北欧神話−Nordiske Myter

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ゲルマンの神話−北欧文化圏とは?


以下、文章の苦手な人用に要約。

北欧神話といえばゲルマン民族の神話だが、ゲルマン民族は活発に民族移動をしていた人々である。
住んだ地域は、現代に言うところの「北欧」だけではない。
…と、いうことは、北欧神話が伝えられた場所は「北欧」に限らない。


まるで国語の問題のように。短く。シンプルに。



●神話を持つ人々の移動

 神話というものは、土地ではなく人に属するもので、人の移動とともに移動し変化していくものだ。
 ”ゲルマン民族の大移動”といえば、社会科の授業で習うほど有名な出来事だが、他にもさまざまな部族が、何世紀にも渡って、ヨーロッパ全域に渡って移動したという歴史がある。移動とともに、彼らの持つ神話もまた、各地に移動していったということが予想される。

 北欧神話の場合、それを伝える人々が北の大地から新天地を求めて移動して行ったことは確実なのだから、北欧だけに存在する神話なのではなく、「北欧起源の」神話にすぎないかもしれないことを了解しておく必要がある。
 「エッダ」など基本的な資料の多くは確かに北欧地域で書かれたものだが、口伝も含めたすべての神話体系を視野に入れるつもりなら、北欧という地域に限定する意味はない。(その意味で「ゲルマン神話」と呼ばれることがある。)


●北欧神話の分布

 ところで、神話を持って移動していったゲルマンの人々は、一体どこまで広がったのだろうか。「北欧神話」に登場する神々は、どこまで遠征していたのか?

 たとえば、「ニーベルンゲンの歌」に登場するブルグント族もゲルマン系の部族だが、彼らはドイツのライン川のほとりまで遠征し、同じくゲルマン系のフランク族は、現在のフランスまで行き、王国を作っている。と、なると、ドイツ・フランスあたりはゲルマン民族の血が濃い国となるだろうか。この辺りが騎士文化の中心になっていたことも、示唆的だ。(戦うという意味において、ゲルマン戦士も騎士にも戦闘本能が必要とされる)

 サクソン人の一部は大ブリテン島へ渡っている。ブリテン島といえばケルト神話を思い出すところだが、古くからゲルマン民族との交流はあり、互いの神話が一部で交じり合っていたことも知られている。

 他に、南下を続け北アフリカまでたどり着いた部族にヴァンダル人がいるが、彼らは文学作品などは残していないようだ。

 他にも様々な部族がおり、一世紀ごろ、ローマの歴史家タキトゥスが著した「ゲルマーニア」には、細かな部族の分布が述べられているが、そのとおり、ヨーロッパ中にゲルマン部族が散っていたのなら、北欧神話は、もはや北欧だけの神話ではありえない。
 大ブリテン島にも、地中海にも、アフリカ北部にも、小アジアにも、あるいはもっと遠くアジア内陸にまで、伝えられていた可能性は、ある。(残っているかどうかは別として)


●神話の全貌

 口承伝説は時代の変化とともに消滅してしまうものだが、文字として記された物語は、伝える人間が死に絶えても残るものだ。
 だが逆に、文学として形にされたものは異端として焚書の刑に処され消えてしまったのに、口伝だけは隠れてひっそりと生き延びることも在り得る。
 残されている神話が、全てではない。そしてまた、ゲルマン民族は、血族を重んじるため、互いに独立した、多様な部族からなる民族だった。これら、各部族ごとに信仰が違っていた可能性がある。
 すべての部族に共通する、均一な神話があったとは言えず、南方に遠征していき、新たに国を作って住み着いた人々が、かつてどんな信仰を持っていたかは、確かめようが無い。今、残されているものはノルウェー・アイスランドに伝えられたものでしかないのだ。

 しかも、同じノルウェー・アイスランドに伝えられたものの中でも、「エッダ」と、その他の神話資料との間でさえ、神々の位置付けや役割にばらつきがある。

 たとえば「エッダ」の中ではオーディンが最高神だが、実際の信仰の記録では、必ずしもそうではない。
 一説によると、王権に関係する神と、庶民の信仰する神とが違っていたのが原因だという。神話を文字として記したのは身分の高い上位階級の人々だったため王権に関わる神オーディンが最高神とされ、文字を持たなかった民間の口伝では、戦いに関係する神チュールや農耕に関係する神トールがオーディンよりも信仰を集めていたのではないか? と。
 (日本でいうと、天皇家に関わる神アマテラスさんより、学問の神・菅原道真や陰陽師・阿部清明のほうが若者にウケている、といった違いだろうか。)

 北欧神話に限ったことではないが、神話には、定められた一つの絶対的な筋書きが存在するわけではない。
 各地域、各部族によって違っていて当たり前なのだ、ということも、ひとつ念頭におく必要が在るだろう。


えらく見難い図ですが、手ェぷるぷるさしながら描いた根性なマウス絵なので我慢して下さい。

 ローマ史から見た「ゲルマン民族の大移動」は、376年、フン族に追われたゴート族が南下し、ローマ近辺を脅かした出来事のことを指しているという。
 しかし、移動はこれ一回ではないし、何世紀にも渡って、ゴート族とは関係ないところでも、多くの部族が移動を繰り返していた。

 原因は、北方の「気候の悪化」だったとされる。それまでも大して住みよい地域だったと思えないが、作物が育たないほど寒くなったら大問題。

 暖かい新天地を求め、人々はヨーロッパを目指し、気に入った土地に国をつくっていった。
 もちろん、元からそこに住んでいた人からすれば、自分たちを追い出す「侵略者」「よそ者」との戦いは必然だっただろう。
 民族移動の時代は、人々が、住処をかけて激しく戦った時代でもあるのだ。


■各民族のアバウト解説■

例外/オレンジ色の線は、匈奴のフン族の移動。ゲルマン系ではないが、各地でゲルマン系部族やローマと衝突を繰り返しているため、無視するわけにもいかず載せてみた。さすが騎馬民族、移動距離が長い長い。ウォルムス方面へ向かった一派はブルグント族を滅ぼしたのち、フランク王国の辺りまで進出。イタリア方面へ向かった一派はラウェンナ(ベルン)の辺りでテオドリク大王(ディートリッヒのモデル)の率いるゴート族&ローマ連合軍と衝突、ちなみにテオドリク大王はこの戦いで戦死している。さらに、やるだけやって故郷に戻っていった一派もいたらしい。

デーン族/「ベーオウルフ」に登場する。シルド・シェーヴィング、ヘアルフ=デネ、ベーオウルフ(主人公とは別人)、ロースガールと4代の王について語られている。ノルウェーとデンマークの間くらい、スカンジナビア半島の南部を故郷とする。

ジュート族/同じく「ベーオウルフ」に少しだけ登場。デンマーク付近を故郷とする。

アングル・サクソン族アングルとサクソンの二つの一族が一体化して大ブリテン島に移住。なるほど、アングロ・サクソン。ケルト系の民族とともにブリテン島へ渡り、一時期はこの島の支配権を有することになる。イギリスに残るルーン文字は、彼らの残したものなのだろうか。

フランク族/移動距離としては短い。フランス北部に自分たちの王国を作り、全盛期はかなり繁栄する。

ブルグント族バルト3国の方面から移住。ご存知、「ニーベルンゲンの歌」のブルグント族。ライン河岸に国を作るが、フン族との戦いに敗れ南方へ逃れる。

西ゴート族・東ゴート族元々はスカンジナビア半島にいたが、紀元前150年ごろに一部が移住を開始。もっとも移動頻度が高かった民族。ローマを席巻し、最初に文明に触れた。ルーン文字の開発者と言われる。。
 この史実をもとにしたのか、ディートリッヒ伝説に登場する、ディートリッヒの叔父エルムリッヒ(エルマナリクがモデル)は、ローマの王として描かれている。ローマからは、恐るべき戦闘民族として恐れられていた。ディートリッヒのモデルとなったテオドリク王の率いた民族で、物語の中と同じく、ラウェンナを中心地として国をつくるが、フン族の急襲を受けて結果的には敗戦している。

ヴァンダル人/英語でヴァンダルというと野蛮人を意味するくらいだから、よっぽど荒っぽい人々だったのだろう。移動距離も長く、スペイン・ポルトガルを越えてアルジェリアまで遠征している。ローマ人は、フン族とヴァンダル人に挟まれて苦労しており、どっちかというとヴァンダル人のほうがマシ。ということで協定を結んだのだという。
そのため、「ローマ庇護のもとに行われた民族移動」とも呼ばれる。

その他の資料・紀元1世紀ごろ
岩波文庫「ゲルマーニア」付属地図より。


上に描いた地図は4世紀−5世紀を中心とした移動図だが、こちらはタキトゥスの生きた1世紀ごろの記録に基づいた民族分布図。

そのままスキャナで読み込んだだけなので、画像が悪いのは勘弁。(て、いうか著作権にひっかかる?)


 タキトゥスが生きていた一世紀には、既に多くのゲルマン系の民族がヨーロッパ全体に広がっていたことが分る。各々、それほど大きな部族では無かっただろうが。
 これらの部族の移動とともに、神話が分散したことは間違いないだろうし、、各々の土地で変化して、本来の故郷へと逆輸入された可能性もある。(もし、地中海付近まで南下した部族がギリシア神話に触れ、そのモチーフを取り込んで北欧神話の中に混ぜ込んだとしたら、北欧神話はギリシア神話に似た部分を持つことになる)

 ゲルマン人は、移住を繰り返した民族だった。よって、神話もまた、その移動範囲と切り離して考えることは出来ないだろう。


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