聖杯城ムンサルヴェーシェの現在の主
癒えぬ罪の傷に苦しむ聖杯王
アンフォルタスという名で出てくることは無くても、「漁夫王」といえば、アーサー王関連の伝説でも名が知られているでしょうか。
「エーレク」や「イーヴェイン」といった、いわゆるアルトゥース・ロマーンであるハルトマンの作品にも登場します。この王、アンフォルタスは、聖杯城の王でありながら、禁断のミンネに身をゆだね、その結果、神の怒りに触れ、癒えぬ傷を負い、死に瀕した苦しみの中で生き続ける人物です。
ハルトマンの作品では異教徒の毒槍に貫かれ苦しむ聖杯王の姿をキリストに重ね聖視するのに対し、ヴォルフラムの作品「パルチヴァール」では、あまりに人間的で、世俗的。聖杯王は、聖杯を守る、ただの人間として描かれます。
彼自身が聖なるものではない。その証拠に、彼は欲望に走り、罪を犯し、そのつぐないをさせられている。しかも、色欲の罰として、傷を負った部分は男性器である。とても聖なるものではない。…と。
しかも聖杯は、彼の命を永らえさせはしても、苦しみを取り除くことは出来ません。その意味では、聖杯もまた、万能ではないのです。
聖杯も、聖杯の守り手も、極度に神聖化されることを恐れたかのように、どこかでかたくなに世俗と結びつく。
聖杯城は、選ばれし者しかたどり着くことの出来ない場所といわれながら、守っているのは人間の騎士たちです。夢や幻ではなく、確かにそこに存在し、人や物が出入りする場所でもあります。
アンフォルタスの罪は、本当に罪だったのか?
なぜ、彼自身が悔いることでは、罪は浄化されなかったのか?
クライマックスで、主人公パルチヴァールに、「この苦しみを終わらせてくれ、私を死なせてくれ」と懇願する聖杯王の姿には、人々が切望した聖杯を守り、その間近で恩恵を受ける者の気配は微塵も感じられないでしょう。むしろ、聖杯城を訪れる人々と同じく、聖杯の奇跡を畏怖し、崇めているようにしか見えません。
聖杯の守り手も、自分たちと同じ人間である。しかし、聖杯城に住まう以上、自由に外には出て行けず、自由に恋愛をすることも許されない。一生を、聖杯の守護に捧げなければならない。
それを知ったとき、聖杯王アンフォルタスは、すぐ近くの人になるはずです。
そして、彼は教えてくれるでしょう。真に聖なるものとは、何であるのかを…