられています。そのため、ジグーネのほうは、幼い頃のパルチヴァールを知っていました。
 母によってあらゆる世間から隔離され、宮廷のことも、自分の素性のことも知らず森の奥で育ったパルチヴァールに、はじめて彼の真の名と在るべき国の名を告げるのが、彼女です。
 最初の出会いの時、ジグーネは、さながら、死せるキリストを抱く聖母マリアのように、荒々しいオリルス公に殺害された恋人の亡骸を抱いています。時に木上で、時にさびれた礼拝堂で、風景を変えながらも、悲しみにくれる彼女の姿は変わることはありません。4回の登場シーンのいずれも、彼女は死せる恋人の側に居ます。
 しかし、主人公が少年であった初回では少女であるジグーネも、物語が進み、主人公が成長するにつれて、女性として成長していきます。心だけが常に悲しみに閉ざされており、新たな愛を求めることはありません。主人公パルチヴァールと同じく、誠実の愛を貫き、生涯に二人の相手を求めようとはしないのです。

 ジグーネは、登場するたびに主人公に助言を与える存在として描かれています。
 彼の名を教えるのも、最初の聖杯城訪問のあと、彼がその城で犯した罪を教えてやるのも、聖杯城を求めてさまようとき、聖杯城へのみちしるべを教えるのも、彼女です。実の姉のように、または母のように、優しく、だが、時に厳しくもある女性の導き手、この物語で主人公は、多くの女性たちの導きを受けながら成長していきます。
 不思議なのは、男性の導き手たち、グルネマンツやトリフィリツェントとは異なり、女性の導き手たち、母コンドヴィーラームールスやこのジグーネは、常に悲しみに満ちている、というところです。それは、生涯ただ一人を愛し続ける、「誠実の愛」の持ち主たちだったからなのかもしれません。(愛−liebe−はやがて悲しみ−leide−に変わるだろう、と、ドイツの吟遊詩人は言う。)

 純粋さは、同時に己の身を滅ぼすものでもあります。
 真っ直ぐな彼女の愛は、物語のクライマックスで、恋人の亡骸のもとで何の喜びもなく果てている姿で終わりを告げる。死せる恋人は、残されたジグーネがそのような形で生きることを望んだだろうか? 死者に尽くすことに意味はあったのだろうか? 悲しみに身を引き裂かれながら暮らす人生が、本当に彼女の幸せだったのか?
 誠実とは、人を不幸にするものなのか。それとも、傍目には不幸に見える生き方こそ、本人にとっては幸せだったのか。
 彼女は自らの生き方を貫き、死を持って、自らの信じたものを主人公に伝えるのです。

 聖杯王となったパルチヴァールは、安らかな顔で息をひきとったジグーネの姿から、何を受け取ったのでしょうか。

 




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