北欧神話−Nordiske Myter

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北欧神話の原典―エッダ


【初心者むけ短縮説明】

◎「北欧神話」というのは、かなりアバウトな呼び方で、実際はノルウェー・アイスランドに伝わっていたゲルマン民族の神話を指すことがほとんど。(北欧の全地域でこの神話が語り継がれていたわけではない。)

現代の「北欧5カ国」の北欧は、北欧神話で言う「北欧」とは範囲が違っている。
 現代の北欧五カ国は、ノルウェー・スウェーデン・フィンランド・デンマーク・アイスランドだが、このうちフィンランドだけは、民族と言語が異なり、所持する神話も異っている。
 そのため、「北欧神話」と言うときの北欧に、フィンランドは含まれない。

◎「エッダ」は、文字として書かれた北欧神話の一部であり、すべてではない。北欧神話=エッダ、というよりは、北欧神話>エッダ、と言うほうが正しく、エッダを含む様々な文献をすべてあわせて、「北欧神話の資料」として扱う。

◎しかし、資料の中には神話としてではなく歴史として書かれたものや、北欧ではなく、ゲルマン民族が移住していった先…ドイツなどで書かれたものもある。ドイツは北欧ではないので、ドイツ叙事詩まで入れると北欧神話とは呼べない。そのため、すべての資料を含めようとすると「ゲルマン神話」という呼び名のほうが相応しいかもしれない。

(※つまり、北欧神話とゲルマン神話は中心とする資料の範囲が違うだけで、基本的に同じものです。)



【以下本文】

 エジプト神話ならエジプト、インド神話ならインド、と、国ごとの神話はたいへん分かりやすいものだが、国の無い広大な大地に語られた神話には、国の名前はつけられない。
 地域を持って「北欧」神話とは言うものの、北欧という国が存在したことが無く、今も存在しない以上、大変わかりにくい表現である。
 だが、「北欧神話とは何なのか」を語ろうとするなら、地域だけに注目しない、他の方法がある。


●原典、資料●

 北欧神話の原典―――として、まず挙げられるのが「エッダ(Edda)」である。名前を聞いたことがある人は多いかと思う。
 しかしこれは、実は、一つの物語の名前ではない。まずエッダには、「古エッダ」と「新エッダ」が存在する。

 古エッダは、様々な時代に書かれた作品の集合体につけられた名前。さまざまな時代に書かれた散文、叙事詩を集めた約30篇から成る集合体のことで、当然、著者は一人ではない。各物語の成立も、最古のものと最新のものとの間には500年もの開きがあり、含まれている言い回しや表現方法などから、おおよそ8世紀から13世紀の間につくられたものとされている。

 新エッダは、少なくとも編纂者の名前は分かっている。13世紀にスノリ=ストルルソンというアイスランド生まれの学者だ。こちらもスノリが書いた「物語」というわけではなく、過去に存在した神話を引用・編纂しなおして作った、歌謡・神話の集合体である。


 現在、本として出回っている北欧神話のほとんどは、これら二種類のエッダを元にしている。
 だが、文字として残された物語だけが全てではないし、神話はもともとも口伝によって語り継がれてきた。「エッダ」は確かに中心的資料だが、単純に「エッダ=北欧神話」イコールで結べるものではないのだ。場合によっては、別の伝承や「エッダ」以外の文字資料なども北欧神話の参考として挙げられるし、口伝だったために消滅してしまい、現在は残っていない多くの物語も、北欧神話と呼べるだろう。


 以下、混乱しないため、簡単に二種類のエッダの違いについてまとめてみる。

詩のエッダ

別称;セーンムンドのエッダ、古エッダ、詩のエッダ

作者;不明(と、いうより、多くの写本の集大成)

セーンムンドとは初期アイスランドの学者の名で、これを発見したキリスト教の司祭が、スノリのエッダを参照にして後から書かれたものだと誤解したことから、この名前で呼ばれるようになった。実際は、セーンムンドは全く関係の無い本だった。
歌謡エッダは様々な形式からなる複数の詩から成り、それらの詩は、もともと「歌」として、人々に語り継がれていたものだと考えられている。

成立年代;
書かれたのは1150年以後、1270年以前とされているが、中身自体の成立年代にはかなりのバラつきがある。
俗っぽく喩えるならば、一冊の単行本にまとめられたマンガや小説の描かれた年代が同一ではないのと同じことと考えてもらいたい。

内容:
有名な「巫女の予言」を含む神話的な内容と、ニーベルンゲン伝説やディートリッヒ王の伝説と起源を同じくする、英雄たちのサガを含む。

写本;主要なものは「CodexRegius」。
のちにコペンハーゲンの王立図書館に納められたことから、「王の写本」と呼ばれる。
17世紀に、アイスランドのスカウホルトというところで発見された。

注意すべきなのは、この写本に含まれないものもエッダ詩として分類されている、ということ。
一般的には、断片的に別の写本に残されていたものも「詩のエッダ」と一括して語られている。
つまり、現在で言うところの「詩のエッダ」とは、「王の写本に含まれる詩+よく似た形式で書かれた同時代の詩」の集合体を指す言葉のようだ。


散文のエッダ

別称;スノリのエッダ、新エッダ、散文エッダ

作者;スノリ・ストルルソン(確定)

成立年代;
1222−1255年 三部作になっており、各部ごとに書かれた年が違う。
内訳は、日本でもそこそこ知名度のある「ギュルヴィたぶらかし」のほかに、「詩語法(スカールド・パルヴァマール)」、「韻律一覧」。


内容;
「詩のエッダ」に収録された内容を少しずつ引用しつつ繋げた形で、神話の大観を語る形式になっている。
「エッダ」の名は本来こちらにつけられたもので、冒頭部でスノリ自身が「この書物は『エッダ』と呼ばれる」と、書いている。古エッダにはタイトルはなく、新・古をあわせて呼ぶための便宜上の名前として『エッダ』が当て嵌められた。
日本で有名なのは「ギュルヴィたぶらかし」だが、それは一部分にすぎず、実際は「詩語法」と「韻律一覧」を含む3つの部位から成り立っている。

写本;
幾つかあるが、主要なものは「Codex Uppsaliensis」(いわゆる「王の写本」。王様に献上されたのでそのように呼ばれる)。
ここに、「この書物はスノリが纏めた、エッダと呼ばれる書物です」と書いてあるので、作者とタイトルが判明した。
ちなみにエッダという言葉の意味については、確定していない。「祖母の意」「スノリが学術を修めた?地名」「詩語法の意」などがある。


※現在、一般に「北欧神話」と呼ばれているものは、古エッダにスノリ・エッダに引用されている詩篇を加えたもの。内容については、一部は母国ノルウェー、一部は移住地のアイスランドで成立したと考えられている。



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